後編

 俺は元は捨てられた狼人だった。

 普通は狼と同じように群れて暮らす習性のある狼人族の捨て子は珍しいらしい。よほど差し迫った理由があったのかも知れないが、俺にそれを知る由はない。

 狼人族は凶暴であるが故に人間からも、そして他の獣人たちからも倦厭されていた。いくあてがなく、そのままでは飢え死んでいたであろう俺を引き取って育ててくれたのは、一人の人間の少女だった。


 彼女は優しかった。まるで弟のようにたくさん面倒を見てくれたし、俺は彼女に愛してもらっているとすら思っていた。

 ……しかしそれは幻想でしかなかったのだ。


『今日からあんたには役に立ってもらうわよ』


 彼女は俺を利用し、たくさんの人を殺した。

 少女は人間の国の有力者の娘だった。気に入らない人間がいると、俺を使って殺させる。クソッタレな日々だった。俺は彼女に愛してもらうためひたすら殺戮を続けた。

 そんなことが一体どれだけ続いたか、わからない。

 俺は獣ではない。頭部や尻尾こそ狼らしいが、胴や四肢は人間とよく似ているし、何よりきちんと人並みの知能を持っている。だから少女の都合のいい道具になんてなれるはずがなくて。

 ある日、ふとした言葉をきっかけに、壊れた。


『好きなんでしょう、あたしが。ならあたしの言うことを聞きなさいよ。聞けないなら死になさいよ』


 ガブリ。

 少女の頭を噛み砕いた時の感触は、今でも忘れられない。

 その日以来俺は誰かを頼ることをしなくなった。多くの血を流させ、俺を蔑むもの、虐げるもの、全てを排除し尽くした。

 そして心の空白はそのままに、王の座に君臨し、無理矢理に自分の存在意義を見つけて生きながらえたのだった――。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 いつの間にかまどろんでしまっていたらしい。

 目を覚ました途端、すぐそこに見えたのはペコラの顔。いつもと同じふわふわした笑顔に安心させられる。可愛いな、と素直に思った。


「あら、お目覚めですのね〜。良い夢を見られましたか〜?」

「いいや、何も見ていない」


 彼女の無邪気な問いかけに、俺は嘘を吐く。

 あんな夢、思い出したくもない。今はペコラのモコモコな毛に身を委ねてしまいたかった。


「わたしの毛、気持ち良かったでしょう〜?」

「…………」

「ワーシープの中でもわたしの毛は上等な方ですもの、間違いないですわ〜。

 実はわたし〜ワーシープ族の姫ですのよ〜。ふふ。驚きましたかしら〜?

 リカント様と婚姻するには充分な立場でしょう〜? 本当はそういうことで判断してもらいたくなかったから、黙っていたのですけれど〜」


 ペコラはくすくすと笑いながら言った。


「最初は〜わたしの実力を試すためだったのですわ〜。

 本来ワーシープ族の女は人間を虜にするものですが、彼らは全てあなたが滅ぼしてしまったでしょう〜? それなら冷酷非道な王と有名なあなたを虜にしてみたら面白いのじゃないかと思って〜」


 やはりな、と俺はぼんやりとした頭で思う。

 わかっている。ペコラのこの温もりだって、すぐに俺を裏切るだろうということくらい。それでも俺は抗えなかった。彼女を本気で好きになってしまったから。


「そして案の定、いーえ、想像以上に面白かったですわ〜。でも計算外なことがありましたのよ〜。

 冷たく振る舞うのにわたしを心から拒絶できないあなたの心根に惹かれて。あなたの真面目さが愛おしくて。健気さが可愛くて。

 虜にされたのはあなたが先かわたしが先か、一体どちらだったでしょうね〜? でもまあどちらでもいいですわ〜。だって、夫婦になればそんなの関係ないでしょう〜?」


「……は?」


 なんだ、それ。

 それまで彼女の話を理解していたはずなのに、急にわけがわからなくなった。


「ですから〜わたしもあなたのことを愛してしまったのですわ〜。

 鳥人のお姫様には悪いですけれど〜諦めてもらうしかありませんわ〜。一度好きになった者は絶対に手放さない、それがワーシープの流儀ですので〜」


 どういうことだ、と問いかける暇もなかった。

 なぜなら直後、俺の口にペコラの柔らかな桜色の唇が押しつけられていたからだ。


「……!?」


「冷たいあなたも好きですが、驚いたお顔も素敵ですわね〜。

 絶対に逃がしませんわ、リカント様」


 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「リカント様〜今日もお疲れ様でした〜。わたしの膝、お貸ししますわ〜」

「……ふん」

「どうぞ好きなだけ休んで行ってくださいね〜愛する旦那様」


 結局、ペコラの甘やかな誘惑に屈してしまったということなのだろう。鳥人姫との縁談を潰して彼女と結婚してしまったのだから。

 疲れ切った俺は、妻となったペコラの柔らかな膝の上に頭を乗せて横たわる。それだけで満たされた気分になるのだから不思議だ。


 桃色の瞳で優しくこちらを見下ろすペコラを見上げ、俺は思った。


 ――ああ、可愛いな。


 優しくされるのはまだあまり得意ではない。周囲からは今も冷酷非道な王だと思われたままだ。

 でも、ペコラだけには心を許してしまっている自分がいる。そして心から愛しいと、そう思えてしまうのだった。

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冷酷非道な狼人王は、ふんわかもふもふワーシープちゃんの甘やかな誘惑になんて屈しない? 柴野 @yabukawayuzu

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