透明なしずく

@shinosinoshino

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 君が向こうから歩いてくる。私の知るよりも少しくたびれた顔をした君は、右手に花束を持って、左手にスーツケースを携えていた。見るからに暑そうなスーツを着て、汗だくで歩いてくるものだから、君がこっちに戻ってきて、いの一番に会いに来てくれたのがすぐに分かった。それがうれしいやら、恥ずかしいやらで、くすぐったくてついつい笑ってしまった。


「随分と久しぶりだね。別れたその日に会いに来てくれるとは、なかなか風情があるじゃないか。」

 心と裏腹に、口をついて出るのは皮肉ばかり。


「久しぶり、しずく。ずっと会いに来れなくてごめん。」


「そう言われると、責めた私が悪いみたいじゃないか。てっきり東京で新しい女でも作って、私のことなんかもう忘れたのかと思っていたよ。」


 いくら憎まれ口をたたこうとも、君の顔を見れば君がどんな気持ちで会いに来てくれたのかなんて簡単にわかっていた。


「どうして今頃になって会いに来てくれたんだい?」


 君は少しの間、黙っていたがふと口を開いた。


「今でもしずくのことが忘れられないよ。東京の大学には美人さんもたくさんいた。僕のことを好いてくれた人もいた。けどやっぱりいつも思うのは、しずくの事だったよ。」


「うれしいことを言ってくれるじゃないか。」


「今でもしずくと初めて会ったころのことを思い出すよ。中学の時に、東京から転校してきたしずくは、東京なまりがあってさ、そのころの僕は東京に憧れてて、加えて反抗期だったもんだから、どうにもしずくの事が気に食わなかったんだ。ついでにすごい世話焼きで口うるさかったしね。」


「そんなこと思ってたの?ちょっとショック。それに、私の事を東京なまりっていうけどさ、今や君ももう立派に東京なまりだよ。」


「そんな風に思ってたはずの君をいつから好きだったのかは、正直覚えてないんだ。確か高校に上がった時には、もう好きだったかな。それで高校二年の時、友達から君がもててるって話を聞いてね。当時は随分と焦ったものさ。その日の放課後に君を呼び出して告白をしたんだ。焦りと緊張で頭真っ白で、自分で何を言ってるかもわかんなかったな。」


「そうそう、いきなり君に呼び出されてさ。見るからに君、挙動不審で。それでも必死に『好き』を伝えたいんだっていうのは分かってた。あの時、私が『うん』って言った時の君の顔は見ものだったねー。」


 そう言いながら当時を思い返す。

 実を言うと、私もいつ君を好きになったかは全然覚えていないんだ。ただ、なんでかは覚えてる。当時、私は東京から引っ越してきて、周りのみんなの違いに驚いててさ。東京ではなんやかんやみんな、自分のやりたい職とか、行きたい大学とかあって、それがなくても、みんな自分のやりたいことをしていた。けどここの人たちってみんな、自分はここで生きていくって、それが当たり前のように思ってて、やりたいことができないことを受け入れている人ばかりだった。それが悪いとは思ってないよ。ただ当時の私はそんなみんなの空気に流されそうでさ。それが怖かった。だから、そんな中でも自分の夢を持ってずっと勉強していた君がとてもまぶしかったんだ。君を見ている限りは私も夢をあきらめないでいい気がした。


 それで君を追いかけて同じ高校に行ったんだ。今思えばまだまだ青かったんだろうね。なにせこれからの一生に関わってくる高校受験を決めた理由が色恋なんだからね。このことを君は知らないんだろうし、私は死んでも教えなかったけど。

 そこまで君に入れ込んでたっていうのに、いや、入れ込んでたからこそかな。私はふられて、距離置かれるのが怖かった。どうしても告白できなかったんだ。だから君から告白してくれた時は、それはそれは、とってもうれしかったんだ。


「僕は今でもしずくの『うん』って言ってくれた時の顔は忘れられないよ。付き合うことになっても、こんな田舎じゃ遊べる場所なんて全然なくてさ。最初の一週間過ぎたころにはもうやる事もなくなってたよね。それに、しずくは恥ずかしがって僕の名前呼んでくれないし、デートにも誘ってくれなくて、当時は随分やきもきしたおぼえがあるよ。」


