君と僕の円環

みやこのじょう

いずれ生まれる命の物語

 無数に存在する並行世界は万物の創造主たる神が管理する『真世界』の複製であり予備。望まれれば素材を献上する義務がある。並行世界はそのために存在し、維持管理は神の子たちに任されていた。


「またトラブルぅ? 最近多くない?」

「だ、だって」


 神の子のひとり、赤髪のアリシオが神の子セラヴィーの手元を覗き込む。つるりとした大きな球体に映し出されているのは、セラヴィーが管理を任されている並行世界。至るところで雷の雨が降り、大地は割れ、無力な人々が逃げまどっている様子が映し出されている。


「かわいそ。早くなんとかしてあげなよ」

「それが、予定外の災害が立て続けに起きて神託が追いつかないんだ」


 セラヴィーが担当する並行世界は少し前から天変地異が相次いでいるが、直接の干渉は禁じられている。そもそも神の子にそんな能力はない。並行世界を維持・管理するための見張り役。問題が起これば『神託』という形で知らせ、現地の人々に自分で対処させる。神のように奇跡を起こせるわけではないのだ。


「あんまり荒らさないようにね〜。指導係の評価まで下がっちゃうよ」

「どうすればいいと思う?」

「さあね」

「アリシオは問題起きてないの?」

「当然。今日も平和だよ」

「うう……」


 神の子たちに任されている並行世界に大きな違いはない。やはり自分の管理が下手なだけか、とセラヴィーは落胆した。


「ヴィクザムは? こういう時にこそ頼らないと」

「しばらく会ってないからわからない」

「最近見かけないよね。ボクの指導係に聞いてみよっか? なにか知ってるかも」

「うん、お願い」


 持ち場へと戻るアリシオを見送ってから盛大に溜め息をつく。頭の上に浮かんだ髪と同じ色の金の輪がジジッと音を立てて揺らぎ、セラヴィーの心の乱れを表していた。


 指導係のヴィクザムとはしばらく顔を合わせていない。神の子に成ったばかりの頃に並行世界の管理方法を教えてくれた頼りになる存在だ。


「今そばにいてほしかったな」


 球体に映し出された並行世界の酷い有り様を眺め、セラヴィーは再び肩を落とした。


 ある時、特定の地域だけ異変が収束していることに気が付いた。急いで視点を切り替える。すると、大陸の端にある山で巨大な生物が暴れている現場を発見した。付近の集落は巨体に押し潰され、住人たちが逃げまどっている。


 巨大な生物の正体は小山ほどの大きさの竜だ。何百年に一度現れるかどうかの巨大生物の襲来。

 セラヴィーが近隣の国に神託を出すべきか迷っていると、巨竜の前に何者かが立ちはだかった。黒髪褐色の青年だ。手に剣を持っているが刃に輝きはなく、とても巨竜に通用するとは思えない。

 危ない、とセラヴィーが叫びかけた瞬間、青年は巨竜に向かって駆け出した。背後に回り込み、尻尾から背中へと登っていく。あっという間に頭部へと辿り着いた青年は剣を振り上げ、平たい面を思い切り叩きつけた。


 鈍い音がした後、目を回した巨竜が横倒しになった。青年は牙だらけの口に剣の切先を突っ込み、体内から刺し貫いて念入りにトドメを刺している。淡々と作業する青年の姿にセラヴィーは慄いた。そして、彼しかいないと直感した。


『あのぅ、聞こえますか?』


 本来『神託』は高位の聖職者のみ受信可能な連絡手段。だが、セラヴィーは青年に可能性を見出し、直接声を掛けてみた。


「……なんだ? 誰かいるのか」


 すると、青年が不思議そうに首を傾げ、辺りを見回し始めた。セラヴィーの声は届いている。しかし、青年の視界には巨竜の死骸と崩れた建物しか映っていない。


『僕はセラヴィーと申します。そちらからは姿は見えないと思いますが』

「は?」


 神の子セラヴィーは並行世界を管理する時空と次元の狭間。青年はその並行世界の中。存在する次元が異なる。セラヴィーは球体を通じて青年の姿を自由に観察できるが、青年には分からない。どこからともなく声が聞こえてくるだけ。


