第20話 立ち上がる猫たち
タミットが捕まったとは思いもせずバステト神殿をあとにしたネジムは、ペルシアの恐怖の軍団からエジプトを守るべく、町外れのバステト公園“猫の社交場”に急いだ。エジプト中の猫に団結してペルシアと戦うことを呼びかけるためだ。
公園に着くと沢山の猫たちが、煉瓦のベンチやサークルや椰子の木の陰など、思い思いの場所で昼寝をしたり、仲間同士でじゃれ合ったりして寛いでいた。
「みんな聞いてくれにゃ」
急なネジムの呼びかけに公園で寛いでいた猫たちが、一匹、二匹と集まってきた。
「ネジム、昼間っからにゃんだよ」
「そうよ! せっかく心地よくお昼寝してたのににゃ」
騒ぎを聞きつけた他の猫たちも、ぞろぞろとやってきて、瞬く間に百匹を超える猫がネジムの周囲に集まった。
(さすが猫の聖地ブバスティスだにゃ)
ネジムは猫で公園が埋め尽くされると、大きな石のベンチの上に立ってみんなに語りかけた。
「もうじきペルシアが攻めてくるにゃ!」
ネジムのペルシアという言葉に大勢の猫たちが沈黙した。
「ペルシアがエジプトの目と鼻の先まで迫っているにゃ」
集まった猫たちは黙ってネジムの話に耳をかたむける。
「もし、ペルシアがエジプトに攻めてきたら、真っ先にこのブバスティスの町は焼き払われ、ぼくらの家族は皆殺しにされる! そしてペルシャ三味線の皮にされてしまうにゃ!」
ネジムの言葉に公園中の猫が毛を逆立て戦慄した。
「だからといって俺達になにが出来るにゃ!」
一匹の茶トラが声を上げた。
「だから皆をよんだにゃ!」
ネジムがこたえると、
「はやく逃げたほうがいいにゃ」
三毛猫おばさんが怯えた。
「エジプト全土がペルシアに占領されたら何処にも逃げ場はなくなるにゃ」
公園中の猫が沈黙した。
「おいらはペルシアと戦うにゃ!」
ネジムは皆に向かって大きな声で宣言した。
「無謀にゃ!」
「そうにゃ! そうにゃ!」
騒然とする中で一匹の若い猫が立ち上がった。
「ネジム、僕も戦うにゃ!」
すると今度は年老いた猫が一匹、
「わしも戦うにゃ!」
と言って立ち上がった。
その時、中年のキジトラの白猫が立ち上がってネジムを睨むと、
「戦う戦うというが、人間に、しかも残虐なペルシア軍にどう戦いを挑むんだ? 飛び掛かって引っ掻くのか? 噛み付くのか? それじゃペルシア人から剣や槍で一突きされればおしまいにゃ」
厳しい口調でネジムを問いただした。
ネジムはキジトラ白猫に向かって、タミットに伝えた作戦を話し始めた。
「エジプト軍よりも早くペルシウムの砦まで進軍し、砦の全てのネズミたちをペルシア軍の駐屯地まで追い立てるにゃ」
「ネズミを追い立てるだと」
「そうにゃ、あの砦には一万匹以上のネズミがいると聞いてるにゃ。そのネズミ達を全部ペルシア軍が駐屯しているテントまで追い立てるにゃ」
「ネズミにペルシア軍の食料を襲わせるのかにゃ?」
年老いた茶トラのタオが話に加わってきた。
「そうにゃ! でもそれだけじゃないにゃ」
ネジムはそこで一旦深呼吸をすると恐るべき作戦を話した。
「ネズミが持っている病原菌が同時にばら撒かれるにゃ」
ネジムのネズミ細菌兵器作戦に公園中の猫が唸り声を上げた。
「ネジム凄いぜ! ペルシア軍なんてチョロいぜ!」
若いオス猫達が拳を握り締め気勢を上げた。
集まった猫たちは一瞬にして、ペルシアに戦いを挑もうという雰囲気に傾き始めた。ところがその時、子猫を抱えた母猫が立ち上がり静かな口調で反論した。
「人間の殺し合いになぜあたしたち猫が加担しなければならないの? あたしたち猫族は人間と共存してきました。たとえどんなに残虐なペルシア人でもエジプト人と同じ人間じゃありませんか。もしペルシア人がこのエジプトに流れ込んであたしたちを追い立てても、あたしたち猫族は控えめに暮らしていればいいのではありませんか。あたしたし達猫族は人間の命を奪うようなことはしてはいけません。なぜならあたしたちは人間と供に平和に暮らしてきたのですから。全てはバステト神様に委ねるべきだと思います」
