第3話 愛表現

 朝目覚めたとき、ユウタは目を擦りながらポスターに挨拶をした。

「おはよう」

「おはようユウタ! 今日も頑張ってね」

 今日の水本絵梨香はテンション高めだ。厳密にいえば擬似プログラミング化されたAI搭載のスピーカーがランダムに返事を返してくれる。

 このアイデアが頭に浮かび、設定をしていたときに「お前は本当に信仰心が強い使徒だな」とリトルユウタは褒め称えてくれた。

 ユウタはアスリートの名言を決して忘れない。

「日々の生活の中から意識を持つことが大事だ」

 これは推し活にも言える。限られた一日の時間の中で推しへの愛をどれだけ可視化できるか。そこに尽きると言って良い。

 階段を降りたときに予約設定した水本絵梨香(AIボイス)がキッチンから呼びかけてきた。

「もー遅いよ! ユウタ!」

「ごめん」

「もう! のんびり屋さんなんだから」

 このように同棲しているシチュエーションを演出するのも推し活の愛表現の一つの形である。ほぼ台本通りの会話だが、自治会の草取りに親が参加している今の時間帯こそが絶好のチャンスなのだ。

「パンが焼けたよ、ユウタ!」

「ありがとう」

 冷蔵庫からマーガリンを取り出す。出てきたパッケージには水本絵梨香のシールが貼られている。昨日の嫌なこともこの顔を見た瞬間に救われる。

(彼女にはいつも元気を与えてもらっている)

 水本絵梨香はユウタにとって救世主であり女神であった。彼の理想の女性像であり、求めるスペックを全て兼ね備えている。ロングヘア、白雪を思わせるメイクで凛々しい太眉がきりりとして生徒会長のよう。真面目で頑張り屋。やや塩対応だが、熱心なファンには時折優しい笑顔を向けてくれる。それで良い。この距離感が彼にとってまさに至高なのだ。

 マーガリンを塗ったパンをかじる。

「でも、全然話せなかったな」

 すでに彼女の推し活をして一年経過しているが、極度のシャイな彼は握手会でもまともな会話ができていない。

 ただ、ライブと握手会に足を運ぶ回数が多いため、記憶に残っていたようで、前回のサマーライブでは「いつもありがとう」と声をかけてくれた。そのときも顔を真っ赤にして頷くことしかできなかった。

「また、来てね。今度は遅刻しないでね」

 その言葉と笑顔は彼の心を掴んだ。会場に遅れて、ライブ中に参加をしたファンのことも覚えてくれる。ここまでファンを大事にするのは彼女だけだ。


 パンを食べ終わって立ち上がった。その瞬間、スピーカーから大きな声が響き渡った。

「ユウタ、私はあなたを愛してる!」

 驚いて後退りしたユウタは両目を見開いて口を開けて、声を震わせた。

「設定してないぞ、そんな言葉は……」

 彼がプログラムに入れているのはAIによって生成した台詞だけだった。エラーなのか、それとも他の何者かがシステムに侵入したのか。

 すると、再びスピーカーは連呼する。

「ユウタ、私はあなたを愛してる!」

「ユウタ、私はあなたを愛してる!」

「やめろ、やめろー!」

 ユウタは電源のスイッチを切ってしゃがみ込んだ。水本絵梨香の顔写真シールが貼られたスピーカーを抱き抱えたまま、周囲を見渡す。はっきりと心拍数が上がっていくのを感じていた。

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