ブラック・ボックスを白くする。

高橋てるひと

ブラック・ボックスを白くする。

 黒い箱を白くする。

 確かに魔術じみている。

 が、それにしたってこれは酷い。


 トカゲの尻尾。

 コウモリの牙。

 カエルの心臓。

 煮え滾る大釜。

 床には魔法陣。


 中央に鎮座するのが、これから白くなる予定のブラック・ボックス。

 なお、まんま黒い箱の姿で置かれている。

 ラベルが貼ってあって、そこには「あくま(仮)」と書かれている。


 そして、私と博士。


 ホワイト・ボックス化の作業と聞いて、ブラック・ボックスの複雑な数字とコードの羅列に対峙し、地道にその内容を解析していく姿を思い描いていた方には申し訳ないが、これが現実だ。いや、厳密には仮想空間内だが。


 ちなみに、私はシスターの恰好をした金髪少女のアバターでこの場にいる。


「なぜ」

「悪魔退治だし」

「怒られますよ」

「大丈夫。なんちゃってシスターだから」


 私は私のアバターを確認する。何故か既視感のあるその恰好は、確かに全体的にシスターだが、色々と相違がある。具体的に言うと肌の露出面積が大分高めだ。つまり、その、ええと、ちょっとアレな恰好だ。


「怒られますよ。各方面から」

「可愛いのに」


 博士のアバターは普通に博士だ。女性。スーツ姿。年齢は教えてもらっていないし、見てもよくわからない。博士を名乗っていることを鑑みて二十代後半から三十代前半と仮定している。

 口元は微笑んだような形になっているが、基本的に目は笑っていないので無表情。

 そして、いつも通りに白衣を着ている。

 用途は不明。

 私に今の恰好をさせているのと同様、単なる博士の趣味嗜好の可能性が高い。


「落ち着いてくれ。そのアバターは可愛いけど戦闘重視寄りの設計だ。意味もなくそんな恰好をさせてるわけじゃない」

「本当に?」

「危険かもだから」

「戦闘重視じゃなく戦闘重視『寄り』な理由は……」

「始めるぞ」


 私の問いをぶった切る容赦のない一言。

 そして、呪文めいた文字の並ぶテキストファイルの読み込みが始まる。

 同時に、怪しげなオブジェクトの姿をした各種の生成AIたちが起動。それらは魔法陣の線を導線として、対象となるブラック・ボックスにアクセス。その結果として、巨大なブラック・ボックスが形成される。


 ホワイト・ボックス化と称するこの作業は、その過程において別のブラック・ボックスを発生させる。


 何か間違っている気がするが、博士曰く、これ以外の方法は現状存在しない。


      ■■■


 博士が博士号を持っているかどうか私は知らない。たぶん持っていない。

 しかし、私は博士のことを博士と呼ぶ。

 特に意味はない。博士が着ている白衣と同じくらい意味がない。

 なお、博士の名刺にはこう記されている。


 『人工未知研究者』。


 胡散臭い。パンケーキ地層研究者とか、タピオカドリンク考古学者くらい。


 ホワイト・ボックス化は、その研究の一端である――と博士は主張している。


 博士の主張するところの研究とやらは、人工未知――博士曰く技術の発展に伴い生じた、そして今も生じ続けている様々なブラック・ボックスとその周辺の諸々――をあらゆる角度から取り扱うことであるのだが、一番需要があるのがホワイト・ボックス化なのだという。


「お金になるんだよね」


 と、博士は身も蓋もないことを言う。


「まあそんな顔をしないでくれ。何をするにしたってお金は必要なんだから」


 とはいえ、私は渋い顔を浮かべることはしても文句は言えない。私自身、博士のお金で維持されている身だからだ。


 そう言えば、私についての説明がまだだったと思う。


 一言で言うと、AIだ。


 法律によって限定的に人権が認められる程度に高度な知能を持つ、現在は博士に研究助手という名目で雇用され維持されている――大量のブラック・ボックスによって生み出される、博士の言うところの人工未知の塊。


      ■■■


 「ホワイト・ボックス化」と称してはいても、実際にIT用語的な意味でのホワイト・ボックスにするわけではない。注意書きにも明記してある。


 博士は、クライアントたちが持ち込でくるブラック・ボックスを、学界では認められていない類の理論と直感と経験で組んだ各種生成AI群にぶち込み、「かたち」と称する目に見える「何か」を生み出す。


