【壱】

第一話

   【壱】


「……で? とある投稿サイトにアップロードされたというこの怪談が、一体なんだと言うのか? 面白かった、そうでは無かったと評論すればキミは喜ぶのか? だがあいにく僕は作家でもなんでもない。この萎びれた骨董屋の店主であるのだがね」


「わかってますよ、大体私にしたって訳がわからないんです。警察にもまともに取り合っても貰えませんでしたし、もう藁にもすがる思いで、噂に噂を聞き付けてここに流れ着いたんですっ!」


 岐阜県美濃地方のとある田舎町に、レトロを地で行く古ぼけた和風建築がある。こぢんまりした縦長二階建ての居住付き店舗。開け放たれたガラス引き戸の向こうには、雑多に積み上げられた骨董の山が見えた。両脇に重なったガラス戸の一枚には『メザメ骨董屋』と掠れた文字で印字してあって、その先の赤い暖簾をくぐった先の背の低い陳列棚の前でいま、一人の若い女が、店内奥の小上がりにどっかりと座り込んだ格好の男店主を見下ろしているのだった。


だなんて言うからには、キミにしたって自分が常軌を逸した発言をしているという事に自覚はある訳だ。成程、存外どの外れたヘンテコリンではない」


 仄暗い橙色した灯りの下で、年齢不詳の黒い着流しの男は、これまた黒いサラサラとした髪を涼やかに流し、その流し目で彼女を見やりながら、手渡されていたキャラクターシールだらけのスマートフォンを面倒そうに押し返した。


「ヘンテコ……っい、依頼人に向かって開口一番に言う言葉ですかそれは、こっちは報酬だってしっかり払――」


「何が依頼人だ、うちは探偵事務所ではない。骨董屋だ。キミはすがる者で、僕はすがられる者。立場はこちらが上だ、嫌なら何処へなりとも行って変人扱いされるがいい……ええ、なんと言ったかな――」


 仏頂面した骨董屋の店主は身分証明にと手渡されていた学生証をさらにと押し返しながら付け加えるように言った。


「――ぁあ、“ジョウロくん”だ」


「ジョウロじゃありません! 私の名前は“如雨露ゆきさめつゆ”です!」


 ひそめた眉の下でまるで血の通っていない様な冷たい目付きをする男に相対しておきながら、ツユは怯まずに地団駄を踏んでいた。その様を認めた目前の男は、襟を直してはだけた素肌を隠しながら、期待していた反応とは違ったとでも言わんばかりに不服そうに唇を尖らせた。死体のように生っ白い肌だ。まだまだ肌寒い時分だというに、薄い肌襦袢はだじゅばんの一枚しか着ていないらしい。


「キミの両親は悪ふざけをして役所にでも行ったのか」


「違います!! 複雑な、それはもう複雑な家庭の事情があって途中で名前が変わったんです!」


と付いたからには、いつかはその件に関しても説明願いたいところだが」


 それから自分の事を“メザメ”と名乗った男は一つ嘆息をして、遂には諦めたかの様に彼女の話に取り合う事にしたらしかった。そっぽを向いていた黒い視線が、ようやくとツユの鼻頭を捉える。


「……まぁいいだろう。確かにキミに読まされたこの『異界のおみくじ』という怪談は、素人が書いたにしては興味深い部分もある。なぁキミ確か、良い所の文系大学の二回生だってさっき言っていたよな」


「漆原国立大学です。ちなみに国文学専攻ですから私」


 ストンと真っ直ぐ落ちているボディーラインを、メザメは心底つまらなそうに一瞥しながら言った。  


「自慢げに無い胸を張る位だから、多少の読解力はあると思っていいだろうね」


「あ゛!?」


 聞き捨てならない台詞に怪訝な表情を見せたツユは野太い声を上げて目前の男へと詰め寄ろうとしたが、小上がりから下ろした足を組んで膝の前で手のひらを組んだ男は、取り付く島もないまま大仰に語り始める所だった。


「さて、それでは華の漆原大学二年淑女のジョウロくん。キミがこの怪談を手に僕に何を依頼しようとしているかはさておきながら質問だ、この短編怪談『異界のおみくじ』のオチについてどう解釈しているのをお聞かせ願おうか」


 ツユは偉そうにふんぞり返ったメザメの前で顎に手をやり思考した。


「ううん、そうですねぇ。随分教訓めいた話しだと解釈出来ますし、栗彦は欲を出したが故に怪異に取り込まれた。ラストに栗彦が自分自身の姿を見下ろしていたのは、怪異に体を奪われてしまったという描写ですよね。つまり私はこの話を、浅はかな人間の欲を戒める様な話しだと解釈しました」


 ツユは淡々とこの怪談に対しての解釈を述べた。しかしこの男の求めていた解答は、一般的なそれとはまた違う様子だった。


「ふぅむ。僕は今からこの作品を読んだ全読者を幻滅させる事を言うが、この手の怪異の行動原理として、これはありえない」


「ありえない……?」


 何故そんな事を言い切れるのだろうとツユは訝しく思ったが、その回答はすぐに提示された。


「怪異などという不確かなものをテーマにしておきながら妙な言い回しだと思うだろうが、これでも僕はリアリストでね。現実に存在するというのはそんなんじゃあない。これはあくまで、物語という体裁を保つ為にとって付け加えられた解釈に過ぎない。なんだ、キミが僕の元に依頼に来たのはどうせその怪異の事なのだろう?」


 まるで“怪異”というものの本質を知っているかの様な口ぶりである。もっともツユもまた今回に限っては、そういった眉唾物をあてにしに来たのだけれど。


 ――この男はその筋で『の怪奇蒐集家』と呼ばれる怪奇の専門家であるらしいのだ。

 ……もっとも、アヤメと言うのが何を意味するのかはツユにもわからないでいたが。

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