竜巻


 我が目を疑った。


 私は、某量販店でアルバイトとして長年勤めていた。

 ところが、ある日唐突に、今後は社員しか雇用しないという非情な通達が全店に言い渡され、通達から約一ヶ月後にアルバイトは一斉解雇されたのだ。

 量販店のアルバイトは時給が高かったため、経済的ダメージが大きく、けれど、雇用保険はすぐにもらえたはずで、にも拘らず、私はとにかく働かなくちゃと変に焦り、就活をしまくった。

 その甲斐あって、動物園で案内の仕事にありつくことができた。

 新しい勤務先の動物園は、山の起伏を利用した自然に近い環境での飼育をコンセプトにしていて、来園者は動物だけでなくハイキングやちょっとした登山気分も味わえる。広い園内には蛇やモグラなどの野生動物に加えて、放し飼いになっている孔雀もいる。春には幼稚園・保育園・小学校などの遠足で、夏には親子連れで、秋には一眼レフを構えたカメラマン達などで混み合う。辺鄙なところにあるにも拘らず、付近に動物園がないという理由から、行事やイベントだけでなく、お出かけスポットやデートスポットとしても不動の人気を誇っていた。

 私は、そんな動物園で、案内係として、チケット捥ぎや販売、案内、園内放送などを行っていた。

 と、言ってもあまり語学が堪能ではなかったため、主に、出入り口近くにあるワクワク体験館の窓口を受け持つ。そこでは、落とし物の管理や迷子の呼び出し、モルモットの触れ合いコーナーの時間や名物オラウータンのスカイウォークの告知といった園内放送を行っていた。元より量販店の呼び込み放送で鍛えられていたので、楽勝だった。時々、園内の様子を把握するために、巡回に出る。特に、一番遠いエリア、絶滅危惧種の動物が多いオーストラリアゾーンでは、動物の様子や展示されている個体を確認する必要があった。次いでに、座りっ放しの体を動かすちょっとした散歩も兼ねている。私は大体、お昼過ぎの園内放送が終わり、窓口が二人体制になったタイミングで巡回に出ていた。

 園内に植えられた樹木の四季折々で変わる景色が好きだった。

 梅と桜を筆頭に、木蓮やレンギョウが新芽の香りと共に心をほぐしてくれる春。小さな滝が備え付けられた小川のせせらぎが涼を運んでくる青葉の夏には、咽せるような濃い緑が茂り、木洩れ陽が眩しい。秋には、モミジやイチョウなど色とりどりの紅葉と大粒の木の実。冬には影絵のような木々の枝に抱かれ、雪でも降れば幻想世界だ。

 私が動物園を選んだ理由は、きっと癒されたかったから。

 量販店で働いている時、恋煩いをしている相手がいた。

 28歳の彼はフロアリーダーで、落ち着いた物腰と仲間を見捨てない優しい性格から、みんなに慕われていた。

 音響関係全般の特殊なフロアだったこともあり、女は私1人。けれど、遅く入社した私は、一番年長の30歳だった。

 右も左もわからなくて偶然配属されたフロアで、全く親しみのないポータブルオーディオ機器や、ピンからキリまでずらっと揃ったイヤホン・ヘッドホン、スピーカーやアンプを始めとした高級オーディオと呼ばれる類い、ICレコーダーやトランシーバー、それに付随するケーブルやアダプター、ケースやフィルムなどの細かいアクセサリーに囲まれて、無知ゆえのクレームやトラブルなどを引き起こし、その度に彼が尻拭いをすることが続いた。それが心苦しくて、死にもの狂いで接客や商品の勉強に励んだ。その甲斐あって、徐々に安定した案内をできるようになり、売り上げに貢献できるようになった。

「どうも、ご迷惑を、おかけしまして・・」

 私が慇懃に謝ると、パソコンと睨めっこしていた彼は、ふと顔を上げて、無邪気な笑い声をあげた。

 その若々しい爽やかな笑い声に、不覚にも耳をくすぐられてしまった。

「いやいや。がんばってください」

 彼は、面白そうに私をじっと見つめると、パソコン画面に戻っていった。

 午後の品出しをしながら、なにか温かいものが私の心をぎゅぅーっと掴んでいるのを感じた。なんだこれは?

