共謀 復讐を決意する 失格という女医と医者

木桜春雨

第1話 共謀 自分を失格という女医と医者

総合病院ともなると朝から患者は大勢で待合室のロビーが混雑するのは珍しいことではない。

 高齢者もだが、若者や女性が多いのは最近の風潮もあるのだろう。

 男女二人で来ている若いカップル、昔なら考えられなかったかもしれない。

 

 「お疲れ様です」

 「はい、お疲れ、休憩はきちんととってね」

 看護婦の声に女医は両手をあげて大きく伸びをした、空腹を感じて昼をどうしようかと思いながら、ロビーに出たとき思わず足を止めた。

 医者の姿を見たからだ、最近、勤務医となった男だ、少し前までは非常勤として要請があれば来ていたのだが、できるなら、正式にという上からの言葉に後押ししたのは自分だだ。

 腕は良いのだ、だが、人付き合いがいとはいえない、 しかし、どんな仕事にも、こういう人間は少なからずいるものだ。

 中肉中背、身長も人並みだ、わずかに白髪の入り交じった髪、後ろ姿なので顔は見えない、患者と話しているなど初めて見る、好奇心が抑えきれないまま、話が終わったところで戻ろうとする医師に女医は声をかけた。

 「良かったらお茶しませんか」

 缶コーヒーを貰ったんですが、苦手なんですよと女医は声をかけた。

 「うちの診療室で、そのほうがいいでしょう」

 返事はなかったが、じろりと睨まれたことに女医はしめしめと思いながら、今なら誰もいませんからと言葉を続けた。


 「珍しい光景でしたね」

 「何が言いたい」

 「女性に興味がないと思っていたんですよ」

 医者と弁護士、警察、お役所仕事という仕事が高給という構図は昔もだが、今も変わらない。

 若手の医者でも独身は少ないのは青田刈りというわけではないが、婚約者がいたりすることも多い。

 将来のコースが決まっていたりするのである程度の年を重ねると既婚者というのは珍しくない、だが、独身というのも一定多数はいるのも現実だ。

 

 数日前、待合室で医者が女性と話していた姿を見て女医は興味を抱いた。

 だから駄目元で聞いてみたのだ、知り合いかと。

 期待した答えではなかった、だが女医は、らしいなと思ってしまった。

 缶コーヒーを手渡すと伺うように男を見た。

 「噂では同性愛者とか、あなたのこと、言う人もいたけどね」

 馬鹿馬鹿しいといわんばかりに男は眼を細めた。

 

 男は元々は非常勤として勤めていたのだ、できるなら、そのスタイルを変えたくないと思っていた。

 だが、気持ちが変わった、それはあの男の話を聞いたからだ。

 偶然、昔の知り合いに会ったのだ、実家の家業を手伝っているという、その男は自分と親しいというわけでも仲がいいというほどではなかった。

 長話などするつもりではなかった、が、気が変わったのは男の様子に感じるものがあったからだ。

 「後悔してるよ、あんな男と」

 憎々しいといわんばかりの男の声と表情には、どんな言葉をかけても無駄だろうと思ってしまった。

 だから、曖昧に相づちを打ち、曖昧な返事で誤魔化したのだ。

 

 世の中には似ている人間がいるという話を聞くことがある。

 だが、それは自分には関係のない場所、世界の事だと思っていた、そう思って生きてきたのだ。


 一枚の紙を見せつけるように男の前でひらひらさせる、見ると男に問いかける女医の言葉に男は眉間の皺を深くしながら、手を伸ばした。

 「検査、だと」

 肝心の部分が書かれていないと不満を口にする男に女医は意味ありげな視線で男を見た、不妊検査と言われて男は一瞬、無言になった。

 「結果は来週なんだけど」

 知りたいでしょうと言われて男は返事ができずにいた。

 

 彼女と言葉を交わした事も数えるほどだ。

 ただ、廊下で会ったりすると会釈されて笑いかけてくる、挨拶を交わす程度だけだ。

 自分は仕事しか頭になく、それが全てで周りの、家族の事など眼中にはなかったのだ、なのに。 

 ここしばらく、彼女の姿を見ないなと思ったとき知ったのだ、亡くなったと。

 それだけなら良かったのだ。

 

