第6話 3月21日 父と娘と犯人と同期の話

 私は幽霊としてこの世に戻ってきた。

 でも、なぜ戻ってきたのか分からない。

 そして、いつ成仏できるのかも分からない。


 私は幽霊だ。仕事に行く必要がない。でも、今までずっと仕事に行っていた私には何をして時間を潰せばいいのか分からない。

 しかたがないから、私は娘と動画配信サービスで映画を見ていた。陽菜が選んだ映画だ。

 若手俳優と女優が演じる高校生男女の恋愛映画だから、たまにキスシーンが出てくる。娘と一緒に見るのは少し恥ずかしい。思春期の娘を持つ父親の気持ちを、私は幽霊になってから理解した。


 そうこうしているとインターホンが鳴った。妻の裕子がインターホン越しに話しているが、来客のようだ。『誰だろう?』と思って私が画面を見たら、安里が写っていた。


 ――なぜ安里がここに?


 私は安里の顔を見て嫌な記憶が蘇った。動悸が激しくなる。


 安里は裕子に「ご主人から渡してもらうはずだった取引先のデータがありまして。UBSメモリに入っているはずなのですが、ご主人の部屋にあるか確認してもよろしいでしょうか?」と聞いた。


 何とかして安里に帰ってもらう方法はないか?


 私が「ダメだ。絶対にダメだ」と裕子に伝えようとするのだが、私の声は聞こえない。

 状況を察した陽菜が「お母さん、父さんの部屋が散らかっているから少し待ってもらって」と裕子に言った。ナイスフォローだ、我が娘。


 裕子は安里に少し待つようにインターホンで伝えた。


 陽菜に状況を説明して対応してもらうしかない。

「陽菜、聞いてほしい。安里を絶対に家に入れてはいけない」

「どうしたの?」と陽菜は怪訝な顔をして言った。

「思い出したんだ。父さんを殺したのはあの男だ。安里は不正の証拠の音声データが入っているUSBメモリを探している」


 私が真剣に説明したから、陽菜は事情を理解したようだ。

「そのUSBメモリはどこにあるの?」

「クマの中」

「クマ?」

「クマのぬいぐるみの中に入れた」


 陽菜は私の部屋に移動した。

「これのこと?」

「それだ」

「あと、机の引き出しの中にUSBメモリが入っているはずなんだけど……」

「これ?」

 警備員の山本からもらったUSBメモリとそっくりだ。これを安里に渡せば大人しく帰るかもしれない。私は陽菜に「それそれ、それを安里に渡してくれないか」と頼んだ。


 陽菜は玄関に行き、「部屋が散らかっているから、片付けるのにまだ時間が掛かりそうです。ところで、USBメモリはこれですか?」と言ってドアの前にいた安里に渡した。

 すると、安里は満足したのか、陽菜からUSBメモリを受取って帰っていった。


 最悪の事態は脱したようだ。


 陽菜はクマのぬいぐるみを持って部屋に戻ってきた。

「無事でよかった……」

「偽物のUSBメモリで凌いだけど、直ぐに分かると思うよ。どうするの?」

「そうだな。同期の望月は覚えてる?」

「知ってる。葬式で会った時、父さんが事件に巻き込まれたと言ってた」

「アイツ、そんなことを……」

「そんなことよりも、望月さんに状況を聞いてみればいいんじゃない?」

「そうだな。そのぬいぐるみを持って、一緒に本店に行ってくれるか?」

「えー? これから綾華(あやか)と会う予定があるんだけど」

「頼むよー。遊びと命とどっちが大事なんだ? また安里が来たらどうするんだ?」

「そうだけどさ。青春は一度しかないんだよ」


 陽菜はなかなか私の言うことを聞いてくれそうにない。

 困ったな……


 娘の扱いが分からない私。しかたなく、私は禁断の手を使うことにした。


「陽菜は何か欲しいものある?」

「金で釣る気?」

「そうじゃない。労働に対する対価だ」

「あ、そう。新しいスニーカーがほしい」

「じゃあ、一緒に本店に行ってくれたらスニーカーを買ってあげよう」

「幽霊なのにお金持ってるの?」

「お金を持ってなくても、お金の隠し場所は知っている」

「へー、いいわよ」


 こうして私と陽菜の交渉は成立した。


 クマのぬいぐるみをトートバッグに入れた陽菜と私は、丸の内銀行に向かった。


 娘と一緒にどこかに行くなんて久しぶりだ。

 少なくとも中学生に入ってからは娘と外出したことはない。私は嬉しく思った。


 死んでなかったらできなかった経験かもしれない。

 それに、最近は陽菜が少し優しくなったような気がする。


 ――でも、死んでるんだよなー


 それだけが残念だ。


 ***


 丸の内銀行の本店は東京駅から徒歩で約5分の場所にある。本店の周辺はここ数年の再開発で街並みが急激に変わった。

 東京駅から本店までの道中、私は『このビル、前は何だったっけ?』と考えながら歩いていた。陽菜には「ここの親子丼が美味しい!」と教えてあげたのだが、興味なさそうだった。やはり、思春期の娘とのコミュニケーションは難しい……


 私と陽菜は、本店の受付で審査部の望月を呼び出してもらった。


 しばらくすると、望月が受付に姿を現した。内勤者らしいカジュアルな格好だ。

 ネクタイはもちろん、ジャケットも着ていない。長時間椅子に座っているせいか、ズボンからシャツがだらしなく出ている。


 望月を見た私は「だらしない恰好だなー」と呟いた。当然、私の声は望月には聞こえないのだが、陽菜は「本当だね」と小さく言った。

 望月は陽菜を打合せスペースに案内すると、飲み物を持って戻ってきた。

 私は陽菜の隣の席に座った。陽菜の正面に望月が座っている。仕事が忙しくて参加したことなかったが、三者面談はこんな感じだろうか?


「急にどうしたの?」

「この前の葬儀で望月さんが言っていた事件のことです。父からUSBメモリを受取りましたか?」

「いや、受け取っていない。宍戸から行内便で送ると聞いていたけど、僕のところには届かなかったんだ」

「え? 受け取っていない?」


「安里が回収したんだな」と私が小さく言った。


「安里が回収した?」

「え? 陽菜ちゃんは安里を知っているの?」


 望月は陽菜が安里のことを知っていることを不思議に思ったようだ。ある程度の情報共有は必要だろうから、私は陽菜に事件の内容を望月に伝えてもらうように頼んだ。

 陽菜は私が話す事件の内容を望月に伝えた後、「音声データが入っているUSBメモリがこれです」と言ってクマのぬいぐるみを渡した。


 望月はクマを受取ると「ありがとう。これで事件を解決することができそうだ」と礼を言った。


 望月に不正の証拠を渡したから、事件はこれで解決するはずだ。

 私はほっと胸を撫で下ろした。


 家族に危険は及ぶことはないし、安里の不正も暴かれる。


 ――これで未練なく成仏できる!


 私はそう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る