56.推しへの愛を叫ぶ

 非合法の話し合いから一週間が経ち、ノエルは学院での日常を送っていた。

 『呪い』を全滅した英雄に仕立て上げられ大司教を華々しく引退したノアは、学院で教鞭をとっている。

 意外だったのは研究所での専攻だった。学院での肩書は光魔術全般と精霊術を教える教師だが、研究所での専攻は魔道具だった。


(もしかしてユリウスに魔道具造りを教えたのはノアなのかな。私にも教えてほしい)


 ノア襲撃の一件以来、ユリウスに魔道具を作りたいと考えていた。あのユリウスですら魔力がカスカスになる事態がある。

 強力な魔術師だからこそ、危険な場面に遭遇する事態は多いだろう。


(やっぱり、同じ指輪が良いかな。どうせならお揃いの方が……、いや、揃いの指輪って)


 この世界においては意味などないかもしれないが、何となく抵抗がある。


(あとでノアに相談してみよう。どうせ、一日に何度か会わなきゃならないんだし、話すこととか、やることとかあったほうが楽だ)


 ノアはただの護衛ではなく、ノエルの監視を兼ねている。全く会わないという訳にもいかない。


(アーロとユリウスみたいな関係だったら良かったのにな。なかなか慣れない)


 考え事をしているうちに、クラブ室に着いていた。


「あまりにも横暴だよ。リアムは納得して受け入れたのか?」

「事前に相談もなかった。私も同じように驚いたんだ」


 ドアを開けると、大変不穏な言い合いが繰り広げられていた。

 ロキとウィリアムが明らかに険悪な顔で向かい合っている。

 ノエルの姿に気が付いたアイザックが、静かに歩み寄った。


「アイザック様、何かあったのですか?」


 アイザックはノエルたちが王城に招かれた日に目を覚ました。体調に問題はなく、無事に学院に復帰となった。クラブにも数日前から顔を出している。


「ちょっと立て込んでいるから、ノエルは席を外したほうが良い。そうだ、借りた本をレイリーと一緒に返しに行ってきてくれ、ないか」


 アイザックが振り返ると、ロキが真後ろに立っていた。


「ノエル、ちょっとこっち」


 ロキに強引に手を引かれて中に入る。

 振り返ると、アイザックが困った顔で頭を抱えていた。


「ここ、座って」


 肩を押されて、すとん、と席に着く。

 事態が全く理解できない。


「ウィリアムとの婚約に合意したって、本当なの?」

「は?」


 思わず周囲を見回す。

 困り顔のウィリアムと隣には、俯いたレイリーがいた。


「合意した覚えはありません。ウィリアム様、何故この話を?」

「公にはなっていないよ。ただ、ノア先生は、あの場に同席していたからね」


 ウィリアムが目を逸らす。


「ノア先生がレイリーに話に来たんだよ。このクラブのメンバーには、それを聞く権利があるだろ」


 ロキの言葉は御尤もだ。

 ノアの一件について、クラブメンバーは解決に大きく助力している。


「庇護って名目なら、俺もカーライル家次代当主としてノエルに正式な婚約を申し入れるけど、それもアリってことだよね?」


 ロキの目が本気で怒っている。


「待って、ロキ。話が飛躍してる。庇護というより監視だよ。この件は私もウィリアム様も知らなかった。ウィリアム様も被害者なんだよ」


 いまいち状況がわからない。

 ノエルはアイザックに目線で助けを求めた。


「ノア先生はレイリーを鼓舞しに来たんだと思う。その為の状況説明が、ちょっと事務的だったんだ。それでその、今のままだとノエルの方が婚約者にはふさわしいっていわれてね」


 さらにロキが補足する。


「ノエルの中和術が問題なら、婚約以外にも方法はあるはずだ。二人とも婚約話を退けはしなかったんだろ」


 ノエルは思わずウィリアムに目を向けた。

 ウィリアムが目線を下げる。


「あの状況下で、あの条件を提示されて、ノエルとの婚約を退ける選択は、私にはできない」

「あの場で、きっぱりお断りしたはずです。条文にも同意しました。だからこそ、ノア先生も学院に来たのでしょう。婚約話が活きているなら、ノア先生の監視も要らないはずです」


 度々、面倒を起こしてくれる。

 わざわざクラブ室まで話に来るなど、ノアの意図が、いまいちわからない。


「婚約の話は、活きているよ。ノエルの命にかかわる話だ。無碍には出来ない」


 ウィリアムが真っ直ぐにノエルを見詰める。

 つまり、ウィリアムは断らなかったということだ。二つの婚約話が委ねられたまま保留になっている。


(優しさなのかもしれないけど、余計なお世話だ。ウィリアムはレイリーのことだけ考えてたらいいのに!)


