第六話

 最初はどうなるかと思っていた怪奇譚が、徐々におとぼけムードに向かって。大将はほっとしていただろう。だが、そうは問屋がおろさなかった。


「俺はおっさんのようなライフスタイルがいいなあと思って、正直に工務店の親父さんに退職を掛け合ってみた。体が保ちそうにありませんてね。親父さんも、俺の限界が近いことには薄々気づいていたんだろう。この根性なしめがと罵るようなことはなかったんだ。で、次の職を紹介してくれたんだよ」

「おわ! それはラッキーだな」

「まったくだ。俺はついてた。中卒をほいほい雇ってくれるようなところはまずないよ。俺は苦戦を覚悟してたんだ。でも親父さんが紹介してくれたのは営業職。サラリーマンだ。それも契約取れた分が給料に直反映される出来高制のところじゃなく、安いけど固定給のあるところ……今の社だった」


 浅野が納得する。年は同じだがキャリアは梶浦の方が長い。その間の経験を無駄にしていなかったんだな、と。


「運気が変わったって感じだね」

「そう。せっかくの上げ潮を逃しちゃいけない。俺は必死で仕事に食らいついた。足で稼ぐ仕事って言っても、前のところよりはずっと楽さ。仕事にはすぐに慣れたし、契約もそこそこ取れた。いつも背中に火がついてるような不安感はいつの間にか遠ざかった。でもな」

「うん」

「今度はコンプレックスがむくむく大きくなってきたんだよ」

「なんでまた」


 すかさず大将が突っ込む。梶浦が躊躇せずに答えた。


「社に入ってくる若い連中が、みんないい学校を出てるからさ。事務の姉ちゃんですら高卒以上なんだよ。中卒なんてのは俺だけだ」

「……」

「もちろん、仕事と学歴とは直には関係ないさ。でも、同僚と話題が重ならないんだよ。工務店の時にはやんちゃな先輩たちとがちで出来てた他愛ない話が、社ではうまく噛み合わない。しんどくてね」

「そればかりはなあ」


 眉をひそめた大将に向かって、梶浦がもう一度腕時計をかざしてみせる。


「まあ、社が俺の全てじゃないさ。視野が中坊の時よりずっと広がってたから、そんなに深刻には考えてなかった。コンプレックスは単なる愚痴で治るだろうと思いながら、三回目の顔合わせを迎えた。そこで」

「うん」

「とんでもないことがわかったんだよ。わかったというより、気づいたと言った方がいいかな」


 核心だ。大将と浅野が同時に身を乗り出した。


「俺はもうアパートを借りて気兼ねのない生活をしていた。周囲への気配りを考えなくてもよくなってたんだ。だから心に余裕があった。その余裕の分だけ違和感をがっちりキャッチしちまったんだ」

「違和感、か」

「そう。三回目の時も腕時計の針が変な風に揺れて、困ったような顔をしたおっさんが現れた。で、そのおっさんが」

「うんっ!」


 はあああっ!

 梶浦の溜息は、コンロの炭火すら吹き消しかねないくらい強く深かった。


「俺だってことに。俺自身だってことに気づいたのさ」

「な、なんだとうっ!?」


 ことぶきの店内は、しばらくの間ひっそりと静まり返った。ひどく面倒な話なので、梶浦がもう一度流れを整理する。


「つまり。ファーストコンタクトの時……俺が十四の時に出会ったおっさんは四十七の俺。二度目、俺が十八の時に会ったのが四十八の俺。三度目の俺が二十二で出会ったのは四十九の俺。そういうことだったんだよ」

「なんでそんなことに?」

「わからん。俺にもさっぱりわからん。だから最初に言ったんだよ。とんでもなく奇妙な話だってね」


 黙りこくってしまった二人をそのままに、梶浦が淡々と話し続ける。


「奇妙なことはまだあるんだ。俺は未来の俺と顔を合わせているが、未来の俺の年になっても過去の俺に会いに行ったことはない。微妙に交わってないんだ」

「てえことは、過去の梶さんと未来の梶さんが別々にいるってことかい」

「そうなんだろうな。でも、どっちの俺もそれぞれ今、現在の自分だという認識で話をしている。過去、現在、未来がうまく切り分けられないんだよ」

「こんがらかってきたわ」

「ちっとも訳がわからん!」

「だろ?」


 浅野も大将も頭を抱えてしまった。梶浦の口述はまだ止まらない。


「三回目からあとは、出会う相手が未来の自分だということがもうわかっている。そして、未来の自分と現在の自分との差が徐々に小さくなっていく。会う意味ががらっと変わってしまったんだ」

