木の皮の地図とかわいそうなゴブリン  ~ロビン・スターヴリングの語りしこと~

@hirabenereo

木の皮の地図とかわいそうなゴブリン

 帝国領西部は、ごく小さな都市国家群の連合体となっている。

 それぞれの都市国家は中央の帝国に従属しているが、お互いに連合したりはしておらず、帝国法のもと、自治を保っていた。

 んだもんだから、都市と都市の間の治安はお察しだ。

 各都市は、帝国に編入されるまでの、相争っていた戦国時代の気風を残しており、お互いにさっぱり信用をしていない。

 都市間の道は荒れ放題で、それを整備するにもどちらの都市が出資するか、どちらの都市の人員が整備するか、どちらの都市の兵士が巡回するかでまぁ揉めること揉めること。

 かつては都市間の道は帝国が出張って来て整備警備をしていたが、いつのまにかそれも中断してしまい、さりとて交易や人の行き来はあるから、跳梁跋扈するのは夜盗や物盗り。言葉が通じるならまだいいが、オーク族やゴブリン族なども警備されないことをいいことに街道を行く旅人を襲う始末だ。

 おかげで交易商人は荷物を守れるように自分で武装して街道を行き来する羽目になる。

 これは、俺こと自称吟遊詩人の剣士、スターヴリング村のロビンが、そんな隊商の護衛としてもてなされ、大活躍したときの話だ。


 俺は、西の果ての街であるリッファのうらぶれた酒場で、隊商の人足若干名募集の声を張り上げるその男をぼんやりと眺めていた。

 俺の商売は散々だった。

 都市間の移動が難しい西部諸国であれば、情報は当然高い価値を持つ。だから吟遊詩人なんて大繁盛するはずだった。

 ところが俺の歌はたいそう評判が悪く、そして俺のレパートリィは西部諸国の人々にはいまいち受けなかった。歌い始めるとすぐに「うるせー!」と来たもんだ。とはいえ、やりたかった、人前で歌を歌って反応がもらえるのは、それはそれで嬉しく、俺は満足していた。

「やせ我慢を」

 俺は満足していた。

「気を落とすなって」

 エルフの学生ファハンは半笑いを隠さない。

 こいつは帝国魔法大学の学生で、ひょんなことから(ひょんなことの内容は「魔法使いの迷宮と二個目の呪文」を見てほしい)道連れとなり、一緒に帝国の都まで旅をしている。高慢不遜な男だが、とはいえ魔法の知識において、俺はこいつ以上の男を知らない。もっとも、俺が知っている魔法使いがこいつしかいないというだけではあるが……。

 エルフと言えば歌の中に登場するのは、つややかで美しい衣装に身を包み、華やかな髪飾りなどで優雅に決めるのがお約束だが、今のファハンは俺と同じような古着を多少整えた土色の上着に旅のために買った茶色のマントを羽織っている。手にしているのは、樫の木を削って作った魔法使いの杖だ。

「うるっせぇな」

 俺は最後の路銀で買った地場産のまずいビールを飲み干した。

「お前だって、いくらも稼げてないじゃねぇか」

「ドワーフ様様だな」

 ファハンが胸をそらすと、同じテーブルのドワーフのボグルが照れたように鼻の頭をかいた。

 このドワーフ、髪の毛をトサカのように勇ましく逆立てた、棲家亡くしのドワーフだが、その様子からはとんとあるべき勇猛さが伝わってこない。と、言うのも、ボグルはもともとおもちゃ屋で、戦士ではないからだ。成り行きで棲家亡くしとして故郷を襲ったディーモンを倒すべく旅などしていたが、目下の夢は帝都でおもちゃ屋を開くことで、今、俺が飲んだビールもファハンの杖や服も、俺の服やマントやつるぎも、ボグルがこしらえたおもちゃを売った金で買ったものだ。

「いやいや」と、ボグルは首を振る。「ぼくのおもちゃをうまく売ってくれたからだよ」

 俺たちがこのリッファを訪れた時、俺たちは文字通り裸一貫だった。

 通行税も払えないので街に入ることもできない。

 そこで、ボグルがこしらえた簡単なおもちゃを、門の外で、街を出入りする農家相手に売ったのだ。俺は口八丁手八丁、ファハンは小さな魔法で演出し、結果としていくばくかの路銀を手に入れて街に入ることができたわけだ。

