第三幕【お嬢様、推しを見つけました】

3-1【世界にはいくらでも秘密がある】

「それで、あなたは一体何なの?」


 少年が家族のいる場所へと駆け出して行った後。

 アデーレは破壊された大通りを離れ、人目を避けられる裏路地に移動していた。


 相変わらず、傍にはあの錠前が浮いている。


「ああ、自己紹介がまだだったね。僕は……えー……」

「言い淀むとか、何か言えない事情でもあるの?」


 怪訝そうな表情で、アデーレが錠前を睨みつける。


「ううん、そうじゃないんだ。とりあえず驚かないで聞いてね」


 警戒するアデーレを安心させるかのように、錠前が蝶のような動きで飛び回る。

 そして、アデーレの目の前で静止する。


「まず、これはあくまで依り代。僕の本体は別の場所にある」


 「そして」と、言葉を続ける錠前。


「僕の名前はヴェスタ。遥か彼方に存在する神の世から、依り代を介して君に会いに来たんだ」


 再びの沈黙。

 アデーレには、この錠前の言葉が上手く呑み込めなかった。


 この世界において、ヴェスタといえば神の名だ。

 そしてこの錠前は依り代で、つまり神の世界からアデーレに向けて、神様が語り掛けてきているというのだ。

 今日は矢継ぎ早に常識離れの事態に直面しているが、これはアデーレにとって最も強烈な話だった。


 案の定、信じきれないアデーレは錠前から距離を置こうと後ずさる。


「待って待って、本当なんだよ」

「いや……もしそれが事実だとして、僕とか子供っぽいのは何でさ?」


 そう、火竜ヴェスタは女神だ。

 それが少年のような語り口調では、アデーレも納得がいかないだろう。


「ああ、女神がどうという話ね」


 そのことについては自覚があったのか。

 ヴェスタを名乗る錠前も、全てを聞かずに事情を察したようだ。


「単純な話だよ。性別なんて生物上の区分、僕らには意味のないものだ」

「はぁ……」

「だから、僕らは好きな形で君達の前に現れ、好きなように語り合う。それだけのことだよ」


 ヴェスタからすれば、錠前の姿にはこういう性格が合っているということらしい。


「納得出来ない? でもそういうものだし、そういうことにしておいてよ」


 これ以上話を突き詰めても、あまりにも離れた感性の違いに打ちのめされるだけだろう。

 アデーレは仕方なく、他の質問を考える。


 そこで、最も大事なことを聞かなければならないのを思い出した。


「じゃあ、どうしてあなたは私の前に現れたの?」

「ああ、確かにそれは説明しておかないといけないね」


 頷くような動きを見せる錠前こと火竜ヴェスタ。

 コミカルさもある動きは、神の名を名乗る存在にしてはフランクすぎる。

 よく言えば親しみがあるが、神としての威厳は感じられない。


「まず君は転生者だ。だから強い依り代を作るための魂を持っていた。これがまず大前提だよ」


 先ほども話していた、転生者の魂。

 二人分の大きさがあり、この錠前はその半分を利用して生み出したという。

 理屈は全く分からない。

 だが神の依り代とは、そういった面倒な手順を踏まなければいけないのだろう。


 自分の魂から生まれたそれを、アデーレは怪訝けげんそうに見つめる。


「そしてもう一つ。僕が佐伯 良太に興味を持った」

「興味?」


 アデーレの肩がわずかに揺れる。

 突然挙がった前世の名を受け、隠しきれない動揺が出てしまったのだ。

 そんな彼女の様子を気にすることなく、ヴェスタはゆらゆらと目の前で揺れている。


「そう、興味だよ。特にそうだね、君の持つ……いや、君の前世における【ヒーロー】という概念だ」


 錠前がカタカタと音を立てながら動き回る。


「ヒーロー。つまり英雄でいいのかな? 本来英雄とはそれに足る力を与えられ、行使する責任を負う者だ」

「はぁ……」

「しかしどうだいっ。君が思い描くのは力ではなくこころざし。それこそが英雄。ヒーローに必要なものらしいじゃないかっ」


 力を持ったものの責任。そういったヒーローも、良太は知っている。

