男爵令嬢「私は入学以来、公爵令嬢にいじめられてきました――と、偽証しろと殿下に脅迫されています」

一ノ瀬るちあ🎨

――と、偽証しろと殿下に脅迫されました

 事件が起きたのは、貴族たちが通う学園の卒業式のことでした。

 第一王太子が全校生徒の前で宣言なされたのです。


「公爵家令嬢アリアナ! 貴様との婚約を破棄させてもらう!」


 殿下の婚約者であるアリアナ様は、紅茶のカップを静かに白いテーブルへと置き直しました。

 衝撃的な発言を受けたにもかかわらず、アリアナ様はまったく取り乱していません。


「殿下、理由をお聞かせいただけますか?」

「アリアナ、貴様は爵位で劣る男爵家令嬢のユキに数々の嫌がらせを行ってきた! 王太子である俺の婚約者にはふさわしくない! 俺はアリアナと婚約を破棄し、新たにユキと婚約する!」

「私がユキ様に嫌がらせを? いったいどなたです、そんな根も葉もないうわさを流布する不届き者は」

「ふん! 言い逃れできると思うな! ほかならぬユキからの告発だ! さあユキ。君の口から真実を語ってくれ」


 殿下が一人の令嬢に視線を送りました。

 白銀の髪と琥珀の瞳をした令嬢です。

 というか、私でした。


 私に振るんですか。

 後悔しても知りませんよ?


 おもむろに歩を進め、私は講堂の奥にあるスピーチ台へと登壇した。

 それから、右から左へ、保護者、来賓の皆様の顔を一瞥し、口を開く。


「では、一言。私は入学以来、アリアナ様にいじめられてきました――」


 学園の講堂に会した全校生徒ならびにその親族の方がざわめき始める前に、私は続けた。


「――と、偽証しろと殿下に脅迫されました」


 ざわめきは、一瞬で消え去った。


「私からは以上です」


 ぺっこりと頭を下げる。

 静寂が耳に痛い。


「「「「ええぇぇえぇぇぇぇぇ!?」」」」


 講堂中に響き渡った驚愕の声は、さらにうるさい。


  ◇  ◇  ◇


 事の始まりはずいぶんさかのぼるけれど、決定的なターニングポイントになったのはちょうど十日前。

 殿下に呼び出された私は、しぶしぶ、王宮のバラ園で紅茶をいただいておりました。


 私は昔から、いわゆる笑顔が得意でした。

 怒るよりも笑顔の方が楽しいし、悲しむ顔を誰かに見せるくらいなら元気な姿を見せたい。

 そんな気質だったから、私は笑顔を絶やさないことを心がけていました。


 たとえそれが、話したくもない男との茶会であってもです。


 しかしまあ、この方は何を勘違いなされたんでしょうね。


「ユキ、君といると僕まで楽しくなるよ」


 私は何も楽しくありませんが。


「聞いてくれ。僕が本当に好きなのはユキ、君だけなんだ」


 かなわない恋ですね。

 かわいそう。


「卒業式で僕は、婚約者のアリアナに婚約破棄を申し出る。だからその時には、僕と婚約をしてほしい」


 嫌です。

 婚約者を卒業式の場で公開処刑するような悪趣味なお方と一緒になるなんて考えられません。


 というか、知っていますか?

 うちの領地は加工業が発達していますが、その原料の多くは公爵領から回していただいているんですよ?

 公爵家に喧嘩を売るなんてありえないでしょう。

 経済制裁を受けて大打撃を受けるのが目に見えています。


 うちを没落させる気ですか?