 その商売も、昨日おもちゃギルドに目をつけられてしまったので、このリッファで続けることもできない。根無し草の俺たちに、おもちゃギルドに入会などできるわけもないし。

「潮時か」

「だからそう言っているだろう。帝都に帰る話はどうなったんだ」

 もともと帝都行きを要望していたファハンが口をとがらせる。

 こいつはこいつなりに何か思うところがあったのか、帝都で勉強をやり直す、と息まいている。それはいいのだが……。

「どうもこうもねぇよ」

 西部諸国のこのリッファから中央の帝都までは、どう早く見積もっても半年から一年はかかるだろう。

 そもそも路銀もない。

 行く道々で路銀を稼ぎながらのんびり旅をして、来年か再来年に帝都を拝むことができれば最高だ。

 俺は少なくとも魔法やまじないに旅程の短縮を頼むつもりはなかった。ロクなことになるまい。

「となると」

 ボグルが髭の生えた顎で、さきほどから声を枯らして人員募集をしている隊商の呼び出し男を示す。

「あれはいいんじゃないかな」


 ◇◆◇


 リッファの街の門の前では、おおよそ二十人ばかりが荷物を荷馬車に積み込んだり落ちないように固く結わえたりと、忙しく働いていた。

 その隊商主はギールといい、脂ぎった額の広い小男だったが、目は抜け目なく輝いており、商人としてはやり手なんだろうと思われる。

 ギールは、呼び出しに応じてやってきた俺たちを値踏みするようにじろじろと見上げた(ボグルは見下ろした)。

「身体は?」

 だしぬけに聞く。

「まぁ健康だと思うよ」と俺は答えた。

 人足、つまりは隊商の作業員としての募集に応じたのだから、もっともな質問だろう。とはいえ俺としてはよりよい条件でこの隊商に参加したいと思っていた。

 結局、吟遊詩人で稼げないのだから、持っている剣と体で稼ぐしかない。不本意ではあるが気分は前より悪くないのは、仲間がいるからか、俺は吟遊詩人だということを公言したからか。

 さて、呼び出しの男が言うには、この隊商はリッファから隣のクノールまで向かう隊商らしい。

 クノールまではおおよそ五日の行程で、日当は一人銀貨4枚。銀貨一枚で簡素な宿と一日の食事にありつけることを考えれば、まぁまぁの条件と言えるだろう。隊商はクノールでいったん解散し、再度人を集めて南東のガイラスへと向かう予定だという。

 出発当日の募集になってしまったのは、予定していた人足が数人、北西のバーランに向かう別の隊商に引き抜かれたというので、ここは条件吊り上げに役立つ情報だ。

 俺は狡猾なギールを相手に、彼の隊商に同行させてもらうべく交渉を始めた。

「銀貨五枚だったろう。日当。よろしく頼むぜ」

「三枚だ」

 俺の言葉に、ギールはすぐに補足する。

「四枚だろう。せこいマネするなよ」

「ふん」とギールが腕を組む。「数は数えられるようだな」

「数どころか。俺たちみたいな奴らをぼんくらと同じ日当で雇うのは、そりゃあ相場に合わないと思うぜ」

「わしは普通のぼんくらを雇いたいんだがね」

「それ、あんたの商品を卸す時に、同じように客に言うかい? まぁ、こいつらは人間じゃあない。価値がわからないのも無理はないが……。このボグルというちび。こいつはただのちびじゃあない。ドワーフだ。聞いたことあるだろう? 腕は鋼で脚は岩、その指先に作れぬものなし。谺の世界からやってきた妖精族。偉大な片目片足の神に愛された匠の戦士だ」

「ほぅ」

 ギールが物珍しそうにボグルのトサカを見る。

「このボグルの手先の器用なことと言ったら、例えばそうだな、道中で馬車の車軸が外れたとしようか。こりゃあ難儀する。早くて半日、場合によっちゃあ丸一日かかるよな。この隊商は、ええと、何人だ?」

「二十三人。お前たちを連れて行ったなら、二十六人だな」

「そいつらに日当一日銀貨四枚だろ? もし一日遅れたら……ええと……おい、ファハン、いくらだ」

「銀貨で九十六枚。金貨ならきっかり八枚だ」

「ってくらいの損害が出るってことだろう? ところがボグルがいれば、こいつは達人だ。あっさり修理して一日も遅れずクノールまでご到着。あんたは金貨で八枚トクをするってこった」

