第13話 その先の未来

男達の姿が見えなくなるのを確認した裕作は、急いで沙癒の元に駆け付ける。

「沙癒! 大丈夫だったか!?」

「……うん」

「何かされなかったか? 怪我は? お兄ちゃんの筋肉に何でも相談しろ!?」


先ほどの迫真極まった威勢から一転、オロオロと不安げに頭を揺らして心配する裕作。

沙癒の周りをグルグルと徘徊しながら体に触り、身体中をくまなく調べる。

傍から見れば彼がやっている行動は、変質者のソレである。


「……だ、大丈夫だから」

「大胸筋!? 胸が苦しいのか! 待ってろ、直ぐにプロテイン補給を――」

「い、要らないよー」

しかし、沙癒の言葉が聞こえておらず、裕作はズボンのポケットからプロテインバーを取り出した。


今の裕作は半暴走状態だった。

何もかも筋肉に変換される単細胞と化した脳、そこに狂ったようなブラコン愛が重なっている。

こうなった裕作を止める術を、沙癒は知らない。


「さぁ食え! 食って筋肉増やすんだ!」

「その、裕にぃ、くすぐったいから」


押し付けるようにプロテインバーを沙癒の口元に持っていき、どうにか食べさせようと奮闘する。

しかし沙癒は恥ずかしがっているのか、腕を突っ張り両手を振って抵抗する。

頬はほんの少しだけ赤く染め、普段のよりも大きな声を出していた。

今の沙癒はいつもの冷静さが欠けており、幼い子供の様に可愛らしく慌てている。


攻めっ気が強い沙癒には、実は意外な弱点がある。

それは、相手の方から詰め寄られたり、予想外の行動をされることだ。


沙癒は誰かとコミュニケーションを取る際、予め決めた言葉を話し、相手の反応を伺いながら言葉を選んでいる。

この言葉を選べば、相手はこう言うだろう。

こうすれば相手はどう動くだろうか。

詰将棋の如く相手の二手三手先を読んで、常に最良と考える選択肢を生み出してから行動に移す。


だが、沙癒は一方的に話しかけられ続ける事、そして何より、予想が出来ない行動を取られると何も出来なくなる。

考える間もなくコミュニケーションを取り続ける事は、沙癒の最も苦手とする事だった。

脳内はパニックに陥り、冷静さを失わせる。


その結果、普段では見せない可愛らしい部分が浮き出る。

この姿は本当に仲のいい人間にしか知り得ない、彼の隠れた魅力の一つである。


「――ねぇ、あんた達何してるの?」


そんな兄弟のじゃれ合いが繰り広げられる中、秋音が体育館裏に姿を現した。

ここまで来るのに疲弊したのか、顔は少しやつれ、拍子抜けと言わんばかりに肩を落としている。


「あ、秋。助けて、裕にぃバカになってる」

「……いつもそうじゃない」

黒く光るプロテインバーを柔らかな沙癒の頬に押し付けて、上半身裸の男が息を荒立てている。

完全に事案発生現場であり、他人に見られれば警察へ通報されてもおかしくない。


秋音はため息を吐いてから、息を思い切り吸い込んでお腹に力を入れる。

「そろそろ落ち着きなさい! バカ筋肉!」

その後、渾身の力で裕作の背中に向けて平手打ちをした。

攻撃は裕作にクリーンヒットし、風船が破裂したような高い音が辺りに響き渡る。 

「いてぇ!」

「まったく、沙癒が嫌がってるでしょうが」


小さな手の平の跡がついた背中を摩る裕作を他所に、秋音は鼻を鳴らして呆れていた。

痛みでようやく冷静さを取り戻した兄を見て、怯えた猫の様に体を小さく丸め、逃げるように距離を取る。


「……裕にぃ、私それ要らない」

そのまま秋音の後ろに隠れるようにしがみついて、覗き込むように裕作を見つめていた。


「でも、これ食ったら筋肉が――」

「いらない」

「あっ、はい」


裕作はようやくプロテインバーの押し売りを諦め、残念そうな顔つきのまま手に持っていたプロテインバーを齧る。


「そういや秋音、来るの遅かったな」

間抜けな顔で口を動かす裕作の姿を見て、彼の表情は余計に怪訝なものになった。

「あんたのせいよ! ここに来るまでの事何も覚えてないわけ!?」

信じられないものを見る目で睨み、地団太を踏むような足取りで裕作の胸元まで近づく。


「……なんかしたっけな~」

あからさまに視線を逸らし、吹けもしない口笛を吹く真似をして秋音から距離を取る。 


「あんた、ここに来る過程で二階から飛び降りたでしょ」

「……その方が時短になるし」

「だからって窓ガラスに突撃するバカはあんただけよ!」

目を合わせない裕作に対し、胸倉を掴もうと拳を突き立てるが、服が無かったのでそのまま顔面を殴りつけた。


「アバァ!」

その拳にはすさまじい憎悪が込められており、骨身までその威力が伝わった。


「反省しろ! バカ!」

腹の底から出した声には怒り込められており、ここにいる誰よりも怖い表情を浮かべていた。


