先祖の勘と、お告げ
「夢の中で自分の生き写しに会うとは思わなかったな」
蕾花は今、社にいる。
真夜中の常闇之神社境内。その正面にある大きな藍色の鳥居の下で、一人の男と対面していた。
あたりには、時間を問わず往来する参拝客は一人もいない。どう考えてもこれは、夢の光景だ。そうでなければ説明がつかない。——目の前に、男の自分がいることに。
その男は後ろで結った髪を風に靡かせ、奇兵隊の隊服を着込んでいる。腰には徳川家にあだ名す妖刀——村正。かの西郷隆盛も愛用する討幕の象徴だ。
「体を返せってか?」
「いや、違う」
男はそう言って、首に巻いていた毛皮を撫でた。と、その黒い毛皮が動く。ギンギツネだ。生きた狐を首に巻いていたのだ。
無骨な手でギンギツネを優しく撫で、意外なほど人懐っこい笑みを浮かべる。
「お前に、俺の愛刀を譲りにきた」
「……理由は?」
「ま、役に立つから、だな。正直俺もなぜそうすべきと思ったのか、知らん。だが、俺は勘で行動し、悉く上手く行かせてきた。だから、俺は俺の勘に従う」
「なんだそりゃ……てか村正なんて握ったら、俺もろくな死に方しないんだろうな」
「何を言う」
男が、凄絶な笑みを浮かべて言った。
「
ぶつんっと、夢が終わる。
×
「……ってことがあったんだ」
「本の読みすぎだろ。それとも、新しい話のネタか?」
蕾花の真剣な話を鼻をほじりながら聴いていた柊は、ティッシュで指を拭って大あくびをかます。真面目に聞いてない。
「こんのババア……自分の話は無理にでも聞かせるくせに俺の話は聞かねえってか」
「疲れておるんだ。昨日あんなに暴れたからな。……で、なんだっけ。休暇を使って宮城に行くんだっけか」
「ほんっと俺に敬老精神なきゃ今頃尻尾引っ張り回してビッタンビッタン……」
「わかったわ、聞いてやる。……夢の中の男ってのは、
「ああ」
宵村久蔵。蕾花を構成する、肉体を司る魂だ。
幕末の時代に生まれ、国の未来を憂いた下級武士の子。卓越した武術の才で、三日もあれば初めて触れる武具でも自在に操る神童。
文久三年、長州藩が外国船舶に対し砲撃を行った下関戦争——それによって敗走した長州藩・高杉晋作が発足を宣言した奇兵隊に参加し、宵村久蔵は殺しの才能を爆発させた。
「妾の眼で観測したところによると、歴史に名を刻むことはなかったようだ。記録されることを嫌い、味方には記すなと厳命。敵が取った記録は徹底的に焼いたらしい。真剣の立ち合いでは負け知らず。銃で武装した足軽隊を一人で斬殺。幕府軍の百はくだらん部隊を単騎で殲滅……バケモノかこいつは」
「とんでもない狂人だな。でも、この体がやけに戦闘に向いてる理由がわかった。どうすれば敵を打ち倒せるのかが自然とわかるんだよな」
「天賦に加え、お主の不死身と、勝ちにこだわる狂気が合わされば……そりゃ、現役の中では最強だのともてはやされるだろうな」
「柊に言われるとなんか微妙だな。それこそ邪神としての俺よりずっと強いんだろうし」
「まだまだ若造には負けんさ。……で?」
「あ?」
柊が、手をずいっと差し出した。
「さっさと受け取った刀を見せろ」
「いいけど……やらねーからな」
蕾花が異空間に腕を突っ込む。彼が武器庫と呼んでいる異空間の収納領域だ。そこから引き抜いたのは、二尺二寸の一振り。
漆塗りの鞘、紫色の太刀緒、鮫皮の柄には紫色の滑り止めとするきめの細かな糸が巻かれている。
「おお……! 村正か!」
「だからっ、絶対譲らないぞ!」
「ケチだな。山のように呪具を持っとるくせに。村正の一振りくらいいいだろ」
「ふざけんな。言ってみりゃ、先祖が直々に渡した家宝だぞ」
柊が村正を受け取り、鯉口を切って鞘から刀身を抜く。
その刀身は、微かに赤紫色を帯びていた。刃紋は直刃で、やけに……血の匂いが濃い。