「おい、そのひょろいのは」と、ギール。よしよし。面倒な計算をさせた甲斐があった。

「こいつはファハン。聞いて驚け、エルフだ」

「エルフ?」

「お、あんたもエルフは初めてかい? そうさ。谺の世界の魔法に長けた妖精。優雅なることこの上なし。魔法の輝きとともにある、星々の神カーロンの申し子。そのうえこいつは、あの帝国魔法大学の学生さ。文字も読めれば今みたいな計算もお安い御用さ。あんたも商人なら、その価値はわかるよな?」

「ふぅむ」

 ギールはうなって、後ろできょとんとしているファハンとボグルを眺める。ファハンにもう少しいい服を着せておけばよかった。そのほうがハッタリが効いたのに。

「それで? お前は?」

 ギールが今度は半眼で俺に聞く。

「お前はどう見てもただの人間だよな?」

「俺は吟遊詩人にして熟練の剣士、砂漠の鷹傭兵団ではちょっと名の知れたもんだが、まぁ聞いたことはないかもしれんね」

「剣士ねぇ」

「ただの剣士じゃないぞ。それにだ……」俺は声を潜めてギールにささやいた。「このエルフとドワーフ、相当に仲が悪いんだ。エルフとドワーフが宿敵同士なのは知っているだろう?」

「あぁ」とギール。

「俺はこいつらに貸しがあるんだ。だからこいつらは、俺にはしぶしぶ従ってくれているというわけだ。俺が抜けたが最後、こいつらは二人で殺し合いを始めるんだ。見せてやりたいよ。その殺し合いの凄惨さを……。こいつらはそりゃ値千金だが、俺がいなければそれを生かすこともできないってわけさ!」

 かくして俺たちは、無事三人そろって日当銀貨五枚で雇われて、ギールの隊商に加わることになったのだった。


 ◇◆◇


「ぼくは別にファハンと喧嘩なんかしないよ」

 ボグルは口を尖らせた。

「なんだ聞こえてたのか」

「我ら妖精族の耳を欺こうなど百年早いぞ人間。まぁ、黙っていてやったんだ。感謝するんだな」

「こっちのセリフだ。五日の行程でええと……」

「銀貨十五枚の利益追加だな」

「そうそれ……」

 リッファを出た隊商は、おおむね順調に歩みを進める。

 メンツは俺たちを含めて二十六人。これにはギール本人とその番頭(酒場に呼び出しに来ていた男だ)も含まれているから、最初のファハンの一日遅れた時の損害計算はちょっとずれていたことになる。

 馬車は二台で、どちらも一頭引き。これは貨物用なので、それぞれ御者をやっているギールと番頭以外は歩きだ。そのほかに、大八車が四台。

 かなり昔に敷かれた石畳はあちこち壊れていて、かえってないほうが車輪にとっては進みやすい。時折溝やぬかるみにはまった大八車や馬車を押すことが、俺たちの主な仕事だった。

 同僚の労働者は半分がクノールまで向かうついでで、もう半分はこうした隊商を生業にしている連中だった。そういう連中は、クノールで逆にリッファ行きの隊商をみつけてその労働に入る。運がよければ往復で結構稼げるので、一月くらいは遊んで暮らすのだそうだ。

 なぜ稼げるかというと……。

「ゴブリンどもが出るんだよ」

 と、仲良くなった荷運びの一人が言った。

「ゴブリン」

 ゴブリンは前にこの三人で歩いた迷宮でも見たことがある。

 人間よりも小さな小鬼とでも言うべき連中で、伝説によればエルフやドワーフのような妖精族だそうだ。だから近親憎悪とでも言うべきか、エルフやドワーフはゴブリンどもに激しい敵意を燃やすと聞く。

