第2話

私は笑顔で切り出した。


「秀一、俺だよ俺。分かるか?」


秀一は、私の名札を見て声を上げた。


浩介こうすけ? 北高剣道部の浩介か?」


「そうだよ。俺はすぐわかったぞ。秀一は全然変わらないな」


とは言ってみたが、秀一の顔は年相応には変わってきていた。

なにより、妻を失った悲しみのせいか、やつれて見えた。


「いやぁ、浩介は刑事になったのか。まさかこんな形で会うとは……」


「秀一は、親父さんの工場、継がなかったのか?」


「……ああ」


秀一の顔が曇った。

しまった、この話題は触れてはいけなかったのだ。

植松秀一の両親は、レコードの針を作る工場を経営していたが、経営が悪化し、銀行やサラ金からの借金を抱えていたようだった。


植松家には、病院を経営している母方の伯父がおり、経営難でお金に困っている植松家を援助してくれていた。

しかし、いくら兄妹とはいえ、お互いに所帯を持っており、それぞれの生活があるのだ。

いくら秀一の伯父が医者であっても、金銭的な支援には限界があった。


金策に困った植松家は、手を出してはいけない相手からも金を借りるようになってしまった。

容赦ない取り立ての声は、近所でも話題になっていた。


私は、かつて植松家があった住宅街を訪れて、聞き込みを行った。


住民たちは、植松家への悪質な借金の取り立てがあったことを覚えていた。

そして、ある日を境に悪質な取り立ては終わったようだった。

借金を返せたのだろう。


植松家は引っ越した。

その後、秀一は大手音響メーカーの娘、順子と結婚した。

その順子が殺されて、現在に至る。


* * *


さて、殺人事件の捜査の方では、大きな進展があった。


行方不明になっていた容疑者の村井克彦が、遠い四国の地で見つかった。

村井の実家は徳島であった。


村井は死んでいた。

公園の展望台から落下し、頭を強く打って死亡していたのだった。


村井の死は事故なのか自殺なのか、あるいは他殺なのか。

捜査の結果、徳島県警は村井克彦は自殺であると断定した。


となると、我々は村井を被疑者死亡で送検し、検察は不起訴にするという流れになるのだろうか。

しかし、村井が死亡しても捜査は続けなくてはいけない。

捜査本部としては、あらゆる可能性を考えなくてはならないからだ。


そして、私には個人的に知りたいことがあった。

転校してからの秀一たちの暮らしだ。

秀一が可南子と結婚していなかったことも気になっていた。


私は、秀一と順子の結婚のいきさつについて調べてみた。

植松の会社は、音響機器の特許を持っていた。

しかし、レコード針の需要の減少に伴い経営は傾き、植松の会社は順子の会社に吸収合併されていた。


順子は大手音響メーカーの末娘。上に三人の男兄弟がいて、四番目が順子。

二人の付き合いは、順子の一目惚れから始まったらしい。

秀一は容姿端麗なので、納得だ。

順子の会社は跡取りがすでに決まっていた。

親は順子を末娘として甘やかし、結婚相手も順子の好きな相手でよいと考えていた。


植松の家でも、親会社と血縁関係ができるのは悪くないと考えたようだった。

こうして、植松秀一と順子は結婚した。

同時に、植松の会社は順子の会社に吸収された。


* * *


私は秀一に会い、結婚式の写真を見せてほしいとお願いした。


秀一は戸惑いながらも、アルバムを引っ張り出して見せてくれた。

新郎として写る秀一は、今よりはつらつとした顔をしていたが、高校時代に比べると、生気が抜けている感は否めなかった。


アルバムを見て、気がついたことがあった。

秀一の兄、陽介ようすけがどこにも写っていない。

結婚式に兄が来ないのは不自然だ。

私が聞くと、秀一から意外な答えが返ってきた。


「兄さんは、結婚式の前に死んだんだ。病気で……」


にわかには信じられなかった。

大柄で力持ちの陽介が、若くして病死するとは思えなかったからだ。

結婚式の秀一の顔が、どことなく幸せそうではないのは、兄の死があったからかもしれない。


陽介は文字の読み書きや計算がほとんどできなかった。

能力の低さは幼い頃から明らかであり、植松家では跡取りとして陽介には全く期待していなかった。

次男として生まれた秀一の名に「一」の文字が入っているのは、跡取りとしての両親の期待の表れでもあった。

秀一は親の期待通り、優秀な子として育った。そのため、両親からの溺愛を受けていたようだった。


陽介は、勉強は全くできなかったが、腕っぷしは強かった。

ある日、自分を馬鹿にしてきたクラスメイトに暴力をふるい、大怪我をさせたことがあった。

こっぴどく叱られ、以後は誰にも暴力をふるうことなく過ごしてきたが、集団にはなじめず、陽介は不登校になってしまった。


植松家において、陽介の存在は恥だと考えられている様子は、部外者である私の目にも明らかであった。

それでも、陽介は気持ちの優しい男であった。

私は幼い頃から一緒に遊んできたので、それはよく分かっていた。

陽介は不遇であった。


兄よりも期待をかけられ、あらゆる面で優遇されていることを、秀一は幼い頃からずっと心苦しく思ってきていた。

お小遣いもおやつも、秀一の方がいつも多くもらっていた。

なので、私達4人で遊ぶ時に、秀一は多くもらっていた分をこっそり陽介に渡していた。



その陽介が、病死していたとは……



植松家は、陽介の死亡後も不幸が続いた。

秀一の母が病気で死亡。

後を追うように秀一の父も病死したのだった。



さて、この事件で私が気になっていることはまだある。

それは、秀一に「アリバイ」がないことだ。

ウインドウショッピングしていたとは言っていたが、彼のなじみの店を全て調べてみた結果、事件発生時に秀一を見たという店は、一つもなかった。


目撃証言が全く出てこないのだ。




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