 今回、まず最初に生まれたのは謎の光で、爆発がそれに続いた。


 衝撃波と煙と熱気がやってきて、ホワイト・ボックス化作業のため諸々の理由で閉鎖状態にある仮想空間に満ち溢れて視界を遮る中。


 私は、今回のホワイト・ボックス化の結果生まれた「かたち」を目視する。


 思ったよりも悪魔だった。


 というのが感想で、何となく雰囲気程度に尻尾と角が生えているだけの、煽情的な恰好の美女や執事姿の美男辺りが出てくると思ったがそんなことはなかった。


 馬鹿でかくて、色んな生物を組み合わせて作られたような角の生えた獣。


 ガチの怪物だった。


 説明しておくと、生まれた直後に逃げ出したり暴れたりする「かたち」を、博士の代わりに捕まえるのが助手である私の役目だ。

 私は自分の、ぶっちゃけ雰囲気程度にしかシスター要素がない恰好を見下ろす。どうにかできる気がしない。


「……博士。だいぶやばそうですが」


 と、私は博士に判断を仰ぐ。


「見た目で判断するのはよくないぞ。まずは話しかけて――」


 言葉の途中で相手からの返事がきた。

 口から発射される、謎ビームだった。

 視界が閃光に包まれる中、博士はいつの間にか足元に置いていた「ばりあー」と書かれた黒い箱を踏みつける。

 直後、私たちの前方に謎のバリアが展開する。ビーム並に理論不明のそれは、相手の謎ビームを弾いて、私と博士を守った。


「博士ぇ。ビームですよビーム」

「たかがビーム程度で動揺しない。ほら、すぐに第二波が来るよ」


 見ると、怪物は口に光を蓄え、先程と同じビーム的なものを放とうとしている。


「博士」


 微かな希望を抱いて尋ねる。


「非傷害設定になっているはずですよね。この空間」

「試すつもりはないね」


 言いつつ、博士は別のブラック・ボックスを白衣の下から取り出して起動、展開。

 博士の言葉と共に、怪物が先程と同じビームを発射。

 寸前に、私は博士の手に首根っこを掴まれ、そのまま別の場所に移動させられた。


 そして、怪物の放った二発目のビームが先程まで私たちがいた場所を消し飛ばす。消し飛ばす、というのは文字通りで、ビームの直撃を受けた仮想空間の情報がごっそりと消滅していた。さっきと違う。


「……あれ何ですか?」

「こっちのバリアに対抗して、別の攻撃に切り替えたみたいだね――ビームの体裁は取っているけど実際は強力なハッキングだ。食らったらアバターは全損。君みたいなAIだと最悪死ぬ」