 俺はちらりと二人を見た。

 ファハンとボグルは目をぱちぱちして、荷物の中からナッツと干し肉を出してかじっている。伝説は伝説、ということか。楽でいいけど。

 ゴブリンは大きな村を作ったりしない。と、いうのも、彼らは多くの数を認識できず、だいたい三十人前後から向こうの集団を維持できないらしい。文字を持たず、多少賢い猿、といった程度の知恵しかない。しかし人間の失った野生を持っており、暗い洞窟や森の中にごく小さい集団を築き、人間の村に忍び込んでは家畜を盗んだり隊商を襲ったりする。ちょっと賢い野生の猿くらいの脅威度と言えるだろうか。害獣と言ってもいい。

 荷運びが言うには、そのゴブリンの集団が、リッファとクノールの間に出没するというのだ。

「その代わり、人間の夜盗は少ない」

「住み分けかぁ。うまくやってやがんなぁ」

 俺はうなずいた。それで日当がちょっといい、って訳か。

 このギールの隊商が商っているのは、主にリッファで仕入れた染め物だ。家畜や肉などのゴブリンの興味をそそるものは少ないだろうが、それが連中にわかるはずもない。

 ゴブリンどもがやってくるなら夜だろう。

 ギールもそう判断して、暗くなるとともに隊商を停止させ、街道の脇に簡単なキャンプを作って多めにかがり火をたき、人足の中から五人を交代で見張りにして、休息するのだった。

 無理のないいい判断だ。もっともそれは別に人足の命を心配しているわけではなく、荷物と自分の命のためではあったが、なに、隊商になればそれらはすべて一蓮托生なのだ。


 ◇◆◇


 ファハンの魔法の明かりは、もちろん最高の杖を使っている時とは違って、やつの魔法の腕前同様うすらぼんやりとしているが、それでもありがたかったし、魔法を見たことがない人足たちの間ではオオウケだった。

 それは四日目の夜。夜の見張りが俺たちと二人の人足だった時のことだ。

 明日、調子が良ければ日没までにはクノールに入ることができるだろう。クノールは西部諸国では最も税金が安い。入市税も商いにかかる税も安いし手続きも簡単だと聞いている。城門まで到着できれば、明日の夜はベッドで眠れる。

「クノールは盗賊が治めてるんだ」

 と、この仕事を初めて長いらしい人足の男が話してくれた。

「税金はとにかく安いし誰でも入れるから、一儲けしたいやつや脛に傷持つ連中がやってくる。でも税金がない代わりに、あそこは盗賊どもが組合をつくってて、そこに上納するんだ。結局、払う金は同じってわけさ」