「熱でもあるのかな」

『幻聴ではないですよ。お話しましょう』

「竜の祟りか? こわ。早くどっか行こ」

『耳を塞がないで! 聞いてください!』


 しばらくやり取りを繰り返した後、青年はようやく不可思議な声の存在を認めた。走って逃げても無視し続けても耳元に直接声が届くものだから、根負けしただけとも言える。


『カリスは一人で旅をしているんですね。行きたい場所があるんですか?』

「村に馴染めなくて出てきただけだ」


 青年カリスは孤児で、大陸の端にある田舎の村で育った。幼い頃から腕力が強く、周囲から恐れられていた。一人で生きていけるようになった頃に村を飛び出して以来あてもなく旅を続けている。たまたまこの集落で宿を取っていて、巨竜の出現に出会したという。


『では、僕の手助けをしてくれませんか。この世界は災害続きで対応が追いつかず、難儀しているのです』

「ええ、めんどくさ」

『そう言わずに。報酬もお支払いしますから』

「姿も見せらんねえくせに金が払えるのか?」

『もちろん。手始めに、一番近くにある金鉱脈の場所をお教えしましょう!』

「自分で掘り起こせってか!」


 こんな感じで、神の子セラヴィーはカリスという強力な手足を得た。


『少し先に祭壇があります。台座の窪みに宝玉を嵌めてください』

「祭壇なんかねえぞ。具体的にどれくらいだよ」

『ええと、カリスの歩幅であと五百歩くらい?』

「どこが『少し先』だ!」


 セラヴィーが目的地へと導き、カリスが直接対処する。時折言い争うことはあれど、二人は仲良く旅を続けていた。カリスは巨竜から剥ぎ取った素材を売った金で鎧や武器を買い揃えた。鍛え上げられた肉体と装備のおかげで立派な剣士の出立ちである。


 現在地は砂漠のど真ん中にある遺跡。盗賊が宝玉を盗んだせいで砂漠を治める精霊が怒り狂って砂嵐を巻き起こし、甚大な被害を出している。盗賊を捕まえ、取り戻した宝玉を返しにきたというわけだ。

 激しい砂嵐の中は常人ならば一歩も進めないほど過酷な環境だが、カリスは難なく突き進んでいく。


「終わったぞ、セラヴィー」

『お疲れ様です。おかげで砂嵐は止みましたよ』

「そっか。で、次はどこに行けばいい?」

『ちょっと、そろそろ休んでください。もう何日も寝てないですよね』

「ああ、だが」


 当初は渋々付き合っていたカリスだが、今は使命感に燃えている。砂ぼこりにまみれた髪や装備を気にすることなく次の目的地に向かおうとするカリスに、セラヴィーは休むようにと強く言い聞かせた。


 最寄りの街の宿屋に誘導して食事と湯浴みをさせ、カリスを寝かしつけてから並行世界との通信を切った。


「ふう、疲れた」


 席を立ち、背伸びをする。肩で切り揃えられた金色の髪がさらりと流れて首筋を撫でた。そんな些細な感触ですら感じられるというのに並行世界のカリスに触れることはできない。直接隣に立てれば無理をしがちなカリスを助けられるかもしれない。そこまで考えて、自分には何もできないのだったと首を横に振る。


 神の子にできることは少ない。近い将来起こるわざわいを『神託』で教え、備えさせることだけ。頼らざるを得ない状況とはいえ、カリスばかりに無理をさせている現状をセラヴィーは申し訳なく思っていた。


「やっほーセラヴィー」

「アリシオ」


 俯くセラヴィーの肩を叩き、アリシオが明るく声を掛けてきた。彼も休憩中のようだ。

 神の子に睡眠や食事は必要ないが、思考し続ければ判断能力が鈍る。意識して休息を取れと教えてくれたのはヴィクザムだ。彼が自分の指導係から外れたのはいつのことか、セラヴィーには覚えがない。数ヶ月前のような、何十年も前のような。時空と次元の狭間に住まう神や神の子にとって、時の流れの感覚は非常に曖昧なものだ。


「そういえば、ヴィクザムの件を聞いてみたんだけど、結局教えてもらえなかったんだよね。なんでだろ〜」


 アリシオの言葉に、セラヴィーは言いようのない不安に襲われた。


「じゃあ、今どこに」

「わかんないね〜」


 また折をみて聞いてみるよと言うアリシオに何度もお礼を伝えてから、再び並行世界との通信を繋げた。カリスは宿屋の寝台で泥のように眠っている。小さな寝息を聞きながら、セラヴィーは唇を噛んだ。


