37.鉄の宰相 シエナ=エリオット=ローレンス

「はいはーい、仲良しなところ悪いけど、ノエルは貰っていくよ」


 聞きなれた声がしたかと思ったら、体が宙に浮いた。

 気が付いたら、ユリウスに小脇に抱えられていた。


「ロキ、ごめんね。僕はノエルを他の誰かにあげるつもりはないんだ。欲しかったら実力で取り返すように」


 言うだけ言って、ユリウスはさっさと歩き出した。

 振り返ろうとしたら、ユリウスに抱え直された。


「どこから湧いて出たんですか。誤解を生む表現はやめてください」


 驚くを通り越して、呆れる。

 今の発言はどう考えても誤解されたし、ロキを煽っている。


「じゃぁ君は、ロキのものになりたいの?」

「そういう訳ではないけど、先生のものでもないですし、そもそも私はものではありません」

「それは、そうだね」


 会話しているようで会話になっていない気がする。


(そもそも、なんでこの人、ちょっと楽しそうなんだろう)


 甚だ迷惑な人間である。


「僕は何も、若者二人のを邪魔しに来たわけではないよ。ノエルにお客様が来ているから、ご案内するために連行しているだけだよ」


(じゃあ、あのセリフは何だ。ロキにとって冗談では済まないだろ。それに、連行って……)


 考えすぎかもしれないが、どことなく棘を感じる。

 本気の嫉妬だろうか、と考えるのは奢りが過ぎると思うが。


(モルモットに他の飼い主が出来ては、面倒なんだろうな)


 そう考えるのが、一番、納得できた。というか、それで納得したい。


(まぁ、あれ以上、ロキと一緒にいるのは、良くなかったかもな。お互いのために。私はロキの気持ちに応えられないんだから)


 そう考えると、迎えに来てくれたのは、有難かったかもしれない。


「それならそうと言ってくれたらいいでしょう。もうちょっと、やり方があったと思いますよ」

「随分、不満そうだね。そんなにロキと離されたのが嫌だった?」

「別に、そういう訳ではなくて」


 ロキの作戦は成功だな、と思う。確実に意識している。

 自分が書くシナリオより上出来な気がする。


(次のシナリオに使おうかな。あ、でもダメだ。攻略対象にアイアンクローかます主人公は良くない。いや、それ以前に、もう私がシナリオを書くことはないんだった)


 何だか色々疲れて、全身の力が抜けた。

 ぶらんぶらん揺れる姿を、ユリウスが感心した顔で眺めていた。


「器用に力を抜くねぇ。収穫された小麦の束みたいだよ」

「それは、どうも。もう降ろしてください」

「ロキの所に戻られても、困るしねぇ。どうしようかな」

「戻りませんよ。お客様が来ているんですよね。私に用があるのは、お客様なんですよね」


 必死に顔を上げて訴えたら、ようやく降ろしてくれた。

 目の前にはユリウスの研究室が見えた。

 どうやらここに、お客様が御見えらしい。


(結局、目的地まで担がれた)


 変な担がれ方をされたせいで、脇腹が痛い。

 摩っていたら、腰に手を回して中に誘導された。


(やっぱりユリウスも、なんか変だ。主人公以外に執着するキャラではないに)


 モヤっとする気持ちを抱えたまま通された部屋の中では、女性が一人、アーロと親しげに談話をしていた。


「ユリウス、早かったな。ノエル嬢は、もう見付かったのか」

「僕がノエルの居場所を知らないわけがないでしょ。すぐに捕獲できたよ」

「逃げた飼い猫を捕まえてきた、みてぇな言い草だなぁ。最早、立派なストーカーだぞ」


 呆れを通り越して引いているアーロの前で微笑んでいる女性。彼女の顔は、知っている。


 精霊国の宰相・シエナ=エリオット=ローレンス。

 国王・ジャンヌの右腕と評判高い彼女の二つ名は「鉄の女」だ。一見、非常にも見える改革で国内の不正を暴き浄化してきた立役者。今回の件が彼女に一任されるのは、全く不思議ではない。


(流れとしては予想通り。むしろ有難い。それに、さすがの動きの速さだ)


 視察の通達があってから幾日も経っていない。優秀な彼女なら、不思議ではない。問題は、ノエルを指名してきた今である。


(まさかのダメ出しか……? 今更、計画の変更は無理だ。ここは何とかして適当に誤魔化さないと)


 身構えるノエルの肩に手を置いて、ユリウスがシエナを牽制した。


「うちの飼い猫が怯えているから、あんまり脅かさないでほしいんだけど」

「怯え? むしろ、勇猛に食い掛ろうとしているように見えるが?」


 シエナの目がノエルを窺う。顔は笑っているが目がまるで笑っていない。ノエルという人間の本質を見抜かんと探る視線だ。


(食い掛ってきているのは、そっちだろ。怖いよぉ。こんな強い人に勝てるわけない。素直に謝ろう。別の作戦を考えよう)