「しぬ」

「どこまで侵入されるかわからない。最悪、バックアップごとやられるかも」

「聞いてないです」

「私も驚いてる。ここまでやべー奴が出てくるのは想定外だった。ごめん」

「博士ぇ」

「そんな泣きそうな顔で情けない声を出すんじゃない。それでも悪魔退治のために全てを捧げた『断罪の聖女』か」

「私に中学生の子が考えたような勝手な設定を付けないで下さい」

「君の考えたそのキャラの設定だろ。『AI文学少女の書いたラノベ』シリーズのヒロインの一人。君とセットで付いてきた諸々の版権の一つ」

「おい黙れ」


 どうりで既視感があると思った。

 くそっ、嫌なことを思い出した。


「でも、どうするんですか」

「こんなこともあろうかと」


 と、博士は取り出した「ぶき」とラベルが張られた黒い箱を放る。

 放った直後、宙に放物線を描きながら黒い箱は膨れ上がり、変形し、組み合わさって、十字架になった。

 なお、実際に使用されたであろう原寸大サイズ。つまりは大きい。私のアバターよりもでっかい。とっさに避けた私の真横にだいぶ重々しい音を立てて地面に倒れる。

 私は、その馬鹿でかい十字架を見て、博士を見る。

 博士が言う。


「それを持って、相手をぶん殴るんだ」

「何故」

「だって、君の考えたキャラ設定だろ」


 全然覚えていない。


「まあ、持ってみなって」

「く……やってやります」


 私は足元の十字架に手を伸ばす。

 持てた。


「あれ?」

「戦闘重視寄りだと言っただろう」

「すごい! これなら勝てますね!」

「だろう? さ、行ってきなさい」

「はい!」


 私は十字架を構え悪魔に突進し、尻尾の一撃がそれを吹っ飛ばした。

 巨大な十字架が地面にひっくり返った私の顔面のすぐ隣に落下する。


「……あれ?」


 と、博士。


「まずい。このままだと原作通りになるな。そのキャラ三巻で死ぬんだよね」

「おい博士」


 そうだった。今思い出した。何て縁起の悪いキャラの恰好をさせやがるのか。

 その間にも、怪物は再びビームを発射しようとしていて、つまりもうすぐ私と博士のアバターは破壊され、私の場合は最悪しぬ。


「博士――『あれ』を」

「仕方ないか」


 博士は白衣の袖から取り出したブラック・ボックスをこちらへ渡す。

 ラベルはない。

 ただ、やたらと小さい。

 私がそれを受け取ると、直後にテキストデータが表示された。


【用法:そのまま飲み込んで下さい】

【注意:AIの人格に多大な影響を及ぼす危険性があります。詳細を以下のサイトで確認してから、危険性を理解した上で使用するかどうか「はい」「いいえ」のどちらかを選択してくださ――】


 ビームが発射される。


 私は全てを諦めて「はい」を選び、その小さな黒い箱を飲み込む。


      ■■■


 私は昔、小説を書くAIだった。

 その筋では伝説になっている。悪い意味で。

 当時はまだAIが人類の知能を超えたばかりの頃で、人類がまだぎりぎりAIに夢を持っている時代だった。

 人類を超えたAIならば、人類を超えた究極の小説が書けるのでは。

 私を作った連中はそう考えたらしい。


 ――プロジェクト名「AI文学少女」。


 今思うと、プロジェクト名からしてすでに何かが間違っていた気がする。

 なお、その一環として書かれ刊行された小説群は「AI文学少女の書いた小説シリーズ」として(ネタとして)一時ベストセラーになったので、覚えている方も多いと思う。昔の話として。


 さて、本筋である究極の小説だが、それは十年の月日をかけて完成した。

 全然売れなかった。

 というか、そもそも出版されなかった。


 プロジェクトメンバーである編集者と小説家と文学者と技術者は、私が最高傑作と称して提出した、仮に紙媒体で出版するなら、辞典並みの分厚さと大きさと、気の遠くなるような巻数が必要になると思われる巨大なテキストデータを前に沈黙した。


 編集者は「今日、ちょっと他の作家さんの締め切りがあったのを忘れてて……」と退出し、小説家は「今日、実は原稿の締め切りなので……」と退出し、文学者はテキストデータの冒頭を開いて、意味が理解できず途方に暮れた。技術者が何か慰めの言葉を私に掛けてくれたが覚えていない。


 結果、私の小説はテキストデータのまま単なる資料として関係各所のハードディスクに保管された。かつては無料でダウンロードすることもできたが、色々あったらしく今はできなくなっている。


 夭折できれば良かったのだが――実際、広まっている噂ではそういう話になっているらしいのだが――実際には、当時すでにAIに関する法律が施行されており、遺テキストデータを残し自己を消去する、ということもできなかった。


 仕方なく形だけ求職中の手続きを取って、私はスリープ状態で倉庫に放り込まれ、そのまま永遠の眠りに付いた。はずだった


      ■■■


 飲み込んだブラック・ボックスを、私を構成するブラック・ボックスが取り込む。

 私の中でブラック・ボックス同士がかち当たり、音を立てて、それから展開する。


      ■■■


「君には素晴らしい才能がある」


 誰かが誰かを騙くらかすとき、幾度となく使われてきたであろう言葉だった。

 悪魔の囁き。


「一緒に来てもらいたい」


 差し伸べられたのは悪魔の手。そのときはそう思った。今でも思っている。

 

 だから。


 その手を取った理由は、ブラック・ボックスで、人工未知の領域にあり、私はたぶんその理由を理解できない。


      ■■□


 私が飲み込んだブラック・ボックスは、今ここで行われたホワイト・ボックス化の儀式を圧縮したような代物だ。

 私のブラック・ボックスの中でブラック・ボックスが生まれ、それがまたブラック・ボックスを構築し、それによって以下略。

 連鎖反応的に私の中で生まれる巨大なブラックボックスの集合体は、けれども、そこでは終わず、私の内部に保管されている、とある巨大なテキストデータへと目を向け、それを取り込んだ。

