最上の調味料 Il Miglior Condimento

毒蜥蜴

最上の調味料 Il Miglior Condimento

1978年9月

スイス・ルガーノ湖畔

レストラン『鹿角亭コルノ・ディ・チェルヴォ』の個室にて


やあ、来たね。

時間通りだ。

ふむ、借り物のタキシードはいいとして、そのくたびれた靴と、無精髭はよろしくないな。

服装規定ドレスコードというものは、明記されていなくても確かに存在するのだよ。

まあいい、これは君の社交界デビューではなく、商談の場だからね。

私の名はシルベストリ。

君のことは、「代理人」とだけ呼ばせてもらうが、構わないね?

では「代理人」君、まずは席につきたまえ。

せっかくこの『鹿角亭コルノ・ディ・チェルヴォ』に来たのだ。

欧州の宮廷料理を再現した特別コースを、君も堪能したまえよ。

店名こそイタリアンだが、料理はコスモポリタンだ。

なんといっても、王侯貴族というものはみんな親戚同士のようなものだからね。

今日のコースは、20世紀初頭にイタリア王室がドイツ皇帝ヴィルヘルム2世に供したメニューなのだが、イタリア風の仔牛肉料理をメインとしつつ賓客を歓ばせるためデザートはドイツ風。

一皿ずつ時間差で料理を供するのは、フランスとロシアで洗練された様式といった具合だ。

そうそう、イタリア王室といえば、気がついたかな。

今しがた君が通ってきたラウンジに、屈強なボディガードたちに囲まれて一際目立つ人物がいたと思うのだが。

その通り、かのサヴォイア家当主の「ナポリ公」さ。

父の代で王制が廃止されていなければ、イタリア王になっていたであろう男だ。

彼だけではない。

今日ラウンジに集まっているのは、西欧の共和制政府や東欧の共産革命によって国から追われた王侯貴族たち、彼らに付随する王党派、守旧派、復古主義の宗教家…。

彼らは皆、『欧州君主主義者同盟』のメンバーだ。

亡命した王侯貴族や王党派らの連絡組織で、王政復古を目指す政治結社、というよりは、ふるき時代を儚む社交クラブといった趣きの集まりさ。

話しかけるつもりなら、注意したまえ。

彼らは僭称者Pretenderと言われるより、継承者Heirと呼称されることを好むからね。

毎年この時期になると、ベルンやオーストリアのグラーツといった、ふるき欧州の風情を残す歴史的な街で会合を催しているのだよ。

宮廷料理や上流階級向けの高級料理が再現され、提供されるこの『鹿角亭コルノ・ディ・チェルヴォ』は、彼らにとって理想的なリストランテだろう。

ボナパルティストたちの晩餐風景など、実に見ものだよ。

皇帝ナポレオン・ボナパルトにあやかって、彼らはメインの肉料理とデザートを交互に食べてみせるのさ。

レジティミストやオルレアニストも、復古王政時代や7月王制時代のオートキュイジーヌにそれぞれ忠誠を示すのだよ。


さて、料理が来たところで、まずは先に商談を済ませてしまおうか。

では、そちらの荷物を確認させていただこう。

ケースをこちらへ。

ふむ…。

指定通り、口座取引の痕跡を残さぬよう金地金インゴットで、前金の分が揃っている。

いいだろう、商談成立だ。

確かに請け負った、と雇い主に報告してくれたまえ。

うん?

何やら、納得がいっていないようだね。

「こんな得体の知れないやつに、こんな大金を払う価値があるのか」とでも疑っている様子だ。

なるほど。

どうやら、君は我々をジャッロ(※20世紀イタリアのホラー、ミステリー、スリラー要素を包括する文学および映画ジャンル)に出てくるような殺人マニアの変質者だとでも思っているらしい。

その様子では、自分が関わっている仕事の中身も知らされず、言われるがままに使い走りメッセンジャー・ボーイをやらされ、それに屈辱を感じ、不満を抱いている、そんなところじゃないのかね?

いいだろう。

少しばかり興が乗った。

我々のことを、もう少しだけ教えてあげようじゃないか。

食事をしながら、ね。


宮廷料理といっても、他では入手不可能な特別な食材を使ったり、門外不出のテクニックが駆使されているわけではない。

金さえあれば、誰でも高級レストランで食べられるようなメニューさ。

特に、ブルジョワ革命以後はね。

それでも、歴史上の上流階級の人物が実際に食したのと同じメニューを食すことで、歴史と一体化できると信じる人々がここに集まるのだ。

それに、宮廷料理には、下々が口にするものとはやはり決定的に異なるものがある。

それは具材でも料理法でも、皿を持ってくる順番でもない。

上流階級にのみ値する、最上の調味料というべきものがあるのだよ。

では、その最上の調味料とは何だと思う?

