彩一厘(いろどりいちりん)

めいき~

彩一厘


クリスマスの木が飾りつけられ、天辺に流れ星を模した飾りつけが成されるともう十二月かと白い息が僅かに出る季節になった。



年末を迎える度に、春はまだかと言っている気がするがせん無き事。


変わりもせず、スマホを眺めては寒い寒いと直ぐに何かを飲んでいる。



毎年何も変わりはしない、変わっていくのは自分が年をとっていくという現実だけだ。


山の彩りも、森の空気も。そして、街並みさえ注視していれば変化に気づく。



神社のお賽銭箱が木製のそれから、金属のモノになり。

ありがたみの欠片も無い、無骨なものにも変わった。


幼少の頃からそこに当たり前にあった工場は、ふとみると更地に変わっていた。


知り合いによく奢って貰ったラーメン屋も、気がつけば消えていて。


ハンバーガーの店でさえ、交差点に場所を移動していた。



山に行けば、以前は捨てる程取れた山菜も今では籠を一杯にする事すら難しい。



森は、隣の山で大量の太陽光パネルを設置したからか大量の動物がこちらの山に逃げて来たようで。恐らく、動物が飽和した事で軒並み食べる事の出来るものは食べられているのだろう。



ポケットに手を入れると、冷めたペットボトルのお茶を一口飲む。


自由化は大事だし、電力は不足している。

だが、それは安くて必要な電力を供給できかつ安定しているというのが大事なのだ。


日本で風力発電の条件は良い所は大抵海沿いで、潮風でダメージを受けて長持ちはしないし。原子力は、発電量こそ立派だが地元に置くと軒並み反対を食らう。


火力発電は、燃料が安いから今まで主力になれたのであって昨今は値上がりしているからどうなるか判らない。


水力発電は、置ける場所と置けない場所があるがやはり問題がある。


本来で言えば、地熱による水蒸気でタービンを回す地熱発電ならばと思うがやはり圧倒的に必要な電力量を確保出来ない。


キャンピングカー等で使ってみれば判るが、あの程度の消費量で根をあげる程度の発電量で工場等が必要とする電力等確保できるはずがない。



我々は、便利に慣れ過ぎたし。冷暖房の無い所で、生活は難しい。



正直に言えば、燃料が永年安いなら火力発電を使い続ける方がいい。

設備を増やさずに、メンテだけで賄い原子力を置く必要が無いからだ。



よく、脱酸素を叫ぶバカたれが居るがあれは金持ち連中の趣味だろうとしか私は思わない。


まず、脱炭素を成功させている国は原油の輸出で潤う国であり。原油を売ったら売った先でガンガン使いそれで炭素なんか出るに決まっている。


じゃぁ原油を売らずに、それらの脱酸素という贅沢を維持できるのか?

答えは、出来ない…だ。



結局、列強諸国は技術で勝てないからそのルールを変えて自分達が有利なルールで戦おうとする卑怯者だ。


卑怯がわるいとは、私は言わない。ルールを変えられるだけの力があるのなら、それをやった方がはるかに効率が良いことも確かだ。


ここで、漢字の例をあげてルールの話をしよう。


重複と重複(じゅうふくとちょうふく)字は同じで、読み方が異なる訳だが漢字の読み方的には(ちょうふく)が正解だし調べてもそうでるだろう。


だが、これは漢字のルーツ的にはという意味で国語では正しいが「じゅうふく」と読む人が一定数以上いる場合「意味が通じる」という意味ではどちらも正解になる。



これを、デファクトスタンダード(事実上の標準)という。



よく、この手の事であげあしを取る人も多いがこの事実上の標準とは例え正しくなくとも大多数の人にはこちらでも通じるから正しくなってしまったものの事を指す。


言語や文字は通える為に生まれて来たもので、ルールにそぐわなく正解でなくても相手に通じるものは正解とみなす事も見方によっては出来る。



PCのOSといえばWindowsを思い浮かべ、PC=Windowsとなっている人も未だに少なくないが少なくともOSと名のつくものならばIOSもあればLinuxもあるし、Ubuntuだってある。

ちなみにUbuntuはPC版はマイナー過ぎる位だが、組み込み系を触って知らない人はモグリか偽物かってくらいには毎日みるものだ。他にも、ソフトなんていうものは星の数程あるが有名どころしか殆どの人には認識されていないのも確か。


自分の使うソフトの操作法すら、おぼつかない人間の方が圧倒的に多い。


古い技術者に、自在継手(じざいつぎて)といえば大抵通じるが新しい方ではユニバーサルジョイントと言ったりもするわけだ。


この様に、日本は新旧処か造語もマイナーな言葉使いも入り混じった天外魔境であり明治の文献や江戸時代など過去にさかのぼって正解を導けるもの等決して多くは無いだろう。


つまり、漢字の使い方の問題として正解なものと。

通じるから、正解に該当するものは別であると言えるがどちらも正答ではあるのだ。


学校の問題であれば、解答の正解以外は認められなくても言葉は通じればいい。

解答としては、それで成立するはずだ。


「だから、私は大多数に通じるならばそれは正解である」という認識をする事にしている。


世の中には、まともな言葉すら通じない。そんな人が大勢いる事を考えれば通じ合えて意見を屈託なく交換し合えるだけでも幸せな事だと私は思う。



断言するが、知識のない人間と喋っていても面白くないのだ。


人は好きな事は砂漠に水を撒く様に吸収するし、アウトプットも早く話のネタも尽きないのが普通だ。


安売りが好きなら、安い店や何曜日の何時から等はすらすらでてくる。

それ以外の事を、一年かけて覚える様な人でも安売りはリアルタイムで変わるから週単位の事も近所ならば覚えていたりする。


チェーン店のメニューの値段が咄嗟に出なくても、週三以上かよう行きつけでいつも頼むメニューの値段を忘れたりはしない。



それは、自分が好きだからに他ならない。もし、好きでもないものでその人が忘れられないものがあるのなら酷い目にあわされたか。頭に焼き付いて、離れない程の思い出とセットだという事が大半だと私は思う。



