34 皇帝 03 王子は皇帝に謁見する

 皇帝は思い出す。チェスター王国を滅ぼし、アルバート王子とその従者と謁見えっけんした、十年前のあの時を。




 玉座に座った皇帝の前に、その大人にもなっていない二人の少年は進み出た。一人はチェスター王家のたった一人の生き残り、アルバート王子。もう一人は帝国でも高潔で有能な将として名が知られていたエイデン将軍の一人息子、ヘンリー・エイデン。アルバート王子はエイデン将軍に後見され、一歳年下のヘンリーとは兄弟同然に育ったとのことである。

 謁見えっけんの間には帝国の第一皇子パトリックと第二皇子フィリップ、第一皇女セルマと廷臣たちが並んでいる。パトリックとフィリップは既に成年して帝国の公務も任されているが、セルマはまだ成年しておらず公務も任されてはいない。なお第二皇女アミーリアはまだ幼く、この場にはいない。



「よくぞ参った。アルバート王子」


「皇帝陛下に拝謁はいえつたまわり光栄です」



 ヘンリーは皇帝を反抗的な目で見ているが、王子にはそのような様子はない。

 王子が申し出る。



「陛下にお願いがございます」


「申してみよ」


「チェスター王国の民を帝国の民としておいつくしみください」


「チェスター王国の民もまた、もはや帝国の民である。余は皇帝として民を守ろう」



 王子は淡々と皇帝に頼む。皇帝からすれば頼まれるまでもない。彼はチェスター王国の民も魔族たちの攻撃から守るためにチェスター王国に侵攻したのだから。

 チェスター王国の状況は酷いものであった。王家も貴族たちも己らの権勢を求めるばかりで、民のことは二の次であった。軍事力も頼りないことはなはだしかった。魔王軍の動きが活発化しつつある今、侵攻が本格化すればまたたく間にチェスター王国は滅ぼされるのは目に見えていた。

 影響はそれだけでは済まない。チェスター王国と接する帝国の国境の防衛体制は十分ではなく、チェスター王国が滅べばその国境線から魔族の大軍がなだれ込み、帝国も危機的な状況になる恐れがあった。無論帝国にもチェスター王国との国境線の防衛体制を整えるという手はある。だがそうすればチェスター王国の王家と貴族たちが犠牲になるのはいいとしても、その民まで見捨てることになる。皇帝はそれをしたくなかった。そしてそうなった場合、チェスター王家と貴族たちは民を捨てて帝国に逃げて来るであろうことも容易に想像できた。



「そしてこちらのヘンリーを騎士としてお取り立てください。この者もチェスター王国の民を守るためにも役に立ちましょう」


「王子!?」


「そなたはエイデン将軍の息子であるそうだな?」


「……はい」


「惜しい男を亡くした。かの者が健在であったならば、我が帝国に忠誠を誓うかはわからぬとして、チェスター王国の民を守るためには尽力してくれたであろうのに」


「……」



 それは皇帝にとって本音である。

 エイデン将軍は王都包囲戦でチェスター国王と共に戦死した。チェスター国王とアルバートの兄の王子三人は、降伏すれば命は助けて相応の待遇でぐうしたものを、無意味な抵抗をして無駄に敵味方の将兵を死なせた。民を守るという王としての義務をろくにはたそうとせず、誇りを守るとたわごとを言って大勢の有為ゆういの人材を道連れにして死んだチェスター国王と三人の王子たちを、皇帝は侮蔑ぶべつしている。一方王都の混乱を収めて、己の死も覚悟して民を傷つけないように要求し降伏を申し出たアルバートのことは評価している。この王子は王としてふさわしい心構えを持っているのであろうと。そして王子は帝国がチェスター王国の民を迫害したいわけではないと正しく理解しているのであろう。帝国が王国の民を踏みつけにしようとするならば、この王子もあらがったであろう。

 皇帝は王子の次の言葉を待つ。王子自身の処遇をどうするかと。だが王子はそれ以上の言葉は発しない。

 皇帝から声をかける。



「アルバート王子よ。そなた自身はどうなのだ?」


傀儡かいらいにするなり、幽閉するなり、処刑するなり、ご随意ずいいに」


「王子!?」



 王子はこんなことを言っているのにその言葉は淡々としており、表情も動かしていない。ヘンリーが狼狽ろうばいの声を上げるが、皇帝にとっても王子の言葉は意外だった。皇帝は王子が帝国の後ろ盾を得てチェスター王国の領土を治めることを求めるか、そうでなければ帝国に登用とうようすることを求めると思っていた。ことに王子が自分自身の処刑さえ受け入れると申し出るとは思いもしなかった。