 行方がわからないヴィクザム。

 天変地異が頻発する並行世界。

 なぜか神の子と話せるカリス。


『君が居てくれて本当に良かった』


 眠るカリスが応えるわけもなく、セラヴィーの呟きは夜の闇に吸い込まれて消えた。


 その後もカリスは常人離れした頑健な肉体と物理法則を無視した強さで次々に問題を解決していった。

 天変地異を鎮める『勇者』の噂は日を追うごとに広まり、とある大国が召し抱えたいと使者を寄越してきたが、カリスは迷わず断った。


『カリスは地位や名誉が欲しくないんですか』

「食うに困ってるわけじゃねーし、今のままでいい。堅苦しいのは苦手なんだよ」


 国に所属すれば自由に動けなくなる。政治的に利用されたくないという理由もある。


『では、欲しいものはありますか? 例えば、もっと切れ味の良い剣とか、かっこいい鎧とか』

「うーん、なんも思いつかねえ」


 次の目的地に向かいながら話をする。整備された街道ではなく山中の獣道だ。セラヴィーの声はカリス以外には聞こえない。他に同行者がいれば今のように自由に話せなくなる。カリスが国に所属せず、仲間も作らず、不便な道を選んで進む理由は自分のせいかもしれない、とセラヴィーは思い至った。


『僕とのお喋りを少し控えましょうか。そうすれば同行する仲間を作れますよ』

「今さら他のヤツと一緒にチンタラ歩けってか?」


 カリスは次の目的地までの最短経路をまっすぐ突き進んでいる。断崖をよじ登り、谷を飛び越え、川を泳いで渡り、一昼夜走り続けることも珍しくない。


「どんなに早く移動しても、セラヴィーなら見失わずに付いてくる。山のてっぺんや崖の途中で話ができるのはセラヴィーだけだ」

『でも』

「それに、誰かと一緒にいたところで俺みたいに無茶ができるわけじゃないだろ」


 同行者が目的地まで付いてこられたとしても、カリスと同じ活躍は望めない。並の人間にはできないような過酷な旅をいているのが自分だと思うと、セラヴィーはまた申し訳なさでいっぱいになった。


『いつか、カリスが欲しいものが見つかったら教えてくださいね。僕が必ず用意しますから』

「はいはい、わかったよ」


 言いながら、カリスは屈託なく笑った。


 次の目的地へ向かう途中で宿を取った。大きな山のふもとにある町で、ここ数日小さな地震が相次いでいる。


『噴火が近いみたいですね』

「山が爆発すんのか」

『通常の噴火より大きな規模になりそうです』

「じゃあ、この町は」

『間違いなく壊滅します』


 町の住民は誰も山が噴火するとは予想していない。前回の噴火から数百年以上経過しており、当時の記録が残っていないため警戒していないのだ。


「噴火を止める方法は?」

『先日の砂漠の件とは違います。噴火は避けられません。町の人々を避難させるしかないですね』


 火口で化け物が暴れたり何者かが火山を刺激して噴火を促したわけではなく、自然に起こりうる災害だ。カリスが対処できる問題ではない。


『先ほど近くの神殿に『神託』を出しました。あとは任せましょう』

「俺はどうしたらいい?」

『ここではなにも。予定通り次の目的地に向かいますよ』

「……わかった」


 宿の部屋の窓からは通りが一望できる。家族。恋人。友人。連れ立って楽しそうに語らいながら通りを歩く人々の様子を眺め、カリスは悔しそうに唇を噛んだ。


 数日も経たないうちに火山が噴火した。セラヴィーの予想通り、町は大量の溶岩と火山灰に飲まれて見る影もない。しかし『神託』により速やかな避難が行われたため犠牲者は出なかった。


「セラヴィーのおかげだな」

『僕は情報を伝えただけです。実際に行動に移した人々のおかげですよ』


 時には『神託』に対して何の行動も起こさない者もいる。動いてもらわなくてはどうしようもない。だから、並行世界の人々が信じて従ってくれたことがセラヴィーには嬉しかった。久々に神の子として役に立てた気がした。


 一方のカリスは、噴火の件ではなにもできず、歯がゆい思いをしていた。代わりに、次の目的地ではいつも以上に気合いを入れて働いた。セラヴィーの静止を振り切って無茶をして、珍しくあちこちに傷を負った。


