第3話:いざゆかん、神の国へ!

 ミッドランドにおいて、アズガルドはアース神族が住まう国として知られている。


 人間が決して立ち入ってよい場所ではなく、またそのためのルートも極めて険しいことであまりにも有名だ。


 これは敵の侵入を阻むという大きな役目を担い、中でもビフレストと呼ばれる橋を渡るためには強き者でなければ足を着くことさえも許されない。


 その点に関しては、ロキはまるで問題がない。彼が駆る奇妙な馬――名を、レップルという――はすいすいと二人を乗せてビフレストを駆けていく。



「まさか……虹の橋を渡ることになるなんて……!」



 そうもらす蒼依の表情は、嬉々としていた。


 虹とは光の屈折現象によって発生する。そのため直に触れることは物理的に不可能であるのは言うまでもない。


 だが、虹という神秘的な現象だからこそ様々な言い伝えが各地に広まった。曰く、虹に触れることができれば神の国にいける―、と――。


(全然信じていなかったが、よもや本当に神の国にいけるとは……!)


 神の国……そこに何を求め欲するか、それは十人十色である。

 

 かくいう彼は、武をそこに欲し求める若者であった。

 

 すべては己が剣を極めるべく、そして叶うのであれば神を斬るに達しているか。


 要するには腕試しであり、それがひょっとすると叶うやもしれぬというのだから、蒼依がこうも興奮した面持ちなのは至極当然の反応と言ってもよかろう。



「お前さん、そんなに嬉しいのか?」



 ふと、ロキがそう口火を切った。


 もそりと呟く彼の言霊には、呆れの感情が僅かばかりに含まれている。



「それはそうですよ! 生きている時代や世界が違えと、これから行くのは神の国。これを喜ばない方が無理と言うものですね。ふふっ。楽しみだなぁ」


「……お前さん、目的をさては忘れてはおるまいな?」



 じとりとした視線を目前に、蒼依はからからと笑った。



「まさか、そんなわけがないじゃないですか。ちゃんと約束は果たしますよ、私も……いつまでも死人としているわけにはいきませんからね」


「それだったらいいんじゃが……っと、ホレ。そろそろ見えてきたぞ」


「あれが……!」



 彼らの行く手にある巨大な門が、蒼依の瞳に強い関心の感情を抱かせた。


 ざっと見ても20m以上はゆうにあろうそれはとにもかくにも巨大であった。


 そして門が大きいのだから、四方を囲む城壁は更にそれよりもずっと巨大で堅牢である。


 アズガルド……神々が住まい、その難攻不落の城郭都市を侵攻できたものは未だ誰一人としていない。


(とは言っても、この中にはどうやって入るんだ? そんなにすんなり入れるわけはなさそうだし……)


 城門は固く閉ざされ、そしてそこを守護するための守り人の姿もいない。


 それは誰も突破できないという自信の表れなのだろうか。だとすれば、いささか驕りがすぎるのではないか、と蒼依はこうも思った。



「とりあえず、私はどうやって入ればいいんですか?」


「まぁまぁ、そう焦るでない。そうやって焦るのは若者の悪いところじゃよ――まずは、ほれ。これを首につけるんじゃ」


「……なんですか、この首飾りは」



 ロキが彼に手渡したネックレスは、サファイアがきらりと輝く高価な代物だった。


 しかし、それを受け取る蒼依の表情は優れない。むしろ困惑と嫌悪感を、その端正な面立ちに滲ませている。



「それはお前さんの正体を偽るためのものじゃ。まぁとりあえず付けてみるんじゃ」


「はぁ……こういった装飾品の類は、あんまり好きじゃないんですが」


「そう言う訳にはお前さん、纏っておる服はなかなか高価な代物じゃろうに」


「それは、まぁそうですけど」



 紫の着物に黒の袴、紅葉色の羽織が蒼依の普段着である。


 そしてロキが指摘するとおり、彼の着物はすべて都で一番高価な代物である。


 有名な仕立て屋がデザインしていることもあるが、特にオーダーメイド品であるだけにその価値は通常よりもずっと高い。



「とりあえず、ホレ。そろそろ中へと侵入するんじゃから」


「わ、わかりましたってば……えっと、こえでいいのか――って、えぇ!?」


「おぉ、ちゃんと機能しているようで何よりじゃわい」


「ななな、なんですかこれは!?」



 蒼依がこうも激しく驚愕したのは、彼の声質ががらりと変わってしまったからに他ならない。


 低く渋い声が印象的であった蒼依の声だが、今は玲瓏……球を転がすようなとても美しい声色となっている。声変わりというのはあまりにも変化しすぎで、これにはさしもの蒼依も驚かざるを得なかった。


