推しのアイドルがストーカーだった件

18世紀の弟子

第1話 奇妙な日々

 今日も腕を懸命に振る。サイリウムの光が弧を描く。全てはあの子の笑顔のために。ユウタにとって水本絵梨香みずもとえりか以上のアイドルはこの世にはいない。ステージの光が点滅して彼の横顔を染める。その瞳は純粋無垢に輝いていた。



「本当に好きだね、ユウタ」

 授業の前、机に腰掛けて幼馴染のユズナは笑う。ユウタが推し活に夢中でライブに行くのを面白がって、小馬鹿にするのはいつものことだ。

「うるさいな、ほっとけよ」

 ユウタはフンとスマホを取り出す。待ち受けには絵梨香の顔がある。推し活は趣味として若者には当たり前の文化。馬鹿にされる覚えはない。

「ちょっと、怒らなくていいでしょ」

 袖を引っ張られても無視して、昨日のライブ映像を観ているとユズナはスマホを取り上げる。

「わー可愛い」

「おい、返せよ」

「今度、私も観に行っていい?」

「ふざけんな」

 取り上げる時に、少し強く押してしまった。バランスを崩して倒れそうになり、慌てて袖を引っ張って起こした。ユズナは少し驚いた顔をしている。幼稚園の頃から一緒にいるから、つい喧嘩になる。

「ごめん」

「別にいいけど」

 チャイムが鳴ったときに肘をぶつけてきた。

「ライブに連れてってくれるならね」

 担任が教室に入る。着席する音が連鎖していく中、窓の外をながめる。空を見ながら思い浮かべるのは水本絵梨香ただ一人だ。


 いわゆるガチ勢のユウタにとって、ソロ活こそがアイドルに対しての最大級の奉仕であると信じており、孤高であればあるほど推し活冥利に尽きると一人行動を貫いている。例えばチケットをオタ仲間と協力して入手するなど、彼から言わせれば言語道断。まして、異性を連れてライブに行くなど、信じがたい背信行為と彼はみなしている。

 ユウタはこういうとき、脳内のイマジナリーフレンドと会話をする。

(リトルユウタはどう思う?)

「アイツのことか?」  

 彼の頭上に浮かぶリトルユウタは声が甲高かんだかい。

 斜め前に座るユズナはノートを消しゴムで擦っている。ボブの髪が揺れている。

(ああ、ライブに行きたがっている)

「面倒なヤツだ! 無視しとけ」

(でも約束した……みたいだ。少なくともユズナはそう思っている)

 リトルユウタは高笑いした。

「お前はバカか? 至高なのは水本絵梨香ただ一人。お前が心から忠誠を誓うのは彼女のみ!」

(ユズナは?)

「あんなメスは忘れてしまえ!」

 リトルに促されユズナを睨みつけていると、彼女はこちらを振り返って見つめてきた。目が合っている。彼女は口を開けている。というか、周りのクラスメイト全員が見ている。

「おい、伊藤。聞こえてないのか」

 数学教師の酒井の声。

「すみません、ボーッとしてました」

 クラス中の笑い声の中、ユズナは呆れたような表情をしていた。


 放課後、鉛筆の音が鳴る。プリントを書き殴っている。

「今の時代によそ見をしただけで反省文って、この学校は絶対におかしい」

「フフフっ」

 気のせいか、笑い声がした。女の子の声だ。しかし、振り返ると誰もいない。

「気味が悪いな」

 ユウタは教室のロッカーと廊下を見回している。最近、家にいるときや出掛けているときも誰かに見られている気がする。リモコンの位置が変わったりモノをなくしたりおかしいことも起こったり、変なメッセージが届くこともある。

 そのとき、スマホに通知がきた。水本絵梨香のファンへの一斉告知メッセージだ。

「新曲を発表します!『君が悪いな』というラブソングです。詳細は後日お伝えします! 待っててね!」

 ユウタはガッツポーズした。待ちに待った新曲。握手券を集めて支援せねば。こうなると、彼はプリントと対峙して一気に鉛筆を紙の上に走らせる。推し活こそが彼のエネルギー源なのだ。

 書き終わり職員室に向かう。すると、教室の掃除ロッカーからステンレスの扉が開いた。そこから現れた女はゆっくりと教室から出て行った。

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