コンプライアンスの番人……社外取締役監査等委員の正義……

東野要郎

第1部 2019年度 第一章 就任する

【エピローグ 1】  

2021年6月29日

「両角さん、お疲れ様でした。やっと終わりましたね」

「東野さんこそお疲れ様でした。今まで大奮闘でしたね。良く戦ってくれました。」

 王子駅の「北とぴあ」で開催された、株主総会の後、両角は、上野公園のテラスハウスレストランにお互いの慰労会をやろうと東野を誘って、ビールで乾杯していた。

「今日の結果を踏まえると僕らの行動は、株主のため、社員のため、つまりステークホルダーの利益になったのでしょうか?」東野は両角に問うた。

「私は、我々の監査等委員としての有事への対応の真の評価は、法的判決と考えます。まだ、刑事案件や民事案件の結果が出ていません。東野さんは、上場会社である日帝工業株式会社の社外取締役監査等委員として『正義』を貫き通したし、ステークホルダーの正義の味方』でした」


《第1章:就任する》

〔主な登場人物〕

日帝工業株式会社

代表取締役社長   :山本金一(ヤマモト キンイチ)

代表取締役会長   :新井泰司(アライ タイシ)

専務取締役     :明神 努(ミョウジン ツトム)

常務取締役     :甲斐 俊(カイ スグル)

常務取締役     :新井 泰(アライ ヤスシ)

取締役       :椎名史和(シイナ フミカズ)

常勤社外取締役   :東野要郎(監査等委員) (ヒガシノ トシロウ)

非常勤社外取締役  :両角正義(監査等委員) (モロズミ マサヨシ)

非常勤社外取締役  :佐藤純雄(監査等委員) (サトウ スミオ)

・名誉会長      :明神 要(ミョウジン カナメ)

・執行役員総務部長  :雲井修郎(クモイ ノブロウ)

・執行役員企画管理部長:竹腰 昇(タケコシ ノボル)

・日帝ベトナム会社社長:田村茂雄(タムラ シゲオ)


【ヘッドハンティング】               

「東野さん、ご無沙汰しております。下河原です。憶えていらっしゃいますか?」

六二歳まで勤めあげた、日輪産業を退職した際に会社から紹介された人材派遣会社、ランドマーク社の下河原から電話があったのは、2019年3月初旬であった。

「ご無沙汰です。お元気でしたか?」

「元気です。東野さん、再就職はどうされていましたか?」

「日輪産業の役員だった先輩からの紹介でアスカホールディングスという会社の内部監査室で内部統制システムや輸出管理制度の再構築に従事しています。」

「今日お電話させていただいたのは、ある会社から監査等委員をリクルート依頼されており、東野さんにどうかと考え、連絡させていただきました。ご興味ありますか?」

「今の会社は、仕事的には不満はないけれど昭島にあり、ちょっと通勤がきついので・・・興味ありますよ。何という会社ですか?」

「上場会社で日帝工業株式会社といいます。アルミ製品とプラスチック製品を製造・販売しており、年商800億ほど。東野さん、『網戸のいらないシャット・サッシ』ってご存じですか?」

「知っています。テレビでも宣伝していますよね。ホームセンターでよく見ますし、自宅にも取り付けています」

「その日帝工業の監査等委員の方が70歳になり、もう引退したいとのことなので、東野さんを後任として紹介しようと考えました。いかがでしょうか?」突然の電話で、転職の斡旋情報に回答を求める下河原の対応に少し不快感を覚えながら何か焦っている状況が感じ取られた。東野は、アスカホールディングスでは、内部監査室の部長職である。下河原からの新たな役員職の紹介は、日輪産業時代に国内外で培った経験を今以上に発揮できるポジションであり、向上心を刺激された。

「下河原さん、いい話で興味もありますが、ちょっと時間をいただけますか?自分なりに会社を確認したいので。仕事内容は下河原さんもご存じのとおり、日輪産業のグループ会社で監査役の経験もありますから問題はないと思います」

「わかりました。いつまでに返事いただけますか?先方の選任候補担当者に連絡しなければなりません」

「上場会社ですので、ホームページはあるでしょうし、情報も取り易いので、明日、返事させていただきます。それでよろしいでしょうか?」

「明日返事いただけるのであれば、問題ありません。助かります。よろしくお願いします」

東野は、昭島のアスカホールディングスから帰宅後、早速、ネットで日帝工業株式会社のホームページを訪れた。会社概要を見ると本社は東京都北区神谷町にあり、国内に工場が五か所(青森工場・宮城工場・流山工場・岐阜工場・秋吉工場)あり、海外拠点として4か所(ベトナム・インドネシア・タイ・中国)にも工場を設けていた。

「北区神谷町が本社か。今の半分の時間で通勤できるな」と独り言ちした。東野は、文京区護国寺に住居を構えている。今のアスカホールディングスの本社がある昭島までは、有楽町線で護国寺駅から市ヶ谷まで行き、市ヶ谷からJR総武線に乗り換え、四ツ谷駅で中央線に乗り換えねばならない。青梅線直行がなければ再度立川駅で乗り換えを必要とし、ドアtoドアで1時間40分ほどかかっていた。日帝工業本社までは、通勤時間は40分ほどで済むようだ。決算短信や有価証券報告書等で業績を確認した。気になったのは、製造会社でありながら.営業利益率が、2.3%と低利益率であったこと。また、連結では利益がでているものの国内単体では、五年連続で赤字であった。利益については、海外拠点に依存しているようだ。財務諸表で特徴的であったのは、負債の部で借入金がゼロを継続していることであった。東野が定年まで所属していた日輪産業株式会社も借入金ゼロを決算の目標とし継続していたため日帝工業の無借金経営には親近感を覚えた。東野は、総じてアスカホールディングスよりもメリットが多いため転職の決意を固め始めたのであった。

 翌日、東野は、勤務終了後、下河原へ電話した。

「下河原さん、ぜひ、日帝工業様へ監査等委員候補としての紹介お願いします。」東野は率直に伝えた。

「東野さん、良い返事ありがとうございます。早速先方へ連絡いたします。ただ、東野さんもご理解いただけていることと思いますが、当然面接がありますし、面接で日帝工業が、東野さんに決めても上場会社ですから、株主総会決議で最終決定となります。よろしいですね。面接後の決定は、内定となります。ただ、上場会社といっても日帝工業は、オーナー家一族が30%以上株式を持っているので、面接で内定すれば、株主総会でも決議されるでしょう。今までの株主総会も異議を唱える株主もいませんでした」東野は、昨日、株主構成も確認しており、今のアスカホールディングスも上場はしていたが、オーナー会社であったので予想できた回答であった。

「報酬については、東野さんの昨年の源泉徴収票を提出していただき、交渉となります。」

「下河原さん、一つ条件を聞いていただけますか?」

「何でしょうか?」

「アスカホールディングスでは、内部監査室におり、グループ会社の年度監査報告書を作成しております。親会社が上場しているのでやはり、株主総会があり、その前にグループ会社の株主総会も開催します。転職時期の希望ですが、今の仕事をやり遂げて転職したいので6月20日以降でよろしいでしょうか?」

「日帝工業さんの今年の株主総会は、6月26日です。その決議後の正式な就任となりますから、問題ありません。先方に確認します。あと面接の日程を調整させていただきます。3月の東野さんのご都合で調整できない日がありましたら教えてください。また、東野さんの履歴書・職務履歴詳細書を先方に提出してもよろしいでしょうか?」

「ちょっと待ってください」東野は手帳で予定を確認した。

「アスカホールディングスの3月の取締役会は、20日ですからその前後を外して三日前くらいまでに連絡いただければ、調整できます。できれば、午後からを希望します。履歴書や職務歴詳細書は、最新の状態にして明日メールで送付します。下河原さんのメールアドレスは変わっていませんか?」

「日程、早急に調整して連絡します。履歴書関係、お待ちしております。メールアドレス変わっておりません。よろしくお願いします。また、その他情報等必要であれば、連絡ください。今日は、お電話ありがとうございました」東野は、二年前の株主総会招集通知で今回退任する常勤監査等委員の乾氏の経歴を確認した。彼は、日帝工業の取引先銀行の四井勧業銀行出身で、同社で常務取締役財務経理部長を歴任して常勤監査等委員を二期四年務めていた。来期の候補者として、取引先銀行からの候補者がなかったのかは気になったことであった。二日後、下河原から連絡があり、三月は日程調整ができず、4月2日でどうかという問い合わせがあった。東野にとっても月末より、月初の方が都合をつけやすく調整できることを返事した。面接時間は午後4時30分からとなった。東野は、まだ、面接前ではあったが、新たなフィールドにチャレンジできることに夢を馳せていた。

 4月2日、東野は、アスカホールディングスの仕事を午前中までに切り上げ、午後は年休を申告していた。日帝工業の本社は、北区神谷町にあり、最寄り駅は、東京メトロ南北線の王子神谷駅であった。乗換案内で確認すると昭島からは、1時間30分ほどかかるが、今は12時30分、昭島駅のショッピングモールでゆっくりランチして向かうことにした。東野は、今の護国寺の自宅を購入前に二年ほど東十条の賃貸マンションで生活していたことがあり、王子近辺には、多少土地勘があった。午後4時10分、王子神谷駅に到着し三番出口から北本通りを北上すること五分、両サイドに住宅マンションが立ち並ぶ住宅街であった。神谷一丁目交差点で大通りを西側に渡ると一ブロック先に日帝工業株式会社の本社があった。近くを散策するともう少し西に入ると東十条銀座商店街があり、生活し易そうな街である。本社ビルは、八階建で一階と二階が受付兼ショールームとなっており、屋上には、「軽量豪傑、シャット・サッシ」の宣伝文句のある看板が据え付けられている。

「本日、16時30分にアポがある東野です」

東野は、受付デスクにある電話で下河原からの指示通り、総務部へ連絡を入れた。

「東野さん、お待ちしておりました。入口奥にあるエレベーターで三階までおいで下さい」

東野は、エレベーターで三階まで上がると、エレベーターホールには、制服をきた女性が待っていてくれており、総務部の中にある小会議室へ案内された。三階のフロアには、30名ほどの社員が机に向かって仕事に従事していた。窓際の役職席と思われるひな壇の机にいた50歳は過ぎている小柄な男性が、会議室に東野が入ると同時に動いた。

「初めまして、総務部長の雲井修郎です。本日は、本社までご足労いただきありがとうございました。」と雲井部長は、東野に名刺を渡しながら挨拶した。肩書は、「執行役員総務部長」となっていた。

「東野です。初めまして。よろしくお願いします」東野もアスカホールディングスの名刺を渡しながら挨拶を返した。この時、五か月後にこの雲井本人からの電話で有事に巻き込まれるとは、想像すらできなかった。

「東野さん、今日の面接は、八階の社長室で行います。出席者は、山本社長と椎名執行役員経理財務部長と私、雲井の三人です。東野さんの履歴書や職歴書は、既に拝見させていただいております。事前にお送りいただきありがとうございました」

「稚拙な内容で済みません」

「いやいや職歴内容も詳細に書いていただき分かり易かったですよ。社長から色々質問が出ると思いますが、率直に回答いただいて構いません。今日は、この後は何か予定ありますか?」

「いえ、特に予定ありません。」

「わかりました。それでは、上がりましょう」雲井部長は、東野に会議室から出ることを進めて、エレベーターホールへ向かった。

 八階のエレベーターホールには、社長の秘書と思しき女性が、2人を迎えてくれ、社長室へ案内した。社長室は、典型的なレイアウトで窓を背に机、その前に来客用の6人掛けのソファー、机横には小会議用の10人掛けのオーバルテーブルがあり、東野はそのテーブルの客席側の真ん中に座るよう促された。着席後、男が二人、部屋に入ってきた。一人は、山本社長であった。東野は、日帝工業のホームページのトップメッセージで山本社長の風体を確認していたのですぐわかった。従ってもう一人は、椎名執行役員経理財務部長であろうと判断した。山本社長は、着席前に