 しかし、彼が最も大きな影響を受けたのは、文字通り志としてのヒーローだった。


 力の優劣ではない。その心さえあれば、誰でもヒーローになれる。

 そんな不屈の強さに、佐伯 良太は夢をもらったのだ。


「そんな強いあこがれを抱く君に、僕は力を与えてみたいと思ったんだ」

「そう……でも、どうしてそんなことを?」


 嬉しそうに語るヴェスタに、アデーレは未だに警戒心を払拭ふっしょくできずにいた。

 なぜなら、こういったことをする上位存在というのは、大抵ろくなことを考えていないというのが物語のお約束だ。


 しかし、アデーレの警戒心を知ってか知らずか、ヴェスタは相変わらず陽気な調子である。


「君も目の当たりにしただろう? あの怪物を」


 その言葉で、アデーレの表情がこわばる。


「そうだ。あれって一体何なの?」

「あれはこの島からさらに南、【暗黒大陸】から来た生物さ」


 暗黒大陸。

 過去にそんな名前を聞いたかと記憶をたぐるも、全く覚えがないものだ。


「聞いたことがなくても仕方ないよ。一般人には秘匿とされていることだからね」

「秘匿って……この世界、そんな場所があったの?」

「あったのさ、人類が世界に散らばった何千年も前からね。そしてあの怪物は、暗黒大陸に住む人々が召喚した物だ」


 次から次へと与えられる情報に、いい加減アデーレはめまいを覚えてきた。


「しばらくの間は平和だったんだけどねぇ。でも、向こうもおとなしくするのは止めにしたらしい」

「暗黒大陸の人達が、こちらに攻め込んできたという事?」

「最初に進出したのはこちら側なんだけどね。航海技術が進んだ数百年前頃から、暗黒大陸への入植がはじまったのさ」

「そ、そう……」


 いよいよ歴史の勉強かと、空を仰ぐアデーレ。

 ……太陽の位置は、結構高い位置にある。


 そこで自分が、これから仕事に行くところだったことを思い出すのだった。


「あ、仕事……屋敷に行かないと」

「へっ?」

「あのさ、とりあえず大事なのは分かったけど、いっぺんに説明されても理解できないから」


 アデーレの変容っぷりに、ヴェスタも少々戸惑い気味のようだ。

 首をかしげるかのように傾く錠前は、呆然としているようにも見える。


「この状況でも仕事に行くって……あ、君が元いた世界で言う社畜ってやつかい?」

「そういう訳じゃないけど。でも私を紹介してくれたメリナさんに迷惑がかかるから」


 言われた時刻からは、大分時間が過ぎているかもしれない。

 服についた土を払い、大通りの方へ歩き出すアデーレ。

 その後ろを、ヴェスタの宿る錠前がついて来る。


「……とりあえず、後ろでぷかぷかされると目立つから」


 アデーレは錠前を掴み、面と向き合う。


「複雑な話は、少しずつ聞かせて」

「それもそうだね。それで、君はこれからどうするんだい?」


 これから……。

 その言葉が意味するのは、今日の予定や日常の話ではない。

 世界の秘密の下で始まろうとしている、人類同士の戦い。

 その渦中に、力を与えられたアデーレはどう関わっていくのか。


 今なら全てを忘れて、日常へ戻ることも出来る。

 アデーレには、ヴェスタがそう言っているようにも聞こえた。


 しばらく口をつぐんだ後、アデーレは重い口を開く。


「……そんなの、すぐに答えが出せるわけないじゃない」


 それが、農家の娘で使用人見習いが出せる、精一杯の回答だった。

 それを聞いたヴェスタは、納得したかのようにアデーレの手の中で揺れる。


「だね、僕もすぐに答えを求める気はない。だけどしばらくは一緒に行動させてもらうよ」

「うん、分かった」


 今はこれが、互いが出せる妥協点だ。

 ヴェスタの言葉にうなずいたアデーレは、手にした錠前をスカートのポケットへと入れる。

 そして日陰の路地から、日の差す大通りへと早足で向かうのだった。

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