それはね、『毒』だよ。

宮廷料理の歴史は、ほとんど芸術と言えるまでに洗練された毒殺文化のおびただしい事件調書でもある。

イタリア料理のフランス宮廷への流入はレシピとテーブルマナーだけにとどまらず、メディチ家流の権謀術数をもその席に招き入れたのだ。

美食趣味は毒殺の成功率を上昇させ、憐れな犠牲者達は毒の恐怖に蝕まれつつもその食指を止められない。

ブルボン王朝を興したアンリ4世は、毒殺の恐怖に晒されながらも美食趣味は犠牲にしたくないあまり、卵を茹でる水さえ自ら川で汲んでいたという。

東洋の格言に曰く、「河豚は食いたし命は惜しし」。

毒のスリルの無い河豚というものは、どこか味も落ちるのかもしれない。

毒、すなわち毒殺の予感がもたらす危険な香りこそ、宮廷料理文化の最上の調味料である、というわけさ。


さて、美食文化と毒の関係について理解してもらえたら、ようやく我々の登場だ。


秘密結社というものは、えてして自らの起源に神秘性を求め、歴史上の伝説的存在へと投影するものだが、我々も例外ではない。

ある者は、かのボルジア家秘伝の毒薬『カンタレラ』の精製法レシピを密かに継承した錬金術師たちが組織の創始者だと考えている。

非常に魅力的でロマンティックではあるが、こいつは正直眉唾だ。

ボルジア家が政敵を次々と毒殺したという風聞は、当時の歴史家グイチャルディーニをはじめ、後世の大半の歴史家たちからも事実として信じられてきたものだが、今に至るも歴史的事実であるか大いに疑問の余地があるからね。

他の者は、ヴェネツィア共和国を支配した十人委員会コンシリオ・ディ・ディエーチの秘密警察にその起源を見出している。

だが、わざわざ名のある始祖を求める必要もないかもしれない。

ルネッサンス史研究の大家であるヤーコプ・ブルクハルトによれば、当時のイタリア半島には報酬で殺人を請け負う者が呆れるほど大勢いたというのだから、そこから毒殺を専門とする組織が自然発生しても、何一つおかしくはないだろう。

確かなのは、そういった毒殺の専門家たちがカトリーヌ・ド・メディシスの輿入れと同時期にフランスへ流れ、貴族と新興のブルジョワジー相手に大いにその腕前を振るったということだ。

絶対王政で、ブルジョワ革命で、ナポレオンの帝政で、ウィーン体制下で、我々は常に歴史の影で暗躍し続けてきた。

王侯貴族、政治家、外交官、高級軍人、資産家、その妻たち…、上流階級社会のあらゆるところに客はいた。

歴史書は不審な情勢下で死んだ人間たちの毒殺疑惑には事欠かないが、誰が本当に毒殺されたのか、真相を知るのは我々のみだ。

件のボナパルティストたちは、彼らが崇め奉る偉大な皇帝のセントヘレナ島でのに我々が関わっているかもしれない、と今でも疑っているよ。

19世紀後半には、「未回収のイタリア」を巡り混沌とした情勢下で、ハプスブルグとイタリアのナショナリスト勢力双方から依頼を請け負い、その勢力をさらに拡大させた。

法医学の進歩と歩調を合わせるように、我々の毒殺術も洗練されていった。

銀の食器が使われるのは砒素の混入を見分ける為というのは君も知っているだろうが、砒素以外にもはいくらでも用意できる。

我々から見れば、CIAもKGBも素人アマチュアの集まりさ。ヤンキーはカストロ一人をまともに暗殺できず、イワンはまぁ少しはマシだが、いかんせん連中は下手人が自分たちだと世界中に誇示するようなギャングじみたやり方しかしないときた。

ふむ…、「大口を叩きやがって」とでも言いたそうな様子だね。

その疑り深さは利点になりうるが、表情には出さない方がいい。

そうだな、例えば誰かが君をと思って、我々がその仕事を請け負ったとしよう。

おいおい、ただの例え話だよ。

そう慌てることはないさ。

さて、君は酒を飲むね。

それもかなりの量を、かなりの頻度で。

今日ここに来る前も、度胸をつけるためか2、3杯ひっかけてきただろう?

商売柄、鼻が利くのでね。

そういう人間は、肝臓にダメージが溜まっているものだ。

医者から注意されていないかい?

そこに我々が、アフラトキシンを調合する。

こいつは落花生がカビると発生する毒性の強い物質でね。

体内に取り込むと、肝臓を出血させ、壊死させ、一週間以内に死に至らしめる。

司法解剖しても、普段からの飲み過ぎがたたった男の当然の末路としか認識されないというわけだ。

分かるだろう?