同じ安売りが好きな人と、別の店の安売りを探している時などはヒーローを見る子供の様な眼差しを大の大人が出来る位にはワクワクドキドキできる。


…が、安売りに興味がない人だとこうはいかない。

自分ばかりがアウトプットする羽目になり、情報が入ってこない。


この時安売りが好きな人は、楽しいだろうか?。


殆どの人は楽しくない筈で、ワクワクもドキドキもしない。





少し、革ブーツの話をしてみよう。


一口に革と言った所で、牛、馬、ワニ、豚、蛇と有名な所ですら様々ある。

イロモノだと、蛙やうなぎにカンガルーやカピバラやサメ等もあったはずだ。


これに、コーティングやらペーパーで毛を立たせたりやら。

熱や薬品で、収縮させるものもある。



断言するが、まず革製品はメンテナンスが凄く面倒だ。

特にブーツは、膝までくるようなものだと中を洗浄するのが非常に大変だ。


そして、革修理などと書いている割に腕の無い三流が多すぎる事もそう。


この手のメンテナンスは、本当はプロに任せられるなら任せたいし。

クリーニング系もそうだが、下手くそは本当に下手くそなのだ。


しかも、革製品やメンテ用品を買う事はそこらじゅうで出来る癖に長く大事に使おうとしたときには任せられる人が居なければ自分でやるしかない。


これが、一足だけなら全く問題ないが革を買う人は大抵革ブーツは靴箱一杯入っている事が多い。



同じ牛でも子牛やハラコの革等はデリケートで、頑丈なブルと同じ様にあつかったなら大変な事になる。


ショートブーツや厚底位なら、慣れてくればメンテナンスは左程難しくないがハイヒールやなんかだと履くのも大変ならメンテも大変で良い事は一つもない。


余談だが、私は何も気にしなくていいなら全てのブーツを投げ捨ててサンダルだけで生きていたい人である。


安いし、メンテはいらなくて捨てたらいい。

山に入るなら、ゴム長靴かスパイク辺りは準備していきたいが。




「さらりと、革の話をしたが好きでない人は多分三行も集中力が続かなかったと思う」。

唐突に話を振った事もそうだが、これが酒の話や美味しいポテチの話ならどうだったろうか?


ポテチにマヨ等背徳そのものでカロリーを食べてるようなものだが、さらに暴力的なソースを用意するとしたら。ケチャップとマヨを混ぜてニンニクを少量いれ醤油を少量垂らして混ぜ混ぜして唐揚げやポテトチップスなどの揚げ物にディップしてみたらどうだろうか?更に、背徳率を上げたいならとろけるチーズでも振りかけて見たりバター等を追加してもいいだろう。


〇〇の酒が安くてウマいという事もそうだし、季節柄外が寒いので雨戸を少量出して缶の酒をそこに挟みしばらくしたら雨戸の金属に冷やされた缶の酒を美味しく楽しめる。


外が雪で一杯なら、缶を袋にいれて埋めておいて取り出してみてはどうだろうか。

勿論、そのままでは汚れているから多少洗う必要はあるだろうが。


この時、冷蔵庫まで歩かなくてもいいのが素晴らしいとは思わないだろうか?無論、口をつけるものなので、やる際は雨戸を念入りに掃除しておいて新聞紙を挟むなど工夫はいるだろうし冷蔵庫の方が近いならやめるべきだが。



はっきりと言おう。

乃ち、その要点は何処か?という話だ。



「ポテチの食べ方など美味ければいいし、酒は冷えてればいい。温かい酒が好きな人はいるだろうが、私は冷たいのが好きなのだ」。


ポテチの食べ方に正解等あるか?砕いてまぶしてご飯にかける奴だっているかもしれないじゃないか。


私にとって必要なのは安い、美味いというこの二点だけ。


ルールに拘る?作り方に拘る?実に勿体ない事だと思わないか。

学校の様にテストじゃあるまいし、コンテストの様にルールが決められている訳でもない。


鳥は大空を自由に舞ってこそで、鳥かごの鳥など見ていて面白い筈がない。

少なくとも、鳥かごに入れられた鳥を私が見たとしてもそこから何のインスピレーションも沸いては来ないのだ。


そりゃ、自然は厳しいし。エサも自分でとらなければならず。天敵は掃いて捨てる程いるだろう。凍てつく風に斬られ、そこで命を落とすものだっているだろう。



それでも、鳥は大空に居てこそ美しいのだ。私は、そう信じて疑わない。



人によって、必要な部分は違うかもしれない。酔えればいいやという人もいればそもそも酒は嫌いで紅茶や緑茶が大好きですだってあるかもしれない。



大事な点がおさえられていれば、万事問題ない。



私は、そう思う。



人には、譲れないものがある。



花は、一本の一輪挿しですら強く咲く。

立派な花瓶でなく、空き缶に咲く花だってあるだろう。


くすんだ色の花かもしれず、項垂れているかもしれない。


でも、花にできて人に出来ないのも可笑しな話じゃないのか。


ロートルだって、今日を咲けばいい。



気がついたら、部屋の隅で枯れていたっていいじゃないか。


ルールや常識と言う籠に捕らわれるよりも、認めた上で文章という空を自由に舞う。


そうありたいと願う事は、おかしな事なのだろうか。


それらは、私が飾りの流れ星に願う程度の他愛もない事だ。

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