「そんなところで商売できるのか」

「できるさ。上納金さえ支払って入れば、下手すりゃ他の街より安全だ。もし滞在するなら気をつけたほうがいいぜ。旅人はいいカモだ」

 ぐいっと革袋の酒をあおって、人足は笑った。

「おい」

 と、ファハン。

「なんだ」

「囲まれている」

「マジか」

「エルフの目を疑うのか?」

「いや」

 俺は立ち上がって、傍らにおいてあった剣を取り上げてベルトの剣帯に通した。ボグルも同じように立ち上がって、ハンマーを手に取る。人足がぎょっとして聞いた。

「おい、まさか」

「そのまさかみたいだ」

「みんなを起こしてくる」

 さすがに場馴れした人足で、落ち着いたもんだ。彼はもうひとりの人足とともに腰をかがめながら周囲で寝ている連中を起こしにかかった。

「もう少し明かりを強くできるか。ゴブリンどもは夜目が効くんだろう」

「その代わり、光に目がくらみやすい。我らエルフと違って。やってみよう……」

 ファハンが木の杖を掲げて心地よいテノールで呪文を唱える。

「ミームイ……ウォウアリフ……ダールイラー……ウォウアリフ……ミームイ……」

 ファハンは脂汗を流しながら正しい音階を探し、苦労して呪文を唱えている。やがて正しい音階に到達し、杖の先の光がひときわ大きく、強くなった。

 ぱあっと青白い光が伸び、闇が払われる。

 現れたのは、緑色の肌で身長三分の二マスほど(1マスは約1.5メートル)の小鬼だ。

 目は赤く、ぎょろぎょろと大きい。

 口は耳まで裂けて、教会で見た悪魔を思わせた。案外こいつを見た人が悪魔をそれに似せて描いたのかもしれない。

 栄養失調の子供のように手足は細く、腹だけがぽこんと出っ張っている。尻尾や翼はなく、身につけているものは樹皮や草を利用した腰蓑くらいだ。

 手にはどこかの戦場跡で拾ったものか、錆びた短剣や小ぶりの手斧を持っている。

 つまり、ゴブリンだ。

 そいつらはすでに大八車の近く、キャンプの目と鼻の先まで来ていた。

 ファハンの光は想定外だったのだろう。奴らはぎゃっぎゃっと声を上げて、しかしここまで来たのだから、と思ったのかどうなのか、短剣を振りかざして突っ込んできた。

「ゴブリンだ!」

 あちこちで目を覚ました人足が応戦しているのが聞こえる。

 俺も素早く中古の剣を抜くと、小柄な子鬼に相対した。

「ギャイー」

 何を言っているのかはわからない。おおよそ「やっちまえ」とか「このやろう」程度の意味だろう。ゴブリンは何か叫びながら短剣を突き出す。素早い動きだし、見た目より力もあるが、いかんせん技術はない。俺は軽く切っ先を当ててその短剣を受け流すと、すれ違いざまに喉笛を切り払った。ごぼごぼと言いながらゴブリンが倒れて苦しげにのたうち回る。

 横から出てきた人足が、手にした薪ざっぽうでそのゴブリンにとどめを刺すが、俺はそれに目もくれず次のゴブリンを狙う。

 大八車の荷物を漁っていたゴブリンは、一瞬で仲間が倒されたのを見て、明らかに恐怖した。俺は逃げ腰になったそいつに追いすがると逆袈裟に切り上げる。そいつはかろうじて手にした短剣で俺の剣を受け止めた。

 ばきん。

「あ」

 俺の安物の上中古の剣が、半ばから折れ飛んだ。

「やべ」

 俺は折れた剣で戦う羽目になる。これではリーチはゴブリンと大差ない。ゴブリンは勝てると思えばいくらでも強気になる。攻守交代。そいつは俺に鋭い突きを何度も繰り出し、俺は後退しながら折れた剣でそれを受け流した。

 しかしゴブリンの快進撃もそこまでだ。いやらしく笑う笑顔のまま、後ろにあらわれていたボグルのハンマーを脳天に受けて、そいつは声もあげずに崩れ落ちた。

「助かった」

「なんの」

 まともな剣があればなぁ!

 いかに凶暴なゴブリンといえど、数は概ね十匹程度で、ほとんどが武芸の心得のない人足とはいえ力自慢の男たちが二十人から揃っていればそうそう遅れは取らない。

 だが怪我人を出すのも馬鹿らしい。剣は折れたがもう一働きするか、と思っているところで、ファハンが呪文を唱えるのが聞こえた。

「カフアレフ……ターイ……ヌーザンメ……」

 周囲に紫色のもやが立ち込め、ゴブリンどもが数人と人足も数人、糸が切れた操り人形のようにパタパタと倒れる。

「なんだなんだ」

「眠りの呪文だ」

 肩で息をしながら、ファハンが得意げに言った。

「ゴブリンどもを眠らせたんだ」

「味方も巻き込んでるが」

「仕方ないだろう」

 しかしこいつは効果てきめんだった。

 魔法なんて見たこともないゴブリンたちは恐慌をきたし、起きていて生き残っているものはみんな、尻に帆をかけて逃げ出してゆく。数人の人足がそれを追う素振りを見せたが、すぐに追撃を諦めた。このキャンプは明るいからいいが、ここを離れればすぐに闇の中。そうなれば地の利は敵にある。

