第26話 理想と現実

「ははは。⋯⋯いいね。最高だ、キミ!」


 冷や汗が止まることはない。が、エリヤはこれまでにないほどの高揚感を覚えている。彼がここまで興奮したことはない。

 殺されるかもしれないという恐怖。しかし、ミナは決してそれをしないという確信。そして、自分を追い詰める彼女に対する好意。


「────」


 ミナが星屑の軌道を描く。それよりも前にエリヤは回避行動に入っていた。でなければ間に合わない。

 跳び上がり、両手を何倍もの大きさへと膨れ上げさせ、硬質化し、振り下ろした。

 廊下全面を押しつぶす勢いだ。だが、ミナはそれを爆裂によって消し飛ばした。


(凄まじい破壊力! あの爆発を圧縮、放出しているのか。それとも単に出力を上げたのか。⋯⋯どちらにせよ、オレのストックが削られていってる!)


 エリヤの超能力は『肉体を変形させる』というもの。体積は変化しても、総質量は変わらない。

 彼は見た目よりも重いが、それでも溜め込める質量には限度がある。そしてそれは人間としての常識の範疇。

 補給すれば一瞬で回復できるという特性はあるものの、ミナとの戦闘中にそれができるわけではない。このままいけば、削り殺されるのはエリヤだろう。


(なら狙うは逆転。削り殺される前に、星華ミナを倒す!)


 能力の格では負けている。だが練度や応用力において、ミナはまだまだだ。そこが彼女の弱点であり未熟な部分。付け入ることのできる隙。


「ッ!」


 拳を肥大化させ、殴り付ける。当然、ミナはそれを爆裂させた。が、彼女は違和感を覚えた。あまりに柔らかすぎる。風船でも破裂させたかのような感覚──。


「っしろ!」


 肥大化した拳で視界を塞ぎ、エリヤはその隙に隣接した部屋からミナの背後に回った。

 そこには硬質化し、鋭利な刃物の形状をした腕を構えるエリヤが居た。

 獲った、と思った、エリヤは。けれどミナは不意打ちに反応が間に合い、避けられた。

 それでも体制は崩せた。回避されたことに驚きながらも、エリヤは二撃目。足を槍に変化させ、突き出す。


「っ!」


「マジか!?」


 ミナは倒れそうになった体を起こそうという判断はせず、寧ろ能力を使って自ら、ブリッジの要領で低く倒れた。それによって刺突を回避する。

 ならば、追撃を加えるのみ。槍から今度は斧へと変形。振り下ろそうとするも、それより早くミナが動いた。

 両手で地面を押し、両足でエリヤの顔面を蹴りつける。

 鼻血を撒き散らしながら、エリヤが大きく仰け反った所に、ミナは更に連撃を叩き込む。

 二連撃の回し蹴り。二撃目には爆裂を併せ、勢い良く地面に叩きつける。そして馬乗りになり、両手を握り、顔面を狙って振り下ろす。そこに爆裂も生じさせた。


「はあ⋯⋯はあ⋯⋯!?」


 しかし終わらなかった。エリヤの反撃。ミナの腹部に強烈な足技が入る。彼女の軽い体重など簡単に吹き飛ぶ。


「いったぁー。キミ、中々⋯⋯女の子なのにやるね⋯⋯いや、ホントに。マジで痛い⋯⋯」


 エリヤは傷などは治せる。それに伴う痛みもある程度軽減できる。だが、ある一定以上のダメージは治しきれない。たとえ傷を無くすことはできても、響いたダメージまでは消すことができない。


