市松人形の正体

真花

市松人形の正体

 蝉の声が尾を引いて、消える。別の蝉が鳴き出す。その繰り返しに耳を取られて、僕はパソコンの前で硬直していた。研究室には僕と助手の北村きたむら君だけが残っていて、慢性的な空気が漂っていた。

 入り口のドアが開き、我に返ると、篠田しのだ教授が鋭い眼光で何かを探していた。

樋口ひぐち君」

 探していたのは僕だった。教授は悪人の顔で笑った。

「何でしょう」

「研究の主題とは関係がないだろうが、依頼された件がある。やってくれ」

 僕は忙しいと言って差し支えない日々を送っている。だが、教授の命令は絶対だ。

「どんな依頼ですか?」

「呪いの市松人形の正体を暴いてくれ」

「それは、可能な案件なのでしょうか」

「出来る出来ないじゃない。やるんだ。明日、依頼主が人形を持って来る。それまでにお札と清め塩を大量に用意しておくように。人形の呪いと言っても、髪が伸びるだけだがね。正体の暴き方は君に一任する。きっと成果を見せてくれ」

「北村君にも一緒にやってもらっていいですよね?」

「それは任せる。じゃあ、頼んだぞ」

 教授は部屋を出て行った。北村が僕のところに来る。興味津々の顔だ。

「先生、どうアプローチしますか?」

「取り敢えず、お札と清め塩を明日朝一番でかき集めるところからかな」

「そんなの僕がやりますよ。そうじゃなくて、正体の暴き方です」

「そうだなあ。まずは伸びる髪を顕微鏡で見ようかな。CTを撮って、サンプル取ってDNA鑑定して。人形ってことは服着ている訳だから、それを脱がしてはみる必要はあるよね」

「僕も同じこと考えてました」

「北村君は嫌じゃないの? この依頼」

「全然。面白いじゃないですか。よくテレビとかで心霊を科学で切るみたいなのありますけど、これから僕達がするようなことは全然しないじゃないですか」

「と言うか、これ、科捜研の仕事じゃないの?」

「僕達の仕事です。明日からがんばりましょう」

 全然気が乗らない。当然、自分の仕事も進めるが、圧迫されるのは目に見えている。と言うか、呪いの人形と同じ空間にいるの、嫌じゃないのか? お札と塩って……。

 僕はため息をつきたかったが、北村の前では格好がつかないので飲み込んだ。

 明日か。


 朝、北村は約束通りお札と清め塩をどっさり買って来た。僕達は手分けして、研究室とラボにお札を貼り、随所に盛り塩をした。研究室の他のメンバーに説明すると、憐れむ人、笑う人、怯える人、それぞれだったが、お札と塩を誰も蔑ろにはしなかった。教授室にお札を貼らなかったのは万が一報いが発生したときに行き場を作るためであり、意地悪ではない。

 一時きっかりに依頼人がやって来た。紫色の風呂敷に包まれた箱を持っている。大切そうに運ぶのは、妙齢の女性だった。着物のよく似合いそうな妖艶さがある。

「樋口です、今日はようこそいらっしゃいました」

 自分で言っていて心と裏腹だなと思う。女性を研究室に通して、適当な椅子を薦める。女性はそこにあった机に風呂敷を置く。机の主は僕だ。そんなところに置かないで欲しい、そう思っても言えない。

山田やまだです。無理な依頼を聞いて頂きありがとうございます」

「それで、モノはどんな状態なんですか?」

「はい」

 山田は風呂敷を開ける。ガラスのケースの中に市松人形が立っている。どうしてこの状態で持って来たのだろう。市松人形の髪は明らかに伸びている。

「髪、長いですね」

「伸び続けているんです」

「他に変わったところはないですか?」

「特にはないです」

「この人形はどういった由来のものなんでしょうか?」

 山田は顔をキュッと縮めて、小さく頷く。

「祖母が嫁入りのときに持って来たものだと聞いています。元々は何もなかったのですが、戦争中に鞍の中にずっと置いておいたら、終戦後には毛が少し伸びていたそうです。それから、伸び続けています。少しずつですけど確実に」

「なるほど。どうしてその謎を解明しようと思ったのですか?」

「それは、言えません」

「言えない?」

「はい。確かに理由はあります。ですが、言えないのです」

 僕は、ちょっと困ったぞ、と頭の中で言葉にした。だが、がんばっても吐きそうにはないし、どの道やることは同じだから、スルーすることにした。

「分かりました。正体を見定めるために、髪を抜いたり、針を刺したりするのは大丈夫ですか?」

「それくらいなら。そうですね、生きている人間にするのと同じくらいならいいです」

「ちょうどそれくらいです。全ての検査が終わるまではこちらで人形はお預かりと言うことでいいですか?」

「はい。よろしくお願いします」

 山田は帰って行き、僕の机の上には市松人形が立っている。ガラスケースの中だが、そんなものないかのように立っている。

 僕の後ろに立っていた北村が、嬉しそうな顔で僕を覗く。

「さっそく始めましょう」

「……そうだな」

 ラボに市松人形を運び、ガラスケースを開ける。予測していたような困難はなく、キィ、と音を立てて開いた。ベンチの一つを市松人形専用に用意したったので、そこに横たえる。もちろんグローブをしてだ。北村が人形の髪を摘んでいる。

