功罪のレーサー

さばよみ

プロローグ アウトラップ

「俺は、この街に来てから日が浅い。あえて聴く。この街は昼夜問わず爆音の排気音が聞こえる。が、それを警察は取り締まらないのか?」


 狭いタクシーの車内。

 

 私は渋滞に巻き込まれて身動きの取れなくなった。


 幸い時間に急いでいるわけではなかったが、無言の空間に耐えきれず口が開いたのだ。


「へへっ。お客さんそれを聴くには野暮ってやつですよ」


 ステアリングに項垂れるタクシードライバーは胡散臭く微笑んで私の顔を見た。


 ぱっとみ少女のように見えるが、まさか本当に少女が運転しているわけではあるまい。


「この街で催されるレースは7割が合法ですよ。ちゃんと申請すればね」


 私はそれを聞いて理解できなかった。もし子供が轢かれたら誰が責任を取るのだろうか。


「二トンまでなら赤ちゃんも無傷ですよ。私も例外なく」


 私は困惑して、眉をひそめた


「お客さんもしかしてA.N.G.E.Lを投与されていないのですかい? 義務なのに?」


「あいにく、体が拒否反応を起こしてね」


 私は眼鏡をかけ直す。


「あー……。すいませんデリカシーないこと言っちゃて。飴ちゃんもらってください。せめてもの品です」


「いや、気にしなくていい」


「外を出歩く時は気をつけないと。下手したら死にますよ」


「肝に銘じておくよ」


「ここの住民はレースを娯楽として受け入れているし、中には睡眠用BGMとしてレースを応援している人もいるくらいですよ」


「一種の麻薬みたいだな」


「みんなビョーキなんですよ。会社で疲れて、安全でケッコー刺激的なものを求めた。だからレースができて、この街が生まれた」


 私は雑居ビルに投影される広告看板を見て、納得した。

 私の地元は生命保険の看板でほとんどだったがこの街にはレース関係の保険、金貸屋の広告に埋め尽くされていた。


「その上で無鉄砲に警察が介入したら、ケンカどころの騒ぎじゃないでしょう。裁判ですよ裁判」


 ドライバーは冗談めかしく裁判裁判レースレース。クワバラクワバラとブツブツと呟いて、タクシーを発進させた。

 ようやくレースが終わったらしい。


 規制が解除されて、一般車両が熱気の残る公道の上をタクシーが走る。意外と普通だ。


 もっと特別なことを期待していた自分に驚いた。


「ここはクルマのミヤコ、トウキョー。暇さえあれば二輪四輪問わずレース三昧。あっしのようなじめじめした人間にはイケすかない街ですよ」


タクシードライバーは自嘲気味にけけけっと、面妖な笑い声を上げた。


「……なぜこんな街でタクシードライバーをやっている?」


「資金集めですよ。あっしもハイスクールレーサーの端くれ。腕も磨くし地道に資金を調達する。他にも色々とやってますぜ。風俗以外は。またお客さんに会えたらご馳走しますよ。バイト先の豆腐を。厚揚げが一番美味しいんですよこれが」


「……若いな」


「なんですって?」


「俺がクルマの免許を取ったのは19だ。バイクはその半年後。さっきこのタクシーを追い越したドライバーはどう低く見積もっても16かそこら。免許は、18から。在学しているならよりハードルが上がるはず。しかしこの街は学生ドライバーで溢れかえっている」


「ここは中学生でも自転車感覚でクルマを持ってますよ」


「そう言うものなのか」


 つい、素っ頓狂な声が出てしまった。

 いかんいかん。


「そう言うもんですって」


 私が驚愕している隙にタクシーはクルマとの間を糸を縫うように走る。


 なかなか筋がいい。鮮やかだ。


「お客さん着いたぜ。桜ヶ丘高等総合学園前」


 私は料金を払って軽くお礼を言って荷物を受け取った。


「降りたな。お金も払った」


「?」


「これであんたはお客さんじゃない。シートから降りたらただの大人だ。そこで一つ、ちょいと聞いてもいいかい?」


「なんだ?」


「この学園は廃校寸前の私立高校だ。新任を雇える金も時間はない。何しに来たんだい」


「私は先生じゃない」


「じゃあ何もんだよ」


「監督、かな」


「シーズンは過ぎたよ」


「腕の立つドライバーを探しに来たんだ」


 じっと、タクシードライバーは私を見つめてぱっ、と軽く笑った。


「見つかるといいですねぇ。あっしも陰ながら応援してますぜ」


「ありがとう」


 私はこれからの生活に一抹の希望と不安を感じながら正門をくぐった。


 彼女のささやかなエールに背中を押されて、不思議と恐怖が和らいでいた。


「旦那ぁ!!」


 突然呼び止められ、私は思わず足を止めて振り返る。



「ようこそトウキョーへ!! 歓迎しますぜ!」


 彼女は、真っ直ぐに笑って大きく手を振った。


 私は、軽く手を振った。


 タクシーは去っていった。


 私ももう行かなくては。





「おいミツル。お客さんだ。お前を探してるぜ。いや、男だ。30代後半のぶっきらぼうな眼鏡野郎。監督とか言ってたぜ。どうする?」


『…………』


「そっか。いや、なにね。素直になったんだなって。前は頑なに拒否ってたのに」


『…………………』


「ま、とりあえず使えるかどうか見定めましょうや。ヘボ監督に付き合うほどインターハイは優しくないしよ」


『………』


「……切っちまってやんの。ま、いっか。それよりも監督のお手並みを拝見させてもらいましょうかね」


 カカカっと、タクシードライバーの少女は面妖に笑った。


 通行人は彼女とうっかり目を合わせないよう必死に目を逸らして歩いた。

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功罪のレーサー さばよみ @sabayomi

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