「東野さん、初めまして。日帝工業代表取締役社長の山本金一です。こちらは、執行役員経理財務部長の椎名です。よろしくお願いします。」と名刺を渡しながら挨拶した。

「経理財務部長の椎名史和です。」椎名も山本に続き名刺を渡しながら改めて挨拶した。

「東野要郎です。よろしくお願いします」東野は立ち上がり、同様に二人に名刺を渡しながら挨拶を返した。東野の正面には山本社長、向かって右側に椎名、左側に雲井が着席した。

「東野さんは、今日お仕事はどうされましたか?」早速、山本は、”面接”を開始した。

「はい、午前中のみで午後は年休をとりました。」

「今のアスカホールディングスには、どういう経緯で入社されたのですか?その前は、総合重電家電メーカー日輪製作所のグループ会社に務められていたようで・・・」

「日輪製作所の子会社である日輪産業に入社して2018年3月まで日輪産業グループに従事しました。日輪産業は、科学機器や半導体製造装置、液晶製造装置を製造、販売しており、アスカホールディングスはその仕入先の一つです。日輪産業を退社の年の2月に半導体製造装置関連事業で役員を務めた先輩の方から『取引先で内部統制や輸出管理で困っている取引先がある。君に手伝ってもらえないか?』と依頼があり、その関係で入社しました」

「職歴を拝見すると管理関係と記載されていますが、経理とか財務関係ですか?」椎名経理財務部長は質問した。

「販売会計の管理がメインでした。営業活動のバックオフィス的な、営業本部の年度予算、実算管理や個別顧客の与信、契約・受渡・入金・支払までの管理業務をしておりました」

「海外駐在の経験もあるようですね」

「二回あります。1988年から4年間アメリカ会社、2003年から3年、シンガポール会社です。何れも管理部門で、総務、経理、営業管理の業務を行っていました。シンガポール会社では、シンガポールがアセアン統括会社でしたのでタイ会社・マレーシア会社も取締役として管掌していました。」

「アメリカはどちらの地域でしたか?」雲井は続けて質問した。

「88年から2年間サンフランシスコ支店、90年から2年間は当時のシカゴ本社に転勤しました。」

「私も86年から6年間、ここに来る前の銀行でニューヨークに駐在していました」この時、雲井が銀行出身であったことを東野初めて認識した。

「東野さんは、当社のどこに興味をもたれましたか?」山本社長は、当然の質問をした。

「堅実な業績と無借金経営です。ニッチになってきたアルミ・プラスチック業界で製造・販売を一貫して行って安定的な業績を継続していることと、機械物販売のように纏まった売掛金でもないのに債権回収に努力され無借金経営を継続していることは、取引先との信頼関係やお互いのビジネスが良好でないと続けられません」

「当社経営の留意点等ありますか?」山本は続けて質問した。

「まだ、決算概要しか拝見しておりませんが、利益率が低いことでしょうか?特に営業利益率は製造業としては、一般的には5%以上を求められます。あとは、単体決算としての赤字でしょか」東野は深入りしないように表面的な回答に努めた。

「お客様は、自社製品、OEMにしても大手の会社中心で売掛金の回収も含めて安全で助かっています。しかしながら、大手のお客様は、単価に厳しく原料が高騰したからといって簡単に値上げに応じてもらえず利益については苦慮しています」山本社長は、うなずきながら答えた。

「自社製品は、材料費が原価の六割を占めていますから。一番大きな影響は、原油の値上がりです」椎名が補足するように回答した。

「監査等委員の経験はありますか?」   

「監査等委員会設置会社での経験がないので監査等委員としての経験はありません。ただ、日輪産業のグループ会社2社の常勤監査役を務めておりましたので、監査役・監査等委員の基本業務は理解しております」山本の質問に回答した。

「工場経営にはどのように関与されましたか?」

「主に二つあります。職歴書に記載のとおり一つは、監査室時代に日輪産業の工場、グループ会社の工場の監査の経験があり、生産性や品質管理の取組等をはじめ業績向上させるための経営監査を行いました。二つめは、監査室の後にロジスティックス統括部に異動となり、全世界の資材調達から出荷関係の物流に関わっておりました」

「監査室の後にロジスティクスに関わったことは珍しいですね。」

「監査室からの異動直前の実査が物流関連部門でした。監査の調査でその当時、日輪産業グループ全体で年間物流費が、100億円費用計上されていました。しかしながらその費用が妥当なのかどうか検証する部門がなかったので、『統括する部門を設立すべき』ということを監査の結論の一つとして、常務会で提案しました。『設置を認めるから、東野君やってくれますか』が常務会の承認条件でその場で異動の辞令を受けました」

「ロジスティクス統括部では、どのような成果をあげられましたか?」

「資材調達物流のミルクランの再構築、生産から顧客までの一貫輸送、梱包の見直し、貿易取引建値の見直し等を工場の生産管理部や営業部門の協力の下で行い、10%削減することができました」

「10%削減!10億の物流費低減は、大きな成果でしたね」山本は、興味ありそうに言った。

その後は、山本社長が日帝工業の工場や海外拠点の状況、来年度の予算方針などを1時間ほど延々と説明であった。そのあと、面接を切り上げの兆しか、椎名と雲井に確認するように

「どうですか?」と問うた。

「よろしいと思います」と椎名の回答

「私も決めたいと考えます」雲井は同意するように発言した。

「監査等委員と連携必須の財務経理部長、総務部長に了承いただければ、私としても選任しやすいです。東野さん、監査等委員として選任候補となっていただけますか?」山本社長は自身も決断して東野に伺った。

「ぜひ新たなフィールドでチャレンジさせてください」東野は迷うことなく返事した。

「奥様に相談しなくてよろしいですか?」山本は、笑顔で確認してきた。

「今度『“シャット・サッシ”の会社に転職が決まった』と報告すれば、喜ぶと思います。彼女もアスカホールディングスより御社の方のネームバリューをよく知っていますので」

「じゃあ、決まりでよろしいですね。雲井さん、この後は大丈夫なの?」山本は、雲井に聞いた。

「はい、東野さんのご都合も確認しました。特に予定はないと伺っています」

「それでは、突然ですが、この後、新しい仲間の歓迎会を開きたいのですが、東野さん、参加していただけますね?」

「喜んで参加させていただきます」東野も緊張が解けたのか笑顔で言った。

既に一八時を過ぎており、そのまま同メンバーで会社近くの小料理屋「手毬」の二階の個室に入った。部屋に入るなり、

「女将の小野鞠子です。よろしくお願いします。山本社長お久しぶりです」と女将がおしぼりを持ってきて挨拶した。

「山本様、お通しと御造りをすぐお持ちしますが、飲み物はどうされますか?」

「最初は、ビールでよろしいですか?」と山本が三人に尋ねた。みな同意して会食が始まった。東野は、この料理屋も予約されていたことから会食を前提にした面接であったことを知った。会食時は、山本社長は終始ご機嫌の様子で自分の家族や孫の話と共に、椎名経理財務部長が若手の実力者であること、また、雲井総務部長の銀行時代での豊かな経験をもって日帝工業に貢献してもらっていることなど二人を称賛しながら、東野の趣味、家族のことを聞き出していた。東野は、履歴書等に記載していることを淡々と回答していた。この席では、誰も日帝工業のオーナー一族の話題は持ち出さなかった。山本にとって社内にいるときの代表権をもつ新井会長や明神名誉会長への気遣いから解放される時間であった。

「山本社長、東野さんに次の株主総会のリハーサルに来てもらおうかと考えています。いかがでしょうか?」雲井部長は、山本に聞いた。

「株主総会のリハーサルに来てもらうのは良い案だ。その時、他の取締役の方々や執行役員にも紹介できる」

「東野さん、株主総会は、王子駅前にある北トピアで開催しますが、例年、その直前に本社で、リハーサルを行います。出席いただけますか?同日リハーサル前に入社に関する諸条件の説明をしますので合意いただけましたら内定書をお渡します。また、常勤監査等委員の乾さんをご紹介し、簡単な引継ぎを行ってもらおうと考えています」

「わかりました。株主総会のリハーサルの日程が決まりましたら連絡お願いします。調整します」

「今日は、お帰りになって奥様に内定の内定を伝えるのですか?」椎名が聞いてきた。

「ハイ、伝えます。面接の時にもお話ししましたが、“シャット・サッシ”で御社をよく知っているので、喜ぶでしょう。私にとっても通勤は楽になります。今、5時30分起きですから一時間は遅く起きることができます。みなさんは、どちらにお住まいですか?」と逆に質問した。

「山本社長は、赤羽、雲井部長は大宮、私は、さいたま新都心が最寄り駅です。雲井部長は朝が早く7時30分には、出勤されていますよね」と椎名が回答して、雲井に振った。

「会社のシャッター空け係です」

「総務部長としての誉れですね」と東野は言った。

「東野さんのモットーとしていることはありますか?」椎名が突として聞いた。

「私の信条は『最強の味方、最悪の敵』になることです」と東野は答えた。

「昭和というより、明治時代ですね」椎名は冷やかすように言った。会食も20時近くまで続いたが、東野の歓迎会という主旨はあったが、三人にとっては監査等委員の選任という懸案事項片付き安堵を感じる会食となった。

【株主総会:2019年6月26日】

午前10時、王子駅近くの北トピアで日帝工業株式会社の定時株主総会が開催された。東野は、朝九時集合の連絡を受けていたので30分前には到着して、待ち受けていた総務課長に座席まで案内された。新任の社外取締役監査等委員候補は、檀上には上がらず、決議承認された後で、来場した株主にお辞儀と挨拶をするためステージ左の最前列に陣取った席に座った。山本社長は、議長として3回目の株主総会であり、リハーサルのときも事業報告を丁寧に読み上げていた。日帝工業株式会社としては、第七〇回目で、老舗といえる社歴の会社であった。今回の総会での決議事項は

 第一号議案:剰余金の処分の件

 第二号議案:取締役(監査等委員である

取締役を除く)六名選任の件

 第三号議案:監査等委員である取締役三名選任の件

の三つで、特別な決議事項はなかった。日帝工業の取締役に関する規程では監査等委員でない取締役は、毎年選任対象となり、監査等委員である取締役は、二年任期で選任対象となる。株主総会は定刻に山本社長の議長宣言で始まった。山本議長の指名により、取締役

常勤監査等委員である乾氏から監査等委員会の監査報告書を読み上げた。東野はこの監査等委員の職責が来年、自分の職責となることを気を引き締めて自覚した。『業績説明、財務状況』は、スクリーンと予め準備したプロのナレーション録音で説明を行い、その後、

山本社長が、『対処すべき課題』を述べ、会場に出席した株主への質問・意見を伺ったが、何事もなく決議事項へ移った。第二号議案である監査等委員を除く取締役六名選任の件では昨年の取締役、新井泰司、山本金一、明神勉、甲斐俊の再任候補の他に加えて、新井泰、椎名史和が新任候補として選任されていった。椎名史和は、東野の面接に立ち会った執行役員経理財務部長の椎名であり、昇格人事であった。株主会場では、社員株主らの『意義ありません』という賛同意見の発言があり、また事前の郵送やインターネットの議決権行使でも賛成多数で問題なく決議された。株主総会は四〇分で終了し、東野の日帝工業株式会社の社外取締役監査等委員就任が正式に決まった瞬間であった。