つまり、これが我々のやり方だ。

仕事に合わせて、最上のレシピを用意する。

我々にとって、毒殺とはアルテだ。

その技を駆使するのに、正当な報酬さえ支払われれば依頼主の素性には頓着しない。

君の雇い主が、マフィアだろうと、ネオ・ファシストだろうと、腐敗した銀行の頭取だろうと、そんなことは我々の知ったことではない。

少なくとも、彼らがこの仕事に我々を選んだのは正しい選択だと言える。

我々には、すでにで実績があるからね。

1523年、時の教皇ハドリアヌス6世が教会の改革の志半ばに死去した時、ある種の疑惑が囁かれながらも結局は自然死として扱われたのだ。

…おや、どうしたね。

その様子では、せいぜいシチリアかナポリか、ニューヨークの大親分ドンあたりが標的だとでも思っていたのかな。

そんな小者相手なら、我々に頼むまでもない。

殺人計画の存在そのものを隠匿するべき、真の職人の仕事だよ、これは。

おいおい、どうしたね。

今になって、自分が首を突込んだ世界の恐ろしさに身慄いしているのか。

お気の毒だが、君はもう、この世界から抜け出すことは出来ない。

この取引に関わった時点で、君はすでに我々の諜報網に絡めとられているのだ。

まあ我々がやらなくとも、もし君が逃げ出そうとしたり、この件をネタに一儲けしようとすれば、君の雇い主たちが許すわけがないだろうがね。

毒殺などという高級な方法をとるまでもなく、地中海のどこかに沈めてしまって終わりだろうさ。

ひょっとしたら、ラウンジに屯している連中の中には、君を監視するために会合に参加している者がいるかもしれないね。

はっはは、少し意気地が戻って来たな。

殺し屋アサシーノ風情が偉そうに御高説を垂れ流しやがって」とでも言いたげな顔だ。

なるほど確かに、私は衒学家の俗物スノッブかもしれない。

だが、本物の上流のお歴々が、御立派そうに見えるかね?

1908年に、我々が今食べているこのコースで遇されたヴィルヘルム2世は、まさにその同じ年にデイリー・テレグラフ事件で全世界に恥を晒した。

ラウンジで我が物顔に振舞っている「ナポリ公」は元々の悪評に加えて、つい先月にはコルシカで資産家の息子を撃ち殺して裁判沙汰だ。

『欧州君主主義者同盟』の連中が夢想するふるき時代など、はなから存在したことはない。

奴らがみっともない醜聞や浅ましい欲望、稚拙な謀略で名誉を汚しそうになるたびに、我々がその尻拭いをしてやってきたのだ。

服装規定ドレスコードと同じだよ。

どの歴史書にも、どこの国の公式文書にも記載はされていないが、我々はなお存在する。

たとえ疑いをもたれても、決定的な証拠を残さず闇に消え、ただ歴史上のミステリーとしてのみ語られる。

それこそが我々にとって最大の名誉、至上の栄光なのだ。


おや、もう暇乞いかね。

デザートのドイツ風パイのザバイオーネ添えがまだだというのに。

残念だが、まぁいいだろう。

早く商談が成ったと報告して、せいぜい雇い主を安心させてやりたまえ。

ただし、焦って性急な行動をとらないよう、よくよく注意してくれたまえよ。

我々が唯一懸念しているのは、せっかく用意した完璧なレシピを君の雇い主たちがヘマをして台無しにしないか、ただそれだけなのだから。

どうだろう、「代理人」君。

危なっかしい雇い主にはさっさと見切りをつけて、我々の組織の為に働いてみないかね?

いやいや、別に化学研究や暗殺の訓練を受けろというわけじゃない。

我々の諜報網の末端として、我々の目と耳になってくれればいいだけの話だ。

今の仕事を続けながらで構わないのだよ。

君が属するシンジケートから得られる情報を、我々に提供してくれさえすればね。

荒事よりも交渉事の方が得意だというのも、ちゃんと調べさせてもらっているよ。

もちろん、守秘契約とそれを破ろうとした際のペナルティは課す事になるが、君は目先の欲に目をくらませることなく、もう少し慎重に行動できる人間だと見込んで誘っているつもりだ。

意外かね?

老いさらばえた亡命貴族たちと違い、我々は爵位や血統よりも実力を重んじる。

ギルドの徒弟制度のようなものだよ。

そうして我々の組織は、暗く腐敗した欧州ヨーロッパの闇を生き長らえてきたのだ。

その気が無ければ、今日聞いた話は全て出まかせと決めて、忘れてしまえばいい。

しかし、今後一生落花生のカビに怯えて生きるよりは、誰がそいつを飲む運命にあるか決定する側についてしまった方が利口だと思うがね。

なに、慣れてしまえばそう悪くもない世界だよ。

報酬は破格、私などはこうして美食趣味を謳歌できるしね。

まぁ、考えておいてみてくれたまえ。

では、「代理人」君。

楽しみたまえよブォン ディヴェルティメント




1978年9月28日、午前4時45分。

ローマ教皇ヨハネ・パウロ1世が、自室にて遺体で発見された。

在位わずか33日、バチカン銀行の不正を巡る改革の最中の突然の死に対し暗殺の疑惑が囁かれるも、現在に至るまで真相は闇の中である。

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