第15話 裏切り

 首都サイスではアキレスが裏切り者のギリシア傭兵を捕らえるべく、必死の捜査を続けていた。そのさなかイアフメス二世から宮殿に呼ばれた。

 王宮には沢山の猫がいて、思い思いに寛いでいる。

「アキレス、わしはペルシアに備えるため、ギリシア、サモス島の僭主ポリュクラテスと同盟を結ぼうと思う」

 黄金の玉座に座るイアフメス王は青い冠を戴き右手に王笏おうしゃくをもっていた。

 ファラオの膝には毛の長い黒猫が心地よさそうに眠っている。

「いよいよペルシアが侵攻してくるということですか?」

 アキレスは跪いたまま問いかけた。

「そうだ! ペルシアはアナトリア半島まで進軍した」

「しかしながら、王はペルシアとの戦争回避のために、お嬢様をペルシアのカンビュセスに嫁がせたと聞いておりましたが」

「たしかにカンビュセスは娘をよこせと言ってきた。だが、奴は放縦で酒に溺れては残虐非道な行いをくり返す暴君だと聞くに及び、娘の代わりに先王アプリエスの娘を送り込んだのだ」

「カンビュセスを騙したのですか?」

 さすがのアキレスも驚いた。

「あんな奴に可愛い娘はわたせん! だいいちエジプトの威光に傷が付く」

 王は玉笏を強く握りしめた。

「カンビュセスは激怒したのでは」

「送り込んだスパイの情報では、騙されたカンビュセスは激高しエジプトを滅ぼすと叫んだそうだ」

「……」

 アキレスは沈黙した。

「わしはアプリエスを処刑した。ゆえにアプリエスの娘はわしを激しく憎み、父の敵とばかりエジプトを滅ぼせとカンビュセスにけしかけているそうだ」

「……」

 アキレスはあまりのことに言葉を失った。

「もうペルシアとの戦争は回避できんのだ。わしはポリュクラテスと同盟を結ぶ」

 王は立ち上がりアキレスを厳しい面持ちで見つめた。

「ポリュクラテスは曲者です。わたしは信じていません」

 アキレスは顔を上げ王を真っ直ぐ見た。

「ポリュクラテスの戦力は、三段櫂船410隻、50櫂船1000隻、弓兵1000の大軍、エジプトと同盟を結べばエジプト・ギリシア連合艦隊は無敵艦隊となる」

「仰せのとおりですが……」

 アキレスの顔が曇った。

「そちはポリュクラテスが好きではないようだな」

 イアフメス二世は意見を求めるように、顔をのりだした。

「あ奴の二股、寝返り造反は有名です」

 アキレスは眉をしかめる。

「わしも先王アプリエスから反乱軍に寝返り、王となった。もしポリュクラテスがペルシアに寝返るのならば、その時はわしに王としての資質がなかったということだ」

「……」

 アキレスはなにも言えず固く口を結んだ。

「ペルシアは新バビロニアとリュディアを滅ぼした。奴らが我がエジプトに侵攻するのも時間の問題。もはや選択の余地はないのだ」

 イアフメス王は眉間に決意の色を浮かべた。

「畏まりました」

 アキレスは目を獣のように鋭く光らせた。

「わかってくれたか、アキレス。頼りにしておるぞ」

 王は少し前屈みになってアキレスに笑顔を見せた。

「王とはヌビア遠征以来ですからね」

「あの頃は楽しかった」

「平民から王になられ、何かご不満でも?」

「王は窮屈じゃ」

 イアフメスの口元がほころぶ。

「たしかに、あの頃のように、自由気ままに酒も飲めないし女遊びもできませんからね」

 アキレスは今にもベロを出しそうな悪戯っぽい笑みをうかべる。

「ハ、ハ、ハ」

 アキレスの言葉にイアフメス二世は苦笑した。

「倅のプサムテクはわしと違って、生真面目で正義感が強いだけに、王になったら辛い思いをするであろう」

 王は息子のことを案じ眉間にしわを寄せる。

「民に喜ばれる王となられます」

 アキレスは王の不安を払拭しようとした。

「倅にその時間があるか……」

 王は腕を組み目を閉じた。

「エジプトは大帝国です。その威光は永遠に不滅です」

 アキレスは王を励ますように言って胸を叩いた。

「アキレス、ありがとう」

 喜びを額に湛えイアフメス二世は目を輝かした。