上場会社は、株主総会の直後に取締役会を開催する。この取締役会は新体制を正式に決定する重要な取締役会である。最近は、知名度が高いガバナンスの強化された大手の株式会社は、四半期決算を重要視して新会計年度の4月から新執行体制を整えスタートさせる会社も多くなってきている。日帝工業のこの取締役会は株主総会を開催した北トピアの小会議室八〇五号室を準備しており、そこで開催された。出席取締役の互選で山本が、議長となり、開会を宣言し議案を審議し始めた。

 第一号議案:代表取締役選定の件

議長から本日開催された第七〇回株主総会において全取締役が任期満了で改選が行われたため定款二〇条第一項の規程に基づき代表取締役を選定する必要がある旨報告があった。山本は、議事進行とともに再任された新井泰司取締役と自分自身を代表取締役候補に選定

し、審議に諮った。出席取締役全員これを異議なく承認可決して被選定者も就任を承諾した。

 第二号議案:役付取締役選定の件

議長から定款二〇条第二項の規程に基づき取締役会長に新井泰司、取締役社長に本人自身山本金一、専務取締役に明神努、常務取締役甲斐俊、加えて新井泰の各氏を選定したい旨を審議に諮った。出席取締役全員これを異議なく承認可決して被選定者も就任を承諾した。

 第三号議案:業務執行取締役への業務委嘱の件

議長から、業務執行取締役に対して以下のとおり業務委嘱したい旨を諮った。出席取締役全員これを異議なく承認可決した。

 専務取締役 明神努 資材&資材営業部長

 常務取締役 甲斐俊 生産・開発担当

 常務取締役 新井泰 総務管掌兼IR担当

   取締役 椎名史和 経理財務部長

第四号議案:名誉会長委嘱の件

議長から、本日をもって、明神要名誉会長の任期が終了するが、今後も引き続きビジネスパートナーとの関係深耕や経営のへの助言をいただくため、再度名誉会長職を委嘱したい

旨を諮った。出席取締役全員これを異議なく承認可決した。

第五号議案:取締役(監査等委員を除く)の報酬額決定の件

 議長から監査等委員を除く各取締役の報酬額決定について新井泰司会長に一任したい旨を諮った。出席取締役全員これを異議なく承認可決した。

第六号議案:執行役員の報酬額決定の件

 議長から各執行役員の報酬額決定について新井泰司会長に一任したい旨を諮った。出席取締役全員これを異議なく承認可決した。

第七号議案:名誉会長の報酬額決定の件

 議長から名誉会長の報酬額決定について新井泰司会長に一任したい旨を諮った。出席取締役全員これを異議なく承認可決した。決議事項は以上で最後に報告事項として

報告事項:有価証券報告書提出の件

 議長の指名により、取締役経理財務部長、椎名史和から第七〇期有価証券報告書を2019年6月26日に関東財務へ提出することの報告があった。本件は、出席取締役全員了承した。以上が、東野が社外取締役監査等委員として出席した最初の取締役会であった。

この会議で、日帝工業は、上場会社ではあるものの明神家と新井家のオーナー企業であることを再認識した。

創業家の日帝工業の株式保有状況は、

1明神要名誉会長(85歳):日帝工業の創業者兄弟の三番目、社長時代に上場を果たした。個人で3%保有

2明神努専務取締役(55歳):明神要の長男であり、株式管理会社である明神エンタープライズの代表取締役で7%保有

3新井泰司会長(75歳):創業者の一人で最初の代表取締役を務めた故新井泰造の息子。

社長の経験はない。株式管理会社である新井企画と個人で13%保有

4新井泰常務取締役(45歳):新井泰司の長男であり、自己株式管理会社である新井ホールディングスで2%保有

5新井興業:新井一族の次男系株式管理会社で11%保有。経営には参画していない。

以上のように創業者一族で約36%保有して

いる。その他の大株主として投資会社である株式会社トラスト・インベストメントが、12%保有している。この保有バランスは相続関係以外では、長年変わっていなかった。

【監査等委員会:2019年6月26日】

 取締役会後、監査等委員を除く取締役6名は、執行業務へ戻るため帰社したり、取引先との打ち合わせのため株主総会会場を後にした。東野を含む監査等委員である取締役三名(両角正義、佐藤純雄)は、引き続き同室で新体制での監査等委員会を開催した。東野は前任者の乾が準備したストーリーで議長になり、初めての監査等委員会の開催宣言を行った。東野を除く二名は、非常勤監査等委員であり、常勤監査等委員である東野は、必然的に監査等委員会の中心的立場で運営を行わねばならなかった。

〔決議事項:三件〕

第1号議案:監査等委員会議長選任の件

東野は監査等委員会規程第三条に基づく議長に立候補し、両角、佐藤二名は、異議なく承認し、決議された。

第2号議案:常勤監査等委員選定の件

東野は監査等委員会規程第三条に基づく常勤監査等委員に立候補し、両角、佐藤二名は、異議なく承認し、決議された。

第3号議案:令和元年(七〇期7月~七一期6月)監査方針・重点監査項目・監査活動計画の件

東野は、乾が準備して作成した監査計画書に基づき、両角、佐藤に監査方針・監査活動を説明し、二名から承認を得、決議された。監査方針等は、昨年と監査対象部門・拠点等を除いて余り変わらない内容であった。

〔協議事項:一件〕

・監査等委員報酬の件

東野は、総務部が作成し、新井会長も承認した監査等委員の令和元年報酬案に基づき、両角、佐藤に内容説明し承認を得て決議された。日帝工業監査等委員会規程の『協議事項』とは、多数決の決議事項とは異なり、全員賛成でなければ、決議できない事項となっている。

〔報告事項:一件〕

・さくら監査法人からの金融商品取引法監査報告書の件

乾が、退任前に日帝工業の会計監査法人であるさくら有限監査法人から説明を受けた金商法監査報告書の説明を東野は行った。両角、佐藤とも会社法の監査報告書については、さくら監査法人から、監査等委員会として乾と三人全員で打ち合わせを行っていたので金商法の監査報告書の相違点の一つである内部統制システムの監査状況に重点をおいて説明を行い、両氏の承認を得た。以上で株主総会後の新体制での取締役会や監査等委員会で決議すべき事項が全て終了した。東野が日帝工業株式会社の社外取締役監査等委員に就任して最初に行った仕事であった。

【社内環境 1】

監査等委員会の後、東野は、オブザーバーとして残ってくれていた、前任者の乾と共に王子神谷の本社へ向かった。監査等委員の席は六階の経理財務部と同じフロアであった。そこで乾から監査等委員関連のデータや書類の受渡を行い、引継ぎを終えた。その後、乾は東野を引き連れて本社各フロア案内するとともに自分の退社挨拶と後任の紹介を行った。乾は、四井勧業銀行から出向し、執行役員経理財務部長となり、その後、銀行から正式に転籍して、常務取締役・取締役常勤監査等委員という重責を歴任し、十年、日帝工業に勤務したので各部門長からの信頼も厚かった。ひと通り、社内挨拶が終わると、乾は東野を6階の小会議室に連れて入り、

「東野さん、後任よろしくお願いします。引継ぎ事項は、自分のやり方でやってきたことも多数ありますので、東野さんのやり方に変えていただいても良いです。東野さんも監査役のご経験が終わりなので何の心配もありません」

「お疲れさまでした。乾さんの功績を踏襲してがんばります。」東野は答えた。

「東野さん、これは注意ではなくアドバイスが一つあります」

「何でしょうか?」

「日帝工業株式会社は、上場会社でりっぱな会社ですが、ベースは、役員人事を見てもお解りの通り、オーナー会社です。創業家のオーナーが絶対権力をお持ちです。波風立てぬよう自分はやってきました。その辺はご配慮ください」

「留意します」

「それでは、私は、八階の幹部に挨拶して退社します。何か、困ったことがありましたら、お伝えした電話番号に連絡ください」

「乾さん、色々ありがとうございました。分からないことがありましたら連絡しますのでよろしくお願いします。ご苦労様でした」と東野は、乾に挨拶して六階で別れた。乾は、八階に向かうべく六階フロアを退出した。乾とは、株主総会リハーサルの際に引継ぎも行っており、また、関連資料が非常に整理整頓されて纏まっていたので東野は理解しやすかった。東野の監査等委員の日常業務に関係する社員は、秘書として総務部員兼任の友重ゆかり、会社法関連は、総務部の雲井部長、決算や金商法関連は、取締役経理財務部長の椎名部長、内部監査関連は内部監査部の大野部長らが主たるメンバーであり、既に紹介を受けたり、挨拶したりしていたので不安はなかった。後は、非常勤社外取締役監査等委員の両角と佐藤と連携を密にして必要に応じて法的に問題がないように纏めればよかった。

乾から聞いた二人の非常勤監査等委員は、

 両角正義(59歳):税理士で『両角税理士事務所』を構え、明神家の明神エンタープライズ、新井家の新井企画、新井ホールディングスの決算を請け負っていた関係で日帝工業の監査役時代から長年務めている。

 佐藤純雄(50歳):外資系損害保険会社日本支部の代表で、新井泰の大学時代の先輩で付き合いがあり、五年前から非常勤として勤めている。いずれもオーナー家と関連した人物たちである。

 東野の机の電話がなった。雲井総務部長からであった。

「東野監査等委員、株主総会お疲れさまでした。今、山本社長から電話があり、東野監査等委員を明神名誉会長へ挨拶に連れていくようにと指示がありました。ご都合いかがでしょうか?」明神名誉会長とは、面識がなく初対面となる。株主総会の会場に来場していたらしいが、会ってはいない。

「大丈夫です。よろしくお願いします」

「六階に寄りますので、一緒に八階の名誉会長室に行きましょう。」雲井は、電話を切ると東野のフロアである6階に顔を出し、一緒に八階へ階段で上がった。

「社員は、あまりエレベーターは使わず階段で上り下りしています。お客様や八階の役員室の役員が主に使います。新井会長の父親である先代、社員は『大会長』と呼んでいましたが、その大会長が『若者は歩け』との一言でその名残です。本当の昭和時代でした」雲井は、八階へ階段を使って上がっている言い訳のように東野に説明した。八階の役員フロアは、五つの部屋がある。エレベーターホールに一番近い四号室が社長室、その隣の三号室が、会長室。その隣の二号室は、来客用の応接室となっており、一番奥の一号室が名誉会長室となっていた。東野はまだ、採用時に面接があった社長室にしか入ったことはなかった。エレベーターホールの向かいに秘書机があり、四人の役員の秘書業務を総務部員の女性が二名で担当していた。もう一つの小部屋にはコピー機や来客用の食器等が供えられた準備室であった。東野と雲井が八階のフロアドアを開けて入っていくと秘書の女性が、二人を導くように

「どうぞ、こちらです」と一番奥の部屋へ案内した。社長室のドアは、開いており、山本社長が、社員と打ち合わせを行っていた。新井会長の部屋のドアは閉まっていた。二人の部屋の前を通って一番奥の名誉会長の部屋の前で、秘書がドアをノックして空けた。

「どうぞ、こちらへ」という声と共に奥の窓際の執務机から名誉会長が立ち上がり、机の手前にある応接セットに東野と雲井を促した。

「初めまして、明神要です。よろしくお願いします」着席前に明神名誉会長は、東野に名刺を渡しながら挨拶した。東野の第一印象は

威厳を感じたことだった。

「東野要郎です。こちらこそよろしくお願いします。色々ご指導ください」

「東野さん、私は、東野さんの履歴書拝見したときから東野さんに縁を感じております」

「“縁”でしょうか?」

「今、名刺をお渡しましたが、私の名前は“要(カナメ)”と申します。東野さんのお名前には“要”がついており、“要郎(トシロウ)”と言われるそうで。今までこの様なつながりのある方に出会ったことはありません。これも何かの縁で大切にしたいと考えております。この会社をよろしくお願いします」と言いながら握手を求めてきた。東野は名誉会長の握手に快く応じた。

