第10話
休暇明けの緩んだ空気が流れる講堂には、後期の始業式を行うため全生徒が集まっていた。
そんな中、ブリュンヒルトを筆頭に話しかけて来る令嬢たちにそつのない対応をしながら、ヴィルヘルムは僅かな違和感を覚えていた。
教師たちがどこか落ち着きなく、動き回っているのだ。何か問題が起きたのかもしれないが、それにしては随分と様子がおかしい。
式の始まりを知らせるリーンと涼やかなベルの音がして、生徒たちはお喋りを止めて壇上に目を向ける。
だが静まったのは一瞬のことで、そこに現れたジーナを見てざわめきが起こった。
慌てる様子もなく落ち着き払った眼差しがこちらに向いた時、鋭い刃のように苛烈な光がよぎったのは見間違いではないだろう。
「本日はこの場をお借りして学園内で起きた犯罪について提訴いたします」
何を言っているのか理解できない、平民風情が提訴するなどあり得ないなどと困惑や批判の声が上がる。
ヴィルヘルムにも同意を求めるような声が両端から上がったが、ジーナを止めようとしない教師たちの動きにヴィルヘルムは着目していた。
どういう手を使ったのか、学園はジーナの行動を容認する姿勢らしい。
眉を下げて困惑した表情を見せていたが、思わず口角を上げてしまう自分に気づいた。
(面白いことになったようだ)
大人しく状況を受け入れるしかなかったはずのジーナが、どんな反撃を行うのか見てみたい。ヴィルヘルムが立ち上がると周囲が静まり返り、全員が沈黙したところで声を上げた。
「犯罪に提訴とは、新学期の始まりとしては随分不穏なことだが、それだけ重要な話なのだろう。ジーナ嬢、このような場での発言はそれなりの責任が発生するが大丈夫かな?」
「はい、承知しております。ヴィルヘルム第一王子殿下」
臆した様子のないジーナにヴィルヘルムは微笑を浮かべて、頷いた。小さなどよめきが起こったが、すぐに講堂は静けさを取り戻す。王族がジーナの行動を容認したのだから、静観するしかないのだ。
「それでは、まずアドルナート伯爵令嬢様が薬品を浴びせられた事件についてご説明させていただきます」
朗々たるジーナの声が講堂に響き渡った。
「事件が起こったのはマイア月第二ディーンの16時頃、温室そばで女子生徒の制服を着た何者かに薬品を掛けられ、左腕に軽度の火傷を負ったということですが、相違ないでしょうか、クラウディア・アドルナート伯爵令嬢様」
「……ええ、その通りですわ」
指名されてブリュンヒルトの隣に座るクラウディアは、びくりと肩を震わせて弱々しい声で肯定した。左手を押さえて不安そうな表情を見せる様は儚げで、大抵の男は庇護欲を掻き立てられるだろう。従者のエリゼオも使命感に燃えた瞳をクラウディアに向けているものの、ヴィルヘルムの興味は既に失せていた。
ブリュンヒルトよりかは頭を使い周囲にも気を配っていたようだが、ジーナの質問の意図に気づかないようでは話にならない。
(あの時ジーナ嬢も気づいていながら指摘しなかったのは、温情というより煩わしさを割けるためだろう)
「ありがとうございます。顔を庇って咄嗟に左腕で防いだとのことでしたが、お怪我はいかがでしょうか?傷などは残っていませんか?」
「っ、いいえ!幸いにも完治しておりますわ」
痕が残れば貴族令嬢として致命的であり、傷物扱いされるのは目に見えている。思わずと言ったように強い口調で返すクラウディアは早くも綻びが見え始めていた。
壇上に制服を着せた等身大の人形と瓶に入った赤い液体が運ばれてくる。
「薬品を携帯するには蓋つきの瓶が一般的です。実際にどういうことになるか再現してみましょう」
顔を庇うように左腕を折り曲げている人形に、ジーナはガラス瓶の中身をぶちまける。鮮やかな赤が左手部分を中心に染まるが、胸から下半身に掛けても飛び散っており、僅かだが顔にも付着していた。
「実際の位置にもよりますが、固形物と異なり液体を一点のみに当てることは困難です。それなのにどうしてアドルナート伯爵令嬢様は左手のみ怪我をしていたのですか?」
ジーナの指摘に生徒たちの目がクラウディアに集まる。
「それは、確かに他の部分にも掛かっておりましたが、軽度な状態だったのでわざわざ言わなかっただけですわ」
「そうですか。では制服はどうされましたか?薬品が掛かったのですから、そのままにしておくはずがありませんね。クリーニングに出されましたか?それとも廃棄を?」
言葉に詰まったクラウディアは、どちらが正解か必死で考えているのだろう。狼狽するクラウディアよりも、淡々とした口調だが猟犬のように鋭い目を向けて着実に追い詰めていくジーナからヴィルヘルムは目が離せない。
「……捨てましたわ」
「それは、いつ、どこに廃棄されたのでしょうか?」
「何故そんなことまでお聞きになりますの?!第一貴女が犯人なのではなくて?あんなに恐ろしい目に遭ったというのに、思い出させるなんて酷いわ」
涙を浮かべ華奢な身体を両腕で抱きしめるクラウディアに同情の視線が集まるが、突然回答を拒否する様子に疑念を持つ生徒も一定数いるようだ。
「ご回答いただけないのなら結構です。代わりにアドルナート伯爵令嬢様の侍女であるメアリーさんにお尋ねしましょう」
怯えた様子の侍女が壇上脇から出てくると、クラウディアの顔色が変わった。
「アドルナート伯爵令嬢様のお世話には室内の清掃も含まれているとお聞きしています。メアリーさん、貴女はこれまでに制服を処分したことはありますか?」
「いいえ、そのようなことはございませんでした」
震える声ながら、はっきりと否定したメアリーの言葉に被せるようにクラウディアが声を上げた。
「メアリーはその時いなかったのよ!だから自分で捨てたわ。そう、万が一にもお父様たちの耳に入れば、心配を掛けるもの」
「おや、アデルナート伯爵令嬢様自ら、廃棄物置場まで足を運ばれたということですか?」
「ええ、何か問題でも?」
堂々とした態度を見せるクラウディアだが、固く握りしめられた両手は緊張を物語っている。
「清掃人たちに確認しましたが、今年になって制服が捨てられているのを見たことはないそうです。学園の生徒としての身分証明にもなる制服は厳重に管理されていますから、見逃すこともありません」
貴族子女たちが通う学園であるため警備もそれなりに強固である。その一環として制服の購入及び処分について明確に定められている。ジーナが執拗に追求したのはこのためだ。
「アドルナート伯爵令嬢様の証言には食い違いが見られ、信憑性が乏しいことから自作自演の可能性が高いと思われます。虚偽申告、侮辱罪などが適用されますね。生徒会でも調査を行うとのことでしたが、そちらの見解はいかがでしょうか?」
確かにヴィルヘルムは話を預かると発言したが、それは調査を行うことと同義ではない。だがこちらにも責任を問おうとするジーナの姿勢にヴィルヘルムは笑みを浮かべて答えた。
「まだ婚約者もいない令嬢とあって慎重を期していたため、後手になってしまった。ジーナ嬢の推論は筋が通ったものだと思うよ」
「ヴィルヘルム殿下……!」
すっかり青ざめたクラウディアに目もくれず、ヴィルヘルムのジーナを肯定するような言葉に周囲の眼差しもすっかり冷ややかなものとなる。
どんな結末を準備しているのか期待が膨らむヴィルヘルムの耳に、淡々と次の事件について言及するジーナの声が届いた。
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