「鉄の匂い……にしては、生々しいな。この色も、血が滲んで焼き付いてんのか?」
「久蔵以前の持ち主も相当の人斬りに違いあるまい。千人はこれで斬られておるぞ」
「曰くつきだな……いや、刀ってのはどうしても人を斬ってるんだろうけど……」
妖艶だ。その刀身は、いやに目を惹きつけられる。
柊の目が刀身を滑り、切先を睨んだ。それから峰に流れ、はばき、鍔。
その視線は鑑賞すると言うより——怨念に睨まれているから、負けじと睨み返すような目つきである。
蕾花は平然と装っているが、内心村正が発するおぞましい剣気に圧倒されていた。
しばらくして、柊が刀を納める。
「本物だ。こいつは、本物の村正だ」
「宵村久蔵の最期は、俺の中に記憶があるが……非業っていうには恵まれてたぜ」
「あの狐だろ? あいつは確かに、妾から見ても美女の類だ。あやつが妖怪になっておれば、お主の比では無い瀟洒な美女として君臨しただろうさ」
「ガサツで悪かったな。……久蔵は、なんでこれを俺に?」
「さっぱり。お主の夢越しに久蔵を覗いたが、本当に勘で渡しに来たみたいだぞ」
「くそ……俺ってのは先祖の代から考えなしなのか……」
今朝、夢から覚めて起き上がったら、蕾花の巣穴の座卓の上に村正が転がっていたのだ。もちろん蕾花は凶器をほっぽり出して寝るほど性格は終わっていない。この社には子供だっているのだ。
柊が言うには、一時的に肉体の主導権が久蔵に移り、彼が転移術を使って刀を取り出した——らしい。
それから、今の肉体は蕾花の魂と完全な結びつきを持っているため、他の一切がその主導権を、永続で奪うことはないとのことだ。久蔵が主導権を握れたのも、蕾花の無意識の同意があったためだ。拒絶していれば、容易く拒めるものだという。
式神が見ていたかと思って聞いてみたが、流石に真夜中のこと。彼らは寝ていたし、猫姉妹の方は万里恵に世話を任せていたのでそもそも巣穴にいなかった。
「で、だ。蕾花よ。お主は妾にいくつ貸しがあったかな」
「記憶にないな」
「うん? 学生時代、バイト代が入った封筒を盗られて意気消沈するお主に寄り添ったのは誰だ?」
「あれは……えっと……当時の彼女だったかな」
「払えなかった携帯代を立て替えたのは」
「あー……えー……えー……い、伊予さん」
「お主がいじめが起因で人を殴った時、大変だったな?」
「ま、参りました……けど、だったらなおさら渡せないだろ。祟りを振り撒く刀なんだぞ」
現世の更生教育期間の手痛い話を持ち出された、蕾花は村正を譲る気はなかった。
「だから、妾が預かると言っておるんだ。西郷隆盛の最期を知らんのか」
「知ってる。集団自決さえかなわず、銃弾二発もらって一緒に撤退してた仲間に首を落としてもらったんだってな」
「いいのか、そうなるぞ」
「いいやならない。地獄は現世で味わった。柊だってよく知ってんだろ」
「捻くれ者め。もういい、好きにせよ」
柊がしっし、と手を振った。
蕾花は村正を握り、立ち上がる。
「心配は、受け取っとく。でも俺はもう大人だ」
「ことさらに大人を強調するうちは、糞餓鬼の証だ。馬鹿者」
柊が鼻で笑った。それが彼女なりの心配だと言うことくらいわかるが、だからこそ自分がこれを持つべきなのだ。
柊は、あまりのも多すぎる地獄を、苦痛を、非業を味わった。これ以上の苦痛は必要ない。
それに、自分は仮にも邪神だ。妖刀の一振りくらい、手懐けて見せる。
柊の書斎を出ると、廊下のひんやりした感触が素足越しに広がった。
「あいつ、いつまで母親ヅラすんだよ……」
蕾花はため息を漏らし、村正を異空間にしまって居間に向かうのだった。
同時に、自分がいつまでも柊を親のように思い、困ると頼ってしまうことに気づき、ムスッと鼻を鳴らした。
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