「だよなあ……」


 大将がどもりながら尋ねた。


「な、なあ、か、梶さん。未来の自分に会いたくねえとは思わんかったのか?」

「思った時もある。ただ、ズレがなくなるまでは続けようと決めてたんだ」

「どうしてだ?」

「トシ食った俺が最初に会ったおっさんのように困ったような顔をして、ようって出てくるのがどうしても見たかったからさ」


 大将と浅野が苦笑した。すっとぼけた梶浦同士がどういう会話を交わしたんだか。想像すると、キモいというかおかしいというか。


「四年前、五十七の俺に会った。ほとんど今と変わらんよ。挨拶だけで早々に切り上げた。で」

「そうか、今年はもうズレがないんだ!」

「ご名答」


 大将の声に梶浦が声を被せ、にやっと笑った。かざしていた腕時計をカウンターの上に置いてじっと見つめる。


「と、いうのが俺の奇妙な話だよ。もう未来の俺には会えなくなったから、これはただの壊れた腕時計に戻った」

「叔父さんには、最後まで返せなかったんだな……」

「まあな。その分、俺のできることはずっと叔父にしてきたつもりだ」


 梶浦が残っていた刺身を平らげ、四合瓶に残っていた酒を浅野と自分の猪口に注ぎ分けて空にした。大将が次の酒を出そうとしたのを見て、手を挙げて止める。


「大将。まだ話の続きがあるんだ。そっちはちぃとからい。できるだけアタマをクリアにしてやりたい」

「……わかった」


◇ ◇ ◇


「まず」


 梶浦がぎゅっと目をつぶった。


「最初荒れ狂っていた俺は、まあまあいいとこまで人生を戻せた。運がよかった。だが叔父は逆さ。叔母を先に亡くし、息子の純ちゃんからは煙たがられた」

「叔父さん、いい人なんだろ?」

「どうしようもなくいい人だよ。だけど、それでも相性ってのはあるんだ。神経が細い純ちゃんは、おおらかで大雑把な父親が無神経でだらしなく感じるんだろう。一緒にいたくない。離れていたい。若い頃からクリスマスと年末年始を一緒に過ごすくらいで、ほとんど実家に寄り付かなかったんだ」

「ぜいたくなやつめ!」


 本気で腹を立てた大将が、でかい声で罵る。


「叔母さんが死んでから、独りになった叔父がすっかり落ち込んじまったんだよ。俺は足繁く叔父の家に顔を出した。最後も看取った」

「そらあ息子のしなけりゃならんことだろ!」

「そうさ。親の葬式で喪主をしなかったんだぜ。なんだかなあと思うけどな」

「とんでもねえ人非人じゃねえか!」

「まあまあ。純ちゃんは対人関係がぼろぼろなんだよ。ずっと独身で、退職した今は引きこもり老人に近い。心配なんだが、俺よりずっと年上だし俺のことも苦手にしてるからさ。静かに距離を置くしかない」


 ふうっ。梶浦の嘆きは深かった。


「俺が……叔父の家庭を引っ掻き回しちまったのかなあと思ってね」

「そらあしょうがないだろ。梶さんは出来ることをしてきたんだし」


 浅野が必死にフォローする。大将も援護した。


「梶さん。こういうのも巡り合わせってやつだよ」

「そう考えるしかないか」


 諦めたように顔を上げた梶浦が、置いてあった腕時計を掴み上げる。


「それでな。こいつの影響はいいことばかりじゃない。なんだかなあってのもあるのさ」

「なんだ?」


 大将がぎょろっと目を剥いた。


「さっき陽ちゃんに、その年まで独りってのが解せないって言われたろ」

「あ、そうだった」

「俺は未来の自分に会うことで、俺がおっさんのトシになるまでずっと独りだってことがわかっちまったんだよ」

「げげっ。そ、そうかあ」

「厄介なこったな」


 大将の相槌に、梶浦が恨み節を縫い付けた。


「過去を見るのはまだいいさ。未来なんざ絶対に見たくない。過去の俺が未来の俺のことを『困った顔のおっさん』とずっと思っててくれれば、こんなしんどい思いはせんかったな」

「……」

「ただ、今回のケースではしょうがないんだよ。どっちも俺である以上、若い方が必ず未来を見ちまう」

「そうだよなあ……」

「不幸中の幸いは、未来の俺が待っても待ってもやって来ないというオチにならなかったことさ。もしそうなったら、未来の俺はもうくたばってるんだ。まるっきりしゃれにならない」


 ぞっとしたんだろう。大将がぶるぶるっと震え上がった。


「まあ、いい。とりあえず、この腕時計がやらかしたトンデモは今日でおしまい。陽ちゃんと大将に打ち明け話をして、俺的にはけりがついた。それでいいだろ」

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