7 異変 ①
「無事にお医者さんになれて良かったですね。これ、マスターからのお祝いです」
「ありがとう、初美ちゃん。遠慮なくいただくよ」
アキラはカランコロンにきて、正式にプロの医師になったことをマスターと初美に報告した。この場所があったからこそ、集中して勉強したり、息抜きができた。アキラは二人に感謝していた。
そしてマスターはお祝いにと、いつものプリンアラモードをアキラに持って行くようにと、初美に促した。
今日のプリンアラモードは、添えもののフルーツを少し多めにしてあった。それとプリンの上のさくらんぼも二つになっていた。
アキラはいつも通りさくらんぼをガラスの器の端に寄せ、まずは一口プリンと生クリームを味わった。
いつもと変わらない味なのだが、今日のプリンアラモードは格別に美味しく感じていた。
この時初美は、もうすぐ三十歳の誕生日を迎えようとしていた。カフェ、カランコロンで働き初めてから、九年目になるところだった。
「初美、迎えにきたよ!」
真琴が初美のアパートにきた。
「ちょっと待って。髪の毛が上手くまとまらない」
初美はポニーテールをしようとしていたが、今日に限って髪の毛がまとまらなかった。
「大丈夫だよ。どうせ動いているうちにぐしゃぐしゃになるかもしれないんだから」
「それもそうっか。じゃあOK」
「うん、そうそう。行こ」
真琴は初美をせかし、初美はアパートの中の電気やガスを指差し確認して、ドアのカギをかけた。
「さあどうぞ。お姫ざま」
「ありがとう。セパスチャン」
真琴は車のドアを開けて、初美はそれに答える。二人は爆笑した。そして初美は、真琴が運転してきた赤い車に乗りこみ、バックミラーで前髪をチェックした。
「それじゃ行くよ。しゅっぱーつ!」
真琴は張り切って運転を始めた。車内ではまた爆笑。
外は寒さの中、太陽がポカポカと周りの雪を溶かすように、照っていた。雪は白く輝き、眩しく見えた。
車の中ではブルートゥースでスマホの音楽が流れる。真琴はサングラスをかけて、鼻歌を歌いながら運転していた。それに合わせて初美は歌を歌った。
三十路の二人は独身で、車はスケート場に向かっていた。
「しかし休みの日に女二人でスケートとはねぇ。初美は誰かいい人いないの?」
「いるわけないじゃん。いたら彼氏優先でしょ。そういう真琴はどうなの」
「実はさあ、この間会社の男の子から告られたんだ」
「えー!良かったじゃん。それでそれで?」
「その子、年下なんだよね。アタシ、年上が好みだから断っちゃった」
「そうなの?勿体ないなあ」
「それにアタシだけ抜けがけしたら、誰かさんに恨まれるかもしれないし…」
「なぬ?その誰かさんとは?」
「あはは。決まってるでしょ」
「何をー!このこの!」
初美は真琴の脇腹をくすぐった。少しハンドルがブレる。
「クスクス。お客さん困りますよ。安全運転ですからね」
車中では朝からハイテンションだった。
車で一時間程走ると、目的地のスケート場に着いた。
車から降り受付でスケート靴を借りて、早速履き替える。
まだ十時半頃だったから、スケート場は左程混んではいなかった。
二人はリンクに上がると、手すりにつかまりおぼつかない足を、あたふたさせた。
上達が早かったのは、真琴の方だった。
「ほらほらいつまでも手すりにつかまっていないで、離れてごらん」
真琴は鼻で笑いながら得意気に言った。
「真琴すごいね。私足がガクガクするよ。手すりから離れられない」
「大丈夫だよ。八の字を逆さまに書くように動かしてみて。手を離した方が楽だよ」
「そ、そう?八の字ね」
初美は思い切って手すりから少し離れてみた。そして言われた通りに足を動かしてみると、少しずつ滑れるようになってきた。
「真琴!できたよ。ほら、ほら。私って天才!」