「ところで王様。我々の中に裏切り者がいます」

 アキレスは囁くように伝えた。

「なんだと!」

 イアフメスは顔を真っ赤にして玉座から立ち上がった。

 眠っていた黒猫がピョンと跳ね降りる。

「今、裏切り者を捜しているところです」

「まだ見つからんのか」

 王は顔を真っ赤にしている。

「我々ギリシア傭兵団の中に二人いるところまでつかめています」

 アキレスは悔しそうに事実を報告した。

「なにギリシア傭兵団の中にだと!」

 王の顔から血の気がさっと引く。絶対の信頼を置いていただけあってその落胆ぶりは気の毒なほどだった。

「はい、残念ですが」

 イアフメス二世はがっくりして玉座に深々と腰掛け頭を抱え込んだ。

「もはや身内にまでペルシアの手がまわっておったか」

 酷い失望と喪失感がイアフメスの胸を抉った。

「王様、来週、ブバスティスにギリシア傭兵団と共に礼拝に行かれますが、おそらくその時が危険だと思われます。護衛はエジプト軍にさせたほうがよろしいかと」

 アキレスの進言は王に今回は逃げるべきだと言っているようなものだった。

「いや、予定通りブバスティスにはギリシア傭兵団と行く。たとえその中に裏切り者がいたとしても、ギリシア傭兵団はヌビア遠征以来の戦友だ。その戦友の信頼を裏切るわけにはいかない」

 誇り高きイアフメス二世はそう言ってアキレスを見詰めた。

 アキレスはイアフメス二世の目にギリシア傭兵団への厚い信頼を感じ取り「わかりました。わたしが命にかけてもお守りします」と王の前で深々と頭を下げた。

「アキレス、有り難う」

「痛み入ります」

 そう言うとアキレスは再び頭を下げた。

「アキレス、ギリシア傭兵団の指揮官はファネスだが、おまえは勇者として自由に戦ってくれ」

 何かを感じたのか王はアキレスをファネスから自由にした。

「ハッ!」

 アキレスは王に最敬礼した。

 

 ブバスティスのバステト神殿では、大神官アメンナクテが神官パネブを自室に呼んでいた。

「パネブ、おまえはもう用済みだ」

 アメンナクテは冷たい目で冷ややかに言う。

「だ、大神官様!」

 パネブは大神官ほ膝元にすがりつく。

「おまえの落ち度で王暗殺計画が漏れたではないか」

 うせろとばかりにアメンナクテはパネブの手を払いのけた。

「わ、わたしは誰にも喋っていません」

 パネブは必死に身をまもろうとする。

「馬鹿め! 白猫が全部わたしに報告してきたぞ」

 大神官アメンナクテは決定的な証拠をつきつけてきた。

「……」

 唖然として沈黙するパネブ。

「パネブ、潔く死ね」

 大神官の目が冷酷に光る。

「クソ、あなたこそ裏切り者のクセに」

 パネブはたちあがり後ずさりした。

「うるさい!」

 大神官が杖でパネブの肩を強く打ち据えた。

「死ね!」

 パネブは短剣を取り出し大神官に飛びかかる。

 ところがアメンナクテは素早く身をかわし

「地獄へ堕ちろ!」と言って足元の床板をバンと踏んだ。

 するとその瞬間パネブの足下の床板が開き「わあああ」パネブは悲鳴を上げながら落とし穴に落ちていった。

 落とし穴の底には猛毒を持ったサソリが無数にいて、パネブはあっという間に蠍の猛毒の餌食となった。

「わしを差し置き、王になろうとしやがって」

 大神官アメンナクテは、神殿警察を呼ぶと地下のパネブの遺体を回収させた。しかも遺体をミイラにせず、粗末な棺の中に投げ込んで古井戸に落とし瓦礫で埋めたのだ。 

 用心深いアメンナクテは自分の身を守るために、ギリシア傭兵団の中に忍ばせた暗殺者をわざと国王に売ることにした。

(メネラスとシュロソの裏切りをわざと王に知らせよう。そうすればワシが疑われることはないだろう。どうせ暗殺者はペルシアからも来るのだ)

 大神官アメンナクテは国王の使者に、謀反者のパネブが吐いた情報として、ギリシア傭兵団のメネラスとシュロソがファラオ暗殺を企てていると報告した。

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