第18話 あたしはやってないもん

 露骨な悪意に晒されると頭痛に襲われるのだとアマーリエは知った。

 悩まされることで頭が痛くなるとは思っていなかった彼女にとって、経験したくない痛みでもあった。


(あたしがマリーマルチナのボールガウンをダメにしたって?)


 どこから、そういう話になったのかと考えようとアマーリエは必死に頭を働かせるが、答えは簡単に出そうもない。


「エミー。あんたは馬車の中であのドレスが欲しいって、言ってたわ」

「欲しいなんて、言ってないもん。素敵と言っただけなんだから」


 ユスティーナの自慢は抜群の記憶力だったとアマーリエは思い出し、おかしなことに気付いた。

 言っていないことを言っていると確信しているようにしか見えないユスティーナの様子は、明らかに妙だった。


(あたしは『欲しい』なんて、一言も言ってない。『素敵だわ』がどうして、『欲しい』に変わってるの? いくら、あたしが嫌いにしたって、言ってないことを言ったことにされるのはおかしいわ)


 これまでのアマーリエとユスティーナの喧嘩は売り言葉に買い言葉に等しいものがあった。

 互いに感情をぶつけあうだけで論理的に指摘することがなかったのだ。

 ところが今回は違った。

 アマーリエが今までにない具体的かつ理論的な反論をした。


 ミリアムとマルチナも明らかに何かがおかしいと思い始めた。

 感情の機微に疎いアマーリエでもはっきりと分かる動揺だった。


「それなら、犯人は誰だって、言うのよ」

「あたしがそんなの知ってる訳ないじゃない」

「あんた以外に犯人はいないって、言ってるのよ!」

「何よ、それ」


 ユスティーナは確たる証を持っていない。

 決めつけにも等しい暴論だった。

 感情に流されるまま、髪を振り乱し妹を責める姿はお世辞にも人に見せられたものではない。


 アマーリエは目の前で姉が騒ぎ立てれば立てるほど、逆に落ち着いてくる自分が不思議だった。

 やることにいちいち口出ししてくるうるさい姉。

 だが凛々しく、かっこいい自慢の姉とも思っていた。

 そんな姉に憧れを抱いてた過去の自分がどれだけ、人を見る目がなかったのか。

 こんなにも酷い人間と知っていたら、好きにはならなかった。

 嫌いだった。

 アマーリエは心の奥底でそう何かが叫んだように感じた。


(でも、何だろう? ユナユスティーナが妙に自信たっぷりなのが、気になるわ)


 その時、彼女の心を過ぎった一抹の不安は強ち、間違いではなかった。


エミーアマーリエ。あんたが夜、誰も見ていないと思って、こそこそと動いていたのは分かっているのよ」


 そう言うとユスティーナはこれ見よがしにアマーリエを人差し指で指した。

 自信に満ち溢れたその姿は、まるでミステリーの主人公のようである。


 空気が変わった。

 ミリアムとマルチナが、アマーリエに向けていた同情的な視線は消えた。

 先程までアマーリエに対して、同情的な視線を寄せていたとは思えない目だった。


「エミー。正直に言いなさい。怒ったりしないわ」


 ミリアムは努めて冷静な表情を保ちながら、そう言った。

 言い方は優しく、慈愛に満ちた母親そのものだったが、アマーリエにとってはナイフで心を裂かれているも同然の酷い言葉だった。


(あたしのことを疑ってるんだ。信じてたら、そんなこと言うはずがない)


 マルチナは青褪めた顔で母親と妹の顔色を窺うばかりである。

 彼女の誰にも悪く思われたくないと考える八方美人な性格が、大きく影響していた。


(服を汚したのはあたしが悪いとなじられた方がましだわ)


 母親と長姉に僅かばかりの期待を抱いていたアマーリエの心は打ち砕かれた。


「それはホントだけど。あたしはやってないもん」


 アマーリエは本当のことを言う訳にはいかない。

 夜、エヴェリーナのところに行っていたとは明かせなかった。

 犯人がこの中にいると信じたくもないし、そうであって欲しくはない。

 しかし、この場にいる誰しもが犯人の可能性があった。

 そうである以上、うっかりしたことを口に出す訳にはいかない。

 自分が疑われるだけなら、それでいいとアマーリエは諦めにも似た気持ちを抱いていた。


 しかし、アマーリエには一つ、気になることがあった。

 部屋を出るところを誰かに見られていたという事実だ。


(その人が証言したってところなんでしょ? だから、ユナは自信満々だったんだ)


 そういうことだったのかとアマーリエは納得した。

 ベアータの鋭い視線をはっきりと感じていたからだった。

 その目で睨まれていると言い知れない恐怖を感じられた。


「分かったわ」

「エミー。あんたがやったと認めるのね?」


 ユスティーナは口の端を歪めると勝ち誇ったような表情をする。

 こんな表情をする人ではなかった。

 アマーリエが失望するのに余りあるものだ。

 もう何を言っても無駄なのだと彼女は悟った。


「いいえ。あたしはやってないもん。それでもあたしの言うことは信じないし、犯人にしたいんでしょ? は」


 アマーリエの言葉に水を打ったように沈黙が支配していた。

 誰もが被害者のような顔をしていた。


(これじゃ、まるであたしが悪者みたいじゃない。おかしいわ! みんな、おかしい。あなたたちも……あたしもっ! みんな、おかしい!)


 居たたまれない気持ちになったアマーリエはここにきて、決意を新たにした。


「あたしなんか、いない方がいいんでしょ!」


 叫びにも似たアマーリエの鋭い言葉にミリアムとマルチナは動揺を隠せなかった。

 声をかけるか、かけるまいかと迷っていた。


(そうやって、迷ってれば、いいんだ、ずっと)


 そんな二人の姿はアマーリエを失望させ、彼女の心に重く影のようにのしかかった。


 あれだけのことを言ったユスティーナも酷くショックを受けた顔をしている。


(何なの、あの顔は……。あれじゃ、まるであたしが憧れてた頃のユナ姉様じゃない)


 アマーリエはもうそれ以上を見たくなかった。

 だから、彼女は振り返らずに部屋を出ることに決めた。

 引き留める声はない。

 そうなると頭の中で理解していたアマーリエだが、実際に体験するとなれば話が違う。

 考えていた以上に悲しく、辛いものだと知って、アマーリエは少しだけ大人になったと感じた。

 でも、振り返るものかと歯を食いしばり、彼女は耐えた。


 自室に戻ったアマーリエは愛用の画材だけを手に取る。

 これだけあれば、他にはいらないと言わんばかりに……。


 画材を手にアマーリエが部屋を出出ると、まるでタイミングを見計らったようにベアータとばったりと出くわした。


「エミーお嬢様。今なら、まだ間に合いますよ」


 ベアータはさも、アマーリエを心配しているように見えるをしていた。

 自分が一番、あなたを知っている。

 私だけがあなたの味方ですという顔だった。

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