母猫が話し終わると再び公園中が静まり返った。
ネジムは苦悩した。なぜなら彼の魂の声は大好きな人間を傷つけることはいけないと反対していたからだ。
(ネズミを使って攻撃を仕掛ければ砂漠の進軍で疲れているペルシア人兵士を壊滅できる。彼らにも家族がいる。おいらにはそんな酷いことは出来ない。だからといって、今まで大切にしてくれたエジプトの人々がペルシア軍に殺されるのを見殺しにはできない)
悩むネジムをよそに集まった猫たちは様々な意見を出し合い激しい議論が続けられた。そしてとうとう公園中の猫たちが、対ペルシア強硬派と穏健派と態度保留派に分かれてしまい分裂してしまった。
ネジムは戦いを呼びかけたが、残虐なペルシア人とはいえ人間を傷つけてはいけないという自分の良心の声に従おうと思った。
ネジムが再び公園のベンチの上に立つと皆の話し声が静まった。公園中の猫がネジムの言葉を待っていると、
「大変にゃ!」
神殿の巫女猫が血相変えて公園に駆け込み、沢山の猫を掻き分けネジムのとこまでやって来た。
「どうしたにゃ?」
「タミット様がペルシア兵にさらわれましたにゃ!」
巫女猫はそう叫び大声で泣いた。
「タミットが、さ、さらわれた……」
「おいらはついさっきまでタミットと話してたにゃ!」
ネジムは気が動転し、巫女猫を責めた。
「あなたが帰った後、あたしはタミット様をお呼びしようと礼拝堂に行きました。すると大神官がタミット様を網で捕らえ、二、三回殴ったあと袋詰めにして神殿に忍び込んでいたペルシア兵に渡したのです」
それを聞いて公園中の猫たちが騒ぎ出した。
「なんてひどいことを!」
「バステト神様がお怒りになるに違いないみゃ!」
猫たちは大神官とペルシアに憤りを感じた。
巫女猫は続けた。
「神殿のネットワークで、拉致されたタミット様はペルシウムに向かって進軍するペルシア軍の駐屯地に拘束されているところまで掴んでいます」
「タミットの命は大丈夫にゃ?」
「ご無事だと」
ネジムは怒りと悲しみで牙を剥きだし叫び声をあげた。
「ガルルル!」
「ネジム! タミットを助けに行こうぜ!」
「もう選択の余地はないにゃ!」
一匹、二匹と猫たちがタミット救出を叫んだ。やがてほとんど全ての猫たちがタミット救出で一致した。
「決戦にゃ!」
ネジムはベンチに立ち肉球を天高く上げ激しく叫んだ。
すると公園に集まった全ての猫もいっせいに、
「ガルルル!」
と叫び声を上げた。
こうしてエジプト最強の猫軍団がネジムを中心に結成された。
ネジムはすぐにエジプト全土の猫たちに大号令を発した。するとエジプト全土から何十万匹もの猫がブバスティスに集結しはじめた。
出発の前日、ブバステス近郊の猫たちは、飼い主に長い間お世話になったお礼をいうため一旦帰宅した。また、遠方から来た猫たちは大神官の目を盗んでバステト神殿に集まり武運を祈った。
そのころネジムはレイラに会うかどうか悩んでいた。
(このことをレイラちゃんに話せば反対されるにゃ……でも、もしかしたらもう二度と会えないかもしれないにゃ……)
夕暮れに、ネジムがタミットとよく逢い引きした神殿の屋根で悩んでいると、
(ネジム、無理をしてはいけません)
耳元で囁くように懐かしい声が響いた。
「タミット?」
ネジムは頭を持ち上げ周囲を見渡したがタミットらしき猫影はなかった。
「気のせいかにゃ」
そう呟くとネジムは箱座りして遠くの真っ赤な太陽を眺めた。
するとしばらくしてまた耳元で声がした。
「ネジム、よく聞いてください」
ネジムはびっくりして立ち上がった。
「だれにゃ?」
「わたしはバステトと呼ばれている光です」
「バステト神様!」
ネジムがその名を呼ぶと天から金色の光が降り注ぎネジムを包んだ。
「ネジム、この先あなたたち猫に大きな試練が襲いかかるでしょう。しかし、いかなる時でもあなたたち猫は愛のセラピストだということを忘れないで下さい」