 私は戸惑っていた。

 年上の半人前にそんな想いを抱く資格ってあるのかな?

 けれど、一度芽生えてしまった想いは、彼と接する毎にどんどん成長していった。

「よかったら、今度ご飯行きませんか?」

 どうしても歳のことを考えてしまって思いきれなかったが、勇気を出して誘ってみると、意外にもOKが出たのだ。私は天にも昇る心地だった。食事に行って、バレンタインにケーキをあげて、お返しにマカロンをもらって、誕生日にプレゼントだってあげた。気が向いた時に電話して話して、メールして。彼は私を気にしてくれて、わざとなのか休憩も一緒だった。私の隣は自分がと決めているかのように、気付くと必ず近くにいた。付き合っているわけじゃない微妙な関係。でも、順調だったんだと思うし、とても幸せだった。

 それなのに、

 私の強すぎる思いが、それを壊してしまったのだと、思う。

 きっかけは、彼が好きな人の噂だった。

 彼が好きだと言われていたのは、事務所のお局でもある女性だった。仕事ができるキャリアウーマンの彼女は、優しく、こちらも男女問わず慕われていた。

 量販店で働く人種は、接客で過剰に神経を磨り減らすためか、多忙なストレスのためなのか、マイペースを貫く者と野心の強い者、そして余裕のない者の大体3種類に分けられる。これに当て嵌まらない人間は、すぐに辞めていくのだ。

 彼と彼女はマイペースを貫くタイプの人間で、だからだろうか、それ以外の人種に好かれている。これは、すごいことだった。そんな二人なら、お似合いだと思ってしまった。

 なぜなら、私は余裕のない種類の人間だったから。

 とち狂った私は焦って『あなたが好きで仕方なくて、どうしたらいいかわかりません』と、意味の分からない告白にもならないメールを一方的に送った。彼からは『ありがとうございます』と律儀な返信が来た。けれど、そんなことをしたところで、私の中で蟠る思いは簡単には飛び去ってはくれない。

 彼が好きなのに、嫌いだという態度で接してしまう自分。

 一番話したいのに、一番避けてしまう。

 誰より側にいたいのに、真っ先に逃げてしまう。

 いない時はほっとしながらも落胆しているくせに、いたら緊張して逃げ回ってばかり。

 振り出しに戻る。ぐるぐる同じ所を回って、回っていつまで経っても抜け出せない。それどころか自ら破滅の選択をしてしまう私。彼の好きな人の話をわざとしたり、好きな人をわざと呼んだり。

 なにがしたいのか。わからない。わからない。

 ただ、彼と笑って話したいだけなのに・・

 それだけの為に、なんだか、すごく疲れてしまって。結局、退職まで悶々とした日々を送ってしまった。

 諦めたほうがいいのかなぁと、なにかにつけて相談していた相手がいる。

 年下のワカナというアルバイトだ。

 ワカナは名前の通り、若さではち切れんばかりの丸いボディラインと、勝気な性格をした映像フロアの紅一点だった。

 お互いに紅一点同士だったので気が合ったのだろう。私たちは会えば話すようになった。彼女には当時、付き合っている彼氏がいたが倦怠期なのか、あまり上手くいっていないようだったので、自然とお互いに恋愛の相談をするようになっていたのだ。

「大丈夫だと思いますけどねーあの方、案外感情豊かですしね。イヤならイヤって言うんじゃないかなー」

「さすが、私より先に入社しているワカナちゃんは色々詳しいね」

「そうでもないですよ。ただ、時々エレベーターで乗り合わせた時に、ちょっと話したりするくらいです」

「私なんて、それすらできないよ」

 私が落胆の溜め息をつくと、笑われた。

「見かけに寄らず純情なんですねーちょっと可愛いです」

 そんなワカナは、アルバイトとして解雇された後、中途採用として入社し直したらしいと風の噂に聞いた。というのも、彼女とは解雇後、なぜだかあまり連絡を取らなくなったからだ。

「これからどうするんだろうなって、みんなで言ってたんですよ」

 退職日が一週間に迫ってきたある日、彼が不意に話しかけてきた。って、それって、私が独り身で働いていたからですか? あの、好きで1人なわけじゃないんですけど。

 しかもそれって、私を振った貴方が言うこと?