「“要”という字は、父が“要治”という名で、私が長男として生まれたので“郎”をつけ“要郎”と名付けたそうです。」この後、東野の職歴や海外駐在の時代に質問が続いた。明神も英国の工場(今はない)に駐在した経験があり、駐在した当時にのめり込んだウィスキーのモルト探求の話を得意になって聞かせたりして、三〇分ほどの挨拶と談笑は終了した。雲井は、名誉会長の部屋を東野と共に退出後、山本社長の部屋に向かい、来客がいないことを秘書に確認して部屋に入った。

「東野さん、お疲れさまでした。名誉会長に挨拶していただきありがとうございます。いかがでした?」山本はソファーに促し、様子を窺うように聞いてきた。東野は、名誉会長との会話内容を伝えた。というより報告させられたように感じた。山本社長は、納得したように頷き、

「新井会長の部屋に行きましょう」と東野を誘い、ソファーから立ち上がった。雲井部長には、業務に戻るよう伝え、雲井は階段を下りていった。東野は、山本社長の後を追った。

「会長ちょっといいですか?」山本は会長室のドアを開けながら訪ねた。

「会長、東野さんが、名誉会長に挨拶されてきました。」報告事項のように話した。

「東野さん、ご苦労様でした。いかがでしたか?」山本と同じように気になっていたらしく尋ねた。東野は、山本へ報告した名誉会長との会話内容を再度、説明した。

「東野さん、社外からお越しいただいたので中々お解りにならないと思いますので、アドバイスとしてお聞きください」会長はいった。

「ハイ、何でしょうか」

「名誉会長は、週に三回ほど出社されます。週に一回は、名誉会長の部屋に挨拶していただければ、顔も憶えていただけて監査等委員の立場が確立できると思います」この時、東野は、オーナー家の力関係を目の当たりにした感覚であった。

「ハイ、わかりました。顔を覚えてもらえるよう、努力します」

「その後、会長か私が部屋に居れば、寄ってください」山本社長は、念を押すように確認した。

「拝承しました」東野は怪訝そうに返事した。

「前任の乾さんは、長年、この会社に貢献いただけました。東野さんにも末永くお願いしたいものです」新井会長は、微笑みながら言った。

「私も当社に長く貢献できるようがんばります。ご指導のほどよろしくお願いします」と東野は頭を下げてお願いした。新井会長は物静かに

「こちらこそ」と返事した。会長室を出て東野は、六階の執務デスクへ戻り、筆記用具や乾が残していった机の抽斗や書籍キャブネット書類に目を通した。机の抽斗には、ペーパーファイルが十冊ほどあった。みな、表題に番号と書類名がテプラで付され整理されてあった。

①監査方針・監査計画書(第六九期~)

②監査等委員会審議資料(第六九期~)

③監査等委員会議事録(第六九期~)

④内部監査報告書(第六九期~)

⑤内部監査部監査報告書(第六九期~)というように東野が引き続きファイルできるように作成されていた。前年度の書類を参考にしながら作成できるため非常にありがたかった。書籍キャビネットには、監査役協会の月刊紙が二年分、さくら監査法人の監査報告書、有価証券報告書が、五年分ほど保管されていた。関連図書は、「会社六法全書」「会社法概要」「『監査等委員設置会社への移行業務』監査役協会編」といった監査機能には、定番図書があった。日帝工業株式会社は五年前に「監査役会設置会社」から「監査等委員設置会社」に移行していた。「監査役会設置会社」と「監査等委員設置会社」の主な相違点は、以下の三つである。

①監査役会設置会社では、監査役が監査を行うのに対して、監査等委員設置会社の監査では、取締役である監査等委員が行う。

②監査役会設置会社における監査役の任期が四年であるのに対して、監査等委員会設置会社における監査等委員である取締役の任期は二年

③監査役設置会社における監査役は、取締役会での議決権を有しないのに対して、監査等委員会設置会社における監査等委員である取締役は取締役会での議決権を有する

という相違点がある。

監査等委員会設置会社とは2014年の会社法改正によって導入された。業務執行者に対する監査機能を強化することを目的として監査を行うものに対し取締役会における議決権や監査等委員以外の取締役の選任等および報酬等に対する陳述兼を付与されており、先に述べた監査役会設置会社より監視機能を強化した機関設計である。

東野は、書類関係の確認作業からデスクトップPCデータの確認作業に移った。データファイルも整理されており、日常業務に差支えはなさそうであった。監査等委員会議事録もフォーマット化されており、全ての議案に対して賛同・承認の意思がフォーマット化されていた。過去に監査等委員会で議決の割れる事象は発生しなかった証明ともいえる。データファイルのチェックを終えると東野は机上のトレイに入れてあった取締役会の開催スケジュールに目を通した。日帝工業の定期取締役会は、会社法で最低限の二か月に一回程度であり、監査等委員会も取締役会に準じて開催していた。日輪産業のグループ会社の監査役として勤務時代は、常勤監査役として二社管掌していた。両社の取締役会は毎月開催されていたため日程調整や議事に関する資料や監査役会の議事録作成、日輪産業本社の監査役会への報告、はたまた二社間の移動時間等も含めて二倍の労力であった。それに比較すると社外取締役として監査等委員として研鑽を積み、種々日帝工業へ貢献できると東野は考えた。しかしながら“よそ者”である社外取締役という立場を充分に踏まえた対応には留意すべく心を新たにした。これは、東野が日輪産業を退職卒業して、アスカホールディングスに転職した際に、社風や文化、人脈、派閥等が日輪産業にもあったように、各々の会社にも根付いているものがあるため、所謂、中途入社者は、過去の業績や権威等を振り

かざさず、入社当初は徹底した社内の“マーケティング”が重要であることを肌で感じた経験からであった。

そうこうしているうちに終業時間のチャイムが聞こえた。日帝工業の就業時間は、8時50分から17時30分で昼休みは、12時から50分である。東野にとって長い一日であった。東野は、初めての出社日であったので雲井総務部長に退社の旨、電話で伝えて、フロアの在席者へ

「お先に失礼します」一言挨拶して事務所を後にした。

【社内環境 2】

 東野の護国寺から王子神谷までの通勤が始まった。東京メトロ有楽町線で護国寺から飯田橋までの二駅間は、都心方面で混むが、飯田橋から南北線で向かう王子神谷駅は、逆方面であり、車内も楽な通勤であった。本社事務所は、王子神谷駅から北本通りを道路沿いに北上して行き神谷一丁目に入るとすぐのところにある。東野の足で五分ほどであった。八時前に到着した。正面玄関は閉まっており、三台分のスペースがある駐車場のシャッターが開いていたのでそこから入った。山本、椎名、雲井との会食時に、雲井が、毎朝7時30分には出社しており、その理由は「シャッター係です」と言っていたことは、社員の通勤のため、この駐車場のシャッターの鍵開けと東野は理解した。駐車場には、レクサスが一台あった。東野は、六階へエレベーターで上がった。六階のフロアの扉は、鍵が閉まっていた。さてどうしたものかと考え、三階の総務部に行ってみることにした。東野は、日輪産業時代、総務部にも所属していたので事務所の管理は、総務部業務の一つであり、合鍵もあることを確信していた。

「お早うございます」総務部に顔を覗かせて挨拶した。正面の部長席に雲井は居た。その他2名の総務部員と思われる社員が既に出社していた。

「お早うございます。監査等委員、早い出社ですね」雲井は、立ち上がって挨拶した。

「年寄ですから。誠に申し訳ありませんが、六階の事務所扉に鍵がかかっています。何とかなりますか?」

「ああ、六階の社員は、8時10分ころ出社します。わかりました。すぐ開けます。」

「鍵をお借りしたら自分で開けますよ」東野は、本社出社初日から、社員に手数をかけさせたくなかった。また、自分でやってみて環境を確認したかった気持ちもあった。

「入口は、カードキーとシリングの錠前キーの組み合わせですので、監査等委員に説明しながら開けますよ」雲井は、キーロッカーからカードキーと錠前キーを取り出して東野と一緒に八階に上がり始めた。

「東野監査等委員は、大体、この時間に出社されますか?」

「ハイ、雲井さんが、駐車場のシャッターを開けられた後になりますが。8時前には出社したいと考えています。よろしいでしょうか?」雲井は自分の出社時間を東野が憶えていたことを快く感じた。

「構いませんよ。それなら監査等委員に八階の合鍵を準備してお渡しします。各フロア共早い時間に出社する社員二人にフロアの合鍵を渡して開けてもらっています」

「でも閉めるときは、どうされているのですか?多分私は一番早く退社すると思いますが」

「大丈夫です。シリンダーは、内ボタン式で施錠できますし、カードキーシステムは、番号打ち込み式ですので、カードキーは必要ありません。開ける時だけです」雲井は、六階に到着すると最初にカードキーでセキュリティーを解除して、シリンダー錠前に鍵を差し込み扉を開けてくれた。

「ありがとうございました。初日からお手数お掛けし失礼しました」東野は誤った。

「こちらも昨日、退社のお電話いただいた際に今日の出社時間のこと確認しておけばよかったですね」笑顔で答えながら三階へ降りていった。東野は、席に座った。机の上には、東野が帰宅後置いてくれたのであろう名刺箱が一箱あった。東野は、内容を確認して、名刺入、財布、日程管理手帳に数枚ずつ入れた。その後、デスクトップPCの電源を入れ、メールを開いた。メールソフトは、標準のOutlookであり、今までの会社や個人用で使用していたので問題なく使えそうである。もちろんまだ、着信メールはなく新規のメール作成を始めた。宛先は、非常勤監査等委員である両角と佐藤宛である。初めての監査等委員会開催時の御礼と今後の連携を密にしたい旨のお願いの内容であった。メールアドレスは、監査等委員会で二人から受け取った名刺に記載されてあったし、会社のメールアドレス帳を開くと役員のメールアドレスが最初にあり、その後、五十音順で部署毎の社員のアドレスあったのでリストからセレクトして送信した。昨日、東野が本日、出社して最初にやるべきことと決めていたことであった。それから東野は、昨日、PCデータ確認時に見つけていた規程集を開き、定款・取締役会規程・監査等委員会規程を読んだ。今後の取締役監査等委員業務のベースとなる規程である。特に監査等委員会規程は、いつでも確認できるようにプリントして手元に置いた。

 六階フロアには8時20分ころから社員が出社始めた。また、窓側の幹部席は、東野を含めて三席あった。東野の他にフロア奥の椎名取締役経理財務部長の席と東野の隣になる真ん中の席は、執行役員であり企画管理部長の竹腰昇の席であった。八階のフロアは、経理財務部22名と企画管理部8名が在席していた。企画管理部は、海外のグループ会社の予算・実績を纏める決算管理と稟議決裁関係を請け負っている。竹腰が出社してきて、

「東野監査等委員、お早うございます。始業のチャイムが鳴るとラジオ体操を行います。その後の朝礼で、フロアの皆さんに紹介しますので、挨拶をお願いします」と言った。

「分かりました」竹腰部長が、六階フロアの纏め役らしいと思いながら、東野は返事した。

「皆さん、お早うございます。何か連絡事項がありますか」とラジオ体操の後、全員が着席前に引き続き、朝礼が行われているらしく、竹腰執行役員企画管理部長が、六階フロア全員に声かけた。

