口といきもの

@momochi1029

1話 海を見にいってみない?


 チャイムの音が鳴る。

「これで6限の授業は終わりです。帰ったら親御さんに期末テストの結果を見せるんだぞ」毛が薄くなっている部分を片手で触りながら先生は言う。

 目の前には数字が淡々と羅列された小さな紙が置かれている。なんの特徴もないほど、まるで自分が軸になっているのではと思うほど、ザ・平均点をなぞるような点数ばかりだった。

「最後にadmin様に今日も1日頑張りました、とお祈りを捧げてから終わるぞー。じゃあ、今日の日直の中島、頼んだわ」

「はい」

 教壇の真ん中にスクリーンが召喚され、黒い影で覆われた人影が映し出される。

 野球部に所属する中島は「起立っ!」と威勢のいい声で僕たち生徒全員を立たせる。

「天にまします我らの父よ。あなたの御名をあがめさせたまえ。今日も我らの罪をお赦しください。我らのささやかな歩みに祝福をお与えください。イクジット」

「「「......イクジット」」」

 ガタイ大きい男の口からとは思えない言葉を述べる中島と、それに耳を澄ませながら目を閉じて、少し下を向きお祈りを唱えるクラスメイト達。

 

 祈りが終わると、スクリーンが消えるとともに先生のホログラムも消えた。

 それが見届けるや否や、教室は一斉に騒がしくなる。

 部活に行くため自分の背丈まである重いカバンを背負って駆け出す体育会系、井戸端会議のように2、3人のグループで集まり話し出す女子達、黒板を消す日直係や先生の手伝いをする真面目な学級委員長。

 慌ただしい雰囲気のなか、自分だけ時間の流れが遅くなったかのようにその小さな紙を強く握りまじまじと見ていた時だった。

「いさな! 一緒に帰ろ!」

「......あおいか。いいよ」

 声のする方を振り向く。

 紙を彼女に見られないよう僕は裏ポッケの奥底へと隠した。

 あおいは、地味な僕とは正反対な人間だった。

 彼女は成績が良く、おまけにスポーツもできるいわゆる優等生というやつだ。

 おそらく今回の期末テストも学年一位だと思う。(中間テストは学年1位だった)  

 ただ、本人は自分を優等生などと思っておらずクラスの中心に自ら立ったり、生徒会に参加したりなどしなかった。

 休み時間になったら、ふと教室を抜け出し図書室だったり、屋上の隙とかで読書をするなど静かな性格だった。 

 あおいは、長いまっすぐな黒髪に、古典的な美しい顔立ち。そして、なによりも青く透き通った瞳が印象的で、僕は彼女の、その何かを求めているかのような、蒼い瞳が好きだった。

 僕とは幼馴染だったからか、いつからか忘れたけど高校生になった今までよく一緒に帰ることが多かった。他の男子からは羨ましがられることもあり、僕としては唯一自慢できるようなことでもある。


 僕とあおいは教室を出て、玄関に向かいそれぞれ上履きからくつへと履き替えた。

 玄関を出ると、グラウンドにはすでに野球部がかけ声をしながら2列になってランニングを始めていたり、スパイクを履いたサッカー部の数人がリフティングやらゴールにシュートするなどしている。

「みなさん、今日も元気にやっておりますな」

「なんでおじいちゃんみたいな話し方なの。でもこんな寒いなかよく動くよね。あおいは部活やらなくてよかったの?」

「前にも言ったけど、私はみんなと一緒になって同じことをするのが向いてないの」

「もったいないな。体育でも成績が一番じゃん」

「私は本が読みたくなったら読む。走りたくなったら走る。お腹が空いたらケーキを食べる。私は私の思うままに生きたいの」

「ふうん。なんか変わっているね」

「君に言われたくないよ。でもいさなにはわかるでしょ?」

「......まあね」

 グラウンドを脇に、校門まで紅葉に染まった並木道を僕らは歩く。歩くたびにカサっと枯れ葉は音を弾ませ、冷たい北風によって空高くまで舞い上がる。教室の中からさまざまな楽器の音が聞こえてくる。