『自分の安全を後回しにしないでください。下手をしたら後遺症が残っちゃいますよ』

「いいよ別に。俺には心配してくれる親兄弟がいるわけじゃねーし、最悪死んだって」

『──カリス!』


 投げやりなカリスの発言に、セラヴィーは思わず声を荒げた。大きな声に自分で驚き、すぐに『すみません』と謝罪する。


『カリスが傷付いたら僕は悲しい。だから、そんな風に言わないでください』

「……そっか。俺こそ悪かった」

『僕はこの世界が大切で、全ての災害から人々を守りたいと願っています。ですが、カリスを犠牲にしてまで叶えようとは思いません』


 セラヴィーのまっすぐな言葉はカリスに届いた。声しか聞こえず、姿は一度も見たことはないけれど、ここまで自分の身を案じてくれる存在はセラヴィーしかいないと思った。


「セラヴィー。俺、欲しいものが見つかった」

『えっ、本当ですか。教えてください! すぐに用意しますから!』

「次の問題を解決し終えたらな」

『絶対ですよ!』


 しかし、次の天変地異の難易度はこれまでの比ではなかった。大陸の北端にある険しい山脈は広範囲に渡って猛烈な吹雪に見舞われ、幾つもの町や集落が孤立状態にある。原因は、この辺りの山々を治める精霊の遺跡に安置されていた祭具を盗賊が奪ったからだ。


「前にも似たようなことがあった気が」

『もはや人災ですね』

「仕方ねえ。祭具とやらを探して元の場所に戻せばいいんだよな?」

『ええ。でも、くれぐれも無理をしないでください』

「わかってるよ」


 まずセラヴィーが祭具の気配を探り、おおよその位置をカリスに伝える。カリスは逃げる盗賊を捕まえて祭具を取り返した。踵を返して吹雪の中に突入し、遺跡を目指す。


『カリス、寒くありませんか』

「寒いっつーか痛い」

『やはり暖かい装備を揃えてからのほうが』

「モコモコ着込んでたら動けなくなるだろ」


 話しながら、カリスは剣を抜いた。吹き付ける真っ白な雪に紛れて無数の氷の刃が飛んできたからだ。怒り狂った山の精霊にはカリスと盗賊の見分けすらついていないのだろう。誰彼構わず攻撃してくる。


「くそ、数が多い!」


 氷の刃は次から次へと襲ってきた。寒さで体が思うように動かず、剣で払うも追いつかない。落とし損ねた氷の刃が風除けの外套や袖を切り裂き、隙間から入り込んだ冷気がカリスの体温を容赦なく奪っていった。


『カリス、無茶しないで。出直しましょう』

「ダメだ。早く祭具を元に戻さねえと、雪の中で孤立した人たちが……」


 剣を振るい続け、なんとか遺跡へと辿り着いた。吹雪からは解放されたが気温は更に下がり、吸い込むだけで喉や肺が凍てつくほど空気が冷え切っている。

 傷付いた体を引きずるようにして、カリスは最奥に向かった。懐に入れていた祭具を取り出し、祭壇に安置する。次の瞬間、冷たい空気がゆるみ、辺りを覆い尽くしていた氷が砕けた。


『お疲れ様でした。吹雪が止みましたよ』

「そっか、良かった」

『天候と気温は正常に戻りつつあります。積もった雪や凍りついた大地もすぐに溶けるでしょう』

「はは、頑張った甲斐が、あったな」


 セラヴィーからの報告を聞き、笑顔で応えながら、カリスは祭壇前の床に膝をついた。


『カリス、大丈夫ですか!』


 カリスの身体には至るところに凍傷ができていた。常人ならばとっくに全身凍りついて動けなくなるほどの酷い状態だ。そのまま崩れ落ちるように倒れる。


「セラヴィー……俺……欲しいもの……」

『喋らないで。いや、こういう時は寝たらダメなんでしたっけ。カリス、しっかり!』


 セラヴィーの慌てふためく様を聞きながら、カリスは消え入りそうなほど小さな声で呟く。


「おれ、かぞく、が……」


 セラヴィーはすぐに最寄りの神殿に神託を出し、カリスの救助を頼んだ。ついでに孤立していた町や村にも救援物資を運ぶよう指示を出す。


 倒れたカリスは間もなくやってきた救助隊に保護された。神託により『身を挺して吹雪を止めた勇者』として丁重に扱われている。カリスが安全な場所で適切な治療を受け、容態が安定したことを確認してから、セラヴィーは画面を切り替えて調べ物を始めた。


