趣味シンガー

「ご馳走ちそうさま」

 オムライスも、ナポリタンも完食し、お代を払って店を出る。結局、お兄ちゃんは何も言わなかったな。気ぃ使っているのだろうか。私のせいで、お兄ちゃんが迷惑こうむったのなら、申し訳ないなぁ。

 お母さんも、お父さんもいない中、私の第一の保護者はお兄ちゃんだ。


「あ、礼蘭れいらちゃん」


 一個目のドアを通ったところで、追いかけてきた匠悟しょうごくんに声をかけられた。

「ダンデがいわないからおれがいうけど、じつはキミが来るけっこう前に、学校から電話来たんだよ」

 ————やっぱり。

「あのスマイルくんがめずらしくフオンな顔になって、頭をさげてあやまってたから、気になって聞いてみたんだ」

「……そうなんだ……」

 そうだったんだ。真実を知って、猛烈もうれつな申し訳なさと困惑こんわくの気持ちで押しつぶされそうになった。

 私は、階段をのぼる最中で立ち尽くし、うつむいた。ボロボロと涙が出てきた。

「……わたしは……どうしたらよかったの……?」

 わたしはなにをまちがえた? わたしの中では、ただしい選択をしたつもりだったのだけれど、どうしてこんなにもツライの? どんな選択をすれば、ツライ気持ちにならなくてすんだの?

「人生ってしんどいね。のぞんでもいないのに、否応いやおうなしにデッカい苦行くぎょうをさせられる。たぶん、キミの選択は間違ってないよ。

 そんなに気負きおいすぎなくても、幸せに生きるって、そんなにムズカしいことじゃないっぽいよ。おれが今、幸せかどうかは知らないけど、……まあ、悪くもないっぽい。

 う〜んと、この世界にはたくさんの人がいて、おれみたいなヤツもいれば、ちょっと信じられないけど、おれとは真逆のヤツもいるみたい。

 んー、だから……えっとぉ、まぁ、気楽に生きたっていいんだよ。

 たとえ、この世でドベっちになったとしても、どうせあとには残らない。

 自分で自分を傷つけんのはごめんだけど、たとえ、明日死ぬとなったとしても、まぁ、いいか。って、思えるくらいの、ほどよい生活が一番だよねぇ」

 彼の言葉には、まったく力がこもっていなかった。文頭や文末がふわふわしていた。私とのギャップの大きさに、つい呆れて、後ろを振り返った。涙も引っ込み、苦笑いを浮かべる私に、彼はニヤっと少し口角を上げて、「またね」と喫茶の中へ入っていった。

 不思議な人だな。でも、不思議と、身体が軽くなった。そのまま家へ帰った。



 私は一体、どう生きよう。


 やっぱりこの課題は、なかなかぬぐえない。納得できる答えが定められない。

 帰宅後は、特になにもやる気が起きず、お気に入りの音楽を聴きながら、ベッドに仰向けになった。

 目を閉じて、音楽を聴くことだけに集中した。身体からだがリズムにのって、自然と口も動いて、歌い始めた。

 今聴いている曲は、ライオン玉子たまごさんというボカロPの楽曲「爆烈ばくれつロック」。ボカロながら、ロックでもあるという、それがライオン玉子さんの全体的な音楽スタイルだ。ボカロもロックも好きな私からすれば、ドンピシャにハマるアーティストである。ロックのジャンルは、オルタナティブ。