 君は少し寂しそうに笑いながら当時の事を話す。その顔を前にすると、私の胸はきゅっと音を鳴らす。


「それは悪かったな。恥ずかしかったんだよ。」


「僕は二人でいられるだけで楽しくてさ。結局は二人で学校の図書館で勉強ばっかだよね。それでもしずくは文句ひとつなしに、隣にいてくれた。」


「私だって君と二人でいられるだけでうれしかったよ。」


「しずく、愛しているよ。」


「しつこい男は嫌われるよ。」


「別れの時にも、会いに来なかった僕を、しずくはどう思っているんだろう。」


「それは私が伝えなかったのが悪いんだよ。君は悪くない。」


「しずくが会いたいって言ってくれた時も、僕は大学忙しいって会いに行かなかった。今になってみれば、あれはしずくが出してくれた合図だったのかもしれないって思うんだ。一瞬無理をすれば、会いに行けたんだ。それなのに僕はめんどくさがって、言い訳を作っていかなかった。」


「それは仕方ないんじゃん。君は忙しかったんだから。馬鹿な私でも君から送られてきたラインを見れば、君が大学で頑張ってたことぐらいは分かってた。それにね、私は、君が東京で医者を目指すっていうのは、そういうことだって分かったうえで、送り出したんだよ。」


「やっと大学を卒業できたんだ。いや、これも言い訳なんだ。あの日からもいくらでも、ここにくる機会はあったんだ。けど僕は向き合うのが怖くてずっと来なかったんだ。ごめん。」


「だから、気にすんなって。君はこっちに帰ってきて、すぐにここに来てくれたんだろう。ちゃんと君の気持ちは伝わってるよ。それよりもやっと会えたんだ。笑っておくれ。」


「もう一度だけ会いたいよ。ずっとしずくの事を愛しているんだ。」


 彼は泣いていた。


「私だって会いたいさ。君のことを好きな気持ちに変わりはないよ。だからこそ、君には幸せになってほしいんだ。だからさ、こんな死んだ女のことなんてさっさと忘れて、新しい人と幸せになってくれ。私は君が笑ってくれていればそれでいいんだ。」


 もう届かないとわかっていても、声をあげずにはいられなかった。届いてくれとどれだけ願っても、この声はもう届かない。


「私は君の夢を邪魔したくなくて、自分の病気のことを秘密にして、結局、君を苦しめてしまったんだね。すまなかった。もういいんだ。君は何も悪くない。だからもうここにも来なくていいんだ。わざわざここに来てまで、泣かなくていいんだ。」


「しずくからの返信が来なくなってしばらくして、しずくのお母さんから連絡があって、その時、初めて知ったんだ。けど、どうしても受け入れられなくて。結局今日までここに来れなかった。今でもしずくがどこかから見てくれているような気がするんだ。」


「見てるよ。ちゃんと見てる。だから大丈夫だよ。」



 それからどれだけの時間がたっただろうか。君が私のお墓を掃除してくれてた時間なのだから、本当は十分か、そこらだったのだろう。それなのに、大事そうに墓石を綺麗にしてくれる君を見つめる時間は、ここで君を待っていた時間よりもはるかに長く感じた。


 二人の間を暖かい風が通り抜ける。


「東京はまだ寒いよ。ここは暖かいね。」


顔を上げた君は鼻を真っ赤にしながら、けどもうその頬に涙はなかった。


「僕は弱いからさ。まだしずくの事を乗り越えられそうにないよ。こんな事いったら、しずくは怒るんだろうな。いつまでうじうじしてるんだって言われそうだ。」


「ホント、、そうだよ。早く行ってしまえ。それで幸せになれ。」


皮肉はもう言えそうにない。


「けど、、私は君が覚えていてくれて嬉しかったよ。それを知れただけでも私はとても、、とても嬉しかったんだ。だからそれだけで十分。」


「またいつか君と会って話した時に怒られないように、僕、頑張るよ。きちんと幸せになるから。だから見ていて、しずく。」


「ああ、見てるよ。ちゃんと見てる。だから頑張れ。私が惚れたのは頑張る君なんだから。」


 彼は私に背を向ける。


「また来るね。次はそう時間はかけないよ。」


「うん。またね。私はここで待ってるからゆっくりでいいさ。あと、君に新しいお相手さんができたら、もう来なくていいよ。」


 私は彼の背中が見えなくなるまで見届けてから、涙を流す。地面も濡らすことができない透明な雫がこぼれていく。たとえ見えないとしても、彼の前では涙を流したくはなかった。君を置いていってしまった私が君の前で涙を流しては、いつまでたっても君が前に進めないような気がしていた。


「愛しているよ、すすむ。」


 頬を伝う涙が暖かいのか、冷たいのか、私にはわからなかった。。


 どこかでホトトギスが泣いたような気がした。

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