「毛質悪いっすね」

「一本抜いてくれ」

「了解です」

 抜かれた髪を顕微鏡で観る。

 普通の髪だ。

 先端に行くに従ってキューティクルが荒れている。

 根本ねもと

 毛根がある。

 僕は顕微鏡のピントを動かしてもう一度合わせる。……やはりある。

「北村君。髪は植毛じゃなくて、地毛のようだよ」

「何言ってるんですか。そんなこと……」

 僕が勧めるに従って北村も顕微鏡を覗く。

「地毛ですね」

「頭皮が生きているってことか?」

 僕達はゆっくりと振り向く。市松人形は置かれたままの姿勢で横たわっている。

「CT行こうか」

「そうですね」

 僕達はケースに人形を戻して、運んだ。どうしてかそうしなくてはならない気がした。研究用のCTスキャンがある部署までは外を通る。真夏なのに僕は全然暑くなかった。だが、汗は出る。

 CTの技師さんは、まあ、やれって言うならやるけどね、という雰囲気で、僕と北村の心拍とリズムが合わない。だが、やってくれるならいい。

 ケースから人形を出して、CTに横たえる。ライブでスキャン画像は出て来るから、僕達は固唾を飲んで見守る。

「撮ります」

 技師のスタートボタンで人形は頭から全身をスキャンされて行く。

 画面には映ってはならないものが映っていた。

 技師の顔が青ざめる。

 僕も同じ顔になる。北村は画像の意味が分からない。

 技師が生唾を飲み込むのが聞こえた。

「これ、生き物ですか?」

 僕はやむを得なく、答える。

「そのようです」

 聞いていた北村が技師と僕の顔を交互に見る。

「マジっすか」

 僕は技師に礼を言って、予備のお札と清め塩を渡した。技師は困惑を隠さず、僕達がケースに人形を入れている間にもう塩を振り始めた。画像をプリントとCDに焼いてもらってから、僕達はCT室を後にした。

 ラボに戻ったとき、僕の呼吸はいつもよりずっと早くなっていた。一刻も早くこの仕事を終わらせて手を切らなくてはならない。

「北村君、次は服を脱がせて」

「分かりました」

 ベンチに横たえた市松人形を北村に託して、僕は生検の準備をする。生き物ならそう呼ぶのが正しいだろう。

 振り向くと北村は何もしていない。

「どうした? 早く脱がせて」

「え? ちょっと待ってって言いませんでしたか?」

 僕の呼吸が一回止まる。

「言ってない。やって」

「分かりました」

 裸にされた市松人形は見た目は木だ。だが、CTの画像が正しいのなら、中には内臓がある。位置は頭に入っている。僕は注射を刺して、中身を吸う。別の箇所からももう一本吸った。

「じゃあ、着せちゃって」

「分かりました」

「検体を処理して、DNA鑑定に出すから、伝票作って」

「はい」

「あ、やっぱり行かないで。ここで待ってて」

「どうしてですか?」

「市松人形と二人になりたくないからだよ!」

「ああ、そんな、大丈夫ですよ。でも、いますね」

 検体の処理が終わって、伝票も自分で書いて、鑑定に出す。結果が帰って来るまでは後はやることはない。その間、人形をどこに置こうか……。

「僕のところでいいですよ。僕、全然平気なんで」

 北村の机の後ろの棚に置くことにした。風呂敷で包んで。

 それからは普段の業務に戻った。僕は早退して神社に行き、厄払いをした。その後何も起きなかった。そもそも起きないのかお札と塩が効いているのかは分からない。


 DNA鑑定の結果が返って来た。

「どうでしたか?」

「99.99%の確率で、人間。男性、だそうだ」

「あいつ男なんですね。どうりで髪質が悪いわけだ」

「目の色は黒。アジア人」

「日本人でいいでしょ、もうそこは」

「あのサイズの人間なんてあり得ないよ」

「先生、あり得ないことを理解して行くのが科学ですよ。先生が言っていたことです」

 だが、僕はもうこれ以上あの人形に関わりたくなかった。まるで、次に人形に閉じ込められるのが自分になるかのような空想が背筋を通った。僕達に出来ることは後は観察だけであり、それはここでやる必要がないものでもある。そう理由を付けて、山田を呼び出した。

「山田さん、結果が出ました」

「ありがとうございます」

「あの人形は人間の男性です。生きている可能性があります」

「ああ。やっぱり……」

「どう言うことでしょうか?」

 山田は崩しかけた姿勢を元に戻す。

「それは言えません。山田家の沽券に関わる問題ですので」

 僕はそんなことよりも早く人形を持ち帰って欲しくて、分かりました、と安直に答えた。後ろから北村の声がする。

「僕達もリスクを冒して検査したんです。教えて下さい」

 山田はその言葉に打たれたのか、顔を歪める。

「……祖父が戦中から行方不明です。言えるのはここまでです」

「ありがとうございます」

 僕達は山田を見送った。北村が僕の机に来る。

「科学で心霊を証明しましたね」

「そうだね。科学の勝利だ」

 自分の言葉に勝利の実感が一切なかった。

 僕は市松人形から取った検体の残りをもちろん捨てない。ディープフリーザーに沈めた。そのせいか、いつまで経っても人形の気配が消えず、お札も塩もどかすことが出来ない。

 今日も蝉が鳴いている。もうすぐその声も終わる。


(了)

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