 「爆烈ロック」という名のこの曲は、ドラムやギターの疾走しっそう感や男声の、ボカロらしからぬ力強い歌声が快感かいかんで、何度でもリピートして聴き入ってしまう。

 さすが、音楽に一点集中してるだけはある。



 その後は、テキトーにひまつぶしていると、お兄ちゃんが(ちゃんとノックをして)入ってきた。それ以前に、珍しい時間帯に帰ってきたなー。

礼蘭れいら、学校の荷物にもつ

 お兄ちゃんの右手には、私が学校に置いてきた通学用リュックが……。

 それを見た私は、ふるえ上がり、床にひざをついて頭をれ、お兄ちゃんにひれした。

「こ、この度は、多大なるご迷惑をおかけしましたあ!!」

「……顔をあげな、礼蘭れいら。ハナっからリュックに全部まとめてあったんだけど、こうなることは想定してたの?」

 お兄ちゃんは、腰を低く下ろして、私に言った。私は、顔を上げて答えた。

「……想定というか、万が一の事態にそなえてて、……今日は、絶対に最後まで居ようと思ってたんだけど、いろいろと厳しくて、逃げちゃった」

 「万が一の事態」が、ホンモノの現実になってしまった。

「相当、ビビってたんだな」 

 許されないことだよなぁ、これをネット上で発信しようものなら、一瞬で荒れ狂い、世界中を敵に回すことだろう。

 あぁ、どうしよう。

 うつむかずにはいられない。とても上なんて、見られる状態じゃない。今の私は、とてもみじめだ。

 するとお兄ちゃんは、私の顔に手を伸ばしてきて、あごをクイっと上にあげた。

「だから、顔あげなって。俺は怒ってないからさ」

「え……」

「俺がイチバン見たいのは、礼蘭の笑った顔だから」

 そう言うに合わせて、お兄ちゃんはにっこりと笑った。

「最近の礼蘭は、ぶっ通し何か思い悩んでるよね。いつまでも、そんな顔されるくらいなら、逃げてくれた方がずっといいよ」

「わーー!! お兄ちゃー-ん!!」

 マジで神なお兄ちゃんに、私はきつかずにはいられない。お兄ちゃんの方も、私を包んで、頭をでてくれた。

「よく頑張がんばったな」

 常識をやぶるって、イバラの道だ。実際に敵を作って、まるで法をおかしたかのように、責め立てられる。人の命をうばったかのような、猛烈な罪悪感にさいなまれる。でも私は、誰もあやめていないし、違法薬物に手を伸ばしたわけでもない。

 私は私を許せるだろうか。法は犯していないけれど、非常識な、「今の自分を愛したい」私を。


「礼蘭、今夜のライブ、良かったら出てみる?」

「え、ライブ? いいの?」

「うん、今日はわりきがあるし、一曲歌うだけならいいっしょ」

「歌うだけって、間奏中とか、どうするの?」

「テキトーにノっとけばいいじゃん」

「えー、でもでも、ステージで歌うなんて、初めてだし」

「初めてにビビってたら、何にもできないよ。礼蘭は、度胸あんだから、大丈夫!」

 ん、今のそれは、めてんのか? それとも、からかってんのか?

「……まあいいや、やってみるよ」

「それでこそ、礼蘭だ」


 唐突とうとつのシンガーデビューが決まった。コピーシンガーだけど。私はいそいで、歌う楽曲の雰囲気に合うコーデに着替え、アー写をり、さっちゃんに報告した。


『さっちゃん、私今夜、歌手になるんだ!』

 すぐに返信が来た。

『えー、れいらんが?』

『そうよ! 今夜のライブに少しだけ出してくれるんだって。さっちゃんも来てみてよ」

『でも、さち、夜に梅巴うめはを一人にできんし』

『一緒に来ればいいよ。お兄ちゃんのライブ喫茶は、未成年にも優しいから、小さい子どもでも大丈夫!』

 グッド!

『ええよ』

 やったあ!



「なんこれえ!! たっかあ!!」

 店内に響き渡る叫び声。メニュー表を見たさっちゃんは、目を丸くして驚いた。

 本格的にライブ喫茶となる午後六時、その十五分前から、メニューの値段が引き上げられる。メインメニューは、プラス千円。サイドメニュー、デザート、飲み物は、プラス五百円が足される。足された分の収益は、ライブ喫茶側の収入はもちろん、出演したアーティストやライブを運営する、匠悟しょうごくんをはじめとする裏方さんへの報酬にもなる。ライブのチケットの代わりだ。

 昼間は閑散かんさんとしていた地下の喫茶も、ライブハウスの一面をダブルで持つと、様子が一変し、お店は大繁盛はんじょうする。学校終わりの学生や、仕事終わりの社会人なんかが、ドカっとやってくるのが大きい。