「⋯⋯そんなにわたしを見くびっていたんだ? 残念だけど、あなたがわたしに勝てる道理はないよ」


 エリヤは強い。だが、『能力覚醒剤』を使用した者たちより弱い。

 手強いが、負けるような相手ではない。


「それはどうかな、ミナちゃん。⋯⋯確かに、オレはキミのこと見くびってた。しょーじき、女の子なんだし顔に傷つけたくないじゃん? 折角可愛いんだから、さ」


 その時、エリヤの雰囲気が変わった。


「でもまあ⋯⋯油断しすぎたなぁ。ここまで強いと、手加減できないわ。⋯⋯ごめんね。ちょっと殺す気でいくから」


 エリヤの肉体が、大きく変化した。

 体が一周り以上大きくなり、筋肉が増して、鎧のような表面装甲が作られた。

 特に足は異形のようだった。逆足となっていたのだ。


「あんまり、イケてない見た目でしょ? 女の子に見せたくないんだ、この姿。でも、キミにはそうしないと勝てないからね」


「⋯⋯⋯⋯」


 エリヤは姿勢を低くすると同時に、突っ込んできた。

 速かった。しかし、反応できないスピードではない。彼の爪による斬撃を躱しつつ、背後から爆裂を叩き込む。

 だが、爆裂はその装甲に防がれた。何事もなかったかのように、エリヤはミナに裏拳を叩き込む。

 ミナは硝子の隔壁を叩き割りながら部屋に打ち込まれ、壁に叩きつけられた。


「かはっ⋯⋯」


 エリヤは空かさず突っ込んでくる。既の頃でミナは動き、避けられた。

 彼は壁に突き刺さった腕を抜き取り、ゆっくりとミナの方を振り返る。


「キミの爆裂は通用しないよ。諦めたら、命までは取らないけど、どうする?」


 星屑がエリヤを囲み、爆裂する。


「⋯⋯それがキミの返答か。⋯⋯なら、仕方ないな」


 爆裂は通用しなかった。

 つい先程までとは比べ物にならない速さ。パワーも、耐久も、硬度も、何もかもが比較にならない。

 拳を突き出す。

 ミナには勝てない。彼女の実力では、エリヤには敵わない。油断も手加減もしない彼には、もう、勝てない──はずだった。


「──負けない」


「──は?」


 エリヤの拳。硬質化された拳を、ミナは手のひらで受け止めた。普通なら、彼女の腕をへし折る結果となっただろう。こんな細い腕なんて、簡単に砕けた。

 でも、そうなるより先に、エリヤの拳が弾けてしまった。

 手首から先が消し飛ばされたのだ。装甲ごと、持って行かれたのだ。


「なぜ⋯⋯!?」


「あなたの防御が、わたしの火力に耐えられなかっただけ」


 また爆裂が生じた。それによってエリヤは壁を何枚か突き破り、転がった。

 五十メートル近く飛ばされただろう。けれども、ミナは一瞬にしてその距離を詰めて来た。


「っらあ!」


 ミナに能力を使わせてはならない。至近距離で、あの爆裂を食らえば装甲が剥がれるだけでは済まない。手首から先が消し飛ばされたように、今度は臓器が潰される。

 だからエリヤはミナの首を狙って、治した拳を突き出した。

 しかし、ミナは先程よりも素早く、そして容易くその突きを避けて、カウンターの爆裂を顔面に叩き込まれた。


「く⋯⋯」


 勘で全能力のリソース全てを頭部に回し、硬質化させていなければ、今ので


(速い。爆裂の威力も格段に上がっている。能力のレベルが上がったのか⋯⋯? それとも⋯⋯)


「まだやるの?」


 ミナは、身体強化の出力を3%から10%に上げていた。

 爆裂の威力も、それ相応に引き出している。

 まだ、これ以上の火力を発揮することはできる。だが、ミナとしてはそろそろ限界でもあった。


(⋯⋯今が、わたしが完璧に抑制できる最大火力。これ以上になると、影響範囲を抑えられなくなる)


 ミナの能力の本領は広範囲高火力。爆破範囲を絞りつつ高火力を発揮するのは領分ではないし、想像よりも難しい技術だ。

 ここは閉鎖空間。下手に火力を上げて爆発させようものなら、地下を崩落させかねない。それで瓦礫の下敷きなど笑い話にもならない。

 この前の敵のように、適応して硬度を増すような相手だと、厄介だ。そうでなくても、これ以上の形態変化は勘弁したい所である。


「⋯⋯こりゃ、予想外⋯⋯」


 戦闘経験で勝っていた? ああ、そうだろう。ミナの動きには隙があった。

 それでも、彼女の超能力は、エリヤのそれを凌駕していた。だから隙を突けなかった。

 何より、ミナのセンスはずば抜けている。確実にあったはずの差が、この戦闘中で埋められていた。

 半身を無数の触手に変えて、ミナに向かって伸ばす。直線的閉鎖空間内での前方からの面攻撃。対処には手間取るものだが、ミナは能力を展開し、爆発させ、叩き落としていく。

 瞬発性と破壊力によるゴリ押しだといっても良い。手数を減らされ、物量が減った瞬間、ミナは触手の一本を掴み取り、少女とは思えない腕力でエリヤを引き寄せ、至近距離の爆裂を、今度は全身に叩き込んだ。