 どうして私に寄って来るのはこんな不良物件なのでしょう。


 その点公爵家継嗣のアルフォンス様って凄いよね。

 未だに浮ついた話の一つ聞かない。

 どんな令嬢との縁談も、「自分にはこの人と決めた思い人がいるのです」の一言で一蹴してしまうらしい。


 なんて一途な人でしょう。

 それだけ一途に思ってくれる人と私も結ばれたい。

 それが高望みだったとしても、婚約者をぼろ雑巾みたいに捨てる男は嫌だ。

 この話だけは絶対に受けたくない。


 と、頭の中で考えている最中も、笑顔は決して絶やしませんでした。

 それを、何を勘違いしたんでしょうね。


「そうか! 喜んでくれるのか!」


 違います。


「ありがとう! 証拠の捏造は僕の方で行う。ユキはただ『はい』とだけ答えてくれればいいから!」


 怒るよりも笑顔の方が楽しい。

 それが私のモットー。


 だけど、この時だけは、

(宗旨替えしようかな……)

 本気でそう思った。


  ◇  ◇  ◇


「ま、待ってくれユキ! これはいったいどういうことなんだ!?」


 回想から我を取り戻すと学園の卒業式の途中で、殿下が鬼の形相で私を問い詰めていた。

 どういうことって、わかりきっているでしょう?


「殿下が私に、私の口から真実を語れとおっしゃったので」

「ち、違う! そうじゃない! ほら、十日前にバラ園で話しただろう!?」

「ですから、殿下がアリアナ様を貶めるための証拠を捏造して私に偽証させる件ですよね?」

「待て待て待て! 頼むから少し口を閉じてくれ!」


 頼まれてしまった。

 私の家は男爵家。

 貴族ではあるが爵位は一番下。

 仕方が無いから黙って聞き入れよう。


「君は、アリアナから、嫌がらせを受けていた。間違いないね?」

「……」

「ユキ?」

「……」


 私は扇子を広げると口を隠した。

 あなたが口を閉じていろとおっしゃったんでしょうに。


「あああ! 違う! そうじゃない! 僕の言ったことを繰り返してくれ! 『私はアリアナ様から嫌がらせを受けていました』」

「あああ! 違う! そうじゃない!」

「違う! 繰り返すのはそこじゃない!」


 えー。

 繰り返せって言うから復唱してあげましたのに、いったいなにが不満だとおっしゃるのでしょうか。

 これだから癇癪持ちの男は嫌なんです。


「ほら! これは君が以前言っていた、ペンキで落書きされた制服だ! 犯人はアリアナ。そうだろう?」

「そうだろう? とおっしゃられても、私には全く身に覚えがございませんね……」

「頼むから『はい』とだけ答えてくれ!!」


 ああ、それが捏造した証拠というやつだったんですか。

 くふふ、いくらなんでもそれをいじめの証拠とするのは無理があるでしょう。

 私が自分で落書きしてアリアナ様に濡れ衣を着せようとしている可能性もありますし、第一そんな目立つ落書きをされたなら目撃証言がでるでしょう。

 これを証拠にしようだなんて、あはは、面白い冗談ですね。

 思わず笑顔がさく裂してしまいます。


「ほら、先月末にも、アリアナに階段から突き落とされたと言っていただろう?」

「はい?」

「疑問形はやめてくれ!」


 注文が多い人だ。

 もし万が一婚約するようなことがあれば無茶な要求をたくさんしてくるに違いないです。

 婚約者には『公爵の地位をかさに着ていじめを行った』と非難しながら、自分は王族の立場を利用してパワーハラスメントを行うつもりなんだ。


 嫌になりますね、まったく。

 この手の輩は自覚が無いから手に負えない。


「いいか、先月の頭の話だ。よく思い出してくれよ? その時も――」


 そろそろとんち遊びも難しくなってきた。

 ここが潮時でしょう。


「さて、皆様」


 殿下の言葉を遮るように、私は大仰な身振り手振りで会場に集まった全員へと問いかける。


「この通り、殿下が私に証言を強要しているのは見ての通り明白ですよね?」


 誰も、否定の声を上げなかった。

 ただ沈黙だけがこの場の正義だった。


「では、あらためまして、私からは以上となります」


 私は再びお辞儀をした。

 うーん。

 暴論を正論で打ち破るのは気持ちがいいな!


