キス魔

 私が、酔って階段を踏み外して、靭帯を損傷した時のことだ。

会社まで、姉が車で送り迎えしてくれるという。

松葉杖で地下鉄に乗るのは大変そうだったので、甘えることにした。

妹思いの姉なのは確かだ。


 会社の少し行ったところで車を停めてもらう。

姉は甲斐甲斐しく、助手席のドアを開けて、私を下ろし、肩にバッグまでかけてくれる。


そこで、私は不用意な発言をしてしまった。


「お姉ちゃん、ほんとにありがとう!

キスしたいくらい感謝してる」


私がそう言うと、

姉は私の唇を奪った。


「やめてよ!お姉ちゃん」


「今キスしたいって言ったじゃん」


「したいくらい感謝してるって言っただけじゃない」


 姉は、キス魔だ。

12歳から心を閉ざし、18歳でいきなり海外での生活が始まってしまったせいか、ハグにキスが当たり前だと思っている。


 案の定、会社で話題になっていた。


「苅原さんって、意外と大胆」

「ああいう男の人がタイプなんだ」


「あれは姉です」


「もっとまともな言い訳しようよ」


「本当です」


「今度紹介してよ」


 翌日は、地下鉄で行こうと決心したが、雨だった。

この日は、会社の真ん前で車を停められた。

そして、別れ際、私の側頭部にキスをし、姉は早々に去っていった。

相当数の会社の人が見ていた。


 翌週、同じ課の係長と先輩と同僚が会社の前で待っている。

姉が、助手席のドアを開けると、彼らが駆け寄ってきた。

「苅原さん、大丈夫?」

とか言いながら。

姉は固まっている。


「苅原さん、こちらは?」


「姉の直です」


「お姉ちゃん、こちらはいつもお世話になってる田中係長と先輩の栗原さんと同期の嶋さん」


サングラスをつけたまま、ガスガスの低い声で「どうも!」という姉。


「お姉ちゃん、とってもお世話になってるの」と強調すると、


姉はサングラスをはずし、

「いつも、妹がお世話になってます」


言えた。

ちゃんと挨拶できるじゃない。


「かっこいいお姉さんね!」

とか取り繕ってくれる。


姉は、どうしていいかわからず、下を向いている。


「お姉ちゃん、ありがとう。

帰りもお願いね!」


そういうと、姉は、片手を挙げて帰っていった。

そんな仕草も、私でさえドキッとするくらいクールではある。


会社の先輩達も半信半疑。


「やっぱり彼氏でしょう」



 帰宅後、姉の家で、浩輔くんも交えて鍋パーティーをする。


「会社の人達、まだ、お姉ちゃんのこと、彼氏だと思ってるみたい」


「私ちゃんと挨拶したじゃん」


「まだ疑われてる」


「もうパンツも下ろして、下半身を見せるしかないね!」


「やめてよ!捕まるよ」


「もう何度もやってるけど、捕まったことはないよ」


呆れた顔で、浩輔くんと見つめ合う。


「なんだか、俺の立場ないなー」


「まあ、しょうがないね!

毎日送り迎えしている私に対抗しようとしても、敵わないね!」


なぜか、勝ち誇った顔のお姉ちゃん。


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