 もういいよ。なんかよくわからない繋がりとか偶然とかタイミングとか、勘弁して。もういい。繋がなくていい。

 だって、そんなのした所でどうせ何もならないどころか、増々穴空いていくだけなんだ。傷つくどころか穴なんだから。

 しんどい。悲しい。虚しい。

 私は彼を想うのに疲れきっていた。だから、解雇に託つけて逃げたのだ。動物園に。


「巡回に行ってきまーす」

 声をかけると、先輩から、新顔のコアラが出ている時間だから見ておいでよーと声をかけられた。私は、コアラがいる建物が長い坂を登ったところにあるのを思い出し億劫に思い、あまりコアラにも興味はないんだけどまあいいか、と空返事をしてオーストラリアエリアを目指すことにした。

 彼のことは今でも変わらず好きだった。

 嫌いになる要素がないのだ。

 でも、だから、私はきっと重くなってしまう・・

 穏やかな小春日和だった。

 高い青空に紅葉が栄えて、爽やかな風が頬を撫でる。彼の笑い声みたいだなと愛おしく思い出す。

 暖かい陽光が降り注ぐ、平和な景色。

 コアラが展示されている建物につき、次いでにこの間設置した『カメラのフラッシュはご遠慮下さい。コアラのストレスになります』の注意喚起プレートを確認した。

 来園者が次々入っていく。私は「この先、お足元が暗いので気をつけてくださいねー」と声がけしながら建物内に入ろうとした。

 その時。

 目の前を、若いカップルがいちゃつきながら通り過ぎた。

 

 我が目を疑った。


 見覚えのある顔と顔。

 忘れるはずがない男と、女。

 カップルは、彼と・・ワカナだった。


 は・・?


 私の胸中にドス黒い雲が湧き起こる。

 状況が理解できない私は、すぐに追跡を開始した。

 彼らは楽しげに語らいながら、コアラを横目に歩いていく。二人の世界が濃いのが傍目にも明らかで、コアラなんてどうでもいいようだ。それから、彼がワカナの頭をコノヤローって感じで、猫の子を摘むみたいな感じで掴んで、ワカナは幸せ一杯の少女漫画の後輩風の顔をしてぶら下がるようにして歩いていて。彼は照れくさそうな顔をしていて・・

 なんだ? あのバカみたいな青春様。

 どんよりと垂れ下がる陰気な曇り空が広がる。

 あんなに清々しかった蒼穹は、もう見えなくなっていた。

 彼らは、そのまま坂を登って、ぐるりと一周してくるつもりらしい。

 オーストラリアのルートには更に奥を回るルートもあるが、恐らく運動不足も甚だしい二人はそのまま園内バスが通るメイン通りに出るだろう。

 そう踏んだ私は先回りをすることにした。

 早足になる私の中、蠢く黒雲から渦が音もなく降りてくると、巨大な竜巻へと変わっていく。その禍々しい中心にいるのは私。

 

 あの二人に、どうしても、目にものを、見せてやりたかった。

 メイン通りに出た。

 見ると、山羊の柵の前にプレートが落ちている。その少し先から、ラブラブの彼とワカナが歩いてくるのが見えた。私はプレートを拾うために少し屈む。彼らが近付いてくる。

 今だ・・!

 プレートを拾いながら顔を上げた私は、睨むようにして、こちらに注意を向けた彼を見た。

「どうも」

 彼の瞳孔が開き、表情が凍り付いたのがわかった。

 私は次いで、隣のワカナに視線を滑らせながら「へー」と放った。気まずそうな彼らは歩みを止めずに、それでも進み続ける。

 竜巻は増々勢いを増し、暗黒になっていく。

 私は、憎悪と嫉妬の渦の隙間から、それまでのイチャイチャはどこへやら、急に距離をとって歩き始めた彼らを、じっと見据える。

 逃げるように先を歩いていく彼も、項垂れて後からヨタヨタついていくワカナも、二人とも吹き飛ばされてしまえばいい。

 竜巻に巻き込まれて、どこか知らない世界に飛んでいけばいい。

 私の目につかないところまで。

 二度と私の前に、現れないで!

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