第5話 死神

 病院に着いて、エレベーターで五階にあがった。看護士詰所前の瀬皮の病室に入ろうと、ドアの口に手を掛けた時だった。ガラスの中の集中治療室の一角に人が集まっているのが見えた。

 あの危険な状態の子のベッドだ。白衣を着た医者があの身なりの良い男性にお辞儀をしている。その後ろには、看護士さんが2人、神妙な面持ちで立っている。そして、お母さんと思える女性は、椅子に座って泣いている。

 亡くなったのか。


 どうやら昨夜危ないと言っていた子は息をひきとったみたいだ。

 お気の毒に。


 私は、ドアを開けて病室の中に入った。

 部屋の中には、明るい日射しが射し込んでいる。その中で瀬皮は、昨日と変わらずベッドに横たわっていた。

 バイタルを示すモニターも同じ様に電子音を刻んでいる。

 瀬皮も、危ない状態なのに、今にも起きそうな気もする。

 携帯電話のメールの着信音がした。上着の内ポケットから携帯を取り出す。開けると部長からだ。


前略、その後、瀬皮君のお加減はいかがでしょうか。貴殿におかれましては、迅速な対応を期待しております、不一。


 手紙か。

 部長は、後に残る文章は、メールと言えどもきっちり書く。

 期待に添えそうにはありません。そう打ち込もうと思った時、ドアの外が何やら騒がしくなった。

 廊下を走る音がする。誰かの叫び声する。 

 私は、携帯電話を傍らの台の上に置いてドアの方に向かった。

 ドアを少し開けて顔を外に出し廊下の様子をうかがった。すると、さっき死んだ子を診ていた男性医師が慌てた様子で、その亡くなった子のベッドにかけよっている。看護士さんも数人、そこに走りよっている。

 何があったのだろうと様子を見ていたら、すぐ目の前の詰所のカウンターに若い看護士さんが来て、部屋の中で興味津々で騒ぎの方を見ている看護士に、何かあったのか尋ねた。

 その看護士は、得意げに話した。

 「それがね、ご遺体の移送の準備をしていたら、死んだはずの貴史君が生き返ったのよ」


 貴史君って一時間ぐらい前に死んだ子。

 あの子生き返ったのか、そんな事ってあるのか。


 私は、驚きと好奇心でそちらの様子を見ていた。

 首を元に戻して正面の詰所のカウンターの方を向いたら何かを見た。

 目の端に衝撃的に気になるものを捉えた。

 詰所の角からその向こうにあるエレベーターに視線を移したら、あいつがいた。

 あの自殺現場にいたバケット帽の男だ。

 エレベーターのドアが閉じて行くすき間であの男がこちらを見ていた。

 なぜ、あの男がここにいる。

 私は、すぐに追いかけようとドアを全開に開けた。その時、携帯電話がけたたましく鳴った。こんな時に。と思い胸元に携帯電話を捜したが、無い。

 何処へやった。そうだ、台の上に置いたんだ。

 私は、急いでベッドの方に戻り、台の上から電話を取ろうとしたら音が止まった。チッと舌打ちをして、電話をもぎ取って急いでドアの所に戻って来た。

 そして、ドアを開けた。その瞬間、空気が一変した。

 凄まじい冷気が、一瞬に広がった。周囲の物が色を失った、壁が、掛け時計が、注意書の張り紙が白黒になった。

 目の前は全面、黒いもので覆われていた。廊下が見えなかった。

 何が起こったのか分からなかった。

 その黒いものは、左から右へ、ゆっくりと私の目の前を通りすぎて行く。私は通りすぎたものを見上げた。

 それは、頭が廊下の天井を突き抜ける程高い。三メートルは有る人の後ろ姿だった。

 全身を黒い衣で纏い、頭にフードを被っている。

 恐怖が私の体を突き抜けた。

 私は、音をたてないようにそっとドア閉めた。

 その時にそいつが呟いたのが聞こえた。


「誰がこんなことを」


 私は、ゆっくりと後退あとずさりして瀬皮の寝てるベッドまでさがりベッドのパイプを掴んだ。そして、息を殺して気配を消した。

 死神だ。

 あれは、死神だ。

 私の脳裏にそれが浮かんだ。


 しばらく、室の奥、窓際で息を潜めていた。その時間が果てしなく長く感じた、

 あの死神は、他の人には見えていなかった。すぐ側に居た看護士は、全く気にせずにカウンターで書き物をしていた。私にしか見えていなかったのだ。

 もし、見えている事が死神にばれたら、なにをされるかわかったもんじゃない。

 何事もなく時間が過ぎてくれ、と微動だにせずドアを凝視していたら、ドアが動き出した。

 心臓の鼓動が高鳴ったが、どうしようもなくドアが開くのに任せていたら、若い看護士さんが姿を見せた。


 「あっ、いらしてたんですか」

 と私に声を掛けて中に入って来る。

 すでに部屋の空気は、平常に戻っていた。

 彼女は瀬皮のバイタルをチェックすると、変わりありませんね、と言って部屋を出た。

 廊下に出ると何事も無かったかの様にいつも通りの光景が繰り広げられている。


 取り敢えず、社に帰ることにする。

 それにしても、あのバケット帽の男といい、死神といいいったい何が起こっているのだろう。

 


 

 

 

 

 

 

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