  ◇  ◇  ◇


「何が狙いなのかしら?」


 卒業式の途中での出来事でした。

 公爵家令嬢のアリアナ様に声を掛けられました。

 カーテシーを行い敬意を示し、それからこう返します。


「これはアリアナ様。狙いとはなんのことでしょう?」

「今回の一件、男爵家からすれば王家と縁を作る好機だったのではなくって?」

「不運の間違いでは」


 あれは身分以外がデメリットの不良債権でしょう。

 アリアナ様もそう思うでしょう? というニュアンスを含めて聞き返してみる。


「く、ふふ。面白いのねあなた」


 アリアナ様は笑った。

 笑っちゃだめじゃないですか。

 せっかく返答をぼかしても胸の内を明かしているようなものですよ。

 いや、さすがにあんな侮辱をされたら婚約破棄を公爵家側から申し出るのも可能かな。

 だから婚約者としての立場を意識しなくていいのかも。


「面白くないですよ、あはは」

「笑っているのに?」


 あれ? 笑っていたか。

 もう癖みたいなものだから仕方ないね。


 ――怒るよりも笑顔の方が楽しいし、悲しむ顔を誰かに見せるくらいなら元気な姿を見せたい。


 気質というものは、そう簡単には変わらないらしい。


「まあ、あなたが面白くないのももっともね。結果だけ見れば、婚約破棄できた私の一人勝ちだもの」

「おめでとうございます」

「それで、ここからは男爵家に、いえ、両家にとってメリットのある話になるのだけれど……」


 アリアナ様は少しの間だけ難しい顔をして、それから軽い口調でこう続けた。


「やめた。お兄さま、自分の口からはっきりおっしゃったらどうですか?」

「ア、アリアナ!」


 そこに、青年がいた。

 私より二つほど、というか二つ年上の男性だ。


 公爵家継嗣、アルフォンス様。

 アリアナ様の実兄がそこにいた。

 並べて見比べてみると、ほんとうによく似た、整った顔立ちである。


 左右対称の顔のアルフォンス様は、アリアナ様に背中を押され、私の前に立った。

 彼らはしばらく小声で何かを言い合っていたようだけれど、そのうちアルフォンス様が言い負かされたのか、観念したように、しかし気合を入れて口を開いた。


「お初にお目にかかります。アリアナの兄のアルフォンスです」


 私は少し悲しくなった。


「ユキと申します。以前、校外実習で引率いただいたのですが、お覚えございませんでしょうか?」


 貴族が通うこの学園は、他学年の者同士でも交流を持たせるために、縦割り班の行事が年に何度かある。

 そのうちの一つでアルフォンス様とはご一緒したことがあったのだけれど、どうやら向こうには覚えが無いらしい。


「驚いた。もうずいぶん前のことなのに、覚えていてくれたのか」

「え、ああ、はい」

「嬉しいな」


 疑問符が脳内で大量発生した。

 ただ覚えていただけで嬉しく感じるなんて、変わった人もいるものだ。


「改めまして、アリアナの兄のアルフォンスです。ユキさんに一つ聞きたいんだけど、いいかな?」

「私に答えられる質問でしたら」


 アルフォンス様はひとつ息をのんだ。


「もし、もし僕と婚約してほしいと僕が申し出たら、受け入れてくれるかい?」




「……え?」


 予想外の言葉に思考が半秒停止した。

 声に出てしまった驚きは仕方ない。

 必要経費と割り切って、言葉の意味を考えよう。


(婚約を申し出たら? なにその仮定)


 話が飛躍した気がする。

 そう思うのは私だけなのでしょうか。

 公爵家側としては脈絡がきちんと続いているのでしょうか。


(アリアナ様がおっしゃっていた、双方に利点がある話のことでしょうか?)


 男爵家のメリットはわかる。

 うちは加工業がメインの領地で、その原料は公爵領から仕入れている。

 縁談がうまくいけば交流を深めるためにも、何かと融通を利かせてもらえるかもしれない。

 男爵領を発展させる大きなチャンスである。


(ですが、公爵家にはどんな都合が?)