「そなたは高貴なるチェスター王家の血筋を残さずとも良いと言うのか?」


「血筋になんの意味がありましょう。チェスター王国初代の英雄王ローレンス・チェスターは、王位に就く前は田舎貴族でしかありませんでした」


「ほう。ならば我が皇帝家の血筋にも意味がないということになるな」


「はい。英雄帝アラン・ヴィクトリアスは冒険者から将軍になり、皇帝位を得たと聞き及んでいます」



 廷臣たちがざわめく。



「はっはっはっは! しかり。まさにその通りである! 皇帝も王も血筋などではなく、その能力と功績によって評価されるべきである」



 だが皇帝はこのずけずけとものを言う王子が気に入った。

 皇帝は常々思っていた。高貴な血筋などというものに意味はないと。神々の時代、王の役割をするのは神々で、人は全て民であった。元々は『高貴な人間』など存在しなかったのだ。血筋など、権威という幻想に、根拠に見えるものを追加するだけの飾りでしかない。血筋に意味があるならば、帝国の皇帝も周辺国の王たちも、代々全ての者が名君であったはずではないか。だがそうではなかった。

 皇帝家や王家や貴族に生まれた者は、教育や環境で政治的な能力が鍛えられやすいことは皇帝も否定しない。だがそれだけでは限界があることは、帝国とチェスター王国を含む国々の歴史が証明している。だから彼は平民出身の者も有能ならば積極的に取り立てている。

 もちろん皇帝も血筋が臣下を従え民を治めるために有効だということはわかっている。それを利用もしている。しかし皇帝家の者たちが民を治めるに値しない暗愚な者しかおらぬようになれば、ヴィクトリアス朝は倒れ清新な国が立つべきだと思っている。次の統治者が英明で高潔であるとは限らないことは皇帝もわかっているが。皇帝はヴィクトリアス朝が永続するべきとは考えていない。その上で彼はヴィクトリアス朝が民にとって良い国として長く続けさせたいと考えている。

 それは皇帝の実の父親、彼が退位させた先帝に対する反発心から生まれた感情であった。先帝は未だ健在で、政治を行う意欲も能力もなかったが権力欲もなく、隠居の身として気ままな生活を楽しんでいるのであるが。皇帝は、無能で民を守るという意識も乏しかった先帝では帝国を弱体化させいずれ滅ぼすと判断したのである。皇帝の治世は先帝の統治で緩んだ国の統治体制を立て直すことから始まった。皇帝はヴィクトリアス帝国初代皇帝アラン・ヴィクトリアスの残した遺訓、民を思えという言葉の忠実な実践者じっせんしゃであらんとしている。



「アルバート王子。余はそなたに我が娘、セルマを嫁がせようとしておった。今も余がそうしようと言うならば、そなたはどう思う?」


「私を完全に傀儡かいらいとし、帝国がチェスター王国領を統治するならば、それも良いでしょう。ですが私をチェスター王国の次代の王として実権も奪わないおつもりならば、おやめください」


何故なにゆえそう申す?」


「チェスター王国は腐りきっております。誰が王に立とうと、王国の体制を残したままでは、いずれ己の重みに耐えられずに崩壊するでしょう。それより前に魔王軍の侵攻に滅ぼされるとは思いますが。チェスター王国の旧弊きゅうへいは根本から改めなければなりません」


「そなたは自分でそれを為そうとは思わぬのか?」


「私がそれをしようにも、貴族たちに反発されて国が混乱状態に陥り、その間に魔王軍に国が滅ぼされるでしょう。私が一生をかけて取り組む時間があるならば、それも為しうるかもしれません。ですが今の魔王軍の状況でその余裕があるとは思えません。チェスター王国の民を生き残らせるためには、帝国の統治下に置かれるのが最善と考えます。今後帝国が腐敗し弱体化する恐れもあることは否定しませんが、少なくとも現時点での帝国は民を託すに値すると考えます」



 皇帝は思った。自分はチェスター王国の現状を甘く見ていたのかもしれない。皇帝はアルバート王子にチェスター王国の立て直しをさせようと思っていたのだが、現状は自分が思っていた以上に悪いのかもしれない。

 チェスター王国は、帝国に服属を迫られたと考えて拒絶した。だが事実は少し違う。皇帝はアルバート王子に皇女セルマを嫁がせ、アルバート王子が成年すると同時に彼を王位に就けることを迫ったのだ。皇帝がアルバート王子を選んだのも理由がある。チェスター王国の上の王子三人は貴族たちと派閥を組み、己の権威のみを重要視する風潮に染められていた。一方アルバート王子は妾腹しょうふくの子ということもあり、貴族たちも接近しようとせず、また賢明な王子だという評判もあった。皇帝はアルバート王子が王の位にふさわしい能力を持たないならばセルマに実権を握らせようと考えていたのであるから、チェスター国王が服属を迫られたと考えたのも、被害妄想とまでは言えないのであるが。



「そなたは余にチェスター王国を滅ぼせと申すのか?」


「はい」


「チェスター王国からは、多数の貴族たちが我が帝国に寝返っておる。その者たちも排除せよと申すか?」


「帝国にとって有為ゆういな者はお使いになればよろしいでしょう。ですがチェスター王国の貴族の多くは、民を思うことをせず己の権勢のみを求める者共です。その者共はいずれ帝国をむしばむ害悪となりましょう」