 私は、ライブのオープニングを任された。中々が重いが、一番初めが比較ひかく的空いている方でもある。私は覚悟を決めて、匠悟くん指導のもと、練習にはげんだ。

 ライブ喫茶に来てくれた、さっちゃん姉妹に挨拶をして、いよいよステージへ。私のアーティスト名は「Leylaレイラ」だ。

「ガンバレ、れいらん!」

「れいらちゃーん!」


「初めまして、レイラです。急きょ歌わせていただくことになりました。歌う曲は、今私の中で、急上昇のトップにおどりでている、ライオン玉子さんの『爆烈ロック』。ぜひ聞いてください!」



 会場は拍手と歓声に包まれた。ちゃんと歌い切ることができた。

「ありがとうございました! レイラでした!」

 そう言って、私はステージをはけた。

 この私が歌う側! お客さんの前で、私の歌を披露ひろうしたのだ。ステージからはけたあと

も、ドキドキは止まらなかった。


「おまた」と、さっちゃん姉妹のところに戻ると、二人だけでなく、他の常連さんからもお褒めの言葉をいただいた。私は素直にほほをゆるめた。スターってのも、悪くないかも。

 

 その後は、バナナスムージーを飲みながら、ライブを観た。さっちゃん姉妹は、梅巴ちゃんがまだおさないということもあって、八時前には帰っていった。

「またね〜」


 

 ライブが終わった午後九時。私も眠くなってきた頃だ。客の数は閑散かんさんとしていた。

「礼蘭ちゃーん、おつかれぇ」

 仕事を終えた匠悟くんがやってきた。

「匠悟くんも、お疲れさまです」

 彼は、となりのカウンター席に座り、コーラとオムライスをたのんだ。ライブが終わった今、メニューは昼の値段に戻った。

「とても楽しそうに歌ってたねぇ」

「緊張でガチガチになったってしょうがないですから」

「そう言う匠悟も、いつもより気合入ってたな」

 マスターのお兄ちゃんが言った。

「まあ、ジブンの楽曲だからねぇ。タショウのこだわりはもつよ」

 はは、すごい。私の中の人気アーティストランキングの首位に君臨くんりんするアーティストが、すぐ隣に座っている。まあ、感激したりとかはしないけど。

「ねえ、礼蘭ちゃん、本格的にシンガーになってみない?」

「え?」

「一度興味を持ったものは、どんどん突き進んでいけば、予想外の未来がやってくるってものさ。それに、ナマのシンガーを身近に持てば、おれの音楽のはばも広くなるだろうから」

 なるほど、後者が目的か。……私が、ライオン玉子の一部になるってこと?

「まあ、武道館なんて目指さなくてもいいからさ、ここで気楽に歌っていきなよ」

 珍しく匠悟くんが前のめりだ。

「……まあ、それぐらいならいいですけど」

 あんまり人気スターになっても、不便ふべん事も多そうだし。

「おれがいろいろサポートしてやるよ」

 これは心強い。

 こうして私は、本格的にシンガーデビューを決めたわけだが、武道館もアリーナも目指さない。ただの趣味シンガーだ。



 翌日から私は、学校に行くのをやめた。とてつもなく行きづらいからだ。代わりに自部屋にこもって、浪人生のごとく猛勉強した。自由って、決して楽なことじゃない。何でもできるからこそ、何をしようかと迷ってしまったり、膨大ぼうだいな選択肢の中から一つだけを選び取らねばならないから、広野こうやの中で途方とほうくれれてしまう。自由も不自由だ。

 でも、一日の全ての行動が、私の一存いちぞんで決められるので、他の誰かに命令されたり、同調圧力につぶされるような息苦しさもない。主体的に行う勉強は、それほど苦ではない。やっぱり私は、マイペースに生きるのが好きみたいだ。

 放課後になれば、ライブ喫茶に行って、スタジオで歌の練習をしたり、ステージの上で歌ったりもする。

 休日になれば、さっちゃん宅へお弁当を届けにいく。ついでに、勉強して得た知識のお話もした。


 こうして、マイペースな修行の日々を重ねて、中三の残りの時間を潰した。高校については、前々から考えていた、崇拝すうはいする先輩が通う「玉繁たましげ高校紅島べにしま校」に決定した。さっちゃんも誘って、一緒にオープンキャンパスに行き、一緒に受験し、一緒に合格した。

 高校からは、さっちゃんと同じ学校に通える。春が来るのが待ち遠しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る