 そこまで考えたところで、アルフォンス様が苦笑いを浮かべた。


「すまない。難しく考えないでくれ。ただ、アリアナと公爵家の名誉を守ってくれたユキさんに恩返しをしたいだけなんだ」

「ああ、そういう」


 納得した。

 今回の一件、私はひたすら損をした側だ。

 王家とは気まずい関係になったし、貴族社会から煙たがられる立ち位置になってしまった。

 あえて私と結婚しようという物好きはそうそう現れないだろう、とは自己分析もしていた。


「でしたら、お断りいたします」


 一方的に害を被ったのは間違いないけれど、殿下の泥船に乗るよりは損をしないと考えての判断だ。

 うちにも兄はいるし、私一人が生涯独身を貫いたところで、公爵家との関係が悪化することと比べれば些事な話だ。

 お父様も私をきつくは責めないはず。

 公爵家の良心に付け込むのは、私としては気が進む話ではない。


 と、いうのが建前。


「え!? だ、ダメなんですの!? どうしてですの!? 私が言うのもなんですけれど、この兄は一途で浮気をしない仕事もできるお買い得物件ですわよ!?」


 アリアナ様が驚いた様子でおっしゃるので、私は笑顔で答えた。


「はい。アルフォンス様にはどうか、その思い人と結ばれていただきたいと思っておりますので」


 アルフォンス様に婚約を申し出られたらな、とは思ったよ?

 ただそれは、あくまでもアルフォンス様が私を一番に思ってくれているならという仮定の下で成り立つ話。

 他に好きな人がいる相手と政略で結婚してもむなしさが残ってしまう。


 男爵家としては是が非でも受けろって思うだろうけれど、そんな生活、続けていける気がしない。

 笑って過ごせる気がしない。

 だから、無理、なんだよ。


「あ、あ、そ、れは、えっと」


 アリアナ様がろうばいしていらっしゃる。

 はて、何かマズいことを言ったでしょうか。

 それとも何かしら、別の思惑があったのでしょうか。


「そう、だな。僕の聞き方が、ずるかったな」


 アルフォンス様はどこか疲れたような、けれどほっとしたような様子だった。


「ユキさん。僕がずっと思い続けていたのは、あなたなんです」

「……ん?」


 いま、なんて言った?


「校外実習の時、山道で、他の班の、班員とはぐれて泣いていた子がいたのは覚えている?」

「ええ」

「ユキさんは、『大丈夫だよ』って笑顔で語り掛け続けていた。そうしたら泣いていた子も、君につられて笑顔になっていたんだ」


 よく、覚えている。


「そのとき無性に、ユキさんが魅力的に思えた。寝ても覚めても、君の笑顔が頭から消えなくなっていた」


 だけど、と彼は続ける。

 彼の家は公爵の家柄で、男爵とは爵位が違いすぎる。

 公爵家としてはもっと力のある貴族との繋がりを強めてほしいだろうし、かなうことのない恋だと諦めていた、と。


「だけど信じられるかい? こうしてユキさんに大きな借りができて、婚約をする表向きの理由ができたんだ。もうかなわない恋だと諦める必要がなくなったんだ!」


 彼の言葉は、ますます熱を帯びていく。


「ずっと、思い続けてきた。こんな日が来るのを、夢を見るように思い続けてきたんだ!」


 だから、改めて言うよ、と彼は言う。

 膝をつき、私の手を取り、彼は言う。


「私と、婚約の誓いを立ててくれないだろうか」


 つまり、要約すると、です。


(アルフォンス様が思い続けていた令嬢って、私だったってこと?)


 そんな話があるなんて、夢にも思わなかった。


「はい。よろこんで」


 王太子相手に立ち向かってよかった。

 私は改めて、そう思うのでした。




  ◇  ◇  ◇

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男爵令嬢「私は入学以来、公爵令嬢にいじめられてきました――と、偽証しろと殿下に脅迫されています」 一ノ瀬るちあ🎨 @Ichinoserti

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