 「真面目な性格だったからな」

 「あの男にしたら、珍しかったんだろうな」

 「だからって、やりすぎだ」

 「よく捕まらなかったな」

 「そりゃあ、コネとかじゃ、オヤジさんが寄付をしていたしな」

 「でも、いつまでも親にって」

 「見捨てられるぜ、親子だからって続かないだろう」

 

 噂を口にするのは一部の人間だけだ、本当かどうかはわからない。

 自分には関係ないと聞こえないふりをして数年が過ぎた。

 ところが、数日前、目の前に現れたのだ、それだけではない。

 

 「不妊検査だけどね、結果を聞きに来るけど、どうするの」

 「教えてくれないか」

 「ここにいたらいいんじゃない、顔出しはしないで、こっそりと」

 「そんな事は」

 盗み見を、いや、覗き見をしろというのか、それでも医者かと女医を睨みつける厳しい視線、だが、相手は気にする様子もない。

 「驚いたわ、彼女の」

 このとき、女医の顔は笑顔から別の表情に変わった。

 「忘れたのよね、なのに今更だわ、こんな気持ちになるなんて」

 自嘲的な、その笑いは長くは続かなかった。

 

 

 「検査結果ですが、安心してください、あなたに不妊に当たる要素はありません」

 「そうですか、よかったです」

 だが、言葉とは反対に女性の顔、その表情は少しばかり、いや、嬉しそうには見えない。

 「この場合、もしかしたら夫側に不妊の原因があるかもしれません」

 そうですかと頷く女性に女医は言葉を続けた。

 「ご主人はかかりつけの病院はご存じないでしょうか」

 昔と違い今では不妊の原因を調べる方法も変わってきている、男性は女性と違い、プライドのせいもあって、病院で調べて貰うという事を嫌っている。

 「ご主人は個人経営者で、ああ、会社勤めでしょうか」

 女性は頷きながら、会社名を告げた。

 

 「それでしたら調べることは可能です」

 医療関係の間で一部の法律が変わったんですと女医は言葉を続けた。

 「奥様は子供が欲しいと思っていますね、ですが、今のご主人に不妊の可能性があった場合は、どうされます」

 その言葉に女性は、困ったような、わからないといいたげな表情になった。

 

 待合室で医者が女性の姿を見かけたとき、迷いながらも声をかけた、そして女の顔、声に一瞬、言葉を失った。

 似ているのは顔、容姿だけではなと思ってしまった。

 錯覚かもしれない、だが、古い記憶が新しい記憶に塗りかえられたような、そんな気がした。

 

 人工授精で妊娠は少し難しいかもしれないわね、女医の言葉に医者は尋ねた。

 「夫婦仲が良好とはいいがたいのよ、多分、夜の回数もね」

 「そうなのか」

 「話をしていて、もしかしてと思ったけど」

 男の顔が険しくなったのは女医から手渡されたカルテだけではない、数枚の写真を見たからだ。

 (浮気、何故こんな写真を)

 仲良く肩を抱き合い、キスをしたり、それは世間でいうなら明らかに浮気の証拠写真というやつだ、何故と思ってしまう。

 「君は医者だろう」

 「医者も人間よ」

 そう言って女医は殺してやりたいと呟いた。

 「あっ、言っておくけど患者を、ではないわよ」

 協力してくれない、女医の言葉に男は目を閉じた。

 だが、長く考えることはしなかった。

 恨んでいるのは、あの男だけよと(自分を捨てたのだ、あの男は)

 仕返しをして不幸になる男がいる、気持ちの良いもの、後味はどうだろう、だが、当然の報いだと思ってしまう。

 代わりに、妻という女性が救われる、幸せになるのだ。

 これは悪いことではないと女医は自分に言い聞かせた。

 そして実行することにした、一人ではない、そう思うと安心した。

 「医者失格というのは、君だけではないようだ、かわりに、私は」

 彼女が欲しい、あまりにも素直で正直な医者の言葉に女医はにっこりと笑った。 

 楽しくなってきた、心の底からだ。

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