「が⋯⋯」


 トドメになってもおかしくなかった。全身の装甲が剥がれるほどのダメージを受けたのだ。けれどもエリヤは耐えきった。

 エリヤは肉体全体を変形させ、棘のある網となり、ミナを串刺しにしようとした。


「悪手ね」


 当然の話だが、薄いものほど割れやすい。ましてや網状ともなれば、砕いてくださいと言っているようなものだろう。


「──しまっ」


 判断を間違えた。考えに至っていなかった。

 ミナは既に、自分を巻き込むことを上等で星屑を散らしていたのだ。

 自爆だ。エリヤの肉体を消し飛ばす出力は、ミナ自身も無傷ではいられない。だから躊躇なくやるとは思わなかった。

 でもそれは、結果論だが、地下空間を崩落させるほどの火力ではない。装甲が剥がれたエリヤ相手なら必要十分な程度だから、予期できたはずだった。


「⋯⋯自分自身の能力と言えど、怪我は免れないね。⋯⋯でもあなたはそれ以上の深手のはずだ」


 ミナは全身に軽度の火傷、裂傷を負っている。服も破けて、血が滲んでいる。だが動けるくらいのダメージだ。

 対してエリヤはと言うと、酷いものだった。

 直前に肉体をもとに戻すため変形させ、爆裂の威力を削ごうとしたのだろう。もし、それが間に合っていなければ、彼は保有していた質量の大半を失い、まともな形を保っていなかったかもしれない。

 つまり、なんとか、だ。なんとか生きているに過ぎない。今にも倒れそうなくらい消耗したし、気絶していてもおかしくない。勿論、戦闘の続行は無理難題にも等しい。


「降参して。もうあなたには何もできない」


「⋯⋯⋯⋯参ったなぁ」


 エリヤは血反吐を吐く。

 ああ、これ以上は何もできない。体に限界が来ている。ストックも全部消耗した。これからは文字通り命を削る羽目になる。そして、そこまでしてもミナに勝てるヴィジョンは全く浮かばない。

 敗北だ。しかし、それは彼らに許されない。なぜなら彼らは任務を達成するか、死ぬかの二択を常に迫られているからだ。


「生憎様、降参しようが殺されるんだ、オレたちはね。ならせめてキミの手で死にたい」


「⋯⋯何言ってるの。殺される? わたしの手で死にたい? そんな馬鹿なことが⋯⋯」


「あり得るのさ、甘ちゃん。⋯⋯そうだな。オレたちには失敗も負けもない。あるのは成功か死、のみ。⋯⋯そういう世界なんだよ、オレたちが生きてる場所は」


 エリヤは立つことにも限界が来た。壁に背を当て、座り込む。

 目の前の少女と、エリヤは殺し合っていたとは思えない。先程までの戦闘がまるで嘘かのような、不思議な感覚がする。


「キミはどうしても人を殺したくないらしいな。それがキミを殺そうとした男に向ける目かよ?」


 ミナはとてつもなく、哀れな者を見る目をしている。悲壮感に満ちた、被害者を見るかのような目。

 なんて優しい子なんだろうか。

 それとも、エリヤの感覚がおかしいだけなのか。普通の人間とはそういうものなんだろうか。

 おそらくは、どちらも。ミナは優しくて、エリヤは環境に毒されていた。


「⋯⋯なんで。なんで死ぬことを受け入れるの? そんなの、救いようがない⋯⋯」


 エリヤは驚いていた。この期に及んで、ミナはエリヤのことを助けようとしていたのだから。

 今までになかったことだ。可愛い女の子を殺すのが勿体無いと思うことはあっても、可哀想だと思うことはあっても、殺すことを辞めようとしなかった自分とは大違いだ、とエリヤは思った。


「おいおいおい。冗談だろ。⋯⋯いや、そうか。キミは最初から⋯⋯。ああ、本当に優しいな、キミは」


 でも、理解できた。自分が死ななかった理由についても、それなら辻褄が行く。

 ミナは、殺そうとしなかった。全力でエリヤを、

 エリヤは右腕を刃物へと形状変化させる。

 最期の悪足掻きではない。その証明に、ミナは一切の殺意を感じなかった。ただ、彼のやろうとしていることが理解できた瞬間、叫ぼうとした、「やめて」と。


「──だがその優しさは、いつかキミ自身を殺すことになる。オレが相手でよかったな」


 彼のその行動に、彼自身の意思はない。操り人形。もしくはプログラム。いずれにせよ、そうなるようにセットされていた。

 エリヤは、自らの首を切り落とした。


「────」


 絶句。何も言えなかった。衝撃的すぎて、ミナには理解できなかった。

 今までの自分が否定されたような気分だった。

 皆を救うヒーロー。その『皆』には、エリヤのような悪者も含まれる。成敗して、改心させて、救う。それこそ本物のヒーロー。正義の味方。ミナが目指したものなのだから。

 でも、ミナは、できなかった。


「⋯⋯なんでよ。⋯⋯死んじゃったら、全部⋯⋯。生きていれば、いつか幸せになれるかもしれないのに」


 ミナは、エリヤを自殺させた相手に対して怒りも憎しみも抱かなかった。そこまで考えが回らなかった。

 その代わり、無理解だけが彼女を取り巻いた。

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