「今のウィリアムにはノエルもレイリーも選ぶ権利がある訳だ。好きな女を二人囲って気分良くなっているだけだろ!」

「そういうつもりはない! あくまで命の問題であり政治的な話だ」

「二人とも、いい加減にしろ」


 殴りかからんばかりのロキを押さえながら、アイザックが仲介に入る。

 すっとレイリーが立ち上がった。


「私が降りる」


 場が水を打ったように静まり返った。


「婚約は私から破棄する。ノエルの命を蔑ろにしてまで、縋りたくはない。それに、今の私には、リアムの婚約者でいられる強みがないのも事実だ」

「そうじゃないだろ、レイリー。簡単に折れていいのか」


 ロキの言葉にレイリーが首を振る。


「事情を考慮すれば仕方ない。ノエルの能力の高さは私も良く知っている。ウィリアムにふさわしいのは私よりノエルだ」

「待ってくれ、レイリー。今すぐの決断を迫られている訳じゃない。あくまで、現時点で必要な対処でしかないんだ」


 ウィリアムが何とか取り繕う。

 俯くレイリーは懸命に笑おうとしている。潤んだ目は涙を流さないように、耐えている。


(だから、違うって言ってるだろ。違うって! お前ら全員、何もかもが違うんだよ!)


 だん! と、ノエルはテーブルを殴らんばかりに叩いた。

 全員の視線がノエルに向いた。


「私は庇護など求めていません。大体、優柔不断な皇子様に守ってもらわなきゃ生きられない程、弱くない!」


 びしっとウィリアムを指さす。


「政治的だというのなら、さっさとレイリーを捨てて私を選んでください。出来ないのはレイリーを愛しているからでしょう。だったら、はっきりそう言えばいいんです!」


 ウィリアムが、びくりと肩を嘶かせる。

 今度はロキに向き合う。


「ウィリアム様が婚約話を保留にしているのは、レイリーが成長する時間を稼ぐためだよ。今のロキの嫉妬は格好悪い!」


 ロキがびくっと震えて動きを止めた。


「私は国王陛下に、レイリーがフレイヤの剣の後継者になるよう訓練すると約束した。レイリーには資質かあると、絶対になれると信じてる。だからレイリー、その気があるなら私の手を取ってくれ!」


 ノエルはレイリーに向かい、勢い良く手を伸ばした。


「さぁ!」

「はい!」


 鼻息荒いノエルに飲まれて、レイリーが差し出された手を取った。


(私の推しを傷付ける奴は、たとえ攻略対象でも許さない)


 レイリーの手を握って、引き寄せる。


「この中でレイリーを一番愛しているのは私だから。レイリーが強くて優しくて才能がある人だって、私は知ってる。だから、諦めるなんて言わせない。私が許さない」


(君は原作者の推しなんだぞ。もっと自信を持ってくれ、悪役令嬢なんだから)


「ノエル……。これから、よろしく頼む」


 レイリーの目尻に溜まっていた涙が、一筋流れた。


「ノエルが一番、男前だな」


 アイザックの一言に、ウィリアムとロキが気まずそうに黙り込んだ。

 ノエルはレイリーの手を握ったまま、クラブ室を出た。

 扉の脇で、壁に背を預けて立っていたのは、ノアだった。


「やっぱりいましたね。お兄様」


 ノエルはノアをねめつけた。

 わざわざクラブメンバーに婚約の話をしたからには、何か狙いがあるのだろうと思っていた。


「レイリーはやる気になってくれましたよ。これで満足ですか」


 ノアがレイリーに目を向ける。

 目を逸らしたレイリーだったが、ノアをしっかりと見据え直した。


「ノエルが私に才があると言ってくれました。だから、努力してみようと思います」

「そうか」


 ノアがレイリーの頭を撫でた。


「私のせいで、お前には苦労を掛ける。すまないな」


 表向きの罰がなかったとはいえ、ファーバイル家の威光を失墜させたのは事実だ。ノアにはノアなりの罪の意識と贖罪の気持ちがあるのだろう。


「今まで、兄様の権威に感けていたのは、私の方です。今度は私が恩返しを致します」


 涙を流すレイリーは、安堵したような顔をしていた。


「妹の尻を叩いてくれて、助かった。私の言葉では足りなかったようでな」


 ノアの確信犯的発言に、ため息が出る。


「だからって、あまり若者を焚きつけないでください。収集付かなくなりますので」


 小さく笑みを零すと、ノアがノエルに向かい跪いた。


「貴女に行った無礼を詫び、その功に最大の賛辞を贈る。貴女の善意にファーバイル家当主として最大の礼を持って尽くそう。ノエル=リンリー=ワーグナー士爵」


 ノエルの手を取り、口付ける。


「今後、ファーバイル家はノエル=ワーグナーを全力を持って支持する。助力は惜しまない。何でも言付けろ」


 見上げるノアが微笑んでいる。

 今までに見たこともない顔に、怖気が走った。


(この人、もしかしてシスコンか?)


「ありがとう、ございます」


 レイリーの訓練で助けてもらうことはあるだろう、などと考えながらも、素直に喜ぶ気になれなかった。

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