霊感少女N

粘膜王女三世

霊感少女N

 ニュース番組なんかにおける「体を強く打って死亡」という表現は、遺体が原型を留めていない状態を指すらしい。

 高所から落下しただとか、トラックに跳ね飛ばされただとか。

 隣の県のとある小学校の近辺で、そうした状態の子供の遺体が発見されていると、連日報道が行われている。しかも不可解なことに、そうして見付かる子供の遺体の周辺に、転落死できるほど高い建物はなく、車に跳ね飛ばされたような形跡もないそうなのだ。

 アタマのおかしな殺人鬼が、金槌か何かで子供をぺしゃんこに叩きのばしているのか?

 遺体の状況だけで言えば、それはまさに高所落下による遺体という他ないそうなのだ。

 血塗れになった子供の遺体が、地面にぺしゃんこに広がって張り付いている。骨は粉々、内臓もぐしゃぐしゃ、しかし近くに高い建物はない。

 誰かがヘリコプターか何かで空から落としたとでも考えなければ、到底説明のつかない話ではあった。

 恐ろしい話だ。不思議な話でもある。けれど、小学六年生のあたしにとって、県境を越えた遠くで起きているその話題は、どこまで行っても他人事だった。それよりも、あたしが強く関心を寄せるのは、あたしにとってより身近な、客観的にはささやかないくつかの問題だった。

 例えば、前から親にねだり続けている、来週発売のゲームを買って貰えるかどうかとか。

 昨日の帰りしなに誤って割ってしまった窓ガラスのことが、バレてしまわないかどうかとか。

 先週クラスにやって来た転校生が、ただの一言も、誰とも口を利こうとしないことだとか。


 〇


 その転校生、仮に『N』としておこう。

 転校初日、教師によって紹介されたNは、誰の目から見ても綺麗な子供だった。けれどもそれでいて、或いはその美しさが故に、どこか異様な雰囲気も併せ持っていた。

 小学五年生としては背はあんまり高くなくて、どちらかというと幼いタイプの顔立ちだったけれど、小ぶりな高い鼻や薄桃色の唇は、作り物めいて整っていた。髪の毛は肩に届かないくらいのボブカットで、漆のように暗い色をしている。信じられない程真っ白な肌と相まって、日本人形のような気配を醸し出している。

 何よりも特徴的なのはその瞳だった。見たことない程大きくて黒目がちな、宝石のように綺麗な瞳だ。しかしその目はなんというか、漫画でいうハイライトのない瞳の表現のように、どこかしら空虚で、あらゆる感情を人から読み取らせないものだった。

 あるいはNは本当に、何の感情も持ち合わせていないのかもしれない。そう思わされることも度々ある。いや、本当に何も感じないのでは生きていけるはずもないから、あたし達が持つような子供らしい感情を持たないだけで、何か彼女にだけ通用する感性が備わっているということなのかもしれない。

 転校初日、物珍しさから机の周りに集まって来る子供達の質問攻めに、Nはただの一言も返さずにただ虚空を見詰め続けた。そしておもむろに、ふらりと席を立ちあがったかと思ったら、教室の外へと出て行ってしまった。

 それっきり、Nは休み時間が来る度に教室の外に出るようになった。転校初日という友達を作る上で最も大切な一日を、そんな風に過ごすということは、多分Nは友達なんて一人も欲しくないんだろう。

 人嫌いの変わり者。

 ただNはそれだけではない。

 一度だけ……あたしはNに声をかけたことがあった。

 ある日の行間休み、図書室で時間を潰していたあたしの元に、Nがふらふらと訪ねて来た。訪ねて来たと言ってもそれは、ただ当てもなく校舎をふらつく過程で図書室に来たというだけなのだろう。

 「Nだよね? 何やってんの?」

 若干の期待を込めて、あたしはNにそう尋ねた。

 「Nも一人でいるのが好きだよね? 本は読むの?」

 Nは何も答えなかった。あたしのことを一瞥することすらしない。そもそもあたしに声を掛けられたことなど、セミが鳴いたのと同じくらいどうでも良いことのようだ。Nは忌憚のない足取りで図書室に背を向けようとした。