 いったいぜんたい、何故声がこうも女性のようになってしまったのか。喉を必要以上にペタペタと触れる蒼依を見やるロキの表情は、心底愉快そうである。



「驚いたじゃろ? そのチョーカーは付けた者の声をあべこべにする。まぁ声の質はその者の本来の質にも大きく左右されるところじゃが……お前さんは地声がなかなかよかったからのぉ。いやぁ、こうして聞くとギャップがあまりにもすごいわい」


「これが……私の声、か。なんだか違和感がすさまじいんですが……」


「まぁそれも慣れれば問題ないじゃろうて」


「……ですが、どうしてこのようなことをするんですか?」



 たかが都市の中に踏み入れるのに、声を変える理由が果たしてどこにあるのだろう。蒼依がそう疑問視するのは当然であり、そんな彼に対してロキは難色を示す。



「――、それは……まぁ、実際に中に入ればわかることじゃよ」


「は、はぁ……」


「それと、忘れるでないぞ? お主は今からアスガルド内にあるヴァルハラにて、失われた三秘宝を手に入れてくる……これが生者として生き返り、元の世界に帰るための唯一の手段じゃ」


「わかっていますよ。さすがに聞き忘れるほど、まだ耄碌もうろくはしていませんから」



 ヴァルハラ内のどこかにあるという三秘宝……神槍【グングニル】、魔法の鍋【エルドフリームニル】、黄金の腕輪【ドラウプニル】。


 これらはかつて、アスガルドを治めた主神オーディンが所持していた代物である。


 現在、彼の手元を離れてアスガルドのどこかにあるとロキの説明に、蒼依の胸中に一抹の不安が芽生える。


 アスガルドの現統治者は、オーディンではない。


 この事実を知った時の蒼依は、強い疑問を抱いた。


 何故このような事態が陥ったのか。それは彼が招かれる以前の話である。


 最初は、オーディンの戯れからくるものだった。


 半神半人の存在――ヴァルキリー。美しい女性の姿を模した、ただし自らの意志がなく、命令されるがままにただひたすら遂行する在り方を、人形とこう形容する者も決して少なくはなかった。


 人形なのだから、とこのように粗雑に扱う者が出るのは必然であり、その行いが彼女達の胸中にある感情を芽生えさせるに至るとは誰も想像すらしていなかった。


 だからこそ、ヴァルハラ内で反乱が起きた。


 この大事件はいわば、子が親に対し反旗を翻したも同じである。


 主神なき現在いま、ブリュンヒルデによって起きた内乱はあっという間に彼女らの勝利に終わった。



「――、その……内乱を起こした首謀者のブリュンヒルデって言うのはどのような人なんですか?」


「そうじゃのぉ。ワシもまぁ、感情がなかった頃の姿しか知らんのじゃが……だが、数多くいるヴァルキリーの中でダントツに強い、それだけは間違いなかろう。なにせあのオーディンより最高傑作とまで言わせたほどじゃからな」


「……つまり、強いってことですね」


「そういうことじゃ。だから絶対に戦闘に持ち込まんようにの……生きて元の世界に戻りたいと、そう願うのであれば尚更のことじゃ」


「…………」



 ロキの警告に、蒼依は黙って首肯した。


 ブリュンヒルデがかのオーディンにも、最高傑作と言わしめるだけの実力が彼女にはある。


 この喧伝は決して嘘偽りでもなければ尾ひれがついた噂話でもなく、ここアスガルドにおいては誠の情報である。


 特に単身で邪竜を討伐したという功績は、アスガルドに住まう者であれば誰しもが知る情報だ。それを蒼依は知らないからこそ、ロキがこう警告を発したのである。



「――、それではくれぐれも怪しまれぬようにな。中へと入る道は……ほれ、ここじゃ」


「こんなところに抜け道が……」


「ずっと昔に、ワシが戯れで掘った穴がまさかこのような形で役に立つとはのぉ。しっかし、あれからもう何十年と経過しておるのに未だ誰一人として気付かんとは……ワシが言うのもなんじゃが、ちと防衛に対して意識が薄すぎやしないのかのぉ」


「……まぁ、なにはともあれ。これで無事に中へ入れそうですね。それでは……行ってきます」



 どうやらこのロキという老人は、見かけに反して随分とイタズラ好きな性格であるらしい。


 新たに知った事実と共に蒼依は抜け道を通ってついに、アスガルドの中へと足を踏み入れた。

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ヴァルライキ!!~女のフリをしてヴァルキリーに近付いたら、思ってた以上に仲良くなってしまって帰れなくなりました~ 龍威ユウ @yaibatosaya7895123

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