「よろしいでしょうか。昨日、当社の株主総会が無事終了し、全議案可決されました。株主総会の準備に関して皆さんのご努力に感謝します」椎名取締役経理財務部長が述べた。

「その株主総会で新たに社外取締役監査等委員に就任された東野さんを紹介します。企画管理部や経理財務部は、監査等委員会が業務執行上、一番密接にかかわる部門です。よろしくお願いします」と竹腰が東野を紹介した。

「昨日の株主総会で、常勤監査等委員に就任いたしました、東野要郎です。長年当社に勤められた前任の乾さんと比較して日帝工業のことをまだ、充分に理解していませんので、これから勉強します。みなさまのご協力、ご支援よろしくお願いします」八階フロアの社員は、拍手で東野の監査等委員就任を迎えた。

朝礼は、連絡事項のみでその後は、各々仕事を始めた。椎名は、東野の机に近づいてきて、

「東野さん、昨日は、お疲れさまでした。僕も株主総会後、バタバタして事務所で挨拶できなく済みませんでした。これから色々ご相談させていただきますのでよろしくお願いします」東野は立ち上がって

「こちらこそ、よろしくお願いします。椎名さん、取締役にご昇任おめでとうございます」東野は、椎名にお祝いも含めて述べた。

「ありがとうございます。仕事内容はあまりかわりません。がんばります」椎名が自分の席に戻ったあと、隣の席の竹腰が、

「監査等委員ちょっとよろしいですか」と話しかけてきた。

「構いませんよ」東野が返事すると、竹腰は小会議室へ促した。八階フロアには、6人程度が入れる小会議室が東野の席の窓側に二つある。

「初めまして。竹腰です。企画管理部長です。お隣ですので、最初にと思い声掛けさせていただきました。企画管理部は八名で、工場や海外拠点の窓口的機能を果たしており、予算や業績から投資関係の稟議決裁関係を扱っています。あとは、経営会議と予算会議の主催元です」竹腰は資料も何も提示せず手短に説明した。

「早々にありがとうございます。社長の懐刀という部門でしょうか。監査等委員として拠点関連の資料等お願いすることが多々あると思いますのでよろしくお願いします」東野は日輪産業時代に、全営業本部のバックオフィス的機能の業務部で長年従事しており、材料から機械物まで国内、輸出、輸入の貿易取引全て経験していた。また、国内支店、海外駐在経験もあるので、竹腰の話で、企業管理部の概要は理解できた。席に戻ってパソコンを見ると、非常勤監査等委員の両角と佐藤から朝一に送信したメールに対してのお決まりの返信文があった。東野は、電子データから監査等委員会議事録のフォーマットを呼び出し、昨日の監査等委員会の議事録作成に取り掛かった。議事録には、出席者全員の承認印の押印がなければ公式議事録とならない。二人に次の連絡での送信を考えていた。議事録の作成過程は、常勤監査等委員である東野が、作成し、議事録案を両角、佐藤に送り、内容の事前承認を確認後、清書し製本する。製本と言ってもA4サイズのワード作成書類を議事の際に提出した関連資料とともに袋綴じする程度である。これは、取締役会議事録も同様で、監査等委員監査の年度決算取締役業務監査対象の重要書類監査の一つに取締役会議事録チェックも含まれており、会計監査人も必ず内容と出席者の押印の体裁を確認する会社の公式書類である。東野は、乾が作成していたストーリーと監査等委員会時の資料内容を確認しながら記載していった。昨年同時期の議事録と比較して議事内容は、変わりはなかったので作成しやすく、午前中には完成させることができた。昼休み近くに雲井から電話があった。

「監査等委員は、お昼はどうされますか。もし、予定がなければ、ご一緒しませんか」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」東野は、乾から「昼食は、総務と一緒に食べている。(同フロアの)椎名部長は、経理で時間が不定期であり、竹腰部長は、宅配弁当で済ませている」と聞いていた。昼食メンバーも前任者の踏襲ではないが、他の部署との交流も大事と考えていたので、抵抗もなく応じた。昼休みを告げるチャイムが鳴った後、一階に降りて雲井から指定された、事務所反対側の歩道で待った。雲井は、部下を三名引き連れて下りてきた。人事担当の伊藤、福利厚生担当の小泉、施設管理の田中と挨拶を受けた。東野とも何らかの関係があってサポートしてもらうメンバーと認識した。

「監査等委員は、嫌いなものはありますか」雲井が常套質問してきた。

「何でも食べますし、好き嫌いはほとんどあせん」

「我々は、いつもここから五分くらいの小料理屋たすけに行っています。ただ、水曜日は定休日なので、別なところですが。乾さんもご一緒いただいておりました」

「同行させていただきます」本社から東の方へしばらく歩くと、その店、小料理屋太助はあった。伊藤が真っ先に入って行き、

「今日は、五人でお願いします」親子二人でやっているらしく親父が板前/大将で、息子が賄い給仕をやっていた。

「いらっしゃい、今日は、刺身か鯵の南蛮漬け定食です。」冷たいお茶の湯飲みを配膳しながら、息子が言った。雲井、東野、小泉が鯵を、伊藤と田中は刺身を選択した。

「乾さんの後任の方ですか」大将が聞いた。

「東野と申します。よろしくお願いします」と東野は「これから、まだまだ続くな」と思いながら挨拶した。

「このお店は、昨年、BS毎日の『芹沢燗の放浪酒場』に王子界隈のお店紹介で出たんですよ」雲井は大将に確認しながら説明した。

「15分くらいだけどね。7月に特集として再放送するらしいよ」大将は鯵南蛮をよそいながら自慢げに答えた。

「そうですか。七月の再放送を確認して観ます」東野は言った。雲井が続けて話した。

「昨日、名誉会長のところまでは、ご一緒しましたが、新井会長は、いかがでした?」

「山本社長へ報告したことの繰り返しでした」

「そうなんです。山本社長は、部下には、名誉会長に話した情報を全て自分に報告させています。何を話したのか、名誉会長は何と答えたのか。それを更に、新井会長に報告しています。本当は、名誉会長に報告する前に自分に報告するよう部下に対して指示していますが、名誉会長も直接、営業担当者や昔の部下を呼び出したりして状況を聞くことも多くありますので。お解りになったように、名誉会長が絶対権力者なんです。実際、日帝工業をここまで大きく成長させ、上場させたのも明神名誉会長なんですが。」

「そうなんですか。新井会長からは、『週に一回は、名誉会長に挨拶に行くように』と。また、山本社長からは、『その様子を報告するように』と言われました」

「監査等委員もご周知のとおり、日帝工業の創業家の株式保有率は35%超えております。

新井会長家が一番多く15%、これは、我々が大会長と呼んでいた新井会長のお父さんである新井家の長男、新井泰造氏の持分を相続したからです。次男の方の新井興産が11%、次男の方は経営に関与しておりません。三男の名誉会長、明神家が10%という内訳です。経営的には、長男と三男が中心となっており、新井泰造氏が、最初の社長で明神名誉会長に経営を譲られた後も“大会長”と社員に慕われていましたが、私が四井勧業信託銀行から出向してきた年、今から五年前にお亡くなりになりました」雲井は話してくれた。

小料理屋太助のランチは、美味しく刺身も新鮮そうで伊藤と田中は、ご飯をお替りしていた。雲井が東野に話しているときは、伊藤、田中、小泉は、心得ているのか他の話で二人の会話には、入ってこなかった。東野は、雲井からだけではなく偏らないように社内情報の収集が必要なことを感じていた。昼食を終え、午後は午前中作成した、監査等委員会議事録を精査して両角、佐藤にメールで議事録案の確認を依頼した。議事録については、2017年度と2018年度の二年分、過去の議事録内容を証査した。いずれも年七回開催されていた。主な決議事項は以下のとおり

6月(株主総会後)前述のとおり。

議長選任等の新体制関連決議及び監査法人の金商法に基づく監査報告書の承認

8月は二議題

①会計監査法人の報酬決議

②第1四半期決算報告の承認

11月

 第2四半期決算報告の承認

翌年2月

 第3四半期決算報告の承認

翌年5月は8月と同様二回

①次期株主総会における取締役(監査等委員を除く)選任議案への意見陳述内容

②会計監査人の選任(再任・解任)

その他、毎開催時、常勤監査等委員の活動報告と内部監査部の拠点や部門の監査報告が行われて承認されていた。四半期決算に合わせた監査等委員会の職責を果たすべく開催であり、臨時や特別な開催を必要とするリスク、いわゆる有事なるものは、何も発生していなかった。今年度を取締役会のスケジュールを確認したが、同様の開催日程であった。

 監査等委員の重要な職責に『監査実査』がある。と言っても監査等委員だけでは、決算報告できるレベルの実務は、困難であるので『三様監査』という手段がある。三様とは会計監査法人(日帝工業の会計監査法人は、さくら有限監査法人)と内部監査部と監査等委員会がそれぞれの職務で監査を行い、また、連携を密にして株主に対する『監査実査』の職責を果たしている。会計監査法人は、会社法、金融商品取引法に基づく会計監査を行い、内部監査部は、拠点、部門を一定の期間で経営全般、内部統制システムの監査基準に基づいて監査を実施している。監査等委員会は、監査等委員の監査基準で行っており、内部監査部の監査対象拠点、部門に対しては、受査側の重複資料や受査対応を回避するため内部監査部の日程に合わせて同行して一緒に行っていた。

日帝工業の内部監査部のメンバーは、3名で、国内工場を含む拠点、部署の監査は二年に一回、海外工場関係は三年に一回のサイクルであった。三名という最小限の人数で行う主たる監査業務は、内部統制システム監査と法令遵守の状況という上場会社の監査部門として最低限の監査体制であった。この内部監査の内容、日程は会計監査法人とも打ち合わせており、了承を得ている監査業務内容である。内部監査部の監査は、2017年度、2018年度とも十か所実査を行っており、監査等委員会でその都度、報告されている。乾も同行して、常勤監査等委員の活動報告で監査結果を報告していた。しかしながら、2019年度は、コロナ感染予防対策の関係で六月までに岐阜工場とアルミ製品営業部門の二箇所しか監査できておらず、四月に予定していた海外拠点である日帝工業インドネシア会社は、延期扱いとなっていた。前任の乾が作成した2019年度の監査等委員年度計画にも内部監査部の監査計画に基づいた拠点、部門監査が反映されていた。東野は、議事録のレビューを終え、自称『60日プラン』を考えることとした。日輪産業時代は、課長以上のマネジメント職から、異動になると自分に『100日プラン、1000日プラン』を目標管理として自らに課し、実行してきた。いわゆる『三か月、三年』プランである。しかしながら、平均、二年四か月で他部門異動や転勤等であったため三年プランは変更せざるを得ず、二年プラン=一年で見直し・修正プランを掲げ、二年目で改善・効果を測定するよう心掛けてきた。監査等委員は、二年任期のため、今までの目標管理にも好適であった。

