もう一つのクリスマスキャロル

水円 岳

第一話

 クリスマスイブは、多くの飲食店にとって大事な稼ぎ時だ。クリスマスという華やかなイベントにしっかり相乗りすることで、店は労せずして客を呼び込める。イルミネーションとスペシャルメニューでドレスアップされた店はどこも予約客でいっぱいになり、店内はごちそうと旨い酒が醸し出す陽気な喧騒で隅々まで満たされる。

 その一方で、クリスマスの華やかな賑わいとは全く無縁の人々がいて、陽気なお祭り騒ぎに関わることなく普段と変わらない夜を過ごす。彼らがクリスマスをひっそり一人で過ごすことを、哀れみと蔑みを込めて『クリぼっち』と呼んだりする。

 もっともここ日本においては、クリスマス本来の意味や意義などまさに神棚に上げられている。多くの人々にとってクリスマスは、ケーキとフライドチキン、プレゼントが行き交う賑やかなイベントに過ぎない。イベントに関わるか関わらないかは、あくまでもおのおのが決めること。『ぼっち』などという薄汚い修辞詞をつけるのは筋違いもいいところだろう。

 いやいや、そんなことはどうでもいいとして。クリスマスに積極的に関わらない、もしくは関われない人々がいることだけは紛れもない事実である。


 さて。これからみなさんにお届けするのは、まさにそうしたクリぼっち同士のやり取りである。

 クリスマスとは全く関係なく定時まで仕事をし、退勤後にどこぞで食事をして帰る独り者。特別善良でも凶悪でもなく。有能でも無能でもなく。慈悲深くも冷酷でもない。ごくごく普通のおじさんサラリーマン同士が交わす他愛ない会話に、それとなく耳をそばだてていただこう。


◇ ◇ ◇


 で。最初に戻るが、クリスマスイブの午後八時過ぎである。通りはクリスマスソングとイルミネーション、酔客の行き来で賑やかだが、その喧騒とは全く無縁の空間があった。

 とある一杯飲み屋。表通りに面してはいるものの、店の前で足をとめる人の姿はない。『ことぶき』という暖簾は出ており、店内の灯りも通りに漏れているものの、純和風かつ庶民派の由緒正しき一杯飲み屋であることは誰の目にもわかる。当然、その手の店はクリスマスに全く縁がない。


 では、店内に入ってみよう。いつもは数人のぼっちおじさんがスポーツ新聞を読みながら黙々と焼き鳥や煮付け、刺身をぱくついているのだが、今夜はさすがに客が少ない。顔も体型も雰囲気も良く似たおじさん二人がカウンターに並んで座り、夕食を兼ねた酒盛りをしているだけだ。二人にとってはいつも通りの夕食であり、そこにクリスマスカラーは一切混じっていない。

 十人も入ればいっぱいになってしまうこぢんまりした店にはテーブル席がなく、長いカウンターにずらりと並んで飲み食いするスタイルだ。店の大将は五十絡みのがっしりした大男で、角刈り頭に豆絞りの手拭いを巻き、汗まみれでコンロの上の鳥串を黙々とひっくり返している。

 大将はいかつい見た目通りの頑固親父だ。気に食わない客には容赦なく「帰ってくれ!」と怒鳴るから、勢い大将をよく知る常連客しか店に寄り付かなくなる。反面、大将は居着いた客にはうまい肴と酒を惜しみなく提供してくれるので、付き合いの長いコアなファンが多い。大将の真向かいに座ってのんびり飲み食いしている二人も、年季の入った大将贔屓だった。


 二人のうち髪の寂しい方のおじさんが、酔いでいささかよれた声をあげた。


「なあ、梶さん」

「うん? なんだ、陽ちゃん」


 串に焦げついた肉を意地汚くせせっていた白髪頭のおじさん……梶浦かじうらまもるが、ひょいと横を向く。声を掛けたヘルメット頭のおじさんは、浅野あさの陽一よういちという同じ社の同僚だ。入社は梶浦の方が先だが、年は同じ。同じ営業職なので二人はずっと仲がいい。名コンビといってもいいだろう。