そう、裕作はここに来る過程でいくつもの事件を起こしていた。


まず一つ目が、衝突事故。

この学院の中で最も恐れられている体育教師の吉田。

彼は校則の取り締まりはとても厳しく、違反者にはそれ相応の刑罰を与えていた。

授業中に過剰に騒いでた生徒を拳で黙らせ、持ち込みが禁止指定されているゲーム機をその場で破壊する。


そんな旧時代の教育方針を体現した吉田先生に廊下で見つかってしまった。

この学院には「廊下を走ってはいけない」という校則があり、廊下を爆走する裕作をその身で止めようとした。

しかし、裕作は目の前に立ちふさがる吉田にタックルをかまして、ダンプカーに轢かれたように吹き飛ばされた。

……吉田は今、保健室へ救急搬送中である。


そして二つ目が、器物損害。

吉田をぶっ飛ばした後、彼はさらに罪を重ねる。

二階に到着した段階で裕作は更に時短を図る為、廊下の窓から飛び降りた。

勿論、窓を開けるなどという悠長なことをせず、ドロップキックで窓ガラスを豪快にブチ破り突破した。

そう、一年B組の教室から第二体育館まで向かい過程で、裕作は足を止めることはしなかった。


今回の事件により、学院内は過去類を見ない程大騒ぎになっている。

沙癒の安否を心配する者、学院内で鬼が現れたと騒ぐ者、体育教師の吉田が倒されたと喜ぶ者。

あらゆる話題が混ざり合い、人伝に話が膨れ上がる。

もう事態の修復など出来ない領域に達しており、学院内はお祭り騒ぎになっていた。


結果的に沙癒は無事で済んだが、その代償はあまりにも大きい。


「あーもう最悪! みんなになんて説明したらいいのよ!」


嫌気がさした秋音は、いよいよ頭を抱えて座り込んでしまった。

綺麗なブロンドヘアーを毟るように頭を掻いて、唸るような怨嗟の声を漏らす。

沸き立つ感情を押し潰されるように悶々と唸る秋音を、裕作は見つめる他無い。


「――ごめんね秋、私のせいで」

「いや、半分以上はあんたの兄貴に怒ってるんだけどね?」

申し訳なさそうに謝る沙癒に対し、複雑な気持ちを抱える秋音。


明らかに常識外れの行動を取った裕作を小一時間は問い詰めたい。

しかし、これら全てが沙癒を助ける為の行動だった事を知っている。

だからこそ、秋音はこれ以上裕作を責めることはせず、一人でこの感情を消化しようと奮闘しているのだ。


しかし、覗き込む沙癒の表情がどんどん暗く濁っていく。

自分のせいで周りに迷惑をかけたのではないかと気を落とし、右腕で胸を辺りをキュッと握りこんでる。


「……まぁ、あんたが無事なら何でもいいか!」

そんな様子を見た秋音は、わざとらしく大きな声を上げて笑顔を見せる。

何もかも諦めたように「どうにでもなるでしょ!」と独り言を吐き、吹っ切れたように立ち上がった。


「――でもっ」

「でも、じゃない。ほら、そんな暗い顔しないの! 無理してでも笑いなさい!」

秋音は「にー」と大きく口角を上げてわざとらしい笑顔を向ける。

その姿がおかしいのか、沙癒は小さく笑いかけた。


「……ごめん」

「いちいち謝らない、あんたは悪くないんだから」


秋音は励ます様に右手で沙癒の頭に触れる。

サラサラで艶のある銀髪を撫でては、今までの態度が嘘のように穏やかな笑顔を浮かべる。

何だかんだ言っても、秋音は親友の無事が何よりもうれしい様子で、その姿を見た裕作もなんだかうれしい気持ちになる。


「さ、こんな場所とっととずらかるわよ!」

「……うん」

秋音は沙癒の左手を握り、引っ張るように歩き出す。


「裕にぃも、行こ」


沙癒は余った右腕を伸ばし、裕作に差し出す様に向ける。

その姿はとても美しく、見る者を虜にする魔性の顔立ち。


ほんの一瞬、兄である裕作ですら見惚れてしまい、反応が遅れる。


「あ、あぁ」

意識を取り戻した裕作は、言われるがままその手を握る。

おもむろに握ったその手はとても小さく、ほんの些細な力で壊れてしまうようにか細い。

乱暴に扱えばすぐに壊れてしまうような儚い存在。

沙癒は誰の目から見ても美しく、常に人の目に留まる。

だからこそ、今後もこういった出来事は避けられないかもしれない。


だからこそ、裕作は改めて決意する。

自分の弟を、沙癒を幸せに導いてみせると。


裕作は、彼を守る為ならどんな犠牲でも払う覚悟がある。

例えこの身が朽ち果てようとも、どんな酷い運命が待ち受けていようとも。


たった一人の弟を守り、幸せに導くと心に誓ったのだから。



「あ、裕作はこのまま職員室に直行ね」

「あっ、はい」

「後、服着なさい」

「はい」


そして、その後裕作は職員室に直行し、放課後になるまで理事長直々の尋問を延々と受けたのであった。

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