『60日プラン』は、次の定例の監査等委員会や取締役会が八月開催予定のため、それまでに前任者から踏襲すべきものと改善すべきものの線引きを完了させようと決めたプランである。加えて業績分析にも手を付けた。入社面接時から疑問に思っていた製造業であれば、五%以上求められる営業利益率が二〇一九年三月期決算で二.三%と低利益率であったことの要因が非常に気になっていた。サラリーマン人生を始めた日輪産業の親会社である日輪製作所が、「連結営業利益率を欧米の大手と同じように二桁を目指す」と七年前に経営方針を発表してからグループ会社八〇〇社の平均利益率以下の会社や不採算事業は、ドライに会社統合や売却、はたまた事業撤退を繰り返してきたのを目の当たりに経験してきたので、東野の営業利益向上施策の感覚も研ぎ澄まされていた。日輪産業時代にロジスティクス部で物流費軽減に邁進してきたのは、そういう背景もあった。日輪産業は、半導体製造検査装置で世界有数のシェアを持った製品を扱っており、企業努力で一一%を保っていた。ちなみに日輪製作所連結では、今年度も二桁利益率は達成できず八.三%止まりであった。業績分析を行う上で関連データの収集が必須である。有価証券報告書等は手元にあるが、グループ会社個別や工場単位の損益計算書等が必要になる。東野は、そのデータ関係が、隣の席の企画管理部が管理しているとは、と予測がついたが、就任早々、要求するような内容ではないので60日プランの一つにテーマとして挙げた。社外取締役の大きな弱点は、初めての会社での人脈の無さである。業績以外の情報は、人からしか収集できないと言っても過言ではない。社風や風土、派閥やグループは、まさにその類である。権威を振りかざさず情報収集ができるような環境づくりもプランの一つとした。

60日プランを考えているうち、就業時間は過ぎていった。東野の日帝工業で始まった監査等委員としての日々は、坦々と経過していく。新任者のスタートは、社内、社外に挨拶の機会が多かった。乾に同行してもらい回った各部門を毎日、朝、挨拶程度の話で部門長の席を訪れた。当初は、怪訝そうな顔つきで構えて迎えられたが、社内情報の拡散は早いもので、三部門の後の五部門は、「来たな」という感覚で迎えられた。目的は、部門長の顔憶えとその部門の雰囲気を肌で感じるためである。

週一回の明神名誉会長の10分程度の訪問も継続した。言われたとおり、その後は、山本社長へ報告を行った。名誉会長は、月・水・金に出社しており、東野は、水曜日に行くようにしていた。その時の話のネタの準備がある、いつも世間話という訳にはいかなかったので、部門長訪問は、非常に役に立った。名誉会長は、社内情報にも気を使って収集しているようで、東野が知らないことをよく教えてくれた。名誉会長の出社日には、山本社長は必ずと言っていいほど社長室に居る。逆のオファーもあった。新井会長から週に一回の

ランチの誘いである。この昼食会は、いつも椎名取締役が同席した。新井会長は体形がやせ型であったが「俺は七五歳になるから食べ物も制限されており、好きな中華料理は週一回しか食べられない」と中華ランチの日に椎名と東野を誘っていた。新井会長とのランチタイムは、業務関係やオーナー家の話は、一切なく世間話や、椎名が促して聞く新井の投資の話であった。新井会長は、自身の配当金等の運用会社である新井企画で王子神谷近辺の不動産への投資で資産運用を行っている。日帝工業としても本社に入りきれない二本部、品質保証本部と工業製品営業本部の60名が借用している分室は、本社から五分ほどの新井会長名義のマンションの二階フロアの4室をオフィス仕様にした事務所である。新井は、まだ、新たな投資対象の不動産を検討しているらしい。ランチへの誘い時には、個人的に取引のある四井勧業銀行の銀行員と同席したこともあった。東野は、雲井をはじめ総務部員とのランチも続けた。雲井は、決して押し付けるような話ではなく社内情報を教えてくれ、出身の日帝工業の取引銀行である四井勧業信託銀行とも転属後も連携を密にしており、外部からの会社の評価も確認できた。銀行時代は、臨店検査部いわゆる拠店監査部門にも在籍していたこともあり、参考になる業績分析が聞けたし、部門の数値に長けた人材も紹介してくれた。彼の紹介で重鎮と交流できた。それは、甲斐常務取締役である。彼は、五年前、「シャット・サッシ」の重要な取引先であるカミノソニック設備工業の社長を二期務め、後輩に託して退職後、明神名誉会長が三顧の礼を尽くして招聘した人物であった。カミノソニック設備工業は、カミノソニック株式会社のグループ会社で、日輪製作所と双璧を成す大手総合電機メーカーの一つであった。雲井の意見は、「日帝工業で、一般・社会常識が通じる唯一の役員」の評価である。東野は、まだ日帝工業で「一般・社会常識が通じない」状況に直面していない。甲斐常務にアポを入れて話をしてみることとした。甲斐とは、株主総会後の最初の取締役会で会ったきりで機会を逸していた。甲斐の職責は、生産・開発担当常務であり、現在、三年前に立ち上げた新事業のため設立した秋葉原にある子会社TAE株式会社が主たる勤務先となっており、本社には、月曜の朝出社し、午後からは秋葉原の子会社に移動していた。本社の甲斐常務席のフロアは、総務と一緒の三階であり、東野が社内で出会う機会は少なかった。甲斐常務には、「新人であり、日帝工業の事業内容を勉強している。各営業部門長にも説明をお願いした。甲斐常務の現職責の状況をお伺いしたい」旨、アポの際にお願いした。

甲斐は、待っていたように快く了承し、都合の良い日程を連絡してくれ、秋葉原のTAE株式会社で行いたい要望があった。東野は、翌週の指定日にJR王子駅まで15分ほど歩き京浜東北線で秋葉原へ向かった。TAE社は、秋葉原駅から徒歩5分ほどの外神田一丁目にあるベンチャー企業の集まったビルの四階にあった。広さは、60平方メートル弱で甲斐常務も含めて三名の社員がいた。甲斐からは、今取り組んでいる製品開発の話や海外生産状況の課題を二時間ほど講義を受けた。帰社時間を過ぎていたので、誘われるまま酒席に同席した。秋葉原は、チェーン店の居酒屋が多くあり、どこも会社帰りの会社員のグループでいっぱいであった。二人は駅前から少し離れ、静かそうな居酒屋に入った。

「東野さん、今後ともよろしく願いします」一杯目のビールで乾杯しながら言った。

「甲斐さんは、日帝工業は、何年目ですか」

「五年目になります。今年が最終年度と考えています」

「何か理由があるのでしょうか」

「僕は、来年70になります。日帝工業の役員内規がありまして、一応、70歳が役員定年となっています」

「新井会長は、70を超えていますよね」東野は、「内規」と聞いて薄々気づいてはいた。

「創業家ですから。名誉会長が了承すれば継続できますよ。三年前に山本社長を選任して彼がある意味暴走しないように牽制の意味で創業家の会長にも代表権を持たせていると思います。山本社長は、暴走できるほど実力はないけれど都合の悪いことは隠す臆病さがあります」甲斐は続けた。

「彼は、意思決定が中々できない男です。とは言っても、社長ですから意思決定が職責なようなもので……リスクがあるような意思決定をせざるを得ないときは、名誉会長や会長に保険を掛けています」具体的事案の説明がないため人物のキャラクターの話として理解した。初対面でありながら幹部批判を聞くとは思わなかった。ビールの後は、日本酒に変わり、東野も付き合った。東野はアルコールについては、強くはないが、付き合い酔いが好きで、アルコールの種類については、いつも相手に合わせていた。

「東野さん、僕は、日本酒は、浦霞、一ノ蔵、日高見をよく飲みます。全部宮城の蔵元で、あの東北大震災のことで何かやらねばと思い勝手に宮城の日本酒を飲んでいます」東野は「愛すべき親父だな」と感じた。

「震災の時は、甲斐さんは、どちらにおられましたか」

「カミノソニック設備工業本社のある青森でした。青森も揺れは酷かったですが、大きな損害はありませんでした。社員も軽症程度の怪我人は出ましたが、無事でした。しかし物流が長く滞ったため、後の対応が大変でした。東野さんは?」

「私は、虎ノ門の日輪産業本社六階にいました。ビルがスウィングして窓ガラスが割れるのではないかと恐れたくらいの揺れを感じ恐かったです。日輪産業グループで被害があったのは、ひたちなか市にある各工場で百億ほどの被害金額が発生しました。その時私は、ロジスティクス部で物流責任者でしたから、甲斐さんが、おっしゃったとおり、物流が滞り、支援物資や復旧のための対応は、大変でした」と日本酒のセレクトから東北地方の大震災の話に展開した。

「日帝工業も青森工場と宮城工場がありますよね」

「日帝工業の青森工場の80%は、カミノソニック設備工業向け製品を扱っているため、当時、カミノソニックから連絡を取らせたことを覚えています。地域的に宮城工場は、大変だったようですが、幸いにも大きな被害はありませんでした。社員のみなさんやご家族の安否は確認できたそうです。生活環境は一変しましたが、一か月ほどで復旧作業に入ったと聞きました。明神名誉会長が陣頭指揮を執って対応されたそうです」東野は、まだ、甲斐と何が共通の話題がわからないまま、名誉会長の名が出てきたので、名誉会長への挨拶の様子や新井会長のアドバイス、山本社長の報告要求を話した。

「さもありなんって言うやつですね。僕は、ビジネスパートナーとして名誉会長との付き合いが長く、彼に誘われてこの会社に来ました。当時は、カミノソニックを卒業して悠々自適な生活にと考えていたのですが……青森では、単身赴任が長く疲れもありました。今は、自宅が宇都宮ですので、新幹線通勤を認めてもらうことを条件として熱意に負けて入社しました」思い出すように語った。

「明神名誉会長には、当初『甲斐さんに「生産管理」と「開発」を見てもらいたい』と依頼され、半年かけて国内の五工場をまわり、生産効率向上施策を纏めている最中に、主たる原料であるアルミとプラスティックの重要取引先である、四井商事から新規事業開発への共同出資の話があり、二年前からTAEを設立して、こちらが中心となっています。東野さんは、明神名誉会長にお会いして、どんな印象をもたれましたか?」

「他の役員に感じなかった、『威厳』でしょうか」

「明神名誉会長は、非常に厳しい面もありますが元来、非常に熱い方です。いわゆるパッションのある方で実行力もある。ビジネスの局面では、自ら先頭に立って戦っていました。七年前になくなられた兄である長男の新井泰造氏…社内では『大会長』と呼ばれていたようです…との夢であった上場を果たすため多大なる努力をしたそうです。よく資金繰りで困ったときや製品不良が発生した時に銀行や取引先に何回、頭を下げたかわからないという話や逆に取引先から『日帝工業さんと一緒にやりましょう』『明神さんが、来てくれたから』と取引先に言われたときの嬉しい思い出話をよく聞きました。誤った判断をした部長などには、厳しく対応しますが、フォローがあった。叱責した翌日には、必ずその部長の在席フロアに行って『どうだ?』と声をかけたり、飲みに連れて行ったそうです。今も主要の取引先とのビジネスには、明神名誉会長の人脈を活用するケースが多く、幹部社員にも慕われています。もうお年ですから海外までは出向いていませんが、『物づくりの原点は工場』と言って国内の工場は、年一回は訪問しているようで。社内でも社外からも人望が厚い方です」東野は、週一回の訪問では、まだ、うなずくことまではできなかった。

「山本社長も三年もやっていると取引先との信頼関係もあるのでは……甲斐さんのお話から当社のビジネス母体は、名誉会長に依存しているところが大きい感じがしましたので」

「東野さん、僕がここで話すことは、私見です。偏見もあるかもしれません。東野さんは、自分の五感でそれぞれの人物分析、対応を決めてください」

「甲斐さんからのお話は、アドバイスと受け止め、自分の目と耳と頭で確認します。」

「山本社長は、ビジネスは国内の特約店ビジネスしか経験がありません。それもエンドユーザーまでは、直接付き合いません。事業拡大意識は低く彼の経営姿勢は現状維持することが、如何に大変かのパフォーマンスとしか見えない。収益の低いことを原料の高騰で片づけて、そのための具体的な経営施策がない」