 気を失う直前に残した『家族』という言葉。カリスが以前言っていた『欲しいもの』だとセラヴィーには分かった。


「カリスは自分を孤児だと言っていましたが、もしかしたら身内がいるかもしれません」


 事情があって育てられずに子を手放すという話は珍しくない。人さらいにあったり迷子になっただけという可能性もある。もし親や兄弟が生きているのなら、探し出して会わせてあげたい。セラヴィーはその一心でカリスが育ったという大陸の端にある村の記録映像を遡った。

 少年期、幼少期、そして……。


「あれ?」


 カリスが生まれた時の記録はなかった。ある日、村の家の前に乳児が布に包まれた状態で置かれただけ。何度前後の映像を確認しても、何もないところにいきなり乳児が出現している。


「おかしいな。記録できていない」


 セラヴィーが担当する並行世界では天変地異が相次いでいる。管理機能がうまく働いていないから記録が抜け落ちたのかと首を傾げた。


「どうしたのセラヴィー。なんかあった?」

「アリシオ」


 アリシオに話しかけられ、セラヴィーは彼に協力してもらおうと考えた。


「僕の管理してる世界、記録機能がおかしいんだ。アリシオのほうで確認してもらってもいい?」

「別に構わないけど、なにを調べたいの〜?」

「カリスっていう名前の人間の生まれを知りたいんだ。僕の世界では記録が残ってなくて」

「はいはーい、ちょっと待ってて」


 球体にカリスの映像と生体情報を表示し、アリシオの端末に送る。確認作業に入ったアリシオは、しばらくしてから困惑顔で戻ってきた。


「カリスなんて人間、ボクの世界にはいないよ」

「ええ? 名前が違うのかな」

「生体情報で検索かけたんだから、名前や住む地域が多少変わっても存在さえしていれば見つかるはずなんだけど」


 並行世界は元は同じだが、少しずつズレが生じる。親世代か祖父母世代で子を作る相手が変われば生まれてくる子孫の生体情報も変わってしまう。カリスが存在していない世界線も当然有り得る。


「じゃあ、他のみんなの世界は」


 セラヴィーは周りにいる神の子たちにも協力を要請して探してもらったが、やはりどの並行世界にもカリスは存在していなかった。


「どういうこと……?」


 もし生き別れの親兄弟がいるのなら見つけてやりたい、という一心で過去の記録を探した結果、予想外の事実に行き着いてしまった。


 カリスが存在する並行世界はひとつだけ。

 果たしてそんなことが有り得るのだろうか。


──セラヴィー


 思わぬ事態に青ざめるセラヴィーに優しくあたたかな声が掛けられた。周りにいた神の子たちが一斉に姿勢を正し、上に視線を向ける。


「か、神さま」


 無数の球体と神の子たちの上空に一際大きな球体が浮かび、その更に上にあたたかで神々しい姿が在った。


──おまえが管理する世界は問題が多いようだね


「は、はいっ。力が及ばず、大変申し訳なく……」


 唯一無二の尊き存在に自分の失態を知られ、セラヴィーは頭を下げて青い顔を隠した。


──おまえのせいではない。たまたま『特異点』が発生して世界の均衡が崩れてしまっただけだ


 自分のせいではないと言われ、セラヴィーはおずおずと顔を上げた。優しい神の表情と声音に、居た堪れなさと申し訳なさで強張っていた緊張が解ける。


──『特異点』を排除すれば、おまえの世界は安定する。わたしの『真世界』で引き受けよう


 ありがたい申し出だとセラヴィーは思った。すぐにでも了承して『特異点』とやらを引き取ってもらうべきだと。


「あの、神さま。『特異点』というのは……」


 だが、何かが引っ掛かった。

 絶対に確認しなくてはならない、と。


──『カリス』という人間である


 まさか、という気持ちと、やはり、という気持ちが同時にセラヴィーの思考を占めた。神を見上げたまま、しばし無言で立ち尽くす。


 カリスは常人とは違う。強靭な肉体。物理法則を捻じ曲げるほどの強さ。神の子であるセラヴィーと言葉が交わせること。そして、他の並行世界には存在しないという事実。全てがカリスが『特異点』だと示していた。