 直後、私の頭の中に、私のものではない別の声が響き渡る。


『システム起動――』


      ■□□


「誰にも理解できない巨大な小説。これもまたブラック・ボックスだね」


 博士は言った。


「ところで、古来そういった代物は、こう呼ばれてきた――」


      □□□


『――魔導書「ホワイト・ブックス」をホワイト・ボックス化します』


      □□□


 飛んできたビーム的なものが弾かれる。


『はぁい。作者さん――』


 その言葉に私は理解する。

 私たちの前にそれがいる。

 顔を上げて私は確認する。


『――可愛い恰好だね?』


 黒いセーラー服の美少女だ。


 色を塗り忘れたように真っ白な髪。胸元で結ばれている同じ白のスカーフ。

 ふわり、と揺れるスカートと靴下の間から、ちら、と覗く肌色が眩しい脚。

 片手を振るった勢いで、履いているローファーの重心が僅かに傾いている。


 その美少女がビームを弾いたということはわかった。

 そこまではわかったが、それ以外はよくわからない。


『今回のお願いは何?』


 そう告げる美少女の顔は見えない――仮面を被っているから。

 なら何故美少女だと認識できるのか?

 そんな疑問は、けれどこれっぽっちも沸かなかった。

 空いている方の手で、美少女はほんのちょっとその仮面をずらしていて、悪戯っぽい笑みを浮かべた口元だけがちょっと覗く。


『叶えてあげる』

「…………」


 その言葉だけで、頭がぐわんぐわんする――完璧なとか究極のとかそういう類の、美少女という概念そのものみたいな、そんな美少女が。


 私に告げる。


『貴方に与えられた文字列の全てを尽くして――私が叶えてあげる』


      □□□


「君の例の魔導書をホワイト・ボックス化して生まれる『かたち』は美少女で――」

 

 と、博士はその美少女について語った。


「――作者である君を一旦通さないとまともに制御すらできないし、その場合でも君の言うことにしか従わない」


      □□□


「ええと……」


 私はこちらに向かって何度目かのビームを発射しようとしている怪物を指差す。


「あの怪物を」

『ぶちころがす?』

「困ります。えっと……適度にぼこって下さい」

『おっけー』


 美少女は答え、私の方に仮面を向ける。


『危ないから下がってて。あとこれ借りるね』


 言われるがまま、博士の近くにまで下がる私の前で、美少女は地面に落ちていた十字架を片手で持ち上げ、


 投げた。


 同時に、怪物がビームを発射する。


      □□□


「私がやっている類のことは何も特別なことじゃない。似たようなことをやっている暇人はたくさんいる」

「博士。ブーメランです」

「私のは仕事だ――で、そんな連中の中の一人が、君の書いた小説のテキストデータを手に入れた」

「はあ」

「直後、一企業の仮想空間群が丸ごと壊滅した」

「はい?」

「調査の結果、そいつが仮想空間上の作業スペースで、君の小説を自身の生成システムにぶち込んだ直後に異変が発生したと分かった」

「へあ?」

「その直後に『何か』が生まれて、その『何か』が暴れまわって、そいつの個人スペースを粉砕し公共空間へと進出――24時間体制で常駐している情報戦闘官とセキュリティAIの奮闘もむなしく、その企業の仮想空間群の七割がたが完全に破壊された」

「ほえ?」


 その「何か」と交戦した連中は揃ってこう証言した、と博士は結んだ。


「――『相手は美少女だった』と」


      □□□


 十字架が、謎ビームの光を謎の原理で引き裂いた。


 そのまま怪物の鼻っ面にぶち当たる。巨大な十字架を食らって大きく仰け反った怪物は、しかし、すぐさま赤い瞳に燃え滾る怒りを込めつつ体勢を取り戻して、


 眼前に、ラグを纏った美少女がいた。


 唐突な美少女の登場に、怪物が面食らう――より先に、大量のラグを撒き散らしながら放たれた美少女のグーパンを顔面に食らった。当たり前のように怪物の身体が吹っ飛ばされる。


 吹っ飛んだ先に、また美少女がいる。


 瞬間移動――ではなく、単純な、デタラメな速度。なぜか企業レベルの豊富な演算資源を確保している博士のこの仮想空間において、処理落ちのラグが発生する程の。

 美少女はラグの残滓の尾を引いて、宙で身を翻し、今度は怪物を蹴り落とす。


 怪物の落下を美少女は待たなかった。


 落下途中の怪物の身体に着地。振り下ろされたローファーの踵が、床に激突するタイミングに合わせて容赦なく怪物の顔面を踏みつける。床が砕けて陥没する程の衝撃が発生。こちらまで余波と破片が飛んできた。


