兎の担架兵(7)

「あれを――ドローンを何とかすればいいんだろ!」

「何をする気だ、おい止せ」

「そいつを貸せ」


 叫びながらマリアが体側に備えていたライフルを担架の隙間から掴み、スリングをナイフで切って奪い取る。そして自分の体を担架の上で仰向けにして、ベルトで固定し、ライフルを上方へ構えた。


「マリア、一秒で良い。加減速と転換を止めて、等速で直線移動を保ってくれ」

「ドローンを狙う気なら聞かんぞ。移動体から移動体への射撃なんて当たるわけも無い」

「当てる、必ず……!」


 こちらの少し後方で追従して来るドローンへ銃身を向ける。マリアのライフルは獣人用にカスタマイズされ、照準器はアイアンサイトで、バレルは切り詰められている。トリガーガードは無く、グリップには外装義手と接続して引き金を引くワイヤーが繋がっている。中距離でサブマシンガンとして代用するために命中精度を下げても連射力を高めたものだ。狙撃用とは真逆の調整である。

 だが、それでも狙う。

 ドローンを狙う事は初めてではない。今までも成功したことは無かったが、小銃で撃ち落とそうと試みたことはある。今、狙っている機体はその時と同じ機種だ。以前の経験と、機体のサイズや見える姿勢で高度、速度を予測し、照準器を機体に合わせた後、偏差を考慮して予測通過点に照準を持っていく。

 だが、砲撃が来た。

 体が激しく振動し、重い銃が手から離れそうになるのを必死に耐える。

 回避軌道が終わったのを感じ、再び銃を空へ構えた。

 マリアが砲撃の残響に劣らぬ大声で呼び掛けてくる。


「無理だ、コースチャ」

「やるんだよ、絶対に」


 自分がしようとしていることは物事の線引きをわきまえない愚行に見えるだろう。だがこれは最後の希望だ。死んだリョーシャの尊厳を守り、シーマの命を助け、マリアの命も守る、全てを救う最後の手段がこの一撃だ。

 着弾。

 爆発。

 衝撃。

 回避軌道で再び目標を見失う。飛び跳ねた小石が銃弾の様に左肩へ突き立った。衝撃が指先まで走り、生ぬるい液体で服が濡れる感触が伝う。それでもまた銃を構える。


「コースチャ!」


 何故そこまでするのか。それは自分でも分からない。ただ、過集中によって遠くなる聴覚に入った呼びかけへ言葉が湧いた。


「――こんなものに、負けてたまるか」


 その相手が何かは分からない。暴戻を尽くし全てを破滅させる敵か、最善を以って仲間を見捨てる味方か。あるいは自分の中にある――。

 だがたとえそれが何であれ、向き合う言葉は変わらない。


「負けるものか……!」


 マリアはもう何も言わない。

 瞬間、周囲の景色が流れる速度はそのままに、体に掛る全ての揺らぎが消えた。アイアンサイトとドローンの相対位置が固定される。その間に照準を定めた。

 撃った。

 一発だ、連射ではない。四人の尊厳と命を懸けた一発は宙を渡り、青空へと吸い込まれ。

 その射線にドローンが飛び込んで銃弾が命中した。

 プロペラ翼の一枚を砕かれたドローンが錐もみして落ちていく。

 マリアが猛烈な加速で前進した。その直後に寸前までいた場所へ砲弾が落下し、手から抜け落ちたライフルと落下中のドローンがもろともに巻き込まれ、爆発の彼方へ消え去っていった。

 担架の上で緊張が途切れた反動の喘鳴を上げる。今更になって石片が突き破った左肩から痛みを感じた。

 数秒か、あるいは数分だったかもしれない放心から帰ると、周囲の景色に変化があった。進路に対して右手側に森林がある。それは砲撃によって枝葉が消し飛んだ灰色の立木ではなく、未だ葉を茂らせている普通の木々だ。見通しを遮断する貴重な平野での遮蔽物は、逃走者に有利をもたらしてくれる。

