第十九話 いざ、ナントへ

「では二隻で行くのですか?」


 アブドーラはエンリケに聞く。


「ん? いいや――ところでアブドーラ、この港の船は乗り捨てても構わないか?」

「そりゃもちろん。なんせ、みなさんに使ってもらうためにある船ですから」

「ね、ねぇ。でもグラナダに乗り込むって……敵の軍を、イスパニア人を相手にするってことよね?」


 国がウマイヤ朝だと言っても、そこには私たちで言うイスパニア人も交じっているのだ。やはりそれだけはどうしても気が引ける。


「イスパニア人? マリアさん、相手はバルバリア海賊とサラセン人、バスク人です」


 私の質問にアブドーラが答える。


「やはり軍隊にバルバリア海賊が混じったり、フランクに侵攻となれば元々のウマイヤ軍だった者の中には、不審に思う兵も多いでしょう」


 それは確かにそうだわ。


「だからオルチとマルシルは、編入したウマイヤ正規軍を地中海の港に配置したのです。外からの侵入を防ぐために。だからグラナダの守備や、フランクに進軍する部隊にウマイヤ軍はいないですよ。そこは我がフンドゥク商会が保証しますよ」

「あ、あら、そうなの?」


 ちょっと安心。同国人同士の、最悪の事態はなさそうね。


「よおし。じゃあ、その船一隻で行くぞ」

「なるほど、単騎で突入ですか。面白そうですね」


 いや、こっちはこっちで最悪だわ。エンリケの無謀な決定に、長髪は喜んでいるようにも見える。こいつら頭のネジ外れてるんじゃないかしら……。


「ちょっと、大丈夫ですの? いくらなんでも無謀では?」


 ここにいるとイサベルがすごくまともに見えるわ。


「心配無用です。戦闘になれば、我ら二人で五千の敵を相手致しましょう」


 パラディンたちが声を張り上げて言う。この二人、少しはまともだと思っていたのに。


「んじゃ、俺は一万を相手にしてやる」


 なんであなたまで競り合いだすのよ、エンリケ。


「もう、分かりましたから。それで、あなたの船はどうするのです?」


 イサベルがこの不毛な争いに終止符を打つ。


「そうだな。ナントだっけ? 目的の港は」

「そう、ビスケー湾にあるナントですわ」

「そこから陸路でグラナダまではどのくらいかかる?」

「そうですわね、ざっと二週間ほどかしら?」

「失礼します。トゥールには私の馬を預けてある厩舎があります。そこで人数分の馬を調達できれば、あとは私の笛を使って――」

「お、何々? なんか面白そうな笛だな」


 割って入る長髪のパラディンの言葉に、エンリケが過剰に反応する。


「ローランの笛は人魚の魔法が秘められています。それを馬に使うなら、五日もあればどうにかなるでしょう」

「人魚の魔法? なんだかそそる話じゃねぇか。ところで、ナントからそのトゥールにかけて、大きな川は流れていたりしないか?」

「川ですか? ロワール川でしたら、ちょうどそこを流れていますが」


 セミロングのパラディンが言う。


「よし、なら一週間だ。アブドーラ、一週間後の日没と同時に、マリアを連れて俺の船をセビリアに向けてくれ」

「わ、分かりました。くれぐれもお気をつけて」

「よし、じゃあみんな船に乗れ。出航だ」


 なんて出鱈目なやつなのかしら。いくらなんでも一週間でナントを経由してグラナダなんて、どう考えても無理よ。そんな中、アブドーラを封鎖中のセビリアに向かわせるなんて、自殺しろって言っているようなものよ。

 そして、私はここに留守番? ふざけるんじゃないわよ! イサベルもそっちに乗船するって言うのに……私はこれでもアルバ公女よ⁉


「謹んでお断りします。あなたたち、イベリア半島の海賊たちを討伐して、イスパニアを復活させるつもりなんでしょ⁉ 私も一緒にナントに行くわ!」

「おいおい、お前が居たって足手まといに――」

「あなた、ちゃんとナントに向かって船を進められるの⁉」

「……」

「ほら見なさい。こうべを垂れて私に乞うがいいわ」

「ふふ、元気出たみたいね。マリア」

「なんだかマリア嬢、いやに威勢がいいですね」

「嬢じゃありません。私はイスパニアのアルバ――」


 ここまで言ったところで、自分の身なりに目が行く。


「――アルバイトの使用人、マリアです……」


 だめ……こんなみじめな姿で、とても名乗れないわ……。


「よし、じゃあ使用人のマリア君。舵を握りたまえ」


 エンリケめ、調子に乗りやがって……。


「エンリケ様、ところでこちらで寝ている娘さんはどうします?」


 アブドーラは床でいびきをかくエミーを見てエンリケに聞く。って、まさかエミーが見えているの?


「俺の船に運んで、一週間後一緒にセビリアに連れて来てくれ」

「エンリケ様、あれは人間ではないですね?」

「確かに、その娘も何か特別な?」

「いや、ありゃただの幽霊だ」


 パラディンたちにもエミーの姿が見えているようだ。そしてエンリケが正体を明かしたにも拘らず、なんだそうかと、当然のような反応。


「アブドーラ、俺の船の中には他にも幽霊やら骸骨がいるけど、まぁ何かの役にたつだろう。使ってやってくれ」

「いやいや、まるで幽霊船ですな。かしこまりました、ご安心を」


 驚くどころか、至って普通の返し。なにこれ、みんなどうかしてるんじゃないの? 霊媒師の集まりか何かですかここは……。


「ね、ねぇ、マリア。ここに、何かいるの……?」


 怯えながら小声で聞いてくるイサベル。おめでとう、あなたは常識人よ。


「イサベル、大丈夫よ。安心して。あなたはちゃんと人間。胸を張っていいの」

「な、なんですの急に。何当たり前のことを……」


 その喜びから、私はイサベルの頭を抱え込み、その肩をポンポンと叩きながら言う。


 正直、今起きている状況に理解が追いつかない。イサベルの言う通りなら、私たちは過去に戻って来てしまったのだろうか?

 だけど、例えどんな状況だろうと、進まなければ道は拓けない。イスパニアの地に行けば、お父様やリシャールを探す手がかりが見つかるかもしれない。私はそれに望みを託すことにした。






「ほう、こりゃいいね」

「えぇ。どう言う訳か、この船には帆が張られていなかったので、会議の最中に替えの帆を張っておきました。もちろん、エンリケ様の船と同じ紋章も書いておきましたよ」


 そこには真新しいドクロ紋章付きの帆が張ってある。これじゃまた海賊船になっちゃうじゃない! ってか、この船の帆は無くなったんじゃなくて、エンリケの船に張ってあるだけなの。そしてその紋章もネロの……あぁ、なんてややこしい。


「よし、全員乗ったか? 大海原へ、いざ行かん!」


 みんな船に乗り込むと、エンリケは楽しそうに声を上げ、例の力によって船はどんどん海原を進んでいく。


「なるほど、これは速い。これが噂に聞く、魔女の力……」

「これなら確かに、ナントまであっという間ですね」

「ちょっとマリア、しっかり舵を握りなさいよ。私が吹っ飛ばされたら、ただじゃおかないわよ」


 船首に立って水平線を見つめながら感心するパラディンたち。必死にマストにしがみついて私に悪態をつくイサベル。

 そんなことよりも、私はたったのこの人数で乗り込むことのほうが遙かに不安よ……。

 だけど何が何でも、イスパニアを取り戻すわ。公女として!

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