第17話

 気になって、陸は学校が終わると一目散にダンの家へと向かった。


 海斗が言っていた商店街の後ろを探してみると、山の傾斜に開けた道が続いていた。それをのぼっていくと、一際目立つ廃墟のような豪邸を見つけた。


「……確かに、悪魔の家っぽい」


 人を拒絶するような西洋の黒鉄の門扉、両脇にいる悪魔をかたどった錆鉄色の像。どこもかしこも古びていて、白い蜘蛛の巣もあちこちにある。


 その向こうには、雑草が生い茂る広い敷地があった。


 そこに、町の景色には少し不似合いな、西洋混じりの豪邸が建っている。


 いびつな像が屋根には並び、重々しい空気は見ているだけで寒気がしてきた。


(いや、幽霊はいない、自称学者が調査していなかったと断言していた)


 陸は自分に言い聞かせて足を進める。調査方法も信憑性もあやしいが、こういう時は神頼みのような勇気にもなる。


 門扉は、海斗が言っていた通り鎖がかけられていた。


 そこをジャンプで飛び越え、敷地内に入る。おそるおそる玄関の前に立つと、一つだけ埃が拭き取られている呼び鈴を見つけた。カメラと音声スピーカーのついたそれは、新しい。


 押すと、ピンポーンと小さな音が聞こえる。


【おやっ、陸君じゃないか!】


 ぶつっと電気が通るような音のあと、嬉しそうなダンの声が返ってきた。


【遊びに来てくれたのかい?】

「いえ、少し聞きたいことが」

【それなら今から行こう】

「いえいえっ、お忙しい中すみませんっ。そのままで結構ですから」


 スピーカーの向こうでダンが「ノボルの弟と同じで謙虚で礼儀正しい」などと褒めている。少しノボルを小ばかにする独り言もあったが、陸は彼の名誉のために聞き流した。


「えぇと、実はあの箱のことなんです。箱に、異変とかありませんでしたか?」

【いや? 困った異変はどにも――ただね、素晴らしいことは起こったよ! 話しができるようになったんだ】

「えっ、いつ?」

【昨日、私が帰宅してあとだよ】


 陸は身体の奥で、警告のような鼓動がどくんっと鳴るのを感じた。


 男子生徒たちの話しの、サングラスをしていなかったダン。犬のことを質問してきたと言っていた男子生徒――。


「……は、はじめから、機械音じゃないみたいな話し方?」

【おお、いい表現をする。そうだよ。急に話しかけてきた時は、機械っぽかったな。それがぎこちないながらもうまく言えるようになってきてね。まるで弟ができたようで、私は箱の観察に夢中だよ】

「そ、そうですか……それって、箱の中から勝手に出たりしませんよね?」

【出られないよ。意思が抜けられるのなら、箱の秘密についての道理が通らなくなる。その宿った意思こそが、箱の原動力だからだ】


 陸は「うん?」と首を傾げた。


【つまりは力さ。その意思こそが、不思議な箱という存在を作り出している】

「そんな不思議なことってあるんですか?」

【ないけど、私の目の前にあるんだから仕方ないじゃないか】


 なんともいい加減な感じに思えた。


【色々と検証している中で、仕掛けも何もない箱についてはそう説くしかないと私も結論に至った。あとは、仕組みだな。プログラムみたいに成長させていけば、何ができるのか、どんなことができないのかも詳しく分かっていけるだろう】

「でも不思議の塊だとしたら、不思議な箱庭を作っている箱にも力があって、意思にも力があるという考えはないでしょうか。そうすれば、意思は箱から抜け出せます」

【でも、本人が『出られない』と言っているからねぇ】


 でも面白い考察ではあるよ、とダンは言った。


【やはり君はシノちゃんの息子だ。非常に興味深いが、今のところ科学的に検証している中で、箱の原理は謎のままだ。はじめて箱を開けた時は、文献通り中は真っ白だった。その時点で何か特殊な材料や物が埋め込まれていないかと調べたが、何もなし。私と紙でやりとりをしていた〝意思〟が成長をはじめてから、これまであった魔術や呪術の類ではないかと疑って調べてもみたんだが、私が作った探知機には反応がなくて困っていてねぇ】


 ふう、とダンが息を吐いた。


 いったい、彼は過去にどんなことをしてきたのか。陸は『魔術?』『呪術?』と頭に疑問符が浮かんで思考がいっぱいになっていたが、ダンはそんなことにも気付かず続ける。


【箱の意思は、なんらかの方法でリセットされて〝白紙〟になっていた。真っ白なデータみたいなものさ。箱自体がデータベースでできている不思議な生き物だとすると、箱から〝意思〟が外を目指すのもおかしなことになってくるだろう】


 それでも、すでに出歩いているのだから納得できなかった。だがそれについて口を開こうとした時、ダンが話しを終わらせた。


【おっと、これからまた数字をとらなければ。では、君は気をつけて帰りなさい】


 ぶつっ、と電源が切れるみたいな音が聞こえた。


「えっ? ちょっと、ダンおじさんっ?」


 それからは、何度ボタンを押しても問いかけても返事はなかった。


「信じられない! 大事なことなのに途中で切るなんて」


 勢い余ってボタンを壊してしまってもいけないと思い、指を離す。


 会ったほうがよかったのかもしれない。そう後悔したが、いつでも突破できる玄関を見たところで強硬手段は諦めた。


 ここで怪力を発揮したら、調べたがられるかもしれない。


 ダンの興味対象が箱と同じく、自分にも、と想像してぶるっと身震いする。


 ――嫌すぎる。


「よしっ、ダンおじさんに相談しようっ」


 悩んで動けなくなった時には、保護者の伯父だ。陸は家に向かおうと踵を返した。


 だが、その瞬間、後ろでぼそっと声が聞こえて身体が動けなくなった。


「……私はすべて生み出せる。今の私は学者だ……『私』にできるのだから、同じ私にできないことはないはず……きっと、何か解決策はある……」


 抑揚のないダンの声が聞こえた。


 ――機械音の感じではなくなって、だんだんと話せるようになった。


 そんなダンの話しを思い返しながら、陸は反射的に振り返った。しかし、そこには誰もいない。そのせいで彼はゾワッとした。


(お化けだ)


 そんな恐怖感が脳天を貫いていった瞬間、陸は走り出していた。


 獣道を一瞬にして走り抜け、通りに下りると建物の上をジャンプし、ノボルの家までの道のりの一部をショートカットする。


 あまりにも速すぎて、降下と同時に目の前で爆走を再開された老人たちが「おや?」「何かいた?」「風?」なんて話しているのも、陸の耳には届いていない。

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