 「おい。待てよ。無視すんなよ」

 あたしは言う。

 「なんか言えよ。声かけてるだろ?」

 声に怒気を孕ませてみせると、そこでNはようやく、あたしの方を振り返ってこういった。

 「今あなたの座っている、その席。譲った方が良いですよ」

 あたしは何がなんだか分からなかった。『なんか言えよ』とは言ったものの、そんな意味の分からないことを言われる筋合いはなかった。

 「待っている人がいます。窓際で、校庭の景色を見ながら本が読めますから。風が吹いて来るのも、五月の今の季節なら、気持ちが良いですし。きっとそこが良いんでしょう。譲ってあげてください」

 「いや……意味分かんないよ。待ってるって、誰が? 今図書室、あたしとあんたしかいないじゃん」

 「いますよ」

 Nはその黒い宝石のように綺麗な、それだけに生者のものには見えない空虚な視線であたしの隣、窓際の壁の方を見詰めた。

 「あなたには見えないだけです」

 「何で? 何で見えないっていうの?」

 「生きていない人だから」

 そう言って、Nは再びあたしに背を向けた。

 「あたし、霊感があるんです。だから、見えちゃいけない者が見えるんです。今伝えたことを信じるかどうかはあなたの自由ですが……でも、ちゃんと譲った方が良いですよ。そこがお気に入りのようですから」

 そうしてNはあたしの前から消えた。

 そのやり取りを終えて、あたしはどこか安心した気持ちすら覚えていた。あの気味の悪い、何が何だか分からない転校生の姿が、おぼろげにだか掴めたような気がしたからだ。

 霊感少女なら、別にN以外にも何人もいる。無暗とアピールが強すぎない限りは嫌悪の対象となることも少ないが、しかし小学六年生にもなれば、本気で信じている者はそうはいない。

 不思議な力や体質を持つと口にすることで、特別な自分を演出できると考えている、痛い子の類。思えば誰とも口を利かない孤独なポーズも、彼女なりの自己演出の一環なのかもしれない。

 そう決めつけて、Nという少女を分かった気になっていたところで……行間休みの予鈴が鳴り響いた。


 〇


 Nはその後も他人のことを無視し続けた。

 それでは、周りから嫌われないはずもない。ある日の昼休み、クラスでも派手な女子であるOが、取り巻きを従えてこんな話をしていた。

 「Nってさ、帰る時西公園の前通るよね? そこで待ち伏せてさ、公園に引き込んで一回シメとかない? ウザいしさ、あいつ」

 分かる分かる、そうしようそうしようと話す取り巻き達に、Oはしたり顔でこう続けた。

 「やっぱりさ、ああやって他人のことずっと無視してて、それが許されると思ってるんなら、それはやっぱり叩いといた方が良いよ。ああやって鉄仮面みたいに無表情な顔で、ずっと無口で、そういう居直ったみたいな態度はさ、やっぱり自分勝手だと思うから。あいつの為にもなんないしね」

 その時、Nは教室の外にいた。あたしは教室を出て、Nを探して校舎の中を彷徨った。

 Nは校庭の池の前にいた。濁った水の上に浮かぶ蓮の花にじっと視線をやりながら、ただ茫然と立ち尽くしている。その表情からは、やはり何の感情も読み取れない。

 「ねえN。大事な話。無視しないで聞いて」

 最低限度の対応とばかりに、Nは視線だけを緩やかにこちらに向けた。

 「Oとかその取り巻きとかがさ、おまえをリンチしようとしてるみたいなの。西公園の前を通る時、中に引き込むんだって。だからさ……」

 だからどうしようというんだ? あたしは今更ながら、その事実を伝えることがNの窮地を救う訳ではないことに気が付いた。今日のリンチを上手く回避したところで、連中は執念深くNを狙うに違いないのだ。

 「そうですか」

 そのことに気付いているのかいないのか、Nはあたしの忠告に対し、こう返事をした。

 「なら、わたしの家まで一緒に帰ってもらって良いですか?」

 あたしは絶句して目を丸くした。

 「わたし、転校したてで、家までの道を一通りしか知らないんです。西公園前を避ける場合、あなたに案内してもらわなければ、家まで帰れません。お願いします」

 「……今までずっとシカトして来た相手にそのお願いは厚かましすぎない?」

 あたしが思わずそう返すと、Nは「じゃあいいです」とだけ口にして、あたしに背中を向けた。

 そして去り際に。

 「教えてくれて、ありがとうございます」

 と一言、口にした。

 その台詞を聞けたからなのか、そんなことは特に関係なくただの気まぐれなのか。それは、自分でも分からない。

 けれど気が付けばあたしはこう口にしていた。

 「待って。分かったいいよ。一緒に帰ってあげる」

 Nは振り返って小さく頭を下げた。


 〇


 あたしの住む街はまあまあ田舎で、通学路の左右には田んぼとか畑とかがずっと並んでいる。数十センチほどの段差の下にある田畑からは泥や土、植物の匂いが立ち上っていて、日焼けしたコンクリートの匂いと混ざり合って、あたしの鼻孔を穿り回す。

 下校を共にするNは無口だった。そのあまりの無言っぷりに嫌気がさしたあたしは、若干の怒気を孕ませた声でこう質問した。

 「Nってさ、どこから越して来たの?」

 「T県です」

 答えは端的に、最低限度のものが帰って来る。それはあたし達の住む隣の県で、それは今世界中から注目される怪事件の舞台でもあった。

 「なんか、大変なんだってね。何もないところで、ぺしゃんこになった子供の死体が見つかってるって、ニュースで見たよ」

 あたしが言うと、Nはやはり端的に「そうですね」と口にした。

 「見たことあるの?」

 「はい」

 「え? 本当に?」

 「はい」

 「人の死体って、ぺしゃんこになった人の死体って、どんな感じなの?」

 思わず変な質問をしてしまった。Nは表情を何も変えずにこう答えた。

 「汚いです」

 あたしが絶句していると、Nはふと何かに興味を持ったように、視線を道路の端に向けた。

 そこには一匹のカラスが横たわっていた。

 いつもは綺麗に畳まれているはずの黒い羽根が、二枚とも大きく圧し折れ、ひしゃげた状態で広がっている。全身のあちこちから血が滲み、乾いたその様子は、傷ついてからかなりの時間が経過していることが見て取れる。柔らかそうな黒いお腹は、息をするように僅かに上下しているが、息絶えるのも時間の問題というところ。

 車に轢かれたのか、それとも誰かに悪戯されたのか。いずれにせよ哀れな姿をさらすそれに、Nは衒いもなく近付いて、両手を伸ばして抱き上げて見せた。

 「え? ちょっとN、マジなの?」

 あたしは思わず声をかける。

 「なんでそんなことするの? ばい菌付くよ?」

 「まだ息があります」

 Nは答える。

 「持ち帰って手当をすれば、或いは……」

 相変わらずの無表情のNに、あたしは何を言って良いか分からなくなった。多分手当をしても治すのは無理に見えるし、死にかけのカラスを持ち帰ったら家の人に絶対に怒られそうだ。しかしそんなことをどういう風に言えば諭すことができるのかは分からなくて、あたしは途方にくれた。

 その時だった。

 「おいU。自分友達いないからって、そんな転校生とつるんでる訳?」

 Oの声がした。背後には数人の仲間を引き連れ、意地の悪そうな目の端を吊り上げている。

 「つか何それ? カラスの死骸? きったない」

 竦んで立ち止まるあたしに対し、Nはいつも通りの対応をした。こちらを睨み付けるOを無視して、死にかけのカラスを抱いておもむろな足取りで歩きはじめた。

 「おい。無視すんなよ!」

 OはNの襟首を掴む。

 「今日はあんたと話があって待ってたのにさ。見付からないからこっちから探しに来てやった。なんで道を変えたの? もしかしてUの奴に入れ知恵された?」

 立ち止まるNは何も答えない。無表情のままOの方に振り返り、虚ろな声で言った。

 「この子の手当てがあるので、帰らせてください」

 「うるさいよ!」

 OはNの手からカラスを叩き落とした。そして地面に着いたカラスの頭を、スニーカーの裏で思う様踏みつける。

 頭蓋骨の砕ける音がした。皮膚から飛び出した白い骨の破片が、カラスの黒い体毛の中で嫌な感じに映えていた。裂けた皮膚の隙間から、赤黒い血液と共にまろび出る薄桃色のゼラチン質は、頭蓋骨の中に入っていたカラスの脳味噌に見えた。

 本当に死骸になったカラスを無感情に見下ろすNの胸倉を、Oは掴んだ。

 「こんな汚いもんに構ってないでちゃんと話を聞きなよ。こっちはあんたのその態度がずっとアタマに来てるんだ! そうやって人をシカトするのはやめ……」

 「おまじない」

 Nは唐突に言った。

 「は?」

 「わたしが転校して来る前の学校で、流行っていたおまじないがあるんです」

 淡々とした口調で語り始めたNに、Oは鼻白んだような様子を見せる。

 「目を閉じて、どこか高いところに立っている自分を想像するんです。それから『トビオリさん、トビオリさん、いまそちらに参ります』と、口に出して三度唱えます。そしてその場でぴょんと前に向けてジャンプをすると、不思議なことが起こるというものです」

 Nが自分からここまでまとまった台詞を吐くのは初めてだった。胸倉を掴まれても睨まれても、動じる様子を見せず、無表情を崩さず、淡々と語るNの様子には、吸い込まれるような迫力があった。

 「やってみてもらえませんか?」

 黒目がちの大きな瞳にOの全身を映しながら、Nは静かな声で言った。

 「……何それ? なんで私がそんな気持ちの悪いことをしなきゃいけないのよ? 何も起きないに決まってるじゃない、そんなの」

 「何も起きなかったら、あなたの言うことを何でも聞いても良いです」

 「本当に?」

 「ええ。本当に」

 Oは思案するような顔を浮かべつつ、Nの胸倉から手を離した。

 冷静に考えれば、Nの持ち出した取引はOに何のメリットもない。取り巻き達と共にNを囲っているこの状況では、そんな取引に応じずとも、Nに言うことを聞かせる方法はいくらでもある。

 「……分かった」

 それでもOがそれに応じたのは、Nの語る『おまじない』に興味を持ったからだろうか? それとも、どう揺さぶっても何を言っても動じない、人形のように無機質なNの態度に、何か恐れのようなものを抱いていているからだろうか?

 いずれにせよ、Oは目を閉じて、気持ち顔を空の方へと傾けた。そして口に出して、呪いの中核となる呪文を三度唱える。

 「トビオリさん、トビオリさん、今そちらへ参ります。トビオリさん、トビオリさん、今そちらへ参ります。トビオリさん、トビオリさん、今そちらへ参ります」

 Oはその場で足を屈め、手順通りに前へ飛ぼうとした。その時。

 「ちゃんとやれ!」

 Nが鋭い声を発した。

 今まで聞いたこともないような声量で、胸にずんと来るような低く短い調子の声だった。取り巻き達は怯えた様子ですくみ上り、Oは思わず目を開けてNの方を見る。その視線には恐怖が滲んでいる。仲間と共に捕らえ、どうとでもなぶり者に出来るはずのNを相手に、Oは確かに怯えていた。

 あたりの電線から声を上げてカラスが飛び立ち、風に吹かれた木々が鳴る音が響く。そして静寂が訪れた世界の中心で、Nだけが無表情を保っていた。

 「な……何よ。ちゃんとやってるじゃない」

 Oが声を震わせる。

 「ちゃんと高いところにいる自分の姿を想像してください。学校の屋上とか、切り立った崖の上とか」

 「あんたね……何も起きなかったら、本当に覚えてなさいよ」

 再び目を閉じて、「屋上、屋上……」と口元で呟いてから、呪文を唱え始めた。

 「トビオリさん、トビオリさん、今そちらへ参ります。トビオリさん、トビオリさん、今そちらへ参ります。トビオリさん、トビオリさん、今そちらへ参ります……」

 そう言って、Oはその場で一歩飛ぼうと足を折りたたみかけ、そして叫んだ。

 「きゃ、きゃあああっ!」

 周囲で見ているあたし達が、思わず息を飲み込むような、つんざくような悲鳴だった。

 「な、何よこれ! どうなってるの?」

 Oは目を閉じたまま、その場で我が身を抱きしめて喚いた。

 Nはあくまで淡々とした口調で言う。

 「良いから飛んでください」

 「飛べる訳ないじゃない……こんなの!」

 Oはアタマを抱えながら絶叫する。

 「高くて怖くて……それに何なのよ、下にいる奴は!」

 目を閉じたままOは下を覗き込んでいた。そこにはただ砂色の地面があるだけだった。否、目を閉じたOにはその砂色の地面すら見えていないはずだった。瞼に覆われた暗闇の世界で、しかしOはOにだけ見える何かを覗き込み、Oにだけ見える何かに怯えていた。

 「良いから。飛んでください」

 「嫌よ! こんな化け物のいるところに飛べる訳ない! 助けて! あんたなんか知ってるんでしょう?」

 瞼の上を掻き毟りながら、Oは喚き続けている。

 「ねぇ、お願い。目を開けさせて。助けてよ……ねぇ、助けてっ!」

 「助けません。飛んでください。……飛べっ!」

 目を閉じたまま半狂乱になっているOの背後に回り、その背中を勢い良く押した。

 Oは前のめりになってその場に倒れる。

 その時だった。

 正面から砂の上に倒れただけのOの身体は、まるで凄まじい高所から落下したかのように、激しい音と衝撃を響かせた。まるで飛び降り自殺の遺体のように、骨は砕け、皮膚は裂け、噴き出した血液があたりを真っ赤に染める。粉々になった顔面から赤黒い液が激しく溢れ出し、弾けた頭蓋骨から脳漿と共に薄桃色のゼリーのようなものが、数メートル先まで飛び跳ねた。

 幾重もの悲鳴が連なって周囲に響き渡った。その中にはもちろんあたしの声もあった。狂乱の中で、Oを突き飛ばしたNだけが静かな様子で立ち尽くしていた。

 Nはぐちゃぐちゃになって倒れ込むOをじっと見据えると、表情にも所作にも表れないが確かに満足した様子で視線を外した。そして地面にこびり付いているカラスの亡骸を、両腕を真っ赤にするのを厭わずに持ち上げた。

 それを抱いて衒いない足取りでその場を去っていく。自分が引き起こした惨劇に、最早興味を失ったかのように。

 悲鳴から現実に意識を回帰させたあたしは、そんなNを追いかけて肩を掴んだ。

 「ちょっと待ておまえ! 何をやったんだよ!」

 Nは最低限度の対応とばかりに、視線だけをこちらに向けて言った。

 「腹が立ったんです」

 「おまえ、Oを殺したんだよな?」

 「はい」

 あっさりと認めるNに、あたしはむしろ力が抜けてその場で蹲りそうになる。

 「そこまでやることなかっただろ……」

 「腹が立ったんです」

 「さっきの何だよ。いったいどうやったんだよ」

 「ですからおまじないです。そういうのに詳しいんです。あんまり人に教えちゃいけないって、教えてくれる姉さまに言われてるんですけどね。前の学校でも、広めちゃった所為で何人も死なせて、それで転校することになってしまいました。バレたら叱られるかもしれません」

 ニュース番組なんかである「体を強く打って死亡」という表現は、遺体が原型を留めていない状態を指すらしい。

 高所から落下して、全身がぐしゃぐしゃになったような、そんな状態を指すらしい。

 県境を三つ超えた先にあるT県の、とある小学校の近辺で、そうした状態の子供の遺体が発見される事件が相次いでいる。そして不可解なことに、そうして見付かる子供達の周辺に、転落死できるほど高い建物はないそうなのだ。

 この世ならざる何かの力が働いたような、そんなおかしな話の真相を、あたしは今目の当たりにしたのだ。

 慄くあたしを置き去りに、Nはカラスを抱いて歩き続ける。そして一本の大きな木の陰に狙いを定めると、真っ赤に濡れた手に土を張りつけながら、膝を折ってその場で穴を掘り始めた。

 あたしは尋ねる。

 「何やってんの?」

 Nは答える。

 「この子を土に埋めてあげるんです」

 それからNはあたしの方を振り向いて……それは『最低限の対応』ではなく、きちんと身体ごとこちらを振り向いて……そして微弱ながら、本当に霧のように幽かながら感情のようなものを纏わせた声で、あたしに言った。

 「手伝ってくれませんか?」

 その黒々とした大きな瞳に、吸い込まれるようにあたしは近付き、隣に座った。

 そして、Nと一緒になって、両手を土色に染めて穴を掘り始める。

 あたしは自分が魔に魅入られたとは思っていない。

 考えなしの好奇心で、奇妙なものに近付いた訳でもない。

 Nのしたことをあたしは決して支持しない。Oは最低な奴だけど、だからと言って、その無知と無思慮に付け込んで罠に嵌め、殺してしまって良い訳がない。

 だとしても……Oに思い付きのように踏み躙られ、助かるかもしれなかった命を散らした無辜のカラスを、土に埋めて供養することは、間違ったことではないはずなのだ。

 それが正しいことなのならば、別に手伝っても構わない。

 それにしても。

 「なあN。おまえ要領悪いだろ? 横に広げ過ぎだしさ。指でそんなに穿ったって疲れるだけだろ? 石とか使って削るように掘って、溜まってく土は後からどけろよ」

 「はあ」

 そう言った一瞬、鉄面皮のNがほんの一瞬だけ唇を尖らせたように見えたのを、あたしは絶対に忘れない。忘れてやるものかと思った。


 〇


 後日談。

 泣き喚く少女達に囲われたOの死骸は、間もなく大人達にも見付かって通報が成された。

 既に命がなかったことは言うまでもない。転落死できる程の高所が近くにないにも関わらず、明らかに高所から落ちたとしか思えないその死体は、不可解そのものだ。その死因が隣の県で起きている怪事件と一致していることに、警察官達はすぐに気付いた。

 だがそこまでだ。その事件を引き起こした忌まわしい呪文のことなど、大人達が信じるはずもない。事件を見守っていた少女達がどれほど強く訴えようとそれは同じで、集団的な自己催眠現象の類と解釈されるに留まった。流行のまじないを信じてしまい、級友の死をそれに結び付ける、哀れな子供達。

 子供達がその呪文の効果を大人達に示すには、大勢の見ている前で、己の命を犠牲に実証するしかない。しかしそんなことはできるはずもない。子供の言い分をそのまま信じたごく少数の大人にとっても、それは全く同じことなのだ。

 よって怪事件は怪事件のまま、未解決のまま据え置かれ、大人達は的外れな調査を今も続けている。

 その事件を引き起こしたNはというと、無口無表情を変わらずに貫いたまま、休み時間の度に校舎を徘徊する日々を送っていた。

 「なあおまえさ。教室に居たくないのはあたしにも分かるけど、そんな毎日ふらふらしてないで、ここで本でも読んでろよ」

 ある日。徘徊の途中で図書室にやって来たNに、あたしは本から顔をあげてそう言った。

 「おまえ学校中の噂になってるだろ? Oを殺したって。クラスメイトとかはマジだって知ってるから、怯えて声もかけて来ないけどさ。でもクラスや学年が違う奴は嘘だと思ってるから、外歩いてたらちょっかいかけて来るじゃん? あんまうろうろしない方が良いって」

 無視して立ち去って行くNの様子を想像しながら、それでもあたしは言った。しかしNは。

 「そうかもしれません」

 などと言って、わたしの隣にすっと腰かける。

 あたしはそれを意外に思った。こいつが素直に言うことを聞いたこともそうだし、無数にある席の中から、それが当然であるかのようにあたしの隣に座ったことも意外だった。

 だがその意外さを指摘したらこいつは離れて行きそうだ。確かにあたしはこいつの性格の全部をまだ掴めていない。気味の悪い奴でもあるし、変わった奴でもあると思う。でもだとしても、きっとあたしと変わらないくらいには、子供らしく偏屈な子供であることも、きっと間違ってはいない。

 だから今は多分、そのことについては、何も言わない方が良いのだ。

 本を読むでもなくただ茫然と、唇を結んで開けた窓を眺めているこいつに、わたしは声をかける。

 「その席、座っちゃいけないんじゃなかった? その席を気に入ってる霊がいて、譲ってあげなくちゃいけないんでしょ?」

 窓辺の陽だまりの中で、爽やかな春風に無表情のまま髪を靡かせているNは、あたしの方に視線をやって端的にこう言った。

 「だって、ここが一番気持ちが良いんですもん」

 表情や声音を変えずとも、その言い分は偏屈で意固地な子供そのものだ。

 霊から気に入りの席を奪う胆力に恐ろしいものを感じながらも、あたしはそんなNの様子に他愛もないものも感じ取っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

霊感少女N 粘膜王女三世 @nennmakuouzyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