尾久沖 千尋

上手に焼けました~♪

【2022年10月29日 土曜日 18時16分】


 ここに肉がある。


 何の変哲も無い、只の肉だ。


 詳細に言えば一キログラムのブロック牛肉で、まるで鉄塊のようにカチンコチンに凍っている。


 今からこいつを調理して美味しく頂こうと思うんだが、恥ずかしながら俺には料理の経験というものがほとんど無い。


 学生時代の調理実習や、一人暮らしを始めてからはカレーライスとかラーメンのような簡単なものなら作った事は少しあるが、こんな広辞苑こうじえんかよってくらい分厚いお肉を調理した事は一度も無い。


 え? まともに料理した事の無い奴が、どうして冷凍肉なんて持ってるのかって?


 細かい事はいいんだよ。


 ただ、今日中にこいつを食べ切らないと困った事になる、とだけ言っておこう。


 幸いにして、今の世の中は便利だ。


 インターネットを使えば、料理本を買いに行かずとも、レシピサイトや調理動画は閲覧し放題だ。


 取り敢えず食べられればそれでいいので、やはりステーキが良い、という結論に達した。


 何せ焼くだけだ。


 シンプル・イズ・ベスト。


 解凍する方法は色々とあるようだが、さっきも言った通り、今日中に食べ切らなければならない事情があるので、手早いやり方でいく事にした。


 密閉袋に入った肉を、氷水を入れたボウルに入れて解凍させる氷水解凍なら、冷蔵庫とかで解凍するよりも時間が掛からないらしい。


 解凍が終わったら、まず肉と脂身の間にある筋を包丁で取り除き、肉から染み出た水分も拭き取る。


 フライパンに油を引いて熱を通してから、ステーキサイズにカットして塩コショウを振りかけた肉を投下。


 ジュウ、という音が耳に心地良い。


 焼き目が付いたのを確認してから裏返し、もう片面も入念に焼く。


「うん、良い香りだ」


 仕上げはアルミホイルで包み、フライパンの余熱で更に加熱して出来上がり。


 本当はもっと手間を掛ければ美味しくなるのだろうが、料理経験が浅い上に面倒臭がりで、しかもタイムリミットが設けられている今の俺には、このくらいが丁度良い。


 白米も炊いて、コンビニで買ってきたサラダとビールとつまみも用意して準備完了。


「いただきます」


 ナイフでカットして、肉をパクリ。


「――んまいッ!」


 我ながら良い出来だと思った。


 程良い肉質と歯応えで、塩コショウの塩梅あんばいも丁度良い。


 すぐさま白米を食らい、ビールで流し込む。


 至福の瞬間だ。


 あっと言う間に一皿を完食、あらかじめ焼いておいた二つ目の肉を皿に盛り付け、三つ目の肉をフライパンで加熱する。


 テレビのニュースを観ながら、とにかく肉を口に運んでいく。


 同じ味ばかりでは途中で飽きてしまうので、焼き肉のタレ、レモン、マヨネーズ、ケチャップなど、今ある調味料で味に変化を加える事も忘れずに。


 それでも流石に後半は腹がきつくなって、味を感じる余裕も無くなってきたが、この肉は今日中に食べ切らなくてはならない。


 できる事なら冷凍したまま保存しておきたかったのだが、それは味的な意味ではなく、非常にマズい事になる。


 そうやって自分に言い聞かせて、ようやく最後の肉を平らげた。 


「もう、食えねえ……」


 腹を締め付けるベルトがきついが、無事に完食。


 ほっという安堵の溜め息と、げぷっという満腹の息が同時に漏れる。


 食器の後片付けも入浴もする余裕が無いので、そのままベッドに横たわった。


 今日は色々あって、これから先の事とかどうしようかと悩んだのは、ほんの短い間。


 酔いも手伝って、いつの間にか意識を手放した俺は、夢の世界へ直行。


 ぐっすりと眠って、そのまま翌朝まで熟睡さ。



【2022年10月30日 日曜日 8時20分】



 いつも通りの時刻に目が覚めたが、日曜日なので、昨日と同じく仕事は休み。


 腹は減っていなかったので、トーストを齧っただけの簡単な朝食と昨日の後片付けを終えると、生理に促されるままトイレへ。


 腹一杯食べたら、その分を出さなきゃいけないだろう?