「すごいな!」

 一緒に見張りをしていた人足が満面の笑みでこちらに走ってきて、ファハンの背中を叩いた。

 ファハンは激しく咳き込んだ。


 ◇◆◇


 魔法の明かりも眠りの魔法も、隊商の主ギールは大喜びでファハンに追加報酬を約束した。

 もしファハンがいなければ、隊商は全滅はしなかったかもしれないが、相当な被害が出たはずだ。

 いくつか壊れてしまっている大八車を、ボグルが修理して回る。これも点数が高い。

 しかし面倒事も発生していた……。


「タスケテ」

 眠ったゴブリンをひとまず縛り上げたのだが、そのうち一匹がカタコトながら帝国公用語を喋れたのだ。

「タスケテ」

 俺はギールの方をちらりと見た。

「殺してしまえ、そんなやつら」

 まぁ、そりゃあギールはそう言うだろう。彼からすれば商売の邪魔以外の何物でもない。後腐れなくさぱっと殺してしまうのがいいに決まっている。

「フーム」

 俺は腕を組んだ。今度は人足たちの方を見る。

 さっきまで必死に戦っていた連中だが、どうもこの捕虜となったゴブリンを殺すことに積極的ではないようだ。

 考えてみればそれはそれで当然で、彼らにとってすれば、ゴブリンどもは危険ではあるが飯の種でもあるのだ。もしこの街道からゴブリンが消えたなら、果たしてギールは日当に銀貨四枚も出すだろうか。彼らは命がけでゴブリンと戦ったが、それは命がけで稼いだ、とも言える。

 そもそも、今捕まえたのは五匹。殺したのも五匹程度。ゴブリンの群れは最大で二・三十匹くらいとすれば、ここで五匹片付けたところで街道がそう安全になるようなものでもあるまい。

 ギールは殺せ殺せと徐々に機嫌を損ね始めていて、人足たちとの温度差も気になる。

 ボグルが口の中でドワーフの警句らしきものをモゴモゴ呟いてこちらに視線を向けて、俺は腕を組んだ。

 俺たちは完全によそ者で、人足たちのようにこの仕事を繰り返すために条件を良くしたいとも思わないし、ギールのように街道が安全になって欲しいとも別に思わない。

 変にこじれて報酬の支払いを渋られたりするほうが面白くない。となるとギールに同調しておいた方がいいのではあるが。

「とはいえなぁ」

 傭兵やっていた頃、捕まえた捕虜を上官の命令でばっさりやったことは一回や二回ではない。必要とあらば仕方ないが、今の俺には上官なんていないし、そもそも傭兵ではなく吟遊詩人なのだ。だんびらを振り回して切り合いしているときならいざしらず、いまさらなぁ……という気分になる。

「ん?」

 思案している俺の目に、その公用語を喋るゴブリンが腰蓑になにかたばさんでいるのを見つけた。木の皮を伸ばしたもののようだ。

 俺がそれを取り上げると、ゴブリンがぎゃあぎゃあと抵抗する。

「ギャワー。チズ」

「チズ? ああ、地図か」

 臭いのきついそれを広げてみると、木の皮に木炭で描いたのだろう、よくわからない模様が描かれている、

 俺がそれを逆さにしたり横にしたりしているのを、ボグルが覗き込んだ。

「多分、この線がこの街道じゃないかな。それで、こっちの黒いのがあの森……」

 方向感覚に優れたボグルは、その訳の分からない模様を彼なりに解読してみせた。さすが、ディーモンから完全に逃げ回っていた棲家亡くしだ。年季が違う。もっともその読みが正しいかどうかはわからないが。なにせゴブリンの描いた地図だ。

「おい、これはどこの地図だ?」

 俺が聞くとゴブリンはむっつりと押し黙ってから、言った。どうやら何か考えているようだ。

「タスケル?」

「ん? あぁ、教えてくれれば助けてやる」

 俺は受けあった。ギールがなにか言おうとするのを手で遮る。

「イエ、チズ」

「イエ……家か。あぁなるほど。帰り道迷わないようにするためか」

 なかなか賢いじゃないか。

「タスケル?」

「よしきた。約束しよう」

「ヤク……?」

 ゴブリンに約束の語彙はないらしいが、意図は伝わったようだ。ゴブリンはずる賢げにうなずいた。しかし、これがあるなら話は変わってくる。

 俺はギールに向き直った。

「なぁギールさんよ。俺は戦士だ」

 俺の言葉に、ギールは胡散臭げに半眼になる。

「吟遊詩人じゃなかったのか」

「あー、オホン。武器を捨てて降伏したものの命を奪うのは、それがゴブリンであってもその、ちょっとためらうな。なぁ、ファハン」

「え? いや、ゴブリンなど別に……あぁ、まぁそうだな。私が魔法で眠らせたのは命を奪うためではなく……ええと」

「慈悲の心さ。一寸の虫にも五分の魂情けは人の為ならず」

 俺がゴブリン共を解放する方向で説得にかかったためか、人足どもも、そうだそうだと同調する。俺はその声を手であおりながら、ギールの肩を抱いた。

「大地の女神マルフも商売の神ザン・ガヤも、慈悲の心をよしみたもうているし、それにだ」

 俺は声を潜めた。

「それに、たかが五匹ぽっち殺したところでどうもならんよ。人足どもの顔を見ろ。わからんあんたじゃないだろう。それなら彼らに恩を売って……危険を乗り越えたんだし? 銀貨の一枚もオマケを出してだ、奴らの言葉に乗ってみせたほうが、後のあんたの商売もやりやすくなるってもんじゃないか」