 その木々の列を仰向けのまま横目で眺めていると、頭の後ろから声が掛って来た。


「まさか、本当にやって見せるとはな。どうやら、破滅的な良心を制御できない未熟者という訳ではないようだ」

「そいつは……ありがたいことで」


 マリアから賞賛と、遠回しに今まで低い寸評を受けていたことを聞かされながら、体を起こし再びうつ伏せの姿勢で担架に掴まる。


「だけど、俺の判断であんたを危険にさらしてしまった。それは申し開きも無い」

「そこについてはまだ許していない。他部隊の人員を巻き込んだんだ。うちの怖いボスから譴責けんせきをくらうぞ、覚悟しとけ」


 この巨体で厳めしい面と声の兎獣人を従えさせるボスとやらを想像できず、背筋に冷たい汗が流れ頬がひきつった。


「だが、まあ、それはそれだ。結果として三人の命と一人の尊厳を守ったのはお前だ。その結果だけは賞賛に値すると言えなくもなかろう」

「……俺だけの成果じゃねえよ。頼んだとおりに、いやそれ以上に走行の影響が抑え込まれていなければ当たりはしなかった。感謝するよ、マリア」

「なんのことを言っているかわからんな」

「ふ、そうか」


 この兎獣人は、どうやら頑固なまでに自身の善良さを隠したがる性分らしい。感謝の受け取り方も、人を褒める言葉も遠回しなものであるようだ。だが、それでも自分の無理筋な判断を不合理と切り捨てずに評価してくれたことは、万謝の念に堪えなかった。

 そんなことを思っていて、ふと気が付いた。


「砲撃が止んでいる?」

「敵の観測設備の死角にようやく入り込めたな」


 森林の横を走りながらマリアが答えた。


「この座標は森林と僅かな高低差で地上からの光学装置による観測が困難になる。その上ドローンまで破壊されれば最早こちらに狙いを付けるすべはない」


 奇蹟的生じた安全地帯であるという事だ。そして、マリアの撤退進路が最初からこの場所を目指していたことを理解した。砲撃を回避するために直線の退避進路を取れなかったように見せて、その実、この座標を無数の砲弾を交わしながら巧みに進路を変えて目指していたのである。


「ドローンが出てきたときはそれも無駄になったかと思たが、誰かさんの無茶でその心配も無くなった。それでもあと何回かは斉射を受けることも想定していたが、潔く諦めてくれたようだな」

「なら、もう敵の攻撃は無いと」

「ああ、このまま我々の拠点である野戦基地へ無事に送り届けられる」


 それを聞いて、体から力が抜け担架へもたれかかる。幾度もの危機があったが、ようやくそれらを切り抜けたらしい。結果だけ見れば、リョーシャの遺体も回収し、シーマを連れて無事に全員で後方へ退避できる。

 急激にのしかかってきた疲労で喋る気力も無く、走行の揺れに身を任せているとマリアが話しかけてきた。


「お前の、戦場において人間らしい良心を捨てない行動指針……」


 わずかな間があく。


「合理的な取捨選択の冷徹を受け入れられない頑固な意気地なしかと思ったが、戦場の惨禍の中でも善心を捨てぬ強い信念らしい。それが最上の結果をもぎ取ったことは、正直少し痛快ではあるよ」


 予想外の率直な心情の吐露に、驚いて頭を上げマリアの後頭部と耳を見る。その姿には何の変化も無いが、この口の悪い兎獣人が少しだけでも自分に信頼を置いてくれたのかもしれない。久し振りに少しだけ自分の顔に笑みが出るのを感じた。

 担架兵の疾走は続き、恐らく終着点は遠くない。それを想い、緊張の代わりに僅かな安堵が生まれた。

 そして、自分の左の担架に固定されているシーマへ話しかける。


「シーマ、頑張れ。基地に着けば外科設備もある筈だ。希望はあるぞ」


 呼び掛けに重症の部下はうめき声をあげた。大丈夫、まだ生きている。そう自分に言い聞かせた時だった


「なんだ、これは」


 マリアが切迫した声を上げる。


「どうしたん――」


 問いかけが終わる前に、マリアが猛然と加速を打った。





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