「確かに招集通知の『対処すべき課題』の内容も『原料高騰のため減益』の記載はありましたが、どのように対処していくかは書いてありませんでした」

「多分、山本社長の経営施策は、『原油の下落を祈りましょう』ということでしょう」と笑いながら話した。

「この会社は、生産管理=自動化としか考えておらず方針を変えない。意思が固い会社、いや頑固な会社かな。山本社長はお客様や仕入先には殆ど訪問せず、社内拠点訪問が多くトップ営業による注文が取れない社長です。社内営業に熱心で、一番多く訪問しているのは、名誉会長、会長の部屋ではないかな?」

「私の週一回の名誉会長謁見の際は、山本社長はほとんど自分の部屋にいます。だから指示された、名誉会長との話の報告もしやすいです」

「明神名誉会長は彼の業績無くして、今の日帝工業はありえない立派な経営者でしたが、後継者に山本社長を指名したことは失敗かな?後継者の指名が経営者の職責として一番難しいことですが」自分のことのように話をした。

「過激でストレートなご意見で…」東野は返事のしようがなかった。

「こんな話をさせてもらっているのは、日帝工業が生緩い経営となってしまっている危機感からです。山本社長になってから社内の評価、特に創業家の評価ファーストとなってしまいました。幸い、アルミ、プラスチック業界で原材料から製品まで一貫して製造、販売する会社はニッチな会社となってきており、生き永らえていますが、過去五年間売上が伸びておらず、これからも拡大しません。カスタマーファーストへ方針転換しなければ、特にプラスチック業界は、海外生産品の品質向上施策で差別化できなくなってきています。繰り返しますが原材料高騰や物流費高騰を理由にしているようでは未来がありません。私は、何とか社内に緊張をもたらせたいと考えています」

「甲斐さんの経営者の経験からの提言を会社に反映させようと理解のある幹部は執行サイドにはおられないのでしょうか?」

「取締役は、微かに明神専務がバックアップしてくれますが、自分が創業家出身のためかえって前面には出ません。というか明神専務は、名誉会長のように先頭に立つ方ではありません。自分でも認識しているようです。後は現場の前線で頑張ってくれている執行役員の何人かは、慕ってくれて相談があったり、頼ってくれたりしています」

「私は、監査等委員という立場上、執行サイドの業務はできません」

「東野さんの前任者の乾さんは、まじめな典型的な銀行員出身の方でした。創業家への忖度は、見事なもの……あからさまな方でした。まず、そのやり方を踏襲しないでほしい。取締役会などで何か気づかれたことは、執行サイドでなく監視の立場で、取締役として明確に発言してもらいたい」

「わかりました。まだ、会社データの読み込みが不充分で何がビジネスリスクかも理解していませんが勉強します。一つだけ約束できることは、私は、不器用で『正しい事』しか貫くことができません」

「東野さん、それで構いません。『正しい事』つまり自分の職責の『正義』を貫くことが一番難しいことです。それをやってもらいたい。当社は、上場会社ですから、少数大株主のためだけではなく株主全体と社員の未来を第一に考えてもらいたい」

70歳を前にしても甲斐は、今をもってもまだまだ、情熱のある経営者の片鱗を覗かせながら、プライベートでは、三人の孫を持つ好々爺である。甲斐は、東野に話をしている上で抽象論の話しかできていなかった。それは、現在、甲斐自身が認識している具体的な経営的なリスクがあるわけでなかった。ただ、長年の社長業で培った経営者としての『勘』が彼自身に訴えていた。何かハッキリしない淀んだ大嵐の前の空のような経営体制、建前の経営、流すだけの貯金を食いつぶすような山本社長の経営姿勢に不安さを隠せない日々が彼に訴えていた。ある意味『予兆』を率直に伝えた。

「東野さん、不安がらせて申し訳ありませんが、特に具体的に発生した事案があるわけではありません。四十年間以上サラリーマンやってきましたが、その経験からの『勘』です。

日帝工業は、『茹でガエル状態』です。でもそれを認めず、笑顔で『みんな仲良し』で流しています。『名誉会長万歳、会長ありがとう』って。『何かあれば、創業家が何とかしてくれる』そんな経営です。山本社長は」株主構成で30%以上ある個人とも言える創業家であれば、確かに上場会社であっても持ち株会社の「役員人事、役員報酬、配当金等」の方向づけは容易ではある。

「甲斐さん、ご期待に副えるかどうかわかりませんが、私の監査等委員としての信条は『法令遵守』ファーストです。」甲斐からは返事はなかったので続けた。

「サラリーマンの『勘』……よくわかります。私の場合は、残念ながら『良い勘、予想』は外れ、悪い『勘』は、必ずといっていいほど当たります。甲斐さんの日帝工業のお話は、正直言ってまだ、半分も理解できていませんが、一般的にオーナー会社は、『改革』が苦手と言われます。『俺は、こうやって会社を大きくしてきた』『俺のやり方に間違いはない』という実績は、『改革』の基本プロセスである『スクラップ&ビルド』の『スクラップ』が中々できないですよね。山本社長もオーナー家である名誉会長と代表取締役会長が頭上にいれば『改革』推進が難しい立場ですね」

「もちろん、創業家の二人の存在は、山本社長にとって重い存在です。問題は、その悩みが伝わってこないということです。というかそのような悩みが無いと言ってもいいかもしれません。逆なんです。『自分は、創業家に選ばれた社長だ。創業家と同じ立場だ』と思っている。創業家を利用して自身の権威を示そうとしています。東野さん、『良い勘は当たらず、悪い勘はよく当たる』経営者の『勘』の確率は、みなさん同じだと思います。だから僕は心配している。僕は、宝くじが当たる夢はよく見ますが、当たったためしがない」東野は笑った。

「山本社長と創業家はどのような関係ですか?」

「山本社長の父親が、日帝工業で働いており、取締役まで務めたそうです。明神名誉会長と懇親だったらしく、山本社長が、最初の就職先で上手くいかず辞めてふらふらしていたところを名誉会長にお願いして入れてもらったそうです。名誉会長が長男の新井泰造氏から引き継いだ社長職を卒業したのが十年前で、後任は、取引銀行から二人二代、社長に迎えました。その後、生え抜きの社長として指名されたのが山本社長です」

「山本社長の業績貢献はあったのでしょうか」

「山本社長は、日帝工業の主力製品の一つがある王道のアルミ製品営業本部で『シャット・サッシ』を担当していました。本部長時代は、現状維持の売上高で、新規顧客開拓や事業拡大はありませんでした。原材料や物流費の高騰で減益となりましたが、OEM営業本部が堅調で利益をカバーして、環境に助けられた経営でした」

「ある意味『実力』ですよね」甲斐は疲れたのか……日本酒も三杯目となっていた。

「ちょっと話し過ぎました。老人の戯言と捉えてもらっても構いません。人それぞれに己の『正義』がありますから。僕が絶対正しいとも言えません。株式会社の場合、評価は誰がするのかな?やはり株主ですかね。わあ!振り出しに戻りそうだ」笑った。

甲斐との酒席は楽しく有意義であった。会社のことは、まだ、良く知らないが、東野が接した経営幹部に限っての話であったため対象人物を想像しながら聞くことができた。二人は、20時ころ居酒屋を出たところで別れた。甲斐は、JR秋葉原駅から上野駅で東北新幹線に乗りかけて帰るといった。東野は、居酒屋が秋葉原中央通りに面しており、ドン・キホーテの近くにあったこともあり、アルコールを体内から飛ばして帰ろうと久しぶりの秋葉原の街を歩き始めた。目的地は都バスの上野広小路で、ここから一キロくらい、10分程度で着く。都バスで「上69小滝橋倉庫行」に乗車して江戸川橋まで行き、そこから護国寺の自宅まで帰ろうと考えた。秋葉原の街は、平日のため飲食関係以外は、閉まっている店が多かった。東野は、歩きながら社内情報の収集について考えたかった。60日プランにどう織り込むか?日帝工業で新人の東野にとっては、「日帝工業の会社人」に早くなるためにまた、「日帝工業の会社人」に追いつくためには、歴史、沿革、取引形態、取引先、部門別状況の業績等の勉強と情報収集しかない。自分の意見を持つためにも、初めは中庸となって色々な人から情報を得ることに努め、取捨選択は後にすれば良いと考えた。雲井も甲斐も、いわゆる中途入社であり、他社との比較評価で自然と改革すべきポイントを探す。東野と同じ立場の先輩としての意見を述べてくれる。そんな意見とは真逆の立場である、新卒以来、いわゆる生え抜きの社員からも情報を得たいが、非常に難しいことであった。日帝工業だけでなく一般的に東野の職務である監査等委員や監査役の職責は、監視、監督、監査であり、普通、社員は警戒する。「体制に反する意見はそのまま経営幹部に伝わり評価につながる」や「改善すべきことを報告すると監査等委員がやるのではなく、結局、自分たちでやることになる」とかの認識の下にあり、ある意味、煙たい職務ともいえる。内部牽制の一つとして、法的にも要求された職務ではあるが書籍や規程では、確立されていても実際、現場ではスムーズにはいかない立場であることは間違いない。日輪産業グループの監査役を務めたときも同様であった。東野は、直接「山本社長に確認すれば早い」と正面からのアプローチ策を考えた。山本社長は、甲斐からの情報によると新卒採用ではなく中途採用であるが、側面からの確認より雑音情報は入らない。また、監査等委員は、代表取締役との定期的コミュニケーションをとることも職務の一つとなっている。もちろん甲斐からの意見をぶつけるのではなく、日帝工業の課題を通して山本社長の思考を探る作戦だ。甲斐には自分の目と耳と頭で確認すると約束した。課題はすぐ決まった。日帝工業の業績関連であり、入社面接時に東野が課題として山本に投げかけた営業利益率の低さである。指摘だけでなく解決策案も提示せねばならない。分析課題は、「当社の営業利益率向上施策について」と仮の題名を考えたところで上野広小路のバス停に着いた。バス停には小橋川倉庫行バスの「2駅前到着」のサインが表示されており、数分でバスに乗車できた。東野は、宮城関連酒造三合の日本酒の酔いとこれからやるべき方針を決めたことに満足したのか、うたたね寝しまい、江戸川橋停留所を三停留所乗り過ごし、早稲田停留所まで行った。近くのリーガロイヤルホテル東京でトイレを借りて、そこから余計に二〇分かけ「甲斐さんは、もう自宅に宇都宮に到着している時間だな」と確信して、帰宅した。

 翌日から、東野は、60日プランの具体的日程を考え始めた。大項目は二つである。一つは、監査等委員の活動計画の具体化、もう一つは、「当社の営業利益率向上施策案」についてとした。監査等委員の活動計画については、八月の監査等委員会に乾から引き継いだ活動計画の具体策の報告を行うこと。営業利益向上施策については、七月中に資料の収集、八月に分析、向上施策案作成、九月に山本社長へ提示する計画とした。

2020年三月期の連結決算では売上高789億円、営業利益17.8億円(営業利益率:2.3%)、日帝工業単体では、売上高203億円、営業利益▲2百万円と損失を計上していた。過去五年間の単体決算は、売上高は、190億円から230億円の幅で行き来しており、営業利益は最小百万円、最大15百万円の連続損失を計上している。日帝工業単体決算は、国内の五工場と営業本部を含む本社機能で成り立っており、海外グループ会社からは、税務対応として配当金と本社機能の海外支援金としての一定の割当金を回収している。東野は各工場別決算での原価分析を行ってみることとした。各工場の製品知識習得も兼ねた調査とするためである。資料の収集の方法は、ランチタイムに雲井部長に確認したり、隣の席の企画管理部の竹腰部長、内部監査部の大野部長に尋ねた。名目は「各工場の勉強」である。大野部長が一番怪訝な顔して「自分が持っている資料は工場の内部監査報告書しかない」とつっけんどんな態度で回答してきた。

