第4話 死にかけの子

 たしか、玄関から入って来る時、一階で売店を見た。おもむろに立ち上がると、何か食べる物を買おうと思って廊下に出た。

 病室の前の看護士の詰所の隣は集中治療室になっており全面ガラス張りで中の様子が分かる。

 斜め前方のベッドのカーテンが開いていて、その中に一般の男女がいるのが見える。

 中年の女性と男性で、どちらも良い身なりをしている。

おそらく、ベッドにいるであろう患者のご両親ではないかと思われる。

 集中治療室にいる程なのだから、かなり重症の患者なのだろう。二人とも深刻な面持ちでベッドの側に寄り添っている。


 わたしは、エレベーターに乗り込んだ。

 一階でエレベーターのドアが開くと、目の前に沢山のソファーがこちらに背を向けて並んでいた。受付のホールだろう。

 ここに来た時は、大勢の人でごった返していた。今は誰もいない。外来の診療も終わり静まり返っている。照明も半分落とされ薄暗い。

 よく観ると人の頭が三つある。あっちとこっちとそっち。入院患者だろうか。髪の毛がボサボサだ。

 こんな喧騒の後の静寂は、兵どもが夢の跡と言う感じだ。

 売店を探して廊下に出る。そこも照明が落とされ、奥の方は暗くて見えない。

 よそ見をしていて首を正面に戻すと人がいて驚いた。

 皺だらけのパジャマを着て、点滴のスタンドを握って歩いていた。髪は長く、ばさばさで、頭頂部が薄くなっている。

 軽く会釈をすると、向こうも会釈を返してきて、ヒョコヒョコと歩いて行った。

 落武者もいたと思ってしまった。ごめんなさい。


 売店は既に閉まっていた。しかたがないので、自動販売機で缶コーヒーを買った。

 五階に戻ると、エレベーターホールと続きになってる休憩所のソファーに座り込んで、缶のプルトップを開けた。

 休憩所は、割かし広く、ソファーが四列ある。

 私は、手前の真ん中に座った。目の前には、テレビが置いてあり、その横には、背の低い本棚がある。

 右手側は、壁一面のガラスになっていて、外は夜の闇になっていた。

 缶コーヒーを飲みながら一息ついていると、またしても何処からか、すすり泣く声が聞こえる。

 まさか、美子ちゃん?

 と思い声の出所を探していると、外の暗闇にボーッと女が浮かびあがっている。

 心霊現象?


 さらに後ろを見ると、四列目のソファーの端に女の人が座っていた。姿勢を崩して泣いていた。その姿が窓ガラスに写っているのだった。

 その横には、身なりの良い男性がいて、女の人を慰めていた。さっき下に降りる前に見た、集中治療室にいた男女の二人だった。

 二人は、ボソボソと話している。聞くつもりは無いが、新聞記者の性で無意識に耳に神経を集中させてしまう。


「もう、ダメかもしれない」

「こんなことなら、貴史たかしの好きなサッカーをさせてあげればよかった」

「あの子がいなくなれば生きてはいけない」

 女の人は、すすり泣きながら言っていた。

 やはり、お子さんが患者なのだろう。それもかなりの重症で死に直面しているみたいだ。

 すると、隣の男性が女性を抱き抱えて言った。

「大丈夫だ。高い金を払ったんだ。時間もあったんだ。絶対死ぬことは無い」


 何か、違和感のある言い回しだ。医者に高い金を払ったということだろうか。


 私は、一気に缶コーヒーを飲み干して、席を立つと瀬皮の病室に戻った。

 明日、朝一番で瀬皮が事故を起こした現場に行く事にする。そうして、面会時間が終わると、瀬皮の事は病院に任せて、自分の家に帰った。


 次の日の朝、瀬皮が落ちた場所にやって来た。車を道幅の広い所に停めて、道路に降りた。

 私の市から隣の市にいくのには、山を越えて行かなければならない、瀬皮はその山道の途中で、道路から10メートルほど下に車ごと落ちたのである。

 道路は、車が一台通れるぐらいの狭さである。舗装してない道路で土が剥き出しだ。

 道路には轍が残っていて、路肩の土がえぐられている。ここから落ちたのだろう。

 すでに落ちた車は引き揚げられていて、崖の下にはもう車はない。斜面は低い木の枝が無惨に折れていて、すべりおちた跡をあらわにしている。

 斜面が緩やかそうな所を探して下に降りた。

 雑木林が広がっている。今は、初冬の頃なので、落葉樹が葉っぱを落として地表まで日の光が届いている。

 落ちた所から上を見上げると、山肌が上の方に伸びている。


 何か聞こえた。

 誰かが私の名前を呼んだ。

 辺りを見回した。木々の間を風邪が抜ける音がする。ときたま鳥の鳴き声が耳に届く。

 特には、何も聞こえない。空耳であろう。

 私は、車に戻ってその場を離れて、再び病院に向かった。


 

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