【玖】

第五十七話


   【玖】


「良かったんですか? 確かって、そう言ってましたよねメザメさん」  


「構わない。蒐集とは何も、手元に置いておく事だけがそうじゃない。『異界のおみくじ』という怪奇を解き明かし、そこに居た“ばつ”という怪異がどの様な結末を辿ったか、それを知るという事もまた蒐集に他ならない」


「ふーん、コレクターの考える事って、なんだか私にはわからないなー」


「ふぅむ……」


 ――ところで……なんでキミは当たり前の様な顔してまたウチに来ている、ジョウロくん。

 ……と無粋に聞き出す前に、メザメはその声をグッと喉元に抑え込んだ。


「おおーっ、ジョウロちゃんじゃねぇか!」


「フーリさん、もう怪我はいいんですか!?」


 あれから数週間、岐阜の美濃の深山にひっそりと佇んだ『メザメ骨董屋』にツユは再訪していた。

 再会を喜び合ってピョンピョン飛び跳ねているフーリとツユ。するとその振動で陳列棚の赤いダルマが一つ、地面に落ちて音を立てた。


 ――それにしても、とメザメは小上がりの上で寄り掛かっていた古い机の上に頬杖をついて頭を捻る。


 先日の件は万事解決した訳であるし、報酬も頂いた。一体全体この女は、何をしにこんな僻地に舞い戻って来たのだろうか。


 右目を灯せば読み解ける事ではあったが、そうはしなかった。大体からしてあれは禁忌に近い呪法であるので、リスクを考えれば多用は厳禁であるのだ。余りに膨大な情報が流れ込んで来て鼻血が出る。頭がパンクする。メザメは普段から基本的には己の洞察力のみで物事を推察する様にしているのだから、今回もその様に努める事にした。


「……」


 ……しかし分からない。この女が一体何の目的を持ってここに訪れたのかが。

 まさか、あれから自分が数週間酷い筋肉痛になり、床から上がれず無様に悶え苦しんだ事を聞き及んで笑いにでも来たか? 


 やはり皆目見当が付かず、心の中で諸手を上げたメザメはいよいよと彼女に問い掛けてみる事にした。


「ここに何をしに来たのだ」


「それがですね……ええっと」


 言いにくそうに、モジリと指を絡めながら店内を見渡していくツユを認めて、メザメは顎先に手をやった。ひとまず小上がりから足を下ろして、ズイと彼女に視線を寄せる。


「何を言い淀む、栗彦の件はもう解決した筈だ」


「兄の件は大丈夫です。その節は大変お世話になりました。あれから兄は前に少しだけ話した同じアマチュア作家の桜子さんと――」


「そんな事はいい、僕が聞いているのは何故――」


「ああーっコイツ!!」


 メザメの声が、フーリの大声にかき消された。見るとテレビ画面に向かって、歯を剥き出しにして威嚇をしている様子だ。


「この狐、相変わらずスター気取りやがって!」


「安城さん、頑張ってますよね。また新しい映画の撮影が始まるんですって。確かロケ地は岐阜だって言ってましたよ、近くにいるんじゃないですか?」


「アイツのひーこら言ってへばってる顔をテレビで見せてやりたかったぜ」


 安城の話題が終わった様なので、仕切り直してメザメが再び口を開ていこうとすると、この田舎道を走るには些か目立ち過ぎる外車が一台、店の前に大胆に駐車する所だった。

 先程から出鼻を挫かれ、いい加減不機嫌そうにメザメは頭を振った。

 フーリはくんくんと鼻を鳴らせると、毛を逆立てながら丸い目を押し開いた。


「げっ、この臭いは!」


「ジョウロちゃん! 電話に出てくれないからキミの家に電話したら、お兄さんがここだと教えてくれたよ!」


 後部座席から飛び出して来たのはなんと、今しがた話題にしていた安城であった。運転席にはマネージャーの林田が、助手席にはボディガードの巌が肩を狭めて座っていて、窓を開けてツユに会釈して来た。

 そのぎこちのない笑みには「いつも安城がご迷惑を掛けて申し訳ありません」と書いてあるかの様だ。

 あの日から彼は人気俳優という身でありながら、ツユの周囲に僅かな時間の隙間を縫っては何度も何度もストーカーの様に通い詰めて来るのだった。


「水臭いじゃないかジョウロちゃん! ボクも岐阜でロケがあるって言ったじゃないか…… て、なんだこの店は? うげっ、なんて古めかしいんだ。しかもなんだか、ボクの嫌いな獣っぽい臭いもするぞ。高貴な安城廻には相応しくない店、ああ汚い。行こうジョウロちゃんこれから街中にある高級レストランに向かう所なんだ」


「汚くて悪かったな」


 鼻を抑えた安城が振り返った先に、歯牙を剥いたフーリが仁王立ちしていた。


「げっ、お前が、なんでここに――!」


「オレんちなんだよぉおお!!」


 フーリが安城を追い掛け回し、店外へと逃走して行ったので、林田は大慌てで車を走らせて二人の後を追って行った。


「……はぁ、やかましいな」


 ようやくと静まり返った店内で、ツユはメザメと二人きりになる。細く吊り上がった視線が満を持して、嘆息混じりにツユへと差向いていく。


「……」


「あ、あの……メザメさん」


 結局メザメには予想も付かないでいた、このおてんば娘がここを訪れた理由というのは、ツユ本人の口から語られる事となった。


「あの、実はまた怪奇事件の相談がありまして」


「は?」


「私じゃなくて、友達から相談を受けたんですけど」


 ――怪奇の案件なんてのはそもそも、自分から関わろうとするか否かに関わらず、一人の生涯に一度あるか無いか位のものだ。

 それが、ひと月もしない間にもう一件だと?


 もしやするとこの女は、そう言った、怪奇を惹き寄せる体質にあるのかも知れない。


 ツユから事のあらましを聞いたメザメは、裂けた様に嗤ってこう吐き出した。


「ははァ。これはだ」


 春の始まりを告げる虫の羽音と、青々とした木の葉が暖かな風にザワついた。


 足元に落ちた、その影も揺れる。

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