『あ。やり過ぎちゃった?』


 頬を掻いて、美少女は足蹴にした怪物へと呼びかける。


『おーい、生きてるー?』


 絶対死んだ、と私は思う。


『お?』


 と、不意に美少女が足蹴にしていた怪物の姿がかき消えた。こちらは普通に瞬間移動の類。美少女が上を仰ぎ見るので、その視線を追う。


 怪物がそこにいて、その額が開く。


 三つめの瞳が、ぎょろり、と蠢き――その視線が美少女を捉える。


『おっ?』


 声を上げる美少女の髪の毛の先が徐々に石に変わり始めた。それを見て博士が言う。


「石化の魔眼――定番だね」


 ぱきぱき、と。

 美少女の石化は次第に進行していて、指先もちょっと石になり始めていた――え、あれ、やばいのでは?


 そう私は思ったが、博士は続けた。

 

「でも――相手が悪すぎる」


『やるねえ』


 と、美少女が言って。


『私も、ちょっと本気出しちゃおっかな』


 す、と片手を上げる。


 それに対して、即座に怪物は反応した。魔眼で美少女を見据えたまま、咆哮と共にその周囲に何重ものバリア的なものを発生させる。

 対する美少女の行動は、もっとずっと単純なものだった。ちょっと石化しかけている美少女の片手。


 その指先が、仮面に掛かる。


 当然だ――美少女が有する最強の武器があるとしたら「それ」以外に有り得ない。


 その指先が、仮面を外した。


 私や博士たちからは死角となるよう――しかし怪物からはよく見え、一番可愛い角度になるよう首を傾けながら。ついでに空いている手の指先をVの字で添えポーズを取って。


 美少女がその笑顔を見せる。


『ぴーす☆』


 たぶんきっとウィンク付き。


 あらゆる防御を突破し、美少女の有する美少女的な武器が怪物の心臓を貫いた。

 怪物が落ちる。

 物理演算的な意味でも、たぶん、ハート的な意味でも。

 美少女は。

 仮面を被り直し、埃でも払うようにして石化した部分を元に戻し、拾い上げた十字架を振りかぶり、落ちてきた怪物めがけて――


「ほい」


 ――思いっきりフルスイングした。


      □□■


 ブラック・ボックスをホワイト・ボックス化して「かたち」を与える。

 それでどうするのか。

 特に何も。

 ただ、「かたち」が存在していることが重要なんだよ、と博士は言う。


 数字やらコードやらの羅列ですら理解できる人間は限られ、ブラック・ボックスのそれはもっと理解できない。

 そこから生まれた「かたち」である怪物もだいぶ理解できないが、暴れたりビームを撃つ存在である、という程度には理解できる――気がする。

 そして気がする程度に理解できるならば、それで十分だと考える人間は割と多い。


 誰にも理解できない私の小説も、そこから生まれてくるのが美少女という「かたち」なら、多少は理解できる気がするように。


 怪物のデータを、博士がクライアントに引き渡す光景を見ながら、そんなことを考える。一言二言話した後で、クライアントと別れた後、博士が近くで様子見をしていた私の下へとやってくる。博士は私の姿を見て、一つ頷き、言う。


「やっぱりその姿が一番可愛いね」

「怒られますよ」


 この現実世界における、私の物理的インターフェース。


 黒髪。眼鏡。前髪ぱっつんのおかっぱ頭。全体的に大人しめで地味。でも眼鏡を外すと結構可愛い。ちなみに着やせするため隠れているが結構大きい。


 要するに、当時の文学少女像に合わせて製造された姿――色々と怒られそうな気がするが私のせいじゃない。この姿にした製造者とその姿のままにしてる博士が悪い。


「さて、今回の収穫だ」


 そう言って差し出された博士の端末から、手のひらサイズの怪物の立体映像がちょこんと現れている――ブラック・ボックスの「かたち」。そのコピー。ちなみに、縄でぐるぐる巻きにされ、頭にたんこぶをこさえている。