 我が身を顧みずに世界のために戦い続けてくれたカリスこそが、世界の均衡を崩して天変地異を引き起こした元凶。残酷な真実だった。


「神さまの『真世界』に行けば、カリスは幸せになれますか。もう危ないことをせずに済みますか」


──もちろんだとも


 カリスを神に預けようとセラヴィーは思った。そうすれば、自分が管理する並行世界の異変が全て解決する。平穏が戻る。でも、まだ踏ん切りがつかなかった。


「カリスはたくさん頑張ってくれました。だから御礼がしたくて、家族を探してあげようと思って。神さまの『真世界』で、カリスに家族はできますか」


──できるとも。『真世界』に人間を移す際には一旦全ての情報を削除する。新たに生まれ直せば家族もできるだろう


 セラヴィーは言葉を失った。『真世界』に行けば、カリスという存在は消えてしまう。他の並行世界にはいないのだから、もう二度と会えなくなる。


──さあ『特異点』をこちらへ


 上空に座す神が手を差し伸べる。隣に立つアリシオが肩を軽く小突いて促してくるが、セラヴィーは動けない。頭の上に浮かぶ金の輪がジジッと音を立てて揺らぎ、心の乱れを表していた。


 神の意志に逆らってはならない。無数の並行世界は全て神が管理する『真世界』のために存在しているのだから。


 今はどこにいるのか分からない指導係に心の中で謝りながら、セラヴィーは覚悟を決めた。


「神さま、僕は……」






 カリスは寝台の上で目を覚ました。どれくらい眠っていたのか、体中が痛くて重く感じた。やっとのことで腕を持ち上げ、肩から腕、指先まで包帯が巻かれていることに気付き、眉をしかめる。


「俺、どうしたんだっけ」

『吹雪の中で無茶したから凍傷だらけなんですよ。もう何日も眠り続けていました』

「セラヴィー」


 耳元に届いた聞き馴染んだ声に、カリスは表情をゆるめる。


「これくらいすぐ治る。そしたら出発しよう。次はどこへ行けばいい?」


 いつものように問うカリスに、セラヴィーは笑いを堪えつつ応える。


『カリスはどこに行きたいですか?』

「セラヴィーが行けって言うならどこにでも」

『ふふっ、本当ですか?』

「いつもそうだっただろ」

『ええ、そうでしたね』


 他愛のない話をするうちに、カリスは疲れてうとうとし始めた。その様子を目に焼き付けるように眺める。カリスが眠りに落ちてから、セラヴィーは滲んで見えづらくなった球体の表面を両の手のひらでそっと撫でた。


『おやすみなさい。そして、さよなら。カリス』






 空になった席を見下ろしながら、アリシオは「あーあ」と溜め息を吐き出した。球体に齧り付きながら悪戦苦闘していた同胞の姿は、もうない。


──寂しいのかい、アリシオ


「ええ、まあ。いちばん仲が良かったので」


 今のアリシオは神の隣にいた。他の神の子たちが敬い畏れる神相手に平然と言葉を交わしながら、何度目かの溜め息をこぼす。


──幾度繰り返しても、あの子たちの繋がりは切れなかった。再び離したとしても、またどこかで絡み合うだろう


「ですね。よぉく分かりました」


──個への執着はあってはならない。あの子たちは優秀だが、管理する側には向いていなかった


 過去、ヴィクザムは自分が担当する並行世界に生きる一人の人間に執着した。人間は優れた資質を持っており、神が差し出すようにと命じたが、ヴィクザムは拒否した。神の意に逆らった罪で神の子の資格を剥奪され、並行世界の一つに堕とされた。故に親もなく、天涯孤独の身となった。ヴィクザムが差し出さなかった人間は死後に神の子の一員となり、指導係に面倒を見てもらうことになる。それ以前にも似たようなことが何度もあった。


 ここは時空と次元の狭間。

 時の流れの感覚は非常に曖昧なもの。


──セラヴィーとヴィクザム……カリスの繋がりは、わたしにも解けないほど複雑に絡み合ってしまった。時を歪め、均衡を崩し、もう普通の並行世界では受け止めきれない


「残念。ボクが引き受けようと思ったのに」


──悲しむことはないよアリシオ。消滅ではない。わたしの『真世界』で新たに生まれ直すのだ。同じ時に同じ世界に生まれれば、きっと巡り逢える。今度は血を分けた家族となるか、信頼のおける友人となるか、それとも……


 神は穏やかな眼差しを教え子たるアリシオに向けてから、自分が管理する『真世界』を見つめた。いずれ生まれる二つの命に祝福の気持ちを込めて。




『君と僕の円環』終

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