「それで充分です」と丁寧に答えた。内部監査報告書を読むことで内部監査部監査レベルや実力も把握できる。これは監査等委員として内部監査に同行して監査実務を遂行する上で重要な足掛かりとなる。各工場別損益計算書は、企画管理部で各工場からの報告をまとめていた。製品別損益計算書までは整備されていない。しかし製品別生産時間管理表はあった。工場別損益管理数値を五年分のデータでもらい分析を開始した。青森、宮城、流山、岐阜、秋吉の五工場で黒字経営は青森工場のみだけであった。青森工場には、カミノソニック向けOEM供給が安定しており、アルミ、プラスティックの自社製品を製造していない。収支がトントンのところは、岐阜工場で四菱電工向けOEM供給と自社製品が半々の生産量である。その他は、赤字であり、自社製品のみの生産工場である。海外工場の業績で黒字が成り立っているのは、自社製品の生産を深圳会社しか取り扱っておらず、ベトナム、タイ、インドネシアは大手メーカーの海外生産に付随してOEM供給を行っているためである。自社製品は例え品質で差別化できたとしても海外市場の単価対応が厳しく、中国でやっと、品質と価格の対応する市場が見え始め二年前に生産を開始したという。来週から原価構成についての分析に取り掛かる。

 東野は、週末には家族との予定がない限り必ずプールに行っている。七年前、ぎっくり腰で通院した際、医者から「もう年齢的にも腰を支える背骨のクッションが減っている」と言われ、対応策を聞くと「筋肉を鍛えるしかない」と勧められたのが、水泳とサイクリングであった。自宅から歩いて30分くらいで文京区のスポーツセンターにいけるため、スポーツセンターのプールに通った。初めは、クロールで25mプール40回の行き来で1km泳ぐのもしんどかったが、今は、80分かけて2km泳ぐスピードで週に一回は通っているが、勤めているとどうしても週末になってしまう。継続してきた効果なのか、腰の具合も良くなり、たまに腰が痛くなっても回復が早くなったのは幸いである。東野にとって、孤独な、風景の変わらない25mのプールの壁を行き来する水中は、色々な考えを纏めることができる貴重な時間でもあり、よく来週からの仕事の取組みのレビューを行っていた。

 7月も中旬になると社内は、工場が休みに入るお盆を挟む8月の一週間への体制準備と第1四半期の決算の纏めで繁忙期となる。監査等委員会としては、さくら監査法人からの報告を基に第1四半期決算の承認事項があり、その他として内部監査部の監査日程である8月26日からの流山工場の実査の準備があった。東野は工場別損益の分析の結果と仮説をそれまでに纏め、山本社長に提案前に、実際に工場長にヒアリングができるのは良いチャンスであった。各工場の原価構成を分析すると原材料費が、40%、物流費が20%、人件費が20%、10%が水道光熱費で占めていた。山本は株主総会の業績説明の際に原材料と物流費の高騰による収益悪化で説明していたが、40%を占める人件費については自動化くらいしか表立った施策はなかった。工場の人件費は、年度予算より実算がオーバーしていた。人件費関係は、総務部管轄のため雲井部長に「工場別月別人件費」を「残業代」と分けたデータ作成をお願いした。「一週間ほど時間をもらいたい」とのことで返事をもらう。その間、製品別生産量の状況を確認することとした。年度でみて生産量に大きな変化があったのは、OEM供給製品で、エンドユーザーの生産体制に左右されている。自社製品である「シャット・サッシ」はユニット化されており、特約店からの年度販売予想に基づき先造りの在庫ビジネス形態となっている。

〔1・売上高横ばい〕、〔2.人件費分析〕〔3.生産体制〕の分析の三点からの考察を行うこととした。

〔1・売上高横ばい〕

自社製品の主力である「シャット・サッシ」やプラスティック生活成形品は、既に国内市場が飽和状態で、拡大は見込めない。逆に海外生産廉価版の品質向上品が侵出攻勢をかけており、価格対応が更に厳しくなる。OEM供給製品は、メーカーが価格と地産地消対応のため海外生産体制にシフトしている。国内生産を持続させているのは、政情不安等の海外生産リスク対応のためのカミノソニック設備工業くらいである。青森工場の業績が安定しているは、このカミノソニックの継続生産である。しかしながら自社製品同様、市場拡大は望めず、むしろ停滞気味である。

〔2.人件費分析〕

総務部から一週間後に工場別人件費分析が届いた。各工場とも生産人員の移管等がない限り、五年間の人件費に大きな変化はなかった。

時間外労働も平均20時間前後(予算は毎年10時間で参入)であった。東野が特記すべきことと記憶したのは、賞与である。黒字の青森工場を除いた四工場は、賞与算出最低月数の2か月分が支給されていた。青森工場は黒字幅に応じて良いときは四か月分最低でも三か月分支給されていた。

〔3.生産体制〕

自社製品の製品種類は、3万5千点ほどあり成型機立上、金型設置・交換、原材料投入、成形品生産、品質チェック、包装等各段階での所要時間がデイリーに記録されているが各年度の各工場長方針を確認しても生産効率に関する明確な指針が提示されていなかった。東野が最も驚いたのが、工場生産体制が三交代制で24時間体制の操業していることであった。東野が日輪産業時代に工場が24時間体制の生産を行ったのは、2度しかなかった。一度は、欧州の薬品メーカーの検査装置の特需で三か月、もう一つは、東北大震災時に被災した工場復旧後、受注品の納期回復施策として半年間三交代制で対応したときのみであった。

1・国内市場の拡大は望めない。寧ろ縮小傾向で、今後海外製品対応のため価格戦略として更なる原価低減施策が要求される。

2・人件費が固定費化している。二十四時間生産体制にも拘らず残業時間が発生している要因の分析が必要である。

3・製品別生産時間の目標がない。いわゆるスタンダートタイムが明確でない。

4・工場の二十四時間生産体制の必要性は?自社製品は先造り在庫ビジネス形態であり、

 OEM供給製品は、納期切迫の大型受注はない。

東野は、〔課題の纏め〕を基に資料準備等を行い山本社長へのプレゼンをすることとした。

【取締役会:2019年8月8日】

 定例の取締役会が開催された。〔決議事項〕は二つであった。

第一号議案:2020年三月期第1四半期決算の件

経理財務部長である椎名取締役が、決算短信案に基づき決算概要を説明した。日帝工業のセグメント別業績は、日本、中国、東南アジアの三つで構成されており、当該四半期の利益は、いずれも前年同期を上回る結果であり、承認決議された。この取締役会決議をもって「2020年三月期第1四半期決算短信(連結)」を東京証券取引所に提出するとともに報道機関へ発表する。また、上場会社は「第1四半期報告書」を関東財務局等を通じて内閣総理大臣へ提出する義務がある。

第二号議案:利益相反取引(新井企画との取引)の件

議長の指名により、総務部長である雲井が、本社分室として新井会長が代表を務めている(株)新井企画と賃貸借契約している事務所の賃料状況について説明があった。王子神谷近隣の事務所やマンションの賃借料の推移と市場賃借料を基に、本年度、新井企画と合意した賃借料を提示した。取締役が関連する当社との取引には取締役会の承認決議が必要である。市場価格と相違がないことを確認して特別利害関係者である新井会長を除く取締役で審議し、承認決議された。

〔報告事項〕は一つで「岐阜工場自動化プロジェクト進捗状況」であった。

企画管理部の竹腰部長から、プロジェクトを立ち上げて二年目の状況について説明があった。生産自動化プロジェクトは、今後、労働力の確保が困難になる生産体制の対応策で、岐阜工場を皮切りに五年という中期計画の一環である。プロジェクトは順調で予定通りである旨報告され、全員承諾した。東野が、企画管理部から「製品別生産時間管理表」のデータを速やかに収集できたのは、この「生産自動化プロジェクト」の基礎データとして作成していたためである。定例の取締役会は四〇分程度で終了した。その後、東野ら監査等委員三名は引き続き監査等委員会を開催した。

【監査等委員会:2019年8月8日】

〔決議事項〕は二つ、

第一号議案:2020年3月期会計監査人の報酬に関する同意の件

この日は、さくら有限監査法人の竹田パートナーに出席してもらい事前に配布された「2020年3月期監査及び四半期レビュー概要説明書」に基づき、監査計画の説明があった。循環監査拠点以外に前年度実施計画とも変更はなかったが、監査予定時間は、2021

年から適用開始される収益認識会計基準の影響と対応策の検討監査時間が四〇時間プラスされており、その分が増額となっていた。審議の結果、承認可決された。

第二号議案:利益相反取引(新井企画との取引)の件を議長である東野が付議した。

東野は、取締役会で提出された資料と説明内容は相違がないため、すぐ審議に入りたい旨を申し出て全員が了承し、審議の結果、異議なく原案通り、全員賛成した。

〔報告事項〕は一つであり、

「さくら監査法人からの(第七〇期第1四半期レビュー結果概要報告)」の件で、この件もさくら有限監査法人の竹田氏からレビュー結果に基づき「無限定意見の結論を付したレビュー報告書を提出する予定」との説明、報告を受け、全員が承認し、決議した。

監査等委員会は20分程度で終了した。

東野はお昼に近かったので両角と佐藤を昼食に誘った。監査等委員三人による初めての会食であり、今までの経過や両角や佐藤の現況について話を聞いた。両角は、税理士であり、クライアントが数件と他の会社の監査役を兼任しているため決算時期は非常に多忙であること。佐藤は米国外資系の損害保険会社日本支社長のため本社主催の会議の際は、テレビ会議の時間を現地の時間に合わせることの煩わしさ等を話していた。二人に日帝工業の監査等委員になったきっかけを尋ねた。

「私の場合は、『大会長』……今の会長の父親である方の時代からです」両角は懐かしむように話し始めた。

「今は、会長が引き継いでいる個人会社の株式会社新井企画の税務を担当して以来ですから、二〇年以上のお付き合いになります。大会長は厳しい方でしたが、立派な経営者でした。私的利益より、社員や会社全体のことをいつも考えて、取引先を大事にしていました。後継者の名誉会長が大会長の経営信条を引継ぎ、上場させてここまで大きくしました。私は一五年くらい前に非常勤監査役を依頼され、今に至っています。」

「僕の場合は、両角さん世代の次の繋がりです。今の会長の息子さんの泰さんと同じ大学です。セミナー等で一緒になったりして友人となり、泰さんからの監査役就任依頼がありました」二人とも創業家関係で選任された非常勤社外取締役監査等委員である。両角、佐

藤、二人とも創業家のことについては深く話はしなかった。東野が海千山千のものと警戒しているような感じすらした。二人とは、二か月に一回、監査等委員として顔を合わせる程度である。(前任者の乾もこのペースの連携でやっていたのだろう)と。また、(この

ペースで、できる業務なのか)とも東野は考えた。

第1四半期の決算関係も落ち着いた時期を狙い、東野は山本社長へ入社後の「60日プラン」を説明したい旨、アポを申し出た。山本は、八月に海外出張があるため9月の初旬が良いということで9月10日を指定してきた。東野は、午後1時から2時間のアポで了承した。「60日プラン」には、国内工場の利益改善施策案が含まれていることもあり、少し長めの時間を依頼した。日帝工業ベトナム会社の田村社長から執行取締役全員宛、ccで監査等委員宛に「ナムディン省税務局から8月26日から30日まで税務監査が入る」とメール送信で連絡が入ったのはこのころであった。

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