第3話

2


 一体その華奢きゃしゃな体のどこにそんな力があるのか。俺は昼下がりの町に引きずり出された。男は何を勘違いしたのか助けてくれると勘違いしたらしい。興奮気味に感謝の言葉を述べながら、道を案内している。

 家から数百メートル離れたところに現場はあった。現場の全容は野次馬が群がっているせいで見えない。……つくづく、人間という連中は。愚かさにため息も出ない。

 男が娘の名前を呼びながら人をかき分けていく。躊躇することなく、その後ろをまっすぐについて行く彼女。その右手は、俺の手首をがっしりとつかんで離さない。彼女が前へ進むものだから、俺も必然的に連れていかれる。

 そうして人の壁を抜けた。電柱に衝突した黒い車、そのそばにポツンと横たわる十歳ほどの少女。日差しが強く、たった数分の外出にもかかわらず汗が噴き出していた。シャツを仰ぎながら、俺はかがみこんだ。出血は止まっておらず、顔色も悪い。男より重症なのは明らかだ。

 俺は顔だけを男のほうへ向ける。


「で?」


 冷めた声で問うた俺に、男が吠える。


「早く何とかしてくれ!」


 俺は隣にいる少女に体を向けた。


「君はどう思う」

「わ、私は」


 彼女は目をあちこちにさまよわせた。先ほどの威勢はどこへやら。血を見たせいかすっかり怯え切っている。その手は震えていた。帰ってもいいんだぞ、と促そうと立ち上がりかけたときだった。


「私は」


 迷いなく、芯のある声が鼓膜を揺らす。


「――助けられるべきなら、助けなければならないと思います」

『いい? 人のために、魔法を使いなさい。それが私たち魔法使いの義務よ』


 優しい声色で少年の頃の俺の頭をなでた師匠は、その人間に裏切られてんだ。

 めまいを覚えた。

 魔法を久々に使ったからだろうか? きつく目を閉じ、やり過ごす。頭の中に焼き付いた血まみれの少女の姿が、師匠の最期と重なる。あれだけいつくしんでいた人間に罵詈雑言を浴びせられ、大小さまざまな凶器で刺されていく親代わりの人。それをクローゼットの中で震えて見ていることしかできなかった俺。

 人のために、使いなさい。


(師匠。俺は貴女ほど気高くはないです。魔法は、自分のためにしか使えません)


 目を、開く。

 俺は過去の自分を、救うために――魔法を使う。


「<asrnea《治れ》>、重ねて、<asvmuiv《生きろ》>」


 唱えた瞬間、少女の全身が光る。淡い光が消えると、そこには傷一つない少女の姿があった。血にまみれた服は、やっぱりどうしようもない。俺は未熟です、師匠。あなたの言ったことを、ひとつしか守れていません。

 父親が駆け寄って、俺を軽く押しのけると娘の手を握り締めた。そして名前を呼ぶ。何回目かで、少女が目を開いた。状況を飲み込もうとあたりを軽く見まわし、思い出したのか父親に思いきり抱き着いた。子どもの泣き叫ぶ声、父親の感謝を言う声、セミの鳴き声。遠くから、そんなものが聞こえていた気がした。

 足が根を張ったように動かなくなる。

 好奇の目、嫌悪の視線、そして言葉。一つ一つは小さな音でも、波のように大きくなって俺のもとに届く。中には傍らにいる少女を侮辱するものもあった。魔法使いなんかにたぶらかされて汚らわしいと嗤う言葉、不幸だと嘆く声もあった。


(おまえたち人間がこうしたんだ)


 親と死別し、一人暮らし続ける少女。本来であれば彼女は親に抱きしめられたり、感情を分かち合ったりしていたはずだ。目の前の、親子のように。

 先に奪ったのはそっちだ。

 ――だったら、奪い返してもいいだろう?


「先生」


 上から声が降ってきた。


「魔法って、すごいですね」


 その呪文は、深いところに落ちていた俺の意識を浮上させるには十分だった。顔を上げる。涙ぐみながら彼女は親子の再会を我が事のように喜んでいた。

 暗雲のように立ち込めていた気持ちが吹き飛んでいく。

 俺が魔法を使って、ここにいる人間を皆殺しにしたら、彼女は確実に嘆き、悲しむだろう。かつての俺のように。

 ……それは、人間こいつらがしたことと変わりない。

 眩しさに目を細め、俺は言った。


「ああ。すごいよ」


 ――君は。

 口の中でそう呟いた。


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