1-4【ロントゥーサ島の出会い】

 石灰の塗られた白い建物が並ぶ、石畳の大通り。

 道の両側には店舗が並び、軒先に日よけを張り、野菜や日用雑貨が陳列されている。


 路肩に積まれた木箱や樽。道行く人々。

 日常の雑多な風景の中に、人々が取り巻く空間が生まれていた。

 空間の中心にいるのは、眉を吊り上げ腕を組む、いかにも不機嫌そうな金髪の少女だ。

 周囲の人々が着るくたびれた服とは違う、フリルをこしらえたピンク色のドレスは、彼女が高貴な家柄の人物であることを物語っている。


 さて、そんな少女の前には、十代後半と思われる少女が膝立ちになり、何かを懇願している様子だった。

 彼女の姿は黒いワンピースにエプロンドレス。白いキャップを被った明るい茶髪。

 おそらくは、目の前の少女の家に仕える使用人だろう。


「私のやることにケチ付けるとか、メイドのくせにっ」

「で、ですが奥様からの言いつけですので、どうか」

「いーやーだー!」


 懇願する使用人に対し、お嬢様は耳を押さえてそっぽを向く。

 状況の分からないアデーレだったが、それだけでお嬢様がわがままを通そうとしていることは分かる。


 外見からして、彼女はまだ十歳に満たないくらいの子供だろうか。

 アデーレと同じぐらいの年齢だろう。

 とはいえ、こちらの精神面は二十歳過ぎの男でもある。

 わがままを通そうとするお嬢様の姿に、内心呆れていた。


「ありゃあ、バルダート様んトコの娘さんか?」

「まーたお嬢様の癇癪かんしゃくかぁ」

「参ったな……」


 バルダートとは、あの貴族の娘の苗字だろうか。

 外野の大人たちの呟きが耳に入る。


 現代日本ならば、助けてやれよと思ってしまうような状況ではある。

 行動に起こせるかは別として。


 だが身分が厳しく定められているであろうこの世界において、貴族の娘に楯突くのは非常に危険な行為だろう。

 実際、アデーレとしての自分は、この状況に関わりたくないと思っているように感じられる。


 だが、今は良太としての意思も混在してしまっている。

 そのせいだろうか……。


「帰るんだったら、アンタ一人で帰りなさいよ!」


 お嬢様が、近くにあった棒きれを手に取り、思いっきり振り上げる。

 その光景を前にした瞬間、アデーレの身体は自然と人だかりの中心へと走り寄っていた。


 そして、お嬢様の背後に迫ったアデーレの小さな手が、振り上げられたお嬢様の右手首を掴んだ。


「っ! 誰よ、気安く触るのは!?」


 お嬢様が、周囲の大人たちが、そこに立つアデーレの方に顔を向ける。

 少し遅れて、周囲からどよめきの声が立つ。


「それは良くないと思う」

「はぁ!? 町民風情が私に……」


 そんな状況でも、アデーレは動じなかった。

 落ち着いていられたのは、この程度の事は見慣れた良太の精神面あってのことなのだが。

 だが、ポーカーフェイスのアデーレを前にしたお嬢様は、わずかに面を食らったらしい。

 怒りの表情は鳴りを潜め、目を丸くしていた。


「……な、なによ。愛想のない奴ね」

「別に。愛想は必要ないと思うから」

「ふざけんじゃないわよ! 私を誰だと思ってるのよッ!?」

「そうは言っても、会ったことなかったし」


 自分の権威を主張するお嬢様だったが、それがアデーレの心には響いてこない。


 それはさておき、お嬢様からすればアデーレの態度は挑発以外の何者でもない。

 再び露わとなる怒りの矛先は、使用人からアデーレへと向けられていた。


「後、貴族の娘だろうと、暴力はダメだよ」

「うるさい! だから下の人間が私に指図するなっ!」


 力づくでアデーレの手を振り払うお嬢様。

 そして今度は、彼女に向けて腕を振り上げ……。


「身の程を、知りなさい!!」


 アデーレの顔面に向けて、棒きれが振り下ろされる。


「お嬢様っ!」


 背後にいた使用人が、お嬢様を制止しようと手を伸ばす。

 だがそれよりも早く、アデーレの手が今度は棒きれを掴んでいた。


「……は?」


 予想外の抵抗だったのだろう。

 お嬢様は虚を突かれ、呆けた表情を浮かべている。


 良太はこれまで、ヒーローを演じる為のトレーニングを重ねてきた。

 その経験のおかげだったのか、棒きれを防ぐことに一切の恐怖はなかったのだ。


 長い沈黙が、その場を包み込む。


「エスティラ」


 人だかりの中から、落ち着いた男性の声が沈黙を破るように響く。

 その声は通りがよく、この場にいる全ての人の耳に自然と染み入るように感じられた。