 気持ちで、さっくり負けた。シエナがどんな人間か、キャラ付けした自分が誰より良く知っている。敵に回しては、この国で生きていけない。


「初めまして、ノエル。ユリウスから話は聞いているよ。呪いに打ち勝った、初の生還者だと。今も健勝である君に祝福と、賛辞を送ろう」


 シエナが立ち上がり、手を差し出す。

 びくり、と全身が震えた。


(ビビっている場合じゃない。ちゃんと挨拶しないと。とりあえず挨拶だ)


「こちらこそ、シエナ様ほどの御方に足をお運びいただくだなんて、恐縮です。ノエル=ワーグナーと申します」


 シエナが差し出した手を握る。

 マナーブックに載っていそうな、テンプレートな挨拶しかできなかった。


(手汗が酷い。早く手を離したい)


 シエナがノエルの手を握り返し、軽く引いた。

 完全に腰が引けているノエルに顔を寄せて、シエナが無遠慮に目を覗き込む。


「なるほど、確かに変わった気配だ。ユリウスが興味を持つ気持ちが、わかるね」


 耳元で囁かれて、冷や汗が止まらない。


(この人はユリウスから、何をどこまで聞いているんだ。返答の正解が全然わからない)


 鯉のように口をハクハクさせていると、後ろからユリウスがノエルの肩を引いた。握っていた手がようやく離れた。


「だから、脅すなといっただろ。所望されても、ノエルはあげないよ」


 はっと我に返り、ユリウスを見上げる。

 声はいつもの調子だったのに、目が全く笑っていない。

 シエナもまた、同じような目でユリウスを牽制しているように見える。


「誰に庇護を求めるかは、ノエルが決めることだ。一方的な独占は良くないな、ユーリ。お前は相変わらず、他者の感情に無関心なようだな」

「ノエルは僕の元に庇護を求めてきたんだよ。僕は常に彼女の自主性を最大限に尊重しているけど?」


 二人が笑顔で睨み合う。


(自主性を尊重されたことなんかありましたかね⁉ ていうか、シエナは私を保護しに来たのか? もしかして私、国に軟禁される?)


 ぶらりと垂れ落ちた手が、無意識にユリウスの服を掴んでいた。

 気付いたユリウスが、後ろからノエルの肩を抱いた。


「この娘は僕のものだよ。誰にも渡す気はない。相手がシエナでも、譲るつもりはないよ」


 肩を抱くユリウスの腕に力が入る。

 ユリウスの腕が魔力を纏っている。不穏な気配を感じる。


(こんなところで国相手に喧嘩とかやめてほしい、マジで)


 ユリウスがあまりに強く抱き締めるので、首が締まった。

 締まる腕をパンパン叩く。


「あぁ。ごめん」


 気の抜けた返事と同時に、腕が緩む。

 振り返って、ユリウスを睨みつけた。


「ふ、ふふっ……」


 向き直ると、シエナとアーロが二人を眺めて笑っていた。


「存外、上手くやっているようだな、ユーリ。お前にしては珍しい執着だ。飼い猫が、可愛いか?」


 シエナが気の緩んだ顔で笑んでいる。

 ぷい、と顔を逸らすユリウスは不貞腐れた子供のようだ。


「悪いなぁ、ノエル。訳がわからねぇだろ。シエナは昔、学院で教鞭をとっていたんだよ。ユリウスはその頃の生徒だ」

「加えて、従姉弟でもあるのでな。ついつい、揶揄いたくなるんだ。怯えさせてすまない、ノエル」

「はぁ……。そう、なんですか」


 アーロとシエナの言葉に、頷く。


(言われてみれば、そんな設定あったかもしれない、資料集に。ユリウス周辺の人間関係はシナリオ書いた後の、制作サイドの後付けも多いから、本当に曖昧だ)


 とはいえ、国に軟禁される事態は免れたらしい。悪い想像ばかりしたせいで、体に無駄な力が入っていた。気が抜けて、どっと疲れた。


「では、シエナ様は何故、私との面会を望まれたのでしょうか。私が、呪いの解呪者だからですか?」

「ああ、そうだ。君は本国でも稀有な存在であり、魔術師だからね。今後は何かと協力を願う事態もあるだろう。だから、これを渡したくてね」


 シエナが手の中の小箱を開く。


「イヤリング、ですか」


 雫型の赤い結晶が下がったイヤリングだった。全体的な意匠デザインはユリウスがくれた指輪に似ている。


『貴女に、女神さまの加護があらんことを』


 囁きながら、シエナがイヤリングを付けてくれた。


「国王から君への、魔道具のプレゼントだ。呪いを受けて尚、生きている君に不利益が起きないよう、加護を付与してある」

「ありがとう、ございます」


(とんでもない人からプレゼントをもらってしまった。ノア対策ってところかな。国もノアと教会の所業は把握していると断定していいな)


 シエナの台詞から考えて、ノエルの作戦は支持されたと思っていいだろう。


「余計な真似をするなよ」


 ユリウスの口から、らしくない言葉が飛び出した。


「余計、ではないだろ。お前に合わせてやったんだ。感謝しろよ」


 シエナの得意な顔に、ユリウスが押し切られていた。


(ユリウスでも敵わない人っているんだな。資料集、もっとちゃんと読んでおけばよかった)


 悔しそうなユリウスの顔など、次いつ見られるかわからない。

 貴重だな、と思いながら、ノエルはぼんやりと二人を眺めていた。

 




 





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