第四十八話


「本当に着いたんですね!」


 二人が落下して来たのは丁度、おみくじが現れるという曲がり角の所であった。メザメは不甲斐ないツユとは対照的に、凛とした佇まいでただ前を見据えている。

 夜の帳は既に下されていた。彼の視線の先には紫色の空が。赤いのぼりが真っ直ぐに並んで、空からは無数の糸が垂れ、行き着く下方のその一つ一つに、火の灯った提灯が吊り下げられて無慈悲な星となっている。


「毛皮が二枚」


 そう言ったメザメの視線は一点に注がれていた。そこに眠った様な姿のフーリと安城の姿があって、ミノムシの様に吊り下げられている。二人とも気を失っているのか、ツユが呼び掛けても反応が無かった。


 紫色の妖気に包まれながら、ツユもまた腹を据えてメザメの側に立ち上がった。

 恐怖に囚われそうになる雑念を振り払い、瞳を開けて、魔の増幅を妨げる。恐怖を作っているのは自分だ、闇に付け入る隙を作っているのは自分自身なのだと、強くそう繰り返してから、鼻から大きく息を吸い上げて胸を張った。


 ……ただ猛烈に違和感なのは、両手に巨大水鉄砲を構えたツユの姿が、夏休みを迎えた市民プールの少年の様な有様だという事である。


「兄の体を返しに貰いに戻って来ました……ばつ


 ツユの視線の先には、仄暗い闇の下で、祠に向かい合う形で机の前に座った栗彦の背中がある。


「何故……また来た?」


 目だけを振り返らせながら、栗彦は机のサイドフックに掛けてあった孤面を一つ、ツユのつま先の前へと滑り込ませた。どうやら去り際に置いて来た狛狐の異形ですらが、彼の前では話にもならなかったと言う事であるらしい。

 ツユは再びに肌に粟が立ちそうになるのを堪えようとするが、されど目前より放たれて来る凍て付く様な人外の妖気には抗えずに、足元がふわふわと浮き足立つ様な強い緊迫を覚えた。


……そこに、居るの?」


 その問いを受けた栗彦は、顔を正面に向けて再びツユに背中を向けると、ややばかり俯き加減であった顔を上げていきながら、人が変わったかの様に優しい声を出し始めた。


「そうだ。俺だよツユ。ここに居るよ」


「本当に、その体の中に魃とお兄ちゃんが一緒にいるのね」


 噛み締める様に言ったツユ。


「お兄ちゃん。今助けるからね。お兄ちゃんの体を、神様から取り返してあげるからね!」


 すると兄の――如雨陸の懐かしい声が聞こえてくる。


「……もういいんだ……ツユ」


 無風の空気に微動だに揺れ動かない長髪。その後頭部をじぃっと見つめ、蝋の様な横顔もまた僅かにも動き出さない所を見ていると、段々と兄が無機質な人形の様に思えてきて恐ろしくなった。

 呼吸はしているのだろうか、肩の上下すらしていない。今正面に立って彼の表情を眺めてみれば、まるでマネキンの様に虚空を見つめて息もしていないのでは無いだろうか? ポカンと開かれた口元から、録音された兄の肉声が漏れ出しているだけなのでは無いか? そう言った虚無の予感が頭を過ぎる。


「……」


「お兄ちゃん?」


「……」


「そこにいるんだよね、お願いよ、返事をして」


「……」


 時の止まったかの様に静止したその後ろ姿が、もう反応する事はなかった。

 確かにそこに兄が居るのに、。そう言った不気味な空寒さを感じてツユは奥歯を震わせていた。

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