 誰だってそうする、俺もそうする。


 そうやって大自然の摂理、大宇宙の法則に従っている最中、ピンポーン、とインターホンが鳴った。


「こんな朝っぱらから来客か……」


 まあ見当は付く。


「はいはい、今行きますって」


 独り言に近い返事をしてから、トイレットペーパーを使い、ジャーッと水を流してトイレを出た。


白銀泰しろがねやすしさんのお宅で、お間違い無いでしょうか?〉


 見知らぬ男性が二人、インターホンの画面に表示された。


「はい、白銀ですけど。どちら様でしょうか?」

〈南警察署の者です。お話宜しいでしょうか?〉


 二人が警察バッジを提示した。


「け、警察? 分かりました……」


 心臓の嫌な鼓動を感じながら、すぐに玄関の鍵を開けに行った。


「どうも、お早うございます」

「お早うございます。出て来るのが遅かったようですが、何かあったんですか?」

「すいませんね、丁度トイレに入ってたもんで。え~っと、それで? 警察が俺に何か?」

金田多稼男かねだたかおさん、あなたのお知り合いですよね?」

「ええ。あのデブ――金田さんが何か?」


 名前を聞くだけで不快感が込み上がる。


「今朝、金田さんが遺体で見つかったんですよ。聞いてませんか?」

「えぇっ、本当ですか……!? ――って、でも何で俺の所に?」


 人が死んで、その知人の元に警察が訪ねて来るとなれば――


「殺されたんですよ、金田さん」

「こ、殺された!? 金田さんが? あの、ひょっとして俺を疑ってるんですか……?」


 殺人事件が起きて警察が訪ねてきたら、誰だってまずそう思う。


「金田さんの携帯の通話履歴の、最後があなただったもので。それと奥さんから聞いた話なんですが、あなた金田さんから結構な額のお金を借りていて、その事で何度か口論になっていたそうですね」

「いや……まあ、それは否定しませんけど、だからって殺す程の事じゃないですって」

「そうですか……」


 刑事二人は俺の返答ではなく、反応を窺っている様子だった。


「白銀さん、昨日は何を?」

「仕事が休みだったんで、ずっとここに居ましたよ」

「お一人暮らしですか?」

「見ての通り」


 両親は遠くで暮らし、友人や恋人といった相手も居た試しが無い為、アリバイを証明する者は居ない。


「あの、ちょっと質問してもいいですか?」

「何でしょう」

「その……金田さんは、どんな風にやられちゃったんでしょうか? つまり死因は?」

「撲殺ですよ。まだ見つかってないんですが、何か硬いもので後頭部をガーンとやられてましてね」

「へえ……」


 やけに饒舌な俺を怪しんだのか、刑事の眼が妙な光を帯びた気がした。


「……少しばかり、お部屋を見せて貰ってもいいでしょうか? 勿論任意ですが」

「凶器が無いか、ですか? ええどうぞ、どこでも好きなだけ調べていって下さい。ただ、ベッドの下の引き出しにはオトナの雑誌とかDVDがあるから、そこはあまり見ないでくれますかね」


 見られたくない物の一つや二つ、誰にでもある。


「ご協力感謝します。ではお邪魔します」


 靴を脱いだ刑事達が散らかった部屋に入って、机の引き出しやゴミ箱、押し入れの中などを、簡単だが手際良く調べていく。


 見つかるものか。


 凶器は昨日の内に美味しく処分し、ついさっき下水道へグッバイしたのだから。

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