その星のいとなみ

ピーター・モリソン

 生まれつき、舌の形が人と違っていた。


 先端が割れていない。胎児のときに二つになるはずだったのが、くっついたままで生まれてきてしまった。


 それゆえ、子供の頃から口を開けて笑うことははばかれた。笑わないので、おのずと人づきあいも苦手になる。ましてやそれが異性にでもなると、さらにひどくなった。


 しかし成人し、将来のことを考えるようになったとき、人生を一緒に過ごしてもらえる女性がいてくれたらどんなに幸せだろうと、そう思うようになっていた。


 悩みに悩んで、私は結婚志願の登録をしてみることにした。


「……正直言って、それじゃ、見込みは少ないわね」


 最初のカウンセリングで、舌の形状を指摘された。


「満足なキスができないでしょ」


 真っ先に整形を薦められた。結婚してもらうにはそこまでしなくてはならないのか。何度も逡巡しゅんじゅんを重ね、結局、私は舌を割る決断をした。


 手術は呆気なく終わった。あれほど悩んだのは何だったのだろうと思うほどに……。ただ、術後にはひどい痛みに悩まされ、喋ることも、食べることもままならなかった。傷口を癒着させないよう、舌先を独立して動かす訓練を続けた。


 キスというものが、正直どんなものなのかわからない。空想の女性を相手にして、闇雲に舌を動かす。日を追うごとに、舌の自由が効くにようになっていった。さらに練習器で自然な動きを学んだあと、もう一度カウンセリングを受けてみた。


「見せてみて。そう、動かして」


 言われるままに舌をさらけ出す。


「……なるほど、綺麗になってる」


 すると、物事はすんなりと進み始めた。


 口内常在菌を採取され、菌でのパターンマッチが行われた。肉体の相性を見るためだ。


「とりあえず次回のお見合い、参加してみなさい」



   *



 暗幕で仕切られた部屋に通された。


 簡素な椅子が一つだけ……。目隠しをして座るように指示されていたので、それに従った。


 耳を澄ませ待ちわびると、気配がすっと現れた。どんな女性だろうと思う間もなく、その気配は私の頬に手を添え、キスをした。


 あっ、と思わず声が漏れる。


 初めてのキスに恍惚としたが、されるばかりではと思い直し、稚拙な動きを返してみる。


 目隠しのまま、しっとりとしたやり取りがしばし続いたが、急に相手の舌先から熱意が失われた。溜め息と共に唇が離れていく。困惑する私を残し、気配はふっと消え去った。


 どうだったのか? だめなのか? いや、そんなはずは……。自問自答を繰り返していると、また気配がやってきて、相手が変わったことに気づかされた。


 気持ちを切り替える間もなく舌先を動かすが、その気配もまた、言葉もなく消えていく。


 気に入られれば目隠しを取ってもらえる。そのはずだった。……しかし。キス。キス。キス……キス。相手は変わるものの、そんな瞬間はいっこうにやってこなかった。


 さっきの気配が、今日最後の女性だったらしい。終わりの合図を耳にして、そのことを理解した。私は自分で目隠しを取り、濡れた唇で吐息を漏らした。


 それから数ヶ月の間、数々の女性とお見合いを重ねてみたものの、私が選ばれることはなかった。きっと舌技ぜつぎが未熟なのだ。だから、相手に想いが届かない。


 どうすればいいのか、焦りだけがつのる。手術とリハビリで時間を費やしていたため、お見合いにかける時間が足りなかった。契約期限が、目の前に迫っていた。


 再びカウンセリングを受けてみても、通り一遍の精神論ばかりで参考にならない。相手を惹きつける何かを身につけようにも、今更小手先でどうなるものでもない。そもそも生まれつき結婚には向いていない身体だった。


 私はお見合いをしつつも、どこか諦めの境地に達していた。


 これが最後になるかもしれない。私はそう覚悟しつつ、目隠しをして椅子に腰を下ろしてみた。


 いつものように気配が現れ、コツコツと靴音を鳴らした。頬に手を添えられる。

 ……甘い匂いが鼻をくすぐった。果実のような匂いだ。唇が重ねられると、頭がくらくらとした。何かが、今までとははっきりと違っていた。


 これが本当のキスなのだと思った。


 無我夢中で彼女の動きにあわせた。溶けるような刺激に、思わず感情が漏れる。くすりと微かな笑声えごえがして、吐息ごと掬い取られるようなキスを受ける。やがて、頬にあった彼女の指が動き、はらりと私の目隠しを取り去った。


 乏しい照明の中に、彼女が輝いていた。


 見た瞬間に、心が掴まれ、息すらまともにできなくなった。それだけ美しく、一瞬で支配された。


「わたしと、結婚したいの?」


 彼女の声が降り注いだ。


 私は椅子からくずおれ、両膝をついた。


「はい」


 そう答えてから、彼女の靴にキスをした。


 彼女はしなやかにしゃがみ込み、私の顎をぐっと持ち上げた。


「そうね。……気に入ったわ」


 それが妻との出会いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る