兎の担架兵(8)

 その強烈な慣性で体が振り落とされそうになるのを必死でこらえた。事前の警告も無しにこれほどの加速をするなど砲撃を受けている最中も無かったというのに。


「おいマリア、一体どうし――」

「伏せろ!」


 閃光の雨。

 長く途切れない暴音。

 線状に抉れ飛ぶ地面。

 右側にある木々の梢を消し飛ばして、発射された何かが自分たちの僅か左に追従した直線の攻撃を晒す。

 それは何メートルも頭上を通過したにも関わらず、体の芯までしびれさせる衝撃波と爆音で襲い掛かって来た。

 そして、頭をかばった腕の隙間から右に視線を向けてその正体を知った。


「Ka-52、アリゲートル……戦闘ヘリだと!?」

 森林が途切れ開けた視界の空には、見間違いだと思いたい鋼鉄の暴威が飛翔していた。戦闘ヘリがこちらに機首を、そこに装備した機関砲を向けつつ、自身の右手側となる方向へ移動している。

 対空ミサイルを避けるための、木々の影に隠れるほどの低空飛行。その近さたるや、手を伸ばせば掴めそうに錯覚するほどであった。

 先ほど地面をえぐった一閃の射撃は、ヘリに搭載された30ミリ機関砲によるものだ。


「なぜこんな物が塹壕戦線に!?」

「本部が言っていた”航空兵器”とやらはこいつの様だな」

「ふざけてるっ、なにが徘徊ドローンだ、なにがこちらに来るはずないだ!」

「米軍の情報網に助けてもらっても、混沌とした最前線の戦況把握は困難という事だ。お前だって身に染みているだろう」


 確かにいわゆる上層部からの情報や予測は当てにならない事が多く、基本的に最前線では不測の事態を前提として行動方針を立てる物だ。だが、よくあることだからと言って、命を懸けて戦う最前線で情報に誤りがあることは受け入れられるものではない。それに、ドローンが重戦闘ヘリに化けるなんていくらなんでも度が過ぎている。しかも自分たちはスティンガーの様な携帯ミサイルは持っていないし、中距離地対空ミサイルを発射する防空システムは、近傍の物は補給が間に合わず空の状態であった。

 こちらの内心をくみ取ったのか、マリアが言う。


「おそらく、北でこちらの機甲戦力を狩っていた戦闘ヘリ部隊の一機だ」


 それがここに居る理由が余計に分からない。


「撤退する俺たちをしつこく殺そうとしていた敵将、よっぽどいいご身分らしい。正式な命令による運用ではなく、ごく個人的なで呼び寄せやがったな」

「ちくしょう、こんなことが。どうするマリア!」

「取り敢えず歯を食いしばれ!」


 話しながらもにらみ続けていた、いや、目を話すことを兵士の本能が拒否していた機関砲、その銃身の側面が見えなくなり、黒く深い砲口の形が真円に変わる。銃身がこちらへ完全に向きを合わせたのだ。

 背筋が凍り付く。

 だが、死の射撃が放たれる前にマリアが動いた。左のストックとスキーの駆動機の力を瞬発させて右へ急激な軌道変更を打った。それは前進しながら右へ移る動作、ヘリの方へ近付く軌道だ。

 機関砲が火を吹いた。

 曳光弾の光は五発に一発。つまり、目に見える五倍の量の弾丸が超至近から襲い掛かってい来る。

 右へと起動する自分たちを射撃が地を吹き飛ばしながら追いかけてくる。


「――っ」


 射撃の着弾が自分たちへと近づき、重なろうとして思わず目を閉じそうになる。だが、自分たちを射線捉えるその寸前に射撃が止まった。

 ヘリの真下へ潜り込んだのだ。マリアの狙いはこれだった。

 ヘリの機関砲は稼働範囲が広く、陸上の物体が一度捉えられれば回避は絶望的だ。しかし、真下には打てない。そこが死角となる。マリアはこの状況で唯一生き残れる可能性を瞬時に選択肢して行動し、その結果自分たちは助かったのだ。

 だがその安心はマリア自身の声によって破られる。


「気を抜くな!」


 ヘリが動いた。

 こちらの頭上から左手側へ、地上を走る自分たちとは比べ物にならない速度と安定性で瞬く間に射界を確保できる位置まで移動していく。

 マリアが回避軌道を取る。

 右前方、進路に対して2時の方角だった。ヘリの下へ潜り込む動きではない。

 ヘリはその運動特性を生かして、進路をこちらと同期したまま尾翼を向けていた胴体を回転させて機首を向け、機関砲をこちらに向ける。更に今度は下にもぐられないように距離を離しながら照準を定めてきた。マリアは同じ手が二度通じないことを承知していたのだ。

 再び猛射が来た。

 マリアはS字に蛇行して、速度を落として機関砲の射線から後ろに下がる。目の前を閃光が穿ち抜けていく。

 だが、敵の攻撃の威圧に押されてたまらず声を上げた。


「減速して照準を避けても修正されるぞ!」


 前に出る時とは異なり、減速による後退には停止という限界点がある。それに減速による回避は速度を落とすほどに敵の攻撃を受けやすくなるはずだ。

 そして、予測の通りに曳光弾の流れがこちらへ近づいてくるのを見た。

 体に緊張が走る。

 その刹那、自分たちとヘリの間に遮蔽物が現れた。

 深い雪に埋もれぬ道しるべとして植えられた木々の群れが、ヘリの照準から自分たちを隠す。機関砲の掃射は木々を紙のように打ち抜ぬくが、こちらへ迫っては来ない。マリアは樹木の爆裂で生じる木片の衝突に怯む事無く、射撃の散布界ギリギリの後ろを追いていく。だが、遮蔽があっても弾丸が通るならば、相手の位置を予想して掃射をするのが機関砲の使い方だ。

 目の前を通過している射線がこちらへ近付き、進路に対して後方へ向けられる。

 だがまさにその瞬間、マリアが跳躍した。僅かな地面の盛り上がりを利用した跳躍は高さ5メートルに達し、迫っていた機関砲の射線を飛び越えた。そして着地と同時に今度は加速し前方へ進み出る。射撃による木々の破壊がどんどんと後方へ離れていった。

 そこでようやく遮蔽物に隠れる直前にマリアが減速した意図を知る。


「姿を隠す直前に減速し、森に隠れた時、後方に下がっていると敵に予測を誤認させる。だが実際は射線を飛び越えて前に出て確実に回避したのか」


 脅威的な攻撃にさらされながら、なんという冷静さ、正確な判断力。

 運動能力だけではない。この獣人兵士は自身の能力を最大限に生かし、敵に状況を見誤らせて窮地を突破する戦闘の才能を持っていた。

 マリアの能力に感嘆していると、その彼が不意に右手をストックから外した。担架が接続されている背部の金属フレームはショルダーハーネスと接続され、チェストベルトのように前側へ回り込んでいる。その部分に手を当てる動作をするのが後ろから見えた。

 背中が戦慄く。

 反射で叫びをあげた。


「待て!二人を捨てるな!」





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