そう言った途端ズルッと転んでしまった。
「あはは。惜しかったね。でも手すりなしでいけたじゃん。その調子でやれば、少しずつできるようになるよ」
「そ、そうだね、うん、うん、頑張る」
初美はそう言うとゆっくりと立ち上がり、また挑戦してみた。
するとコツを掴み、少しずつ滑れるようになるが、長くはできず、何度も尻もちや頭を打った。
そして足首が疲れると真琴より先にリンクから上がり、ベンチに座った。
汗が額から首まで流れ落ちた。
「よし、それじゃ休憩しますか」
真琴もようやくリンクから出て、初美と一緒に自動販売機に行き、二人共缶コーヒーを買ってベンチに座った。
「いい汗かいたね」
真琴が言うと、
「私は冷や汗の方だよ」
と初美が言った。
二人は爆笑。
時計を見るとお昼を回ったところだった。
「お昼だね。どうする?」
「うーん。私はもうギブアップ」
「了解。アタシも足首が痛くなってきたから、もう辞めよっか」
「うん。そうしよ。お腹すいた」
二人は受付でスケート靴を返し、車に戻った。二人とも足がガクガクしてまた爆笑。今日は笑いっぱなしだった。
それから一ヶ月後。
初美は交通事故にあってから頭痛持ちになっていたが、スケートをしてからその頭痛の頻度が多くなっていた。初めは風邪かなと思っていたが、熱は全くなかった。そして時々襲ってくる目眩。その度に動悸がひどくなった。
仕事も楽しくしていたのに、最近では休みがちになり、アパートで一人、ふさぎ込むようになった。
真琴は心配しアパートへ行ってみた。
玄関脇のインターホンを一度鳴らして、ノックをし、
「初美!アタシ。真琴。中にいるんでしょ?開けてちょうだい!」
真琴はそう言ったが、中からの返事はなし。
もう一度ノックしてみる。
「初美!大丈夫?ドア開けて!」
真琴はしつこく声をかけた。するとガチャッとドアが開くと初美が出てきた。しかしその姿はとても暗く、少し痩せているように見えた。
「真琴、きてくれたの?ありがとう」
「あたり前じゃない。心配したよ」
「うん、とりあえず中に入って」
「お邪魔します」
すると中は、日中だというのにカーテンも開けず、部屋も散らかっていた。
「どうしたの?こんなに散らかって。いつもの初美らしくないじゃない」
「うん…。最近ダメなんだ。何もしたくなくて…」
「よし。じゃあアタシが片付けてあげるよ。カーテン開けるね」
シャー。
真琴は勢いよくカーテンを開けると、珍しく三日間続いて降った雪の雪景色が、キラキラと輝いていて、太陽がとても眩しく見えた。
「今日こんなに天気良かったんだ」
「そうだよ。久々の好天気。元気ださなくちゃ」
初美は太陽を見て涙がでてきた。そしてまたベットに戻り布団を頭から被った。
真琴はそんな初美を心配しながら、ペットボトルや、からになったカップラーメンを分別しながら、次々と袋に入れていった。
ビールの缶もあちこちに散乱していて、真琴は驚いた。初美は確かにあの事故以来、アルコールに強くなった。だが、尋常ではない数のビールの空き缶だらけで、足の踏み場もない程だ。
明らかに初美の様子はおかしかった。
普段はキレイ好きで、ピンクや白でまとめてある可愛らしい部屋なのに、今日はまるでゴミ屋敷だった。
キッチンには洗い物がたくさんあり、冷蔵庫の中は殆どビールだらけだった。
真琴はテキパキと片付けていたが、見たことのない初美の姿に驚き、悲しくて涙がでそうになっていた。
そしてそんな真琴を横目て見ながら、初美はムクっと置き、冷蔵庫からおもむろに缶ビールをだし、プシュッと空けて喉を鳴らしながら飲み始めた。
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