「ぬうむ」

「俺は別にどっちでもいいんだ。旅してるだけで、西部諸国に長居するつもりもそんなにないしな」

 俺はさっきの地図を、人足たちに見えないようにそっとギールに見せる。

「そこでだ、こいつを買わないか? あのゴブリン共のねぐらの地図だ。ここで奴らを五匹始末してもどうにもならんが、クノールの有力者なり商会なりにこの地図を持ちかければ、戦士を集めてゴブリンどもの巣を一掃することだってできるかもしれないぜ。それを主導すりゃ、あんたは英雄だ……」

 俺はギールに囁いた。

「なんならクノールであんたを称える歌を作ってもいい」

「それはいらんなぁ」

 ちえっ!


 ◇◆◇


 クノールの街に入った俺達は、久しぶりにちょっといい宿に泊まり、新鮮な水で汗と埃を流してから、ぬるいがうまい、比較的上等のビールを流し込んでいた。

「あのゴブリン、放っておいていいのか?」

 ファハンは真新しい上着をピラピラさせながら言う。杖も新しくなったことで、奴の根拠なき自信が復活しているのが見て取れた。

「なんなら私達で出向いてやっつけるというのも」

「よせやい」

 俺はギターを鳴らす。なんか音が変だな。まぁいいか。

 傍らには真新しい打ちたての長剣を立てかけている。

 ゴブリンの寄越した木の皮の地図は、ボグルの注釈付きで、なんと金貨一枚で売れた。この思わぬ臨時収入のお陰で、俺たちはようやくまともな装備を買い入れて、これから始まる帝国への長い旅の準備を整え、英気を養う事ができるというわけだ。もっとも、俺たちはこの盗賊都市で二ヶ月も足止めを食うことになるのだが……。

「それはこの街の王様の仕事さ。それに、あいつらが変わらすあの場所に住み続けるわけもないだろう。とっくに総出で引っ越してるよ」

 俺は去り際、ボグルに地図について少ない語彙を駆使して説明しているゴブリンの姿を思い出した。連中は地図を囮に使ったのだ。俺がその地図でギールを説得しているのを見て思いついたのかもしれない。いやゴブリンという奴らも抜け目ない。

「じゃあウソの地図を売ったのか」と、ファハン。

「嘘ってわけじゃあない。それで警備に手が回るようになれば、街道も安全になるし、めでたしめでたし」

「ドワーフの間では、ゴブリンを倒す時は倒しきれ、と言われていたよ」

 ボグルはこちらに手を伸ばす。俺はギターを渡して、チューニングを直してもらった。狂って感じなかったが、玩具職人のボグルの耳は正確だ。自称吟遊詩人がわからないのかって? まぁ、そういうこともあるさ。

「あの人足たちには随分感謝されたな」と、ファハン。

「まぁ、あいつらにとってもゴブリンは飯の種さ」

「そうだったの」ボグルが目を丸くする。「てっきり……ドワーフと違って、あの人達は優しくて、ロビンも感動して逃してやったんだと思った。ゴブリンがかわいそうで」

「かわいそう!」

 俺は笑って、ボグルからギターを受け取った。

「かわいそうなもんかい。乗せられたって言っても言い過ぎじゃないよ。今回はうまく金貨に化けたけど、さて次の冒険はどうなることやら、だぜ」

 俺は早速ギターを鳴らし始めた。

「でもそうだな。慈悲深い吟遊詩人がゴブリンと戦った後助けてやって感謝される、みたいなスジで歌にしても面白いかも。子供にウケそう。なぁ、どうだろう」

 ファハンとボグルはいつものように、他人のふりをして他のテーブルに移った。

 クノールの酒場に、俺の調子っぱずれの歌が響いて……。

「うるせー!」

 こりゃゴブリンのほうが話が通じるかもな。


END

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