 浅野が、肉を失った焦げ串で皿をつつきながら愚痴をこぼす。


「俺たちゃ、ずうっとこういう晩飯を食えるもんだと思っていたけどよ。気がつきゃ仕切り直しまで一年ちょっとしかない。信じられないよなあ」

「まったくだ」

「で、俺たちゃ仕切り直しのあとどうなるんだろうな」

「さあねえ」


 まだ食えるとこあるのになあとぼやいた梶浦が、串を恨めしそうに皿の上に置いて、ふうっと酒臭い息を吐いた。


「今の社に、定年後の俺たちを好条件で延長雇用する金はない。お上が六十五まで雇いなさいと言ったところで、そんなのは建前さ。再雇用の条件は絶悪だ。給料はがっつり下がって、仕事は倍になる。それでもいいなら残りやがれってケツまくってんだから、どうしようもないよ」

「そうだよなあ……」

「出来損ないの俺たちを今まで働かせてくれただけ、ラッキーだったって考えるしかないな。まあ、ハロワに通い詰めるさ」

「ちぇ」


 寂しそうに肩をすくめた浅野が、コップの底にうっすら残っていた酒をずずっとあおった。


「実際、あの商いの規模で不況の大波潜り抜けて社がここまで保ったのは奇跡みたいなもんだ。俺らは年齢的にもうお役御免だが、若い連中にも生き延びるチャンスをやらなあかんだろ」

「梶さんは人がいいなあ。人件費けちるために若い連中に切り替えてるようにしか見えんけど……」

「いや、それだけじゃないよ。単に人件費圧縮するだけなら、もっと効率いい方法があるからね。派遣使うとか、非正規をころころ入れ替えるとか」

「あ、そうか」


 梶浦が、空になったコップを目の前に置いて思案する。もう一杯行こうかどうしようか。で、ついでに一言足した。


「社長も、俺の代さえ良けりゃいいとは考えてないってことさ」

「息子に跡ぉ継がさんかったもんな」

「そらあ、息子が使えないあんぽんたんじゃあ、社長も息子も嫌がるだろ。社の古株はどいつもこいつもこってこてのうるさ型ばっかだし」

「ぎゃははははっ」


 クリスマスとは何の関係もない話で盛り上がっているが、それにはちゃんと訳がある。実は飲み屋の大将が筋金入りのクリスマス嫌いなのだ。


「日本人のくせに、毛唐の神の誕生日なんざありがたがるんじゃねえ!」


 と目の敵にしていて。クリスマスが近くなると、店の立て看に『クリスマス客お断り!』と大書する。かと言って、他の神仏を熱心に信仰しているわけでもないというのがいかにも大将ではある。

 大将がクリスマスを蛇蝎のごとくに嫌っているのは、これまで何度も痛い目にあっているからだ。一人で切り盛りしている小さな店がクリスマス流れの酔客で埋まると、客を捌き切れなくなる。売り上げはいくらも上がらないのに、体力だけはごっそり持って行かれるのだ。


「ちっともご利益のない神なんざ拝めるか!」


 お説ごもっともである。

 大将のご機嫌を損ねないようにするには、クリスマス関連の話題を避けなければならない。とはいえ、店に来ている常連客はクリスマスには縁のないぼっち客ばかりだ。大将が「とっとと出て行け!」と怒鳴るような事態はここ数年ずっと起こらなかった。

 仕事関係の話をぽんぽんテンポよくやり取りしている梶浦も浅野も、独り者ゆえにクリスマスには全く縁がない。黙々と鳥串をひっくり返している大将は、「ごっそさん」と二人が店を出たらもう暖簾をしまおうと考えていた。クリスマスなんざ、それでなくとも少ない客を持っていっちまう。ろくでもない! 大将は、見たことも聞いたこともない救い主イエスとかいう赤ん坊に、内心ずっと悪態をついていた。

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