「愛のセラピスト」
「そうです。猫は愛のセラピスト。決して怒りや憎しみに心を見失ってはいけません。あななたたちは愛の光りの存在なのです。くじけそうな時には自分の運命を信じ全てをわたしに委ねてください。どうかこのことを忘れないで下さい」
バステト神の言葉はそこで終わり、ネジムを包んでいた金色の光は消えてなくなった。
(猫は愛のセラピストか、いったいどういう意味なんだろうにゃ? それに大きな試練って……)
ネジムは神様の言葉を呟きながら、神殿の屋根の上で深い眠りに落ちた。
ネジムが目を覚ますと東の空が白みかけていた。
「いけねぇ、寝過ごしたにゃ。集合場所へ急がなきゃにゃ」
ネジムは神殿の屋根から屋根づたいに地面まで降りると、猛ダッシュで集合場所の砂漠地帯へと急いだ。
ところが急いで集合場所に着いたものの、そこには数百匹の猫しか集まっていなかった。実は集まったほとんどの猫達はペルシアの手先となった、一部のエジプト人達の手によって密かに捕らえられ、砂漠を進軍中のペルシア軍駐屯地に送られていたのだ。
ネジムはそんな恐ろしい事が起きているとは思いもせず、
「みんなどうしたにゃ?」
先に着いていた若いブチ猫ピアンキに訊いた。
「みんな戻って来ないにゃ。きっと飼い主のもとに返ってしまったんじゃにゃいかにゃー」
ピアンキはなかば諦めたように返す。
(きっとバステト神様がみんなに帰るようにいわれたんだにゃ)
ネジムはかえってホッとして、小さく呟いた。
「え、バステト神がなにゃんだ?」
「いや、なにもないにゃ」
「いったい全員で何匹集まるんだろうにゃー」
二人が立ち話をしていると、徐々に数が増え始め、ついに一万匹近くの猫が集まった。
「これだけ集まれば十分にゃ」
ネジムは集まった猫たちと共にペルシア人には出来るだけ危害を加えず、タミット奪還作戦だけを行おうと思った。
ネジムは集まった猫たちに言った。
「集まってくれた皆、ありがとうにゃ!」
「にゃー! にゃー! にゃー!」
「実はおいら、バステト神様からメッセージをいただいたにゃ」
ネジムは皆を見渡しながら、昨夜のことを一気に話した。
「にゃおおおー!」
集まった猫全員から歓声が上がった。
「とても大切なメッセージだったにゃ」
集まった猫達は一斉に静まり、固唾を呑んでネジムを見守った。
「この先、大きな試練が襲いかかるだろうとにゃ」
一万匹の猫がそのメッセージに動揺した。
「でも」
ネジムは続けた。
「でも、怒りや憎しみに心を見失ってはいけなと言われたにゃ」
「そうとうな苦戦を強いられるんだろうにゃ」
日ごろクールな黒猫のシェシが語気を強めた。
「バステト神様は、運命を信じ全てを神に委ねるよう言われたにゃ」
「でもあたしたちは神でも人間でもなく猫なのよ。恐怖に心を見失うことは十分にあるわ」
三毛猫テティが詰問した。
「われわれ猫族は生まれながらの愛のセラピスト、愛の光りの存在だと言われたにゃ」
「にゃー」
集まった猫全員が唸り声をあげた。
「愛の光りの存在か……神様は戦うことがわしらの使命では無いと仰せにゃのだ」
古傷が自慢の老猫タオが小さく言った。
「解散しても良いと思うにゃ」
ネジムは皆を見つめた。
「ネジム、あなたはどうするにゃ?」
「おいらはタミットを助けに行くにゃ」
「ネジム、それはにゃいぜ」
戦場に行く気満々のぶち猫ピアンキ。
「あたしだって行くにゃ」
「俺も行くにゃ」
「わしもにゃ」
「皆ありがとうにゃ」
ネジムは胸が熱くなり右手で目頭をこすった。
こうして集まった猫たちが全員タミット救出作戦に参加することになった。
「出発するにゃ!」
ネジムを先頭におよそ一万匹の猫軍団が夜陰に紛れ、ブバスティスの港から数百隻の船に分散して忍び込み、遠く下デルタのペルシウム目指して進軍した。
時に紀元前五二五年二月二十二日未明の事だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます