第六幕【火竜の巫女が寄り添う島】

6-1【その手が届く人達へ】

 半壊した屋敷。荒らされた芝生。

 中庭に敷かれた石畳の道はその大半が砕け、東屋は屋根が半分崩れてしまった。

 生垣や花々は折られ、散らされている。

 しかし、どこにも焼けた跡がないのは、ヴェスタの炎の万能さを物語っている。

 燃え散った魔獣たちの亡骸も、既に消失していた。


 修繕にどれほどの時間を要するだろうと、周囲を見渡しながら思うアデーレ。

 しばらく歩くと、結界に守られたエスティラとメリナの姿が目に入る。

 どうやらメリナは意識を取り戻したらしく、エスティラの肩を借りて立ち上がっているようだ。


「あっ」


 メリナを支えるエスティラが、自分達に歩み寄ってくるヴェスティリアの姿を確認し、明るい表情を見せる。


 結界は最後まで無事に役目を果たし、二人の安全を守り切ったようだ。

 気付かれぬよう安堵のため息をついたアデーレは、その結界を解くために……。


(あれって、どうやって解くの?)

(ああ、うん。待ってて)


 脳内での会話の後、アンロックンの力によって結界が解除される。

 ちなみに、結界を張る際に剣を頭上で回したのは雰囲気でやっていただけであり、必要な動作ではない。


 このような超常の力は、アンロックンに頼らなければ行使することができない。

 どれだけヴェスティリアが協力によって成り立っているか。

 アデーレはそれを痛感する。


 そんなことを思いながら、アデーレがヴェスティリアの姿のまま、担いだ剣を下ろして二人の前に立つ。


「終わったの?」


 不安げに尋ねてくるエスティラに対し、アデーレはうなずいて答える。

 それを見たエスティラとメリナは、安堵ではなく複雑な表情を浮かべる。


 仕方のないことだ。

 アデーレが倒したのは、二人にとって無二の存在であるアメリアを殺害した魔女。

 彼女の無念を晴らすことは出来ただろう。

 だが生き残った者達には喪失感が残り、長い時間向き合っていかなければならない。


「アメリア……」


 俯き、その名を呟くエスティラ。

 メリナと寄り添う彼女の肩が、ほんの少しだけ震えていた。



 アデーレは、彼女達ほどアメリアと時間を共有することは出来なかった。


 メリナが就いている仕事は、アメリアの補佐役も担っている。

 直接の上司で、彼女が使用人の仕事に就いてから、ずっと世話になってきたはずだ。

 エスティラは、それこそ物心つく前から、彼女が傍にいた。

 ここにいる誰よりも、アメリアと共に過ごした時間は長かった。


 そんな二人が、涙を堪えられるはずがなかった。

 そして、アデーレは涙をこぼす二人の姿を、ただ見守ることしかできなかった。


「ありがとう」


 それでもエスティラは顔を上げ、因縁に決着をつけてくれた剣士に礼を言う。

 震えながらも必死に笑顔を繕い、とめどない涙を流しながら。


「私からも、お礼を言わせてください。本当に、ありがとうございました」


 同じように、メリナも湧き出す感情を露わにしながら、頭を下げる。


 アデーレは必死に、慰めの言葉を探す。

 二人から目をそらし、必死に言葉を絞り出そうとする。

 だが、浮かぶ言葉はどれも陳腐に感じられてしまい、口にすることができない。


(……そういう、ことなのかな)


 言葉を詰まらせる自分を鑑み、ふと思う。

 超常の力を振るい、人々の命と平穏を守る者に課せられた務め。

 逆に言えば、悪意ある超常に立ち向かえない人々に代わって力を振るい、そして守り切ることしか出来ないのだ。


 残された人々の心は、人が立ち直らせなければならないのではないか。

 力ある他人の言葉ではなく、傍に寄り添う隣人の言葉こそが、心を救う力なのではないか。


 それは、ヴェスティリアの役目じゃない。

 二人と同じ、ただの人間……アデーレ・サウダーテが担う役目のはずだ。


「みんなが無事で、本当に良かった」


 ならば、使命を果たした者は舞台を去るのみ。

 下ろした剣を再び肩に担ぎ、二人に笑顔を向けた後に背を向ける。


 考え抜いて口にしたその一言は、本当にありきたりな言葉だった。


「待って!」


 その後ろ姿を、エスティラが呼び止める。


「私は……私は、何もできなかった。自分なりにやってみたけど、誰一人守ることが出来なかった」


 エスティラの声は凛としながらも、わずかに震えている。

 彼女は自らの判断で屋敷の門を解放し、町民たちを受け入れることを決めた。

 しかし、それはアデーレのいないところで、魔女がエスティラを誘導した結果だろう。


「あなたみたいに……私だってって思ったのに、私は…………」


 悔しかったはずだ。

 自身の思いに従った行動を利用され、人々を危険に晒してしまったのだから。


 偶然に力を授けられた者に憧れ、正しき行いを目指していたのだから。


「私には……やっぱ、何もできないの。何もできないから……だから……」

「お嬢様、そんなことは……」

「だって、アメリアも……アデーレだって…………」


 アデーレは空を見上げる。

 背中の向こうでは、声を震わせるエスティラがいる。

 号泣しているだろう彼女の傍に、メリナがいる。


 雲はどこかに流れ、太陽と青空が崩壊した屋敷を照らす。


「ヴェスティリア……あなたには、私の傍にいて欲しいの……」


 深く息を吸い、そして吐き出す。

 その言葉が投げかけられることと、アデーレはほんの少しだけ予想出来ていた。

 大切な人を失い、自らの信念を挫かれ、エスティラの心は限界に来ているはずだ。


 エスティラにとって、ヴェスティリアはどれだけ寄り添っても倒れることのない、大樹のように映っているだろう。

 長く傍にいて欲しいと願っても、それは当然のことだ。


「……ごめん。それは出来ない」


 しかし、ヴェスティリアはそういう存在ではない。

 そうでないからこそ、守護者としてあり続けられるのだ。


 アデーレは振り返り、もう一度二人と向き合う。

 メリナに肩を抱かれたエスティラは、顔をくしゃくしゃにしながら懇願の眼差しを向けている。


「私は、誰かの為にある者じゃないから」


 正しき心の持ち主であろうとも、この力はアデーレ以外の所有物になってはならない。

 そうなってしまった瞬間、きっと自分をヒーローと呼ぶことは出来なくなる。

 例え、エスティラを安心させられるのならという同情心があっても、その一線を越えることは許されないのだ。


 全ての力なき人々の為に。

 その決意だけは、貫き通さねばならないのだ。


「でも、忘れないでほしい」


 だからこそだ。

 今の彼女に伝えられる言葉がある。

 だからこそ、ヴェスティリアは皆のヒーローでありつづけられる。


「私は、私の手が届く限り、必ず助けに行く」


 ――だから、この一瞬だけは、エスティラの特別になろう。


 微笑むアデーレが、エスティラとメリナの傍に寄り添う。

 そして、空いた左腕で、エスティラの身体を強く抱きしめた。


「私は、いつだって見守っているから。あなたのことも」


 エスティラの小柄な体を、アデーレの大きな腕が包み込む。

 突然のことに驚いたのか、胸の中に抱いた彼女の体がびくりと震える。

 だがそれも一瞬で、安心したエスティラの両腕が、アデーレの腰に回される。


「……そうよね」


 泣き顔を見られないようにするためだろうか。

 エスティラはアデーレの胸に顔を押し付け、抱き着く両腕に力を込める。


「それでこそ、私の憧れ……ううん」


 押し付けていた顔を放し、上目遣いでアデーレの顔を見上げるエスティラ。

 泣き腫らした目は赤く、それでも彼女は笑顔を浮かべていた。


「私にとっての、目標だから」


 満面の笑み。


 それだけ告げると、エスティラは両腕をアデーレの身体から離し、自ら彼女と距離を取る。

 アデーレの腕をすり抜けていくエスティラ。

 顔を上げた彼女は、いつの間にか泣くのをやめていた。

 凛とした顔で、しっかりと前を向いていた。


「また……」


 それでも、別れを前に彼女の笑顔は寂しげで。


「また、会いましょう」


 これが、エスティラ・エレ・バルダートの素顔なのだろう。

 この素敵な笑顔こそが、彼女のあるべき姿なのだろう。


 ヴェスティリアが……アデーレが守り切った、かけがえのないものだ。


「うん。またいつか、必ず」


 だから、アデーレも笑顔を返す。

 ほんの少しぎこちない、そんな笑顔を。


「私も……」


 その時、エスティラの傍らにいたメリナが口を開く。


「私も、お嬢様の傍に寄り添い続けます。だから」


 メリナの表情は固く、決意と信念を滲ませていた。


「だから、また会いに来てくださいね」


 それでも彼女には、笑顔が似合う。

 自分が困ったとき、いつも笑顔で手を差し伸べてくれた年上の友人。


(ああ、早く会いたいな)


 ヴェスティリアとしてではなく、アデーレとして。

 早く、この二人の元に駆け出したかった。


 剣士は二人に向けて力強くうなずき、そして青空に向けて跳躍。

 二人が見上げるその先で、彼女は赤い閃光に包まれ消失する。

 当然これは、移動先を悟られぬための目くらましだ。


 アデーレは、破壊されたエスティラの私室の前へと戻り、そこで変身を解除する。

 作業用のドレスと、見慣れた黒い髪。


「……終わったね、ロックン」


 右手に握ったアンロックンを眺める。

 手に伝わる熱は力強く、安心感を与えてくれる。


「お疲れ、アデーレ」


 アンロックンは短く答える。

 心の半分から生み出された依り代。

 それを介しているために、アンロックン……ヴェスタはアデーレと心を通わせた状態にある。

 だからこそ、今は余計な言葉より、彼女の望むように行動してほしかったのだ。


 それを察したアデーレは、アンロックンをポケットに戻し、その場から駆け出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る