 王子は皇帝の期待に応える返答をした。王子がただの報復としてチェスター王家を裏切った貴族たちの処断を求めれば、皇帝は王子に失望しただろう。だが王子は民のためを思っている。皇帝はますますこの王子が気に入った。チェスター王国から寝返った貴族たちの多くについては、彼らが腐敗しているのは事実であるから、皇帝もいずれ口実を付けて排除する気なのである。



「アルバート王子よ。そなたの民を愛する思いを評価しよう」


「私は民を愛してなどおりません。信じてもおりません」


「なに?」


「人間の多くは、強きにへつらい弱きをしいたげます。高貴な者であろうと下賤げせんな者であろうと、ほとんどの人間の本性は妖魔共と大差ありません。心のみにくさを隠すか隠さないかの違いだけです。そんな者共をどうして愛せましょうか」


「ほう。余も妖魔共と大差ないと申すか?」


「わかりません。人間にも立派な者、心の美しい者もいることは私も否定はしません。エイデン将軍やこちらのヘンリーのように。ですが私は陛下のお人柄を知りません」


「くく……臆面おくめんもなく言うものよ。ならば何故なにゆえそなたは民のためと余に願う?」


「王家に生まれた以上は、民を守るのが私の義務です」



 廷臣たちはあまりにもな王子の言葉にざわめいている。皇帝はこの王子を不憫ふびんだと思った。この王子は強い。その強さを先程までは死を覚悟したがゆえの強さだと思っていた。しかし王子の言葉で考えが変わった。この王子の強さは、失うものがない故の強さではないかと。世界の大半が敵に見えているであろうのに、絶望しながら民のために動こうとする、この大人にもなっていない王子が不憫だと思った。



「アルバート王子よ。そなたらは下がって良い」


「はっ」



 そうして王子とヘンリーは謁見えっけんの間から退室する。



「セルマよ」


「はい。父上」


「アルバート王子とヘンリー・エイデンの処遇はそなたに任す」


「承知しました」



 皇帝は王子たちの処遇を愛娘まなむすめに任せることにした。この娘はまだ成年していないが、聡明そうめいな子だ。この娘ならば自分の意をんでくれるであろう。




 皇帝の意識が現世に戻って来た。

 黙って様子を見ていた皇女が声をかける。



「父上。何かお考えでございましたか?」


「余がアルバート王子たちと会った時のことを思い出していた」


左様さようでございますか」



 皇帝はふと疑問に思った。



「そなたは何故なにゆえアルバート王子を手元から離した?」



 皇女は王子たちの身柄を預けられてから、王子たちの意向を聞き、戦士や魔法使いとしての修業をさせた。そして王子より一歳年下のヘンリーが成年した時、帝国公認冒険者のエンブレムを与えて彼らを送り出した。

 この娘は王子に恋をしているのだろう。そうとしか思えなかった。なのに何故この娘は王子を手元から離したのか、皇帝にはわからなかった。



「アルバート王子の心は暗い絶望にてついておりました。私が常に王子のかたわらについておりましたら、いつかはその絶望も溶かせたかもしれません。ですが私は皇女です。王子一人にかかりきりになるわけには参りません。そして王子は冒険者として民を救うことを望みました」


「王子も旅をして民とふれあえば、その絶望も溶けるかもしれぬと?」


「はい。ですが王子は極度の人間嫌いとしても有名なようで、残念ながらその心はまだ凍てついたままのようです……」



 皇帝は思う。この娘も不器用なものだと。本音ではアルバート王子に共にいてほしかったであろうのに。久しぶりに王子と会ってみたいと思った。あの王子も立派な青年に成長しているのであろうか。

 どうやらあの王子の心に巣くう絶望は晴れてはいないようだが、それはそれとしてセルマの父親としては好都合ではある。王子にはまだ意中の女性はいないのであろうと考えられるのだから。皇帝にも愛娘まなむすめの恋心を応援したいという情はある。この娘がこれほどに想っているのだから、王子の凍てついた心を溶かすのも不可能ではあるまい。この娘は何年もの間王子と離れていたのに、その想いを捨てられないのだから、王子以外の相手は考えていないのであろう。無論セルマも政略結婚を命じられれば、皇帝家の者として受け入れるであろうが。



「セルマよ。アルバート王子は民を守ることが王族の義務だと言っておった。それは我が皇帝家の者たちにも当てはまることだ。我らは民を思わねばならぬ。民なくば、我らも飢えて死ぬのみだ」


「はい。心得こころえております」


「そして臣下や民の、我らのすることを否定する声も無視してはならぬ。我らは無謬むびゅうの存在ではない。どこかで間違っているかもしれぬ。だが迎合げいごうしてもならぬ。本当に正しいことは何かを考え続けなければならぬ。そして正しいと確信できることを臣下や民たちにも納得させねばならぬ。全ての者を納得させることなどできぬがな。だが我らは独善におちいってはならぬ」


「はい。それも心得ております」



 皇帝は同じようなことを何度も彼の息子たちや娘たちに言ってきた。それを忘れてほしくないと。そして皇帝家の者たちがそれを忘れた時は、ヴィクトリアス朝は倒れても良いと思っていた。皇帝は自分自身のみならず、皇帝家の者たちにも良き統治者であることを課していた。

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