 同時に、呆然としていたお嬢様……おそらくエスティラとは、彼女の名前だろう。

 彼女の表情はなぜか、みるみるうちに青ざめていった。


 お嬢様の見つめる先。

 人だかりがまるで海を割るように割れ、現れた道から身なりのいい男性が一人、こちらへ歩み寄ってくる。


「感心しないな。このような行いは」


 先ほども聞こえた声。

 そこに立っていたのは、襟が大きめのコートを着た、壮年の男性だった。

 お嬢様と同じ金髪で、角ばった小顔と鋭い目が印象的だ。


 男性は気候にそぐわない恰好をしているにも関わらず、額に汗の一つも浮かべることなく、精悍せいかんとした姿を見せいていた。


「おとう、さま……」


 やはり彼は、お嬢様の父親だったようだ。

 先ほどまでの自らの行いを、今更になって後悔しているのだろう。声は震え、涙目になっている。

 それだけで、彼が厳しい人物であることがアデーレにも理解できた。




「この度はお騒がせしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」


 群衆に向けて、深々と頭を下げる使用人の女性。

 お嬢様に頭を下げて、更に周囲の人々にまで頭を下げなければならないとは。

 つくづく大変な仕事だと、アデーレは眉をひそめた。


 周囲の人々は、手助けしてあげられなかったことを謝罪したり、使用人に同情する様子を見せている。

 つまるところ、誰も迷惑をこうむったと、使用人を責めるようなことはしなかった。


「私の方からも謝罪させてくれ。このような往来で、私の娘が迷惑をかけてしまった」

「ドゥラン様っ。そんな滅相もっ!」


 人々がどよめく。

 無理もない。確かに娘に非があろうとも、貴族である父親が謝罪をしたのだから。

 身分の低い側からすれば、どう受け止めればいいのか分からなくなる。


「なに、気にしないでくれ。それより君」


 皆からドゥランと呼ばれている貴族が、アデーレの方に目をやる。


「君はその年齢で、随分と胆力があるようだね。今はいくつだい?」

「はい、十歳です」


 極力失礼にならないよう、アデーレは答える。

 実際はそこに二十一歳の若者が加わるわけだが。


「なるほど、この子の一つ上か。さぞ立派なご両親に育てられたのだろうな」


 顎に手を当てながら、ドゥランは感心するようにうなずく。

 傍らに立つエスティラは、未だにこちらを睨みつけてくる。


(これは、完全に嫌われたな)


 肩をすくめるアデーレ。


 前世の記憶を取り戻したかと思えば、妙なトラブルに巻き込まれたものである。

 とはいえ、農家の娘と貴族の娘。

 今回のことは異例中の異例だ。本来なら身分が違いすぎる故に、お互いの接点は皆無に等しい。

 今後嫌がらせに来ないとも言い切れないが、今日明日中に逆襲されるということもないだろう。


 何より、自分が悪いことをしたなどとは一切思っていない。

 その辺りはドゥランも理解しているはずだ。後の説教は彼に任せればいい。


「それでは、我々はこれで失礼する。さぁ帰るぞ、エスティラ」

「はい……」


 ドゥランに促され、渋々馬車の方へ向かうエスティラ。

 何がしたくてわがままを言っていたのかは分からないが、ご愁傷様とアデーレは心の中で憐れむ。


 そんな二人の後姿に、周囲の人々が頭を下げる。

 そういえば、彼らは一体どういう立場の貴族なのだろうか。


「まさか、執政官様の娘に口を挟むとはなぁ」

「サウダーテさんトコの娘さんだろ? いやぁ、度胸があるなぁ」


 執政官。

 あまり聞き慣れない役職ではあるが、それが政治に関する役職であることくらいはアデーレ(というよりは良太)でも分かる。

 そうなると、ただの領主などという存在では収まらない貴族なのかもしれない。


「……やってしまったのかな?」


 今まで粗野そやな生活を送ってきた者からすれば、今更権力のある相手に媚びようなどという気はない。

 とはいえ、それは佐伯 良太という悪童の話だ。

 両親が健在で、愛されて育てられてきたであろうアデーレからすれば、余計なことをしてしまったかもしれない。


 徐々に、佐伯 良太の人格がアデーレに影響を及ぼし始めている。

 これは果たして良いことなのか……。


 既に元の生活に戻ることのできない良太には、答えを出すことは出来なかった。

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