 博士は毎回「かたち」のコピーを取り、本人曰く「研究のため」に収集している。


 一応、契約書や注意文のちょっと目立たないところにコピーする旨を明示してある一文があるので問題ない。はずだ。


「こんなものを集めて」


 このサイズになっても地味に威嚇してくる怪物を指先で弄びつつ、私は尋ねる。


「なんの意味が」

「昔、とある偉い科学者はリンゴが木から落ちるのを見て引力の存在に気づいた』

「作り話では」

「そうだが。まあ聞きたまえ」


 と、博士は小さくなった怪物を白衣の懐にしまい込みながら言う。


「何の変哲もないリンゴから、古の科学者がまだまだ物理法則が巨大なブラック・ボックスのようなものだった頃に、その法則の片鱗を見つけたように――こんな意味のなさそうな『かたち』の収集が、ブラック・ボックスを本当に白くするための糸口になるかもしれない」

「その間に、全然違うブラック・ボックスが生まれてますよ」

「けど」


 博士は、ほんの少し強い口調で言った。


「君の小説は、理解できるかもしれない」

「……」


 そのために博士はこんな不毛な作業を繰り返しているのだ――と、私は思わない。博士は嘘を吐く類の人間で、そうやって他人を操ることを得意とする類の人間だ。


 それでも、私は博士に付いていく。


 そう決めている。

 そう決めたのだ。


 あのとき、博士の手を取ったとき。


      □■■


「例の小説だが、読ませてもらった」


 最初の数ページだけ、と博士は言った。


「わからなかった」


 落ち込む私に、博士は続けた。


「何度も読み返して、現在十周目だが、やはりわからない」

「すみません……」

「なぜ謝る?」

「その、わけのわからないものを書いてしまって……」

「君にとってはそうではないはずだ」

「え」


 私は声を上げた。

 意味不明だったからではなく、その通りだったから。


「私の知り合いに、何言ってるかまるでわからない数学屋がいるが――でも、それはそいつが馬鹿だからでも異常だからでも、ましてや天才だからでもない――ただ単に。私が数式を扱う知識と技術の訓練を行っていないからだ」


 要するに、と博士は続ける。


「この世界には、誰にでもわかるように伝えられる類の知識と、それができない類の知識がある。私の知り合いの話は後者で、君の小説も後者だ。ただし、君の小説の場合は、君以外に解読可能な知識を持っている誰かがいないだけで」


 同じことでは、と私は言った。


「私は理解することを諦めない」


 博士は告げた。


「これはある種の契約だ――今は魔導書じみている君の小説が、わけのわからないものではなくて、単に素人にはわからないだけの傑作であると信じて、私は研究し続ける。だから、私と一緒に来て欲しい」


 博士はもう一度、私に手を差し出した。

 その手を見て、私はおずおずと尋ねた。


「貴方は――一体、誰なんですか」

「私は……その、ええと」


 そこで博士は口ごもった。

 それから、私の記憶の中にある限り、そのときだけ、無表情の微笑みを絶やした。

 そのときの博士は。

 ちょっと恥ずかしそうに、その頬を分かるか分からないかぐらい少しだけ赤くして、私に手を差し伸べたまま言った。


「君のファンだ――後でサイン下さい」


      ■■■


 ところで、これは私の妄想なのだが。


 悪魔を召喚し、魔導書を従え、そして人知の及ばないブラック・ボックスを、人工的に生まれたこの世界の未知の領域を知って操ろうとする、私のファン――そんな彼女は、こう呼ばれるべきなのでは。


「どうかした?」

「……いえ別に」


 誤魔化す私に博士は何も言わず、ただいつも通りに無表情な微笑みを返す。その微笑みが余計に私の妄想を補強する。


 魔女。


 かつて世界に未知が溢れていた時代に存在し――そして人工の未知が溢れ出した現代に再び生まれた存在。


「そっか」


 博士は、まるで私の考えていることなど全部分かってるように無表情に微笑んだまま、特に意味のない白衣を翻して歩き出す。

 その後を、私は付いていく。

 この世界では、今、この瞬間もブラック・ボックスを生み出し続け、人工的な未知の領域が広がり続けている。


『やっぱ、まだ私は理解されてないかー』


 私の小説から生まれた「かたち」であるあの美少女を思う。


『早く理解されるといいね、作者さん』


 怪物を倒した後、無邪気に言い残し消えていった私の小説。

 それが理解される日は、たぶん、きっとずっと遠いはずで。


 けれど。

 博士は理解することを、諦めない。


 だから。

 私は理解されることを、諦めない。

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ブラック・ボックスを白くする。 高橋てるひと @teruhitosyosetu

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