「にしても、今日は寒いね」

「そうだね。もう秋も終わってそろそろ冬になるからね」

「なんだか不思議だね」

「何が?」

「だって、今肌で感じてるこの寒さやグラウンドや教室から聞こえる喧騒に、枯れ葉の弾んだ音。これら全て作られているなんて」

「そんなの僕たちにとっては当たり前のことじゃん。今さら、急にどうしたの?」

「......ううん。ふと、ときどき考えちゃうんだ。いさなにはそういうこと考えたことない?」

「それは小さい頃は考えたことがあったけど、でもこれが当たり前のことだからもう考えたことはなかったな」

 あおいはグラウンドの方をまっすぐ見つめる。冷たい北風が彼女の細長い黒髪を揺れ動かし、ときどき白く小さな耳を覗かせる。

 何を考えているかは分からない。けど、時々僕にこうした変なことを彼女は僕に話してくれる。

「なんだか今日は一層センチメンタルだね。どうしたの? ちょっとキモイよ」

「うるさいな。......ねえ、いさな」

「ん? どうしたの」

 何かを決意したかのようにあおいは蒼い瞳を僕に向け、立ち止まった。

 なんだか心臓の鼓動が早くなるのを感じる。まるで、これから告白でもするみたいに空気が重く、自分の唾を飲み込んだ音さえはっきりと聞こえた。

「海を見にいってみない? もちろん、この世界じゃない本物の海の方なんだけど......」

「え? ウミ?」

 ウミという単語が「海」を意味しているのに思い当たるまでに少し時間がかかった。あおいは少しズレてるところがあると思っていたがそれでも、まだ常識の範囲で行動するタイプの人間だ。

 そしてなによりも、現実世界は

「私は本気。私ね、この眼で、自分の本当の眼で世界を見たいんだよ。こんな精巧に作られた綺麗な世界じゃなくてさっ!」

 あおいは人差し指を使って自分の目を指す。

 僕の好きな瞬間だった。何かを求める眼。その眼は僕の体のどこかにある何かを這い上がらせようとしてくれるものだった。

 でも。

「気持ちは分からないわけではないけど。そもそも壁の外に出ることは学校やお父さんがダメだって言ってるし、それにこれはadmin様が決めたことだし」

「そうは言うけどなんでダメなの?」

「外は危険に満ちてるからさ」

「その危険って一体なに? その危険は本当に存在するの? 私はそれすら自分の眼で確かめたい」

「......でも」

「明日は土曜日だし。なにかあっても日曜日まで戻ればなんとかなる。どう? 明日私と海を見に行ってみない?」

「......わかったよ」

「よかった! いさなとなら私は安心できる。じゃあ、詳細はメールで送るね。今日は早く寝てね」

 え? それってどういう意味?

 校門手前まで来ると、自分の視線の先、ちょうどあおいの顔の前に出るように「オフラインにしますか?」という文字が映し出される。

 校門前まで来ると自動的にバーチャルスクールのチャネルから離れるシステムになっているためだ。

「じゃあ、私は先に抜けるね」

 あおいは手を振ると、スウっとあおいのシルエットが消える。

 「オフラインにしますか?」 という表示の下からさらに「はい、いいえ」の二択が表示される。

 僕は、「はい」という文字に視線を送る。まるで眼力で目の前の四角い積み木を浮かそうとしているみたいに。

 「はい」という文字が点滅した瞬間、あたりは暗闇に切り替わった。

 先ほどまで聞こえたグラウンドの野球部の掛け声やサッカー部がボールを蹴る音、吹奏楽の楽器の音、紅葉に染まった並木道の景色はすべて暗闇となって消えた。


(歩さん、今日もお疲れ様でした)

 抑揚のない、淡々とした音声が暗闇のなかで響く。

 双眼鏡のような重いゴーグルと身体中至るところに貼ってある知覚パットを外してから、僕はベッドから身体を起こす。

 薄暗い部屋を見回すと、ライトスポットが当てられたかのように机に置かれたデジタル時計は16:21とそこだけ煌々と輝くように眩い。

 僕は、ふと気になってベッドの脇にあるカーテンを開き外の景色を眺める。

 そこには夕日に照らされ紅葉で満ちた秋を感じさせる景色などない。

 窓から見えるのは厚く重い雲で覆われた灰色の空に、四角い家が規則正しく立